9-1 客船に入日残して時雨かな
【解説】 冬の初め、降ったかと思うと晴れ、また降りだし、短時間で目まぐるしく変わる通り雨。この雨が徐々に自然界の色を消して行く。先人達は、さびれゆくものの中に、美しさと無常の心を養ってきた。
【例句】(芭蕉の「時雨」の句→「時雨忌」=松尾芭蕉の忌日。陰暦10月12日。時雨の多い季節であること、また芭蕉が時雨を好んで句作に用いたことにちなむ。翁忌。桃青忌。芭蕉忌)
http://chukonen.com/oboegaki/haiku/bashou052.html
旅人と我が名呼ばれん初しぐれ 笈の小文 貞享4年(1687)
初しぐれ猿も子蓑をほしげなり 猿蓑 元禄2年(1689)
けふばかり人も年よれ初時雨 真蹟短冊 元禄5年(1692)
初時雨初の字を我が時雨かな 粟津原 元禄6年(1693)
時雨をやもどかしがりて松の雪 続山井 寛文6年(1666)
一時雨礫(つぶて)や降つて小石川 俳諧江戸広小路 延宝5年(1677)
いづく霽(しぐれ)傘を手にさげて帰る僧 東日記 延宝8年(1680)
この海に草鞋(わらんじ)捨てん笠時雨 皺筥物語 天和4・貞享元年(1684)
山城へ井手の駕籠借るしぐれかな 蕉尾琴 元禄2年(1689)
作りなす庭をいさむるいさむる時雨かな 真蹟懐紙 元禄4年(1691)
宿借りて名を名乗らするしぐれかな 真蹟懐紙 元禄4年(1691)
馬方は知らじしぐれの大井川 泊船集 元禄4年(1691)
行く雲や犬の駆尿(かけばり)むらしぐれ 六百番俳諧発句会 延宝5年(1677)
茸狩りやあぶなきことに夕時雨 真蹟画賛 元禄2年(1689)
笠もなき我をしぐるるかこは何と あつめ句 天和4・貞享元年(1684)
草枕犬も時雨るか夜の声 野ざらし紀行 天和4・貞享元年(1684)
一尾根はしぐるる雲か富士の雪 泊船集 貞享4年(1687)
しぐるるや田の新株(あらかぶ)の黒む程 泊船集 貞享4年(1687)
そして、この下五の「時雨」(季語)と結びつくと、『三冊子(赤冊子)』(服部土芳著)に、「珍らしき作意に出る師(芭蕉)の心の出所を味べし」(参考二)と評されている「旅人と我が名呼ばれん初しぐれ」(『笈の小文』ほか)を念頭にあっての一句のように思われる。
さらに、この芭蕉の時雨の句は、『三冊子(赤冊子)』の「『よばれん初しぐれ』とは云しと也。いさましき心を顕す所、謡のはしを前書にして」との「謡のはしを前書にして」の「謡」は、謡曲の「「梅枝(うめがえ)」(参考三)の、「梅が枝にこそ/鶯は巣をくへ/風吹かばいかにせん/花に宿る鶯」(「越天楽今様」の歌詞にある「梅枝」)を踏まえてのもののようである(『松尾芭蕉集①全発句・小学館』)。
このように解していくと、「第九 うめの立枝(たちえ)」は、「うめの立枝(たちえ)」の措辞からすると、『更科日記』の「梅の立ち枝」(参考四)などに由来があるようなのだが、その背後には、芭蕉の「旅人と我が名呼ばれん初しぐれ」などを踏まえての、当時の、抱一の自信作の一句のように思われる。
(参考一)「文化九年(一八一二)の抱一の『杉田村」(横浜市磯子区)観梅記』周辺
解き船の橋を境や梅の花
人々、うた詠めとむ有ける時
浜風はちりくる梅を空に吹てくものひまより雪のふるなり
などし侍る。隠居善悪坊に対して、
此景色両輪の如し海と浪
八幡宮それより祇園社にまゐり、此処梅樹ことに多し
これはこれは爰をやううめのよしの山 (『軽挙館句藻』所収「梅のたち枝」) 】
(『酒井抱一・井田太郎著・岩波新書)
(参考二)『三冊子(赤冊子)』(服部土芳著)の「旅人と我が名呼ばれん初しぐれ」(芭蕉『笈の小文』)周辺
http://urawa0328.babymilk.jp/haijin/3zousi.html
旅人と我名呼れん初しぐれ
此句は、師、武江に旅出の日の吟也。心のいさましきを句のふりにふり出して、「よばれん初しぐれ」とは云しと也。いさましき心を顕す所、謡のはしを前書にして、書のごとく章さして門人に送られし也。一風情あるもの也。この珍らしき作意に出る師の心の出所を味べし。
夜、僧の読経に、舞衣裳をつけた亡霊が現れ、夫の形見を着て太鼓を打って心を慰めたと語り、成仏を願って舞う「懺悔の舞」、そして「越天楽今様」。
しかし暁闇(あけぐれ)には、亡霊の姿も執心も消え、「面影ばかりや残るらん」。
道行はあっさりと、廻国行脚の僧が「摂津の国・住吉」に到着。「女人成仏」が主題ですから法華の僧でなくてはなりません。
これは甲斐の国身延山より出でたる僧にて候・・
いづくにも
住みは果つべき雲水(くもみず)の 住みは果つべき雲水の
身は果て知らぬ旅の空 月日ほどなく移り来て
所を問へば世を厭ふ わが衣手やすみのえ(墨・住江)の
里にも早く着きにけり 里にも早く着きにけり
はやこなたへといふつゆ(言・夕露)の むぐらの宿はうれたくとも
袖を片敷きて お泊りあれや旅人(たびびと)
西北に雲起こりて 西北に雲起こりて
東南に来たる雨の足 早くに降り晴れて 月にならん嬉しや
所はすみよし(住吉・住良)の 松吹く風も心して
旅人(りょじん)の夢を覚ますなよ 旅人の夢を覚ますなよ
雨が止み、空気も澄みわたる月夜。主人公の心象風景でもある「秋」の風情がすばらしい。でもタイトルがどうして「梅枝」? 「越天楽今様」の歌詞に「梅枝」があります。今様通りに歌うのがこの曲のハイライトなのだとか。
「夜半楽(やはんらく)」を奏でん・・
波もて結(ゆ)へる淡路潟 沖も静に青海(あおうみ)の
「青海波(せいがいは)」の波返し
返すや袖の折りを得て 軒端の梅に鶯の
来(き)鳴くや花の「えてんらく(枝・越天楽)」
梅が枝にこそ 鶯は巣をくへ
風吹かばいかにせん 花に宿る鶯
(梅の枝に鶯は巣を作るが、風が吹いたらどうするのだろう、鶯は)
(参考四)「第九 うめの立枝」の「うめの立枝(たちえ)」周辺
https://shikinobi.com/sarashina-mamahaha
わが宿の梅の立ち枝や見えつらむ思ひのほかに君が来ませる(平兼盛「拾遺15)」
(通釈)我が家の高く伸びた梅の枝が見えたのだろうか。思いもかけず、あなたが来てくれた。
(語釈)◇梅の立ち枝(え) 空に向かって伸びた梅の枝。「たち」には「花の香りがたつ」意が掛かる。
(補記)冷泉院(天皇在位967~969年)の御所の屏風絵。
(他出)拾遺抄、三十人撰、三十六人撰、新撰朗詠集、梁塵秘抄 】
(参考五)「源氏物語絵色紙帖 梅枝 詞日野資勝」周辺
「源氏物語絵色紙帖 梅枝 詞日野資勝」
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/589419
とあれば、「いと屈したりや」と笑ひたまふ。御車かくるほどに追ひて
めづらしと故里人も待ちぞ見む 花の錦を着て帰る君
(第一章 光る源氏の物語 薫物合せ 第四段 薫物合せ後の饗宴)
1.4.18 花の香をえならぬ袖にうつしもて ことあやまりと妹やとがめむ
(この花の香りを素晴らしい袖に移して帰ったら、女と過ちを犯したのではないかと妻が咎
めるでしょう。)
1.4.19 とあれば、(と言うので、)
1.4.20 「 いと屈したりや」(「たいそう弱気ですな」)
1.4.21 と笑ひたまふ。 御車かくるほどに、 追ひて、(と言ってお笑いになる。お車に牛を
繋ぐところに、追いついて、)
1.4.22 めづらしと故里人も待ちぞ見む花の錦を着て帰る君 (珍しいと家の人も待ち受け
て見ましょう。この花の錦を着て帰るあなたを、)
1.4.23 またなきことと思さるらむ (めったにないこととお思いになるでしょう。)
※狭衣物語(1069‐77頃か)四「ほし月夜のたどたどしきに烏帽子のきと見えたるに心惑ひし給ひて」
※永久百首(1116)雑「我ひとりかまくら山を越行は星月夜こそうれしかりけれ〈肥後〉」
② 「暗」と同音の「倉」を含む「鎌倉」にかかる修飾語。主として謡曲で枕詞ふうに用い
られた。
※謡曲・調伏曾我(1480頃)「箱根詣でのおんために、明くるを待つや星月夜、鎌倉山を朝立ちて」
③ 地名「鎌倉」、あるいはそれに縁のある「鎌倉将軍」(源頼朝)、「松ガ岡」(東慶寺)などを暗示的に表わす。
※北国紀行(1487)「今もなほ星月夜こそ残るらめ寺なき谷の闇のともしび」
④ 植物「ゆうがぎく(柚香菊)」の異名。
[語誌]歌語としての初出は①の挙例「永久百首」の肥後の作で、これは意図的に珍しい語を用いたもの。しかし、「夫木和歌抄」にも採られたこの歌の影響は大きく、連歌では付合(つけあい)で「鎌倉山」に縁のあることば(寄合)となり(一条兼良「連玉合璧集」)、謡曲では②のように「鎌倉」の飾り詞として用いられるようになる。これは、平安期には珍しい歌枕のひとつにすぎなかった「鎌倉」が、頼朝登場以降は重要地名となり、寄合・飾り詞の需要が増したためでもある。(「精選版 日本国語大辞典」)
句意=梅林で時雨に遭い、雨宿りをして傘の来るのを待っていたが、まだ、外は降ったり止んだりの時雨の音がしている。しかし、月までは出ていないが、闇夜に星が出てきたような気配である。
歌川広重「東都名所 日本橋之白雨」
https://mag.japaaan.com/archives/57976
9-3 からからと日本堤の落葉かな
【解説】 晩秋から冬にかけて、落葉樹はすべて葉を落とす。散った木の葉ばかりでなく、木の葉の散る様子も地面や水面に散り敷いたようすも表わす。堆肥にしたり、焚き火にしたりする。
宮人よ我名をちらせ落葉川 芭蕉「笈日記」
留守のまにあれたる神の落葉哉 芭蕉「芭蕉庵小文集」
百歳(ももとせ)の気色を庭の落葉哉 芭蕉「真蹟画賛」
岨(そば)行けば音空を行く落葉かな 太祗「太祗句選」
落葉して遠く成(なり)けり臼の音 蕪村「蕪村自筆句帳」
西吹けば東にたまる落ば哉 蕪村「蕪村自筆句帳」
句意=久しぶりに遠出をして、その帰路の、新居近くの「日本堤」は、「時雨」ならず「落ち葉」が「からから」と、「吾輩」を歓迎して、音を立てて舞っている。さながら、芭蕉翁の「留守のまにあれたる神の落葉哉」の、その「神の落葉哉」の風情である。
(参考)「留守のまに荒れたる神の落葉哉」周辺
句意=2年7ヶ月も不在にしていた江戸で、ちょうど神無月の神が出雲から帰ってきたときのように、神社でもある自分の住まいも荒れ果てていることよ。
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