火曜日, 2月 28, 2023

第四 椎の木かげ(4-26~4-28)

4-26  おもふ事言はでたゞにや桐火桶

 季語=桐火桶=火桶(ひおけ、ひをけ)/三冬

 https://kigosai.sub.jp/001/archives/2846

 【子季語】桐火桶、火櫃

【解説】円火鉢のこと。桐の木などをくり抜いて内側を真鍮などの金属板を張ったもの。炭火を入れて暖を取る。彩色をほどこしてあったりもする。平安時代以降用いられたもので枕草子にある。

【例句】

細工絵を親に見せたる火桶かな  来山「太胡盧可佐」

霜の後撫子さける火桶哉        芭蕉「勧進牒」

草の屋の行灯もとぼす火桶かな  太祗「太祗句選」

桐火桶無絃の琴の撫でごころ    蕪村「雁風呂」

侘びしらに火桶張らうよ短冊で 蕪村「落日庵日記 」

【参考】藤原俊成(「桐火桶」)(「ウィキペディア」)

 定家は為家をいさめて、「そのように衣服や夜具を取り巻き、火を明るく灯し、酒や食事・果物等を食い散らかしている様では良い歌は生まれない。亡父卿(俊成)が歌を作られた様子こそ誠に秀逸な歌も生まれて当然だと思われる。深夜、細くあるかないかの灯火に向かい、煤けた直衣をさっと掛けて古い烏帽子を耳まで引き入れ、脇息に寄りかかって桐火桶をいだき声忍びやかに詠吟され、夜が更け人が寝静まるにつれ少し首を傾け夜毎泣かれていたという。誠に思慮深く打ち込まれる姿は伝え聞くだけでもその情緒に心が動かされ涙が出るのをおさえ難い」と言った。(心敬『ささめごと』)

 句意(その周辺)=この句には、「俊成卿の畫()に」との前書があり、「藤原俊成(釈阿)が桐火桶を抱えている肖像画」を見ての一句なのであろう。

句意=俊成卿は、歌を作るときに、「「おもふ事」(心にあること)を、何一つ、「言はで」(言葉には出さず)、「たゞにや」(ただ、ひたすらに、「ウーン・ウーン」と苦吟しながら)、「桐火桶」(桐火鉢)を、抱え込んでいたんだと、そんなことを、この俊成卿の肖像画を見て、実感したわい。

 

藤原俊成(菊池容斎・画、明治時代)(「ウィキペディア」)

 

4-27  松を時雨むかしうき世の毬目附

季語=時雨(初冬)

「毬目附(まりめつけ)」=「打毬(だきゅう)」競技(馬術競技)の「違法を監察する武士の職名(役名)

「打毬」=打毬(だきゅう)は日本の競技・遊戯。馬に騎った者らが2組に分かれ、打毬杖(だきゅうづえ。毬杖)をふるって庭にある毬を自分の組の毬門に早く入れることを競う。

(中略)

江戸時代の方法は、毬門に紅白の験を立てて、毬門内に騎者10人、左右5騎ずつくつわを並べ、控える。騎者の後方左右に、勝負の合図に鉦鼓を打つ役人がいて、毬目付毬奉行門のかたわらでたがいに毬の出入りを検し、勝敗を分かつことを司る。(「ウィキペディア」)

 句意(その周辺)=この句は、「河人が初七日に橋場の保元寺に参る」との前書のある二句のうちの一句目の句である。この「河人」という人物は、抱一の俳句仲間というよりも、抱一の世話役のような「酒井家」の重臣のような方で、第八代将軍・徳川吉宗が奨励した馬術競技「打毬」の「目附」役なども担っていたのであろう。

句意=何かとお世話になっている「酒井家」の重臣「河人」の「初七日」に「橋場の保元寺(法源寺)(参考二)に出掛けた。その寺の「松」に「時雨」が降りかかり、在りししの、馬術競技の「打毬」の「目附」役であった頃の、「河人の英姿」が蘇ってくる。

 (参考一) 「打毬図」周辺

 

「打毬図」(「和歌山市立博物館」蔵)

https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/281583

(解説) 打毬をする紀州藩士の様子を描いている。打毬とは、現在も宮内庁において保存・継承されている古式馬術で、紀元前5~6世紀に古代ペルシャで発祥し、中国を経て平安時代に我が国に伝えられた。和歌山出身の徳川吉宗が武芸として復興し、各藩に奨励したという。≫

 (参考二)「保元寺」周辺

江戸名所図会「法源寺・鏡が池」

https://blog.goo.ne.jp/sa194520131207/e/7f5a39c964d373b87b6dad87c965a211

  

4-28  仙人の碁盤に向ふ()かな

 季語=巨()燵=「炬燵」(三冬)

 https://kigosai.sub.jp/001/archives/2841

 【子季語】掘炬燵、置炬燵、敷炬燵、切炬燵、電気炬燵、炬燵櫓、炬燵蒲団、炬燵切る、炬燵張る、炬燵開く、炬燵板

【解説】日本に古くからある暖房器具。近頃は電気炬燵がほとんどだが、昔は、床を切って炉を設け櫓を据えて蒲団をかけ暖を取った。また櫓の中に火種をいれた中子を置いて、蒲団をかぶせたものを置炬燵と言った。

【例句】

住みつかぬ旅のこゝろや置火燵    芭蕉「勧進牒」 

きりぎりすわすれ音になくこたつ哉  芭蕉「蕉翁全伝」

寝ごゝろや火燵蒲団のさめぬ内    其角「猿蓑」

つくづくとものゝはじまる炬燵哉   鬼貫「鬼貫句選」

草庵の火燵の下や古狸        丈草「丈草句集」

淀舟やこたつの下の水の音      太祇「太祇句帖」

巨燵出て早あしもとの野河哉     蕪村「蕪村俳句集」

腰ぬけの妻うつくしき巨燵かな    蕪村「蕪村俳句集」


句意(その周辺)=この句にも、「河人が初七日に橋場の保元寺に参る」との前書が掛かる。

句意=「俗界」(「うき世」)を離れて、「仙人」(神通力を修めた「仙客」)と化した「打毬目附」そし「て「囲碁の仙客(達人)」の、その「先人(亡き人)」の「形見分け」の「碁盤」を「炬燵」の上に置いて、しみじみと、「在りし師」の「在りし日(日々)」を偲んでいる。 

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