4-11 夕立や静(か)に歩行筏さし
季語=夕立=夕立(ゆうだち、ゆふだち)三夏
【関連季語】 夏の雨、虹
【解説】 夏の午後のにわか雨、ときに雷をともない激しく降るが短時間で止み、涼しい風が吹きわたる。
【来歴 】 『花火草』(寛永13年、1636年)に所出。
【文学での言及】 よられつるのもせの草のかげろひて涼しく曇る夕立の空 西行法師 『千載集』巻三夏
【実証的見解】 夏の強い日差しで生じる上昇気流によって積乱雲が急激に成長し、局部的に激しい雨をもたらす現象。
【例句】
夕立にやけ石寒浅間山 素堂 「素堂句集」
夕立のあと柚の薫る日陰かな 北枝 「猿丸宮集」
夕立や草葉を掴むむら雀 蕪村 「蕪村句集」
夕立が始まる海のはずれかな 一茶 「七番日記」
さらに、前書の「十鳥千句独吟」の「十鳥」は、この句の前の十句(「4-1」~「4-10」)で、「鶯・雉・燕・杜鵑・翡翠・雁・鵲・木菟・鴛鴦・蒼鷹」で、これらを発句として、「十百韻」(千句)が巻かれていると解しても差し支えなかろう。
とすると、「ヌケ」の手法が「余意を利かせる」手法とすると、これは、「正式(しょうしき・せいしき)俳諧」(「十百韻」)成就後の、その余勢の余章的な「余興(興を添える)俳諧」との範疇に入る、そのような一句(発句)のような雰囲気を有している。
そして、ずばり、この句は、次の其角の句の、「反転化・捩り・見立て・抜け」などの一句と解したい。
其角の「さすがに」 → 抱一の「静かに」(捩り)
其角の「鶴」 → 抱一の「筏さし(筏士)」(見立て)
其角の「歩み」→ 抱一の「歩行」の造語的詠み(あゆむ)→捩り
酒井抱一画「群鶴図屏風」二曲一双 紙本金地著色 (ウースター美術館蔵)
瀬戸民吉製「色絵双鶴図小皿」十枚一組 (国立歴史民族博物館蔵)
https://www.rekihaku.ac.jp/outline/publication/rekihaku/110/witness.html
【この小皿は「文政九戌十一月瀬戸民吉製」とあり、文政九年(一八二六)の瀬戸焼(愛知県瀬戸焼き)の一つということになる。この文政九年は、抱一、六十六歳の時で、その六月には、『光琳百図後編』が刊行された年である。
『鶯邨画譜』が刊行されたのは、文化十四年(一八一七)、五十七歳の時で、その後、十年足らずして、陶器に意匠化されて、抱一ブランドが製品化されているのは特記して置く必要があろう。】
抱一画集『鶯邨画譜』所収「双鶴図」(「早稲田大学図書館」蔵)
http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/chi04/chi04_00954/chi04_00954.html
(参考その二)蕪村の「筏師・筏士」周辺
蕪村筆「筏師画賛=B」(出光美術館蔵)
嵐山の桜を愛でている最中に、急に風雨が激しくなって、筏師の蓑が風に吹かれた一瞬を花に見立てた俳画。蓑の部分は、紙を揉んで皺をつけ、その上から渇筆を擦りつけることで、蓑のごわごわとした質感をあらわしている。蓑笠だけで表された筏師のポーズは遊び心にあふれ、ほのぼのとしていながら印象的である。遊歴の俳人画家、蕪村は五十歳になってから京都に安住の地に選び、身も心も京都の人になりきって庶民の風習を楽しんだ。自己を語ることをせずに、筏師一人だけを慎み深く捉えているところに、かえって都会的な香りや郷愁を感じさせる。(出光)
(釈文)
嵐山の花にまかりけるに俄に風雨しけれは
いかたしの みのや あらしの 花衣 蕪村 (花押) ]
「大雅・蕪村・玉堂と仙崖―『笑《わらい》』のこころ」(作品解説38)
その「蓑」に比して、「笠」の方は、「潤筆(じゅんぴつ)=十分に墨を含ませて描く」の技法の一筆描きで、この「蓑と笠」だけで「筏師のポーズ」を表現するというのは、「遊歴の俳人画家」たる蕪村の「遊び心」で、「ほのぼのとしていながら印象的である」と鑑賞している(上記の解説)。
ここで、この「筏師画賛=B」は、何時頃制作されたのかということについては、この賛に書かれている発句「いかたしの/ミのや/あらしの/花衣」の成立時期との関連で、凡その見当はついてくるであろう。 】
蕪村筆「筏士自画賛」(百池の箱書きあり・蕪村の署名はなく花押のみ)=A
【寺村百池の「箱書き」(括弧書き=読みと注)は次のとおりである。
[ これは是、老師夜半翁(蕪村)世に在(ま)す頃、四明山下金福寺に諸子会しける日、帰路三本樹(京都市上京区の地名=三本木、その南北に走る東三本木通りは、江戸時代花街として栄えた)なる井筒楼に膝ゆるめて、各三盃を傾く。時に越(こし=北陸道の古名)の桃睡(とうすい)、酔に乗じて衣を脱ぎ師に筆を乞ふ。とみに肯(うべな)ひ、麁墨(そぼく)禿筆(とくひつ)を採(とり)てかいつけ給ふものなり。余(百池)も其(その)傍に有りて燭をとり立廻(たちめぐ)りたりしが、日月梭(ひ)の如く三十年を経て、さらに軸をつけ壁上の観となし、其(その)よしをしるせよと責(せめ)けるこそ、そゞろ懐古の情に堪へず、たゞ老師の磊落(らいらく)なる事を述(のべ)て今のぬしにあたへ侍りぬ。 ]
(『蕪村全集一 発句)』所収「2377 左注・頭注・脚注」)
さらに、『大来堂発句集』(百池の発句集)』の天明三年(一七八三)三月二十三日に、「金福寺芭蕉庵、追善之俳諧興行(風蘿念仏)に、蕪村、桃睡、百池一座」として、「雨日嵐山
に春を惜しむ」との前書きのある「み尽して雨もつ春の山のかひ」という句が所出されている。
すなわち、蕪村が亡くなる天明三年(一七八三)の三月二十三日、上記の百池の「箱書き」に記載されている句会が、金福寺芭蕉庵で開かれて、その帰途に、三本樹の井筒楼で宴会があり、その宴席での、即興的な「席画」(宴席や会合の席上で、求めに応じて即興的に絵を描かくこと。また、その絵)が、上記の「筏士自画賛=A」なのである。
これは、百池の「箱書き」によって、桃睡の「衣」に描いた、すなわち、「絹本墨画」の「筏士自画賛」ということになる。ところが、「紙本墨画淡彩」の「筏師画賛=B」(出光美術館蔵)も現存するのである。これは、後述することとして、その前に、上記の「筏士自画賛=A」の賛の発句や落款について触れて置きたい。
この画中の右の冒頭に、「嵐山の花見に/まかりけるに/俄(にわか)に風雨しければ」として、「いかだしの/みのや/あらしの/花衣」の句が中央に書かれている。それに続いて、画面の左に、「酔蕪村/三本樹/井筒屋に/おいて写」と落款し、その最後に、蕪村常用の「花押」が捺されている。
このことから、蕪村は、亡くなる最晩年にも、この独特の花押を常用していたことが明瞭となって来る。
ここで、蕪村が最晩年の立場に立って、生涯の発句の中から後世に残すに足るものとして自撰した『自筆句帳』の内容を伝える『蕪村句集(几董編)』の「巻之上・春之部」では、「雨日嵐山にあそぶ」として「筏士(いかだし)の蓑(みの)やあらしの花衣(はなごろも)」の句形で採られている。
この句形からすると、出光美術館所蔵の「筏師画賛=B」(「大雅・蕪村・玉堂と仙崖―『笑《わらい》のこころ』」図録中「作品38」)も「筏士画賛」のネーミングも当然に想定されたものであろう。おそらく、「筏士自画賛=A」と区別したいという意図があるのかも知れない。】
(参考その三)其角の「日の春を」(貞享三丙寅年正月『初懐紙』)周辺
「日の春を(百韻)」の巻(貞享三丙寅年正月『初懐紙』)
初表
日の春をさすがに鶴の歩ミ哉 其角
砌に高き去年の桐の実 文鱗
雪村が柳見にゆく棹さして 枳風
酒の幌に入あひの月 コ斎
秋の山手束の弓の鳥売ん 芳重
炭竃こねて冬のこしらへ 杉風
里々の麦ほのかなるむら緑 仙花
我のる駒に雨おほひせよ 李下
初裏
朝まだき三嶋を拝む道なれば 挙白
念仏にくるふ僧いづくより 朱絃
あさましく連歌の興をさます覧 蚊足
敵よせ来るむら松の声 ちり
有明の梨打烏帽子着たりける 芭蕉
うき世の露を宴の見おさめ 筆
にくまれし宿の木槿の散たびに 文鱗
後住む女きぬたうちうち 其角
山ふかみ乳をのむ猿の声悲し コ斎
命を甲斐の筏ともみよ 枳風
法の土我剃リ髪を埋ミ置ん 杉風
はづかしの記をとづる草の戸 芳重
さく日より車かぞゆる花の陰 李下
橋は小雨をもゆるかげろふ 仙花
ニ表
残る雪のこる案山子のめづらしく 朱絃
しづかに酔て蝶をとる歌 挙白
殿守がねぶたがりつるあさぼらけ ちり
はげたる眉をかくすきぬぎぬ 芭蕉
罌子咲て情に見ゆる宿なれや 枳風
はわけの風よ矢箆切に入 コ斎
かかれとて下手のかけたる狐わな 其角
あられ月夜のくもる傘 文鱗
石の戸樋鞍馬の坊に音すみて 挙白
われ三代の刀うつ鍛冶 李下
永禄は金乏しく松の風 仙花
近江の田植美濃に耻らん 朱絃
とく起て聞勝にせん時鳥 芳重
船に茶の湯の浦あはれ也 其角
二裏
つくしまで人の娘をめしつれて 李下
弥勒の堂におもひうちふし 枳風
待かひの鐘は墜たる草の上 はせを
友よぶ蟾の物うきの声 仙花
雨さへぞいやしかりける鄙ぐもり コ斎
門は魚ほす磯ぎはの寺 挙白
理不尽に物くふ武者等六七騎 芳重
あら野の牧の御召撰ミに 其角
鵙の一声夕日を月にあらためて 文鱗
糺の飴屋秋さむきなり 李下
電の木の間を花のこころせば 挙白
つれなきひじり野に笈をとく 枳風
人あまた年とる物をかつぎ行 揚水
さかもりいさむ金山がはら 朱絃
三表
此国の武仙を名ある絵にかかせ 其角
京に汲する醒井の水 コ斎
玉川やをのをの六ツの所みて 芭蕉
江湖江湖に年よりにけり 仙花
卯花の皆精にもよめるかな 芳重
竹うごかせば雀かたよる 揚水
南むく葛屋の畑の霜消て 不卜
親と碁をうつ昼のつれづれ 文鱗
餅作る奈良の広葉を打合セ 枳風
贅に買るる秋の心は はせを
鹿の音を物いはぬ人も聞つらめ 朱絃
にくき男の鼾すむ月 不卜
苫の雨袂七里をぬらす覧 李下
生駒河内の冬の川づら 揚水
三裏
水車米つく音はあらしにて 其角
梅はさかりの院々を閉 千春
二月の蓬莱人もすさめずや コ斎
姉待牛のおそき日の影 芳重
胸あはぬ越の縮をおりかねて 芭蕉
おもひあらはに菅の刈さし 枳風
菱のはをしがらみふせてたかべ嶋 文鱗
木魚きこゆる山陰にしも 李下
囚をやがて休むる朝月夜 コ斎
萩さし出す長がつれあひ 不卜
問し時露と禿に名を付て 千春
心なからん世は蝉のから 朱絃
三度ふむよし野の桜芳野山 仙化
あるじは春か草の崩れ屋 李下
名表
傾城を忘れぬきのふけふことし 文鱗
経よみ習ふ声のうつくし 芳重
竹深き笋折に駕籠かりて 挙白
梅まだ苦キ匂ひなりけり コ斎
村雨に石の灯ふき消ぬ 峡水
鮑とる夜の沖も静に 仙化
伊勢を乗ル月に朝日の有がたき 不卜
欅よりきて橋造る秋 李下
信長の治れる代や聞ゆらん 揚水
居士とよばるるから国の児 文鱗
紅に牡丹十里の香を分て 千春
雲すむ谷に出る湯をきく 峡水
岩ねふみ重き地蔵を荷ひ捨 其角
笑へや三井の若法師ども コ斎
名裏
逢ぬ恋よしなきやつに返歌して 仙化
管弦をさます宵は泣るる 芳重
足引の廬山に泊るさびしさよ 揚水
千声となふる観音の御名 其角
舟いくつ涼みながらの川伝い 枳風
をなごにまじる松の白鷺 峡水
寝筵の七府に契る花匂へ 不卜
連衆くははる春ぞ久しき 挙白
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