【関連季語】 春霖
【解説】 春に降る雨の中でも、こまやかに降りつづく雨をいう。一雨ごとに木の芽、花の芽がふくらみ生き物達が活発に動き出す。「三冊子」では旧暦の正月から二月の初めに降るのを春の雨。それ以降は春雨と区別している。
【来歴】 『増山の井』(寛文7年、1667年)に所出。
【文学での言及】
わがせこが衣春雨ふるごとに野辺のみどりぞ色まさりける 紀貫之『古今集』
【例句】
春雨や蓬をのばす草の道 芭蕉「草の道」
春雨の木下にかかる雫かな 芭蕉「小文庫」
春雨やふた葉にもゆる茄子種 芭蕉「岨の古畑」
笠寺やもらぬいはやも春の雨 芭蕉「千鳥掛」
春雨や蜂の巣つたふ屋ねの漏 芭蕉「炭俵」
春雨や蓑吹きかへす川柳 芭蕉「はだか麦」
春雨や小磯の小貝ぬるゝほど 蕪村「蕪村句集」
物種の袋ぬらしつ春のあめ 蕪村「蕪村句集」
春雨の中を流るゝ大河かな 蕪村「蕪村遺稿」
春雨や人住ミて煙壁を洩る 蕪村「蕪村句集」
春雨や身にふる頭巾着たりけり 蕪村「蕪村句集」
春雨や小磯の小貝ぬるゝほど 蕪村「蕪村句集」
滝口に燈を呼ぶ聲や春の雨 蕪村「蕪村句集」
春雨やもの書ぬ身のあハれなる 蕪村「蕪村句集」
はるさめや暮なんとしてけふも有 蕪村「蕪村句集」
春雨やものがたりゆく簑と傘 蕪村「蕪村句集」
柴漬の沈みもやらで春の雨 蕪村「蕪村句集」
春雨やいさよふ月の海半(なかば) 蕪村「蕪村句集」
はるさめや綱が袂に小ぢようちん 蕪村「蕪村句集」
春雨の中におぼろの清水哉 蕪村「蕪村句集」
② 緑豆(りょくとう)の澱粉からとった、透明、線状の食品。まめそうめん。
[2] 端唄(はうた)・うた沢の曲名。二上がり。肥前小城(佐賀県小城市)藩士柴田花守作詞。長崎丸山の遊女の作曲という。嘉永年間(一八四八‐五四)江戸で流行。上方系端唄の代表曲。別名「鶯宿梅」。(「精選版 日本国語大辞典」)
※枕(10C終)一九九「きなる葉どものほろほろとこぼれおつる」
② 涙や水滴などがこぼれ落ちるさまを表わす語。また、激しく泣くさまを表わす語。
※蜻蛉(974頃)上「又ほろほろとうち泣きていでぬ」
③ 集まっていた人々が分かれ散るさまを表わす語。
※源氏(1001‐14頃)若菜下「さるべき限りこそまかでね、ほろほろと騒ぐを」
④ 物が裂け破れるさま、こなごなになるさまを表わす語。ぼろぼろ。
※源氏(1001‐14頃)宿木「栗やなどやうの物にや、ほろほろと食ふも」
⑤ 雉子(きじ)、山鳥などの鳴く声を表わす語。ほろろ。
※源賢集(1020頃)「御狩野に朝たつきじのほろほろと鳴きつつぞふる身を恨みつつ」
⑥ 砧(きぬた)を打つ音を表わす語。
※歌謡・閑吟集(1518)「衣々の、砧の音が、枕にほろほろほろほろとか、それをしたふは、涙よなふ」(「精選版 日本国語大辞典」)
「ほろほろ和え」=「切和(きりあえ)」=料理法の一つ。食べ物を細かく切ってあえること。また、その料理。特に、蕗(ふき)の若葉、または藤の若芽などをゆでて細かく刻み、焼みそであえたもの。ほろほろ。〔俚言集覧(1797頃)〕(「精選版 日本国語大辞典」)
※枕(10C終)五六「御厨子(みづし)所のおものだなに沓(くつ)おきて」(「精選版
日本国語大辞典」)
https://yahan.blog.ss-blog.jp/2018-10-18
抱一自撰句集『屠龍之技』「東京大学付属図書館蔵」(明治三十一年森鴎外「写本」)の「千づかのいね」)
【「千都かのいね」(「千づかのいね」「千束の稲」)は、『軽挙観(館)句藻』(静嘉堂文庫所蔵・二十一巻十冊)収録の「千づかのいね」(自筆句集の題名)を、刊本の自撰句集『屠龍之技』の第五編に収載したものなのであろう。
この第五編「千づかのいね」(『日本名著全集江戸文芸之部第二十七巻(追加編二巻)俳文俳句集(日本名著全集刊行会編)』)の六句目「夕露や小萩かもとのすずり筥」が、冒頭の、抱一画集『鶯邨画譜』所収「萩図」の賛(発句=俳句)ということになろう。(略)
そして、四句目の「其夜降(る)山の雪見よ鉢たゝき」の前書き「水無月なかば鉢叩百之丞得道して空阿弥と改、吾嬬に下けるに発句遣しける」は、六句目の「夕露や小萩がもとのすゞり筥」にも掛かるものと解したい。(略)】
この句も、当時の抱一の、趣向に趣向を凝らして、自信作の一つなのであろう。この句の「春雨」は、「春雨」(季語=三春)・「春雨」(食用)・「春雨」(端唄・小唄)を掛けての措辞のようである。
この「ほろほろ」も、「(季語の春雨の)ほろほろ」・「(食用の春雨の)ほろほろ(ほろほろ和え)」を掛けての措辞ということになる。
そして、この「ほろほろ和え」の「和え」(混ぜ合わせたもの)は、当時の「吉原文化」の、その底流を流れているものと通ずるのものなのであろう。
すなわち、この「御もの棚」も、「「御物棚」=宮中で、天皇の食膳を載せて納めておく棚」の、「宮中(禁中)=隔離された別世界」ならず「吉原(郭中)=隔離された別世界」の「御もの棚」(御大尽の食膳を載せておく棚)と解すると、この句の全体像が、その正体を現してくるような雰囲気なのである。
さらに、それらに加えて、上記の「吉原文化」の「声曲」に関連しても、下記のアドレスで紹介したとおり、抱一は、当時の「荻江節」「河東節」の、名だたる名手で知られていたのである。
あさがほのはなの盛は、
ももとせもかはらぬ今のかたみとて、
むかしかたりにあらばこそ、
見れば、
うつつに水くきのあとは尽せぬ玉菊の、
ひとよふた代ををなしなの、
あいよりいでてなをあをきるりのせかいや、
花のおもか」
の大人に見せければ、元来好事といひ常々廓中に入ひたりて画に用ひられて取はやさるる
身は人々のすすめも黙止(もだし)がたく、彼香包の色絵より朝顔といふめりやすの唄を
作り、名ある画客会合し衆評の上節を付、伊能永鯉もたびたび引出されて、一節伐(ひと
よぎり)を合せ、その外鼓弓筝笛尺八つづみ太鼓にいたるまで、名だたる人々一同に合奏
して、夜な夜な遊君ひともとの座敷に錬磨しけるが、その後はなばなしく追善の式ありし
沙汰を聞ず、伝え聞に、それぞれの配(くばり)もの四季着(しきせ)付届振舞以下弐百
両余の失墜あればなり、依て玉菊が墓所を修理して苔提所に於て読経作善いと念頃なりし
とかや」
(追記三)「抱一と河東節」
み、しばしば仲間と会を催した。河東の新曲を幾つか作り、「青すだれ」「江戸うぐいす」
「夜の編笠」「火とり虫」等、抱一作として後代にのこっている曲も幾つかある。≫(『本
朝画人伝巻一・村松梢風』所収「酒井抱一」)
↑
https://yahan.blog.so-net.ne.jp/2018-09-07
↓
(追記) 酒井抱一作詞『江戸鶯』(一冊 文政七年=一八二四 「東京都立中央図書館
加賀文庫」蔵)
≪ 抱一は河東節を好み、その名手でもあったという。自ら新作もし、この「江戸鶯」
「青簾春の曙」の作詞のほか、「七草」「秋のぬるで」などの数曲が知られている。平生愛
用の河東節三味線で「箱」に「盂東野」と題し、自身の下絵、羊遊斎の蒔絵がある一棹な
ども有名であった。≫(『酒井抱一と江戸琳派の全貌(松尾知子・岡野智子編)』所収「図
版解説一〇一」(松尾知子稿)」) 】
「抱一上人」鏑木清方筆(三幅対の中幅/縦四〇・五㎝ 横三五・〇㎝/明治四十二年<一九〇九>永青文庫蔵 )
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