月曜日, 10月 24, 2022

北斎の狂句(その二)

 その二 出まい洒落まい奢るまい申の暮

 出まい洒落(しゃれ)まい奢(おご)るまい申(さる)の暮(くれ) 百々爺 天保九-十一年(一八三八-四〇)

●申(さる)の暮=申年の暮れ=天保七年(一八三六)丁申(ひのととり・ていゆう)の暮れ(年末)の作か(?)この年、北斎、七十七歳。

●出まい洒落(しゃれ)まい奢(おご)るまい=「見ざる言わざる聞かざるの三猿」の「捩り(もじり」(俗文芸において,滑稽を生み出すためにしばしば用いられる手法。一つの語句に異なる二つの意味を持たせる〈地口(じぐち)〉がその基本となるが,二義の取合せがちぐはぐであればあるほど,より効果的に滑稽が生じる。また,表の意味の裏にあるもう一つの意味が同時に感受されねばならないので,〈もじり〉の対象は人口に膾炙(かいしや)された文句が適する。したがって近世の俗文芸では,和漢の古典の〈雅〉の世界に当世の〈俗〉を見立てたり,こじつける趣向の〈もじり〉が多く見られる。)=「世界大百科事典 第2版」)

百々爺=「ももんじい」=百×百=万。→ 「まんじ」=卍=北斎(?) 『謎解き北斎川柳(宿六心配著)』の説(『北斎川柳(田中聡著)』)

※百々爺(「ウィキペディア」)

『 百々爺(ももんじい)は、鳥山石燕による江戸時代の妖怪画集『今昔画図続百鬼』にある日本の妖怪。

≪ 百々爺未詳 愚按ずるに 山東に摸捫ぐは(ももんぐは)と称するもの 一名野襖(のぶすま)ともいふとぞ 京師の人小児を怖しめて啼を止むるに元興寺といふ もゝんぐはとがごしとふたつのものを合せてもゝんぢいといふ

 原野夜ふけてゆきゝたえ きりとぢ風すごきとき 老夫と化して出て遊ぶ 行旅の人これに遭へばかならず病むといへり ≫

  この解説では、石燕は百々爺のことを「未詳」としながらも、原野に出没する老人の妖怪としており、通行人がこれに出遭うと病気を患うものとしている。また、文中にある「もゝんぐは(モモンガ)」は実在の動物の名前であると同時に、関東地方で化け物を意味する幼児語であり(モモンガ#「モモンガ」の名の由来も参照)、顔つきや体で怪物のような仕草をして子供を脅かす遊びをも意味しており、「がごし(ガゴジ)」も同様に徳島県などで妖怪の意味で用いられる児童語である。石燕は百々爺のことを、これら「モモンガ」と「ガゴジ」の合成語と述べている。』(「ウィキペディア」)

  この≪鳥山石燕『今昔画図続百鬼』より「百々爺」≫の画像は次のとおり。

 


鳥山石燕『今昔画図続百鬼』より「百々爺」≫(「ウィキペディア」)

 この鳥山石燕が描く『今昔画図続百鬼』の「百々爺」に、次の「天保13年(1842年)、82歳(数え年83歳)頃の自画像(一部)」が、何処となく似通っている。

 

「天保13年(1842年)、82歳(数え年83歳)頃の自画像(一部)」(「ウィキペディア」)

 句意=申年の暮れ、「見ざる言わざる聞かざるの三猿」の如く、「出まい(脱浮世)・洒落まい(無風流)・奢るまい(万事泰然)」を、この「百々爺」の三か条とす。

 (参考) 北斎(春朗)の「青面金剛」と「三猿」周辺

 

北斎(春朗)の「青面金剛」と「三猿」(部分図)(太田記念美術館蔵) 

https://twitter.com/ukiyoeota/status/1235849976229416971


北斎(春朗)の「青面金剛」と「三猿」(太田記念美術館蔵)

『葛飾北斎が20代後半に描いた珍しい仏画。青面金剛という庚申信仰のご本尊。下には、「見ざる言わざる聞かざるの三猿」が描かれている。』

 

 

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