火曜日, 10月 18, 2022

屠龍之技(酒井抱一句集)第一こがねのこま(1-2)

 第一こがねのこま(1-2)

1-2  から笠のほねのたくみも柳哉

  柳(やなぎ)=晩春。

わがせこが見らむ佐保道の青柳を手折りてだにも見むよしもがも 大伴坂上郎女『万葉集』

見渡せば柳桜をこきまぜて都ぞ春に錦なりける 素性法師『古今集』

青柳の糸よりかくる春しもぞ乱れて花のほころびにける 紀貴之『古今集』

傘(からかさ)に押しわけみたる柳かな 芭蕉「炭俵」

傾城の賢なるはこの柳かな       其角「五元集」

梅ちりてさびしく成しやなぎ哉     蕪村「蕪村句集」

恋々として柳遠のく舟路かな      几董「井華集」

  から笠(唐笠)=江戸時代に入ってからで、白の和紙に桐油(とうゆ)を引いたのが始まりで、その粗雑なものを番傘とよんだ。のちに家紋をつけたりし、傘の周囲を紺で染めたものを蛇の目傘、それより細身で高級品のものを紅葉(もみじ)傘といい、握りには籐(とう)を巻いたり、骨を糸飾りにしたりして粋筋(いきすじ)の間で流行した。

傘にねぐらかさうやぬれ燕  其角『虚栗』

柳に風=柳が風に従ってなびくように、少しも逆らわないこと。また、巧みに受けながすこと。※雑俳・如露評万句合‐宝暦九(1759)「いつ見ても柳に風の夫婦中」

 句意=唐笠の骨の仕組みは、実に巧みに出来上がっている。それは、丁度、「柳に風」のごとく、巧みに、従順な働きをしている。抱一の句作りの要諦は、江戸座俳諧の元祖の宝井其角の句をいかに「柳(其角)に風(抱一)」ごとく、咀嚼して、さりげなく一句にしているかどうかにかかっている。

 

鈴木其一筆「柳図扇」一本(柄) 酒井抱一賛 太田記念美術館蔵

一六・六×四五・五㎝

【 軽やかに風に揺れる柳が描かれる。抱一による賛は「傾城の賢なるはこれやなきかな 晋子吟 抱一書」。晋子(しんし)とは、芭蕉の門弟の一人で江戸俳座の祖である其角のこと。この句は『都名所図会』(安永九年<一七八〇>刊)などで京都の遊郭、島原を形容する際に用いられており、江戸時代後期にはよく知られていたと思われる。本扇面は、当時の吉原文化の一翼を担った抱一とその弟子其一の、粋な書画合筆による。賛のあとに抱一の印章「文詮」(朱文瓢印)が捺される。画面右に其一の署名「其一」、印章「元長」(朱文方印)がある。なお、其一の弟子入りの時期と抱一没年から制作期は文化十年(一八一三)から文政十一年(一八二八)の間と考えられる。 】(『鴻池コレクション扇絵名品展(図録)』所収「作品解説(赤木美智稿)」)

 (参考) 「藤図扇子」(其一筆・抱一賛・其角句)周辺

 https://yahan.blog.ss-blog.jp/2019-09-25

 抱一の賛の其角の句「傾城の賢なるはこれやなきかな」は、『五元集(旨原編)』では「傾城の賢なるは此柳かな」の句形で収載されている。この其角の句が何時頃の作なのかは定かではない。『都名所図会』(安永九年<一七八〇>刊)で京都の遊郭、島原を形容する際に用いられているということは、其角の京都・上方行脚などの作なのかも知れない。

  闇の夜は吉原ばかり月夜哉   (天和元年=一六八一、二十一歳)

 西行の死出路を旅のはじめ哉  (貞享元年=一六八四、二十四歳、一次上方行脚)

 夜神楽や鼻息白し面の内    (元禄元年=一六八九、二十八歳、二次上方行脚)

 なきがらを笠に隠すや枯尾花  (元禄八年=一六九四、三十四歳、三次上方行脚)

 

0 件のコメント: