第一こがねのこま(1-2)
1-2 から笠のほねのたくみも柳哉
わがせこが見らむ佐保道の青柳を手折りてだにも見むよしもがも 大伴坂上郎女『万葉集』
見渡せば柳桜をこきまぜて都ぞ春に錦なりける 素性法師『古今集』
青柳の糸よりかくる春しもぞ乱れて花のほころびにける 紀貴之『古今集』
傘(からかさ)に押しわけみたる柳かな 芭蕉「炭俵」
傾城の賢なるはこの柳かな 其角「五元集」
梅ちりてさびしく成しやなぎ哉 蕪村「蕪村句集」
恋々として柳遠のく舟路かな 几董「井華集」
傘にねぐらかさうやぬれ燕 其角『虚栗』
柳に風=柳が風に従ってなびくように、少しも逆らわないこと。また、巧みに受けながすこと。※雑俳・如露評万句合‐宝暦九(1759)「いつ見ても柳に風の夫婦中」
鈴木其一筆「柳図扇」一本(柄) 酒井抱一賛 太田記念美術館蔵
一六・六×四五・五㎝
【 軽やかに風に揺れる柳が描かれる。抱一による賛は「傾城の賢なるはこれやなきかな 晋子吟 抱一書」。晋子(しんし)とは、芭蕉の門弟の一人で江戸俳座の祖である其角のこと。この句は『都名所図会』(安永九年<一七八〇>刊)などで京都の遊郭、島原を形容する際に用いられており、江戸時代後期にはよく知られていたと思われる。本扇面は、当時の吉原文化の一翼を担った抱一とその弟子其一の、粋な書画合筆による。賛のあとに抱一の印章「文詮」(朱文瓢印)が捺される。画面右に其一の署名「其一」、印章「元長」(朱文方印)がある。なお、其一の弟子入りの時期と抱一没年から制作期は文化十年(一八一三)から文政十一年(一八二八)の間と考えられる。 】(『鴻池コレクション扇絵名品展(図録)』所収「作品解説(赤木美智稿)」)
西行の死出路を旅のはじめ哉 (貞享元年=一六八四、二十四歳、一次上方行脚)
夜神楽や鼻息白し面の内 (元禄元年=一六八九、二十八歳、二次上方行脚)
なきがらを笠に隠すや枯尾花 (元禄八年=一六九四、三十四歳、三次上方行脚)
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