火曜日, 3月 07, 2023

第四 椎の木かげ(4-43~4-50)

4-43  音八が鄽(みせ)人形も袷かな

 季語=袷=袷(あわせ/あはせ)/ 初夏

https://kigosai.sub.jp/001/archives/8701

【子季語】綿抜/初袷/古袷/素袷/袷衣/絹衣

【解説】袷衣のことで、すなわち表地と裏地を合わせた着物。素肌に直接身につけるものは「素袷」という。冬に着る「綿入」から綿を抜いて着る夏物を「綿抜」という。

【例句】 那須七騎弓矢に遊ぶ袷かな 蕪村「新五子稿」

「更夜」(前書)=「深更。※和漢朗詠(1018頃)上「燭を背けては共に憐れむ深夜の月 花を踏んでは同じく惜しむ少年の春〈白居易〉〔韓愈‐落葉詩〕」(「精選版 日本国語大辞典」)

ここは、「更衣((ころもがえ、ころもがへ)」(初夏)の捩りの「更夜」とし、「夏の夜(なつのよ)」(三夏)の意も利かせているような雰囲気である。

(参考) 「更衣(ころもがえ、ころもがへ)」(初夏)の例句

長持へ春ぞ暮れ行く更衣    西鶴「落花集」

ひとつぬひで後に負ぬ衣がへ  芭蕉「笈の小文」

越後屋に衣さく音や更衣    其角「五元集」

「夏の夜(なつのよ)」(三夏)の例句

夏の夜は明くれどあかぬまぶた哉  守武「俳諧初学抄」

夏の夜や崩れて明けし冷し物      芭蕉「続猿蓑」

「音八」=「嵐音八」=歌舞伎俳優。幕末までに4世あるが,詳細は不明。初世のみ著名。初世(1698‐1769∥元禄11‐明和6)は京都の生れ。大坂竹田芝居で初舞台を踏む。1732(享保17)江戸に下り,34年道外方(どうけがた)になる。以後,演技と特徴のある容貌とにより人気を博し,三都道外方随一と評される。かたわら江戸人形町に鹿の子餅の店を経営し,これも好評で戯作の題材になっている。(「世界大百科事典 第2版」)

「鄽」(音=テン、訓=みせ・やしき)=店・店舗・屋敷

https://kanjitisiki.com/jis3/0082.html

「江戸人形町に鹿の子餅の店を経営」=「道化役者の嵐音八というのが人形町に「鹿の子餅」の店を出し、四尺くらいの小僧人形、不二家のペコちゃんみたいなもの、が鹿の子餅の包みやお茶を出す仕掛けで大評判になった。」(柳家小満んの「鹿の子餅」より「江戸小咄」)

http://kbaba.asablo.jp/blog/2022/11/04/9538150

「音八と云ふ役者の家にて 鹿子餅を売る見世先に 四尺斗坊主小僧人形 袖無し羽織を着し 茶台の上へ竹の皮包を重ねたる持ちて 立居たる餅買人の来たる時 此人形おのれと持出る ぜんまいからくり有りし也」(『寛天見聞記』)

『からくり(著者: 立川昭二)

 

『機巧図彙(からくりずい・きこうずい): 細川半蔵著』を元に復元された茶運び人形とその

内部構造(復元品)(「国立科学博物館」蔵)(「ウィキペディア」)

 

句意(その周辺)=抱一の、こういう句にはお手上げである。「鄽」(音=テン、訓=みせ・や

しき)が、「廓」の誤字なのではないのかと、てっきり「吉原」を背景にする句と思ったら、

どうやら、歌舞伎俳優(道化役者)の「嵐音八」が、江戸人形町に「鹿の子餅の店」をやって

いて、その「鄽」(見世・店)先の「からくり人形」の「茶運び人形」に関する句のようであ

る。

 この「からくり人形」の「茶運び人形」が、「更衣」の季節で「袷」になり、その「更衣」から「更夜」(前書)と、其角譲りの、抱一の「洒落風」(「言葉遊び」)の「夏の夜」の「捩り」(「言葉を、同音または音の近い他の語に言いかけること=地口・語呂」・「付句の一種」)のような雰囲気である。

 句意=春から夏へと「衣更え」の季節となり、その「衣更え」の「更夜」に、足をのばして、江戸(上野)人形町の「音八」の鹿の子餅の()に行ったら、今、評判の、その「店()」先の、「からくり人形」の「茶運び人形」が「袷」姿で、「衣更え」をしていましたよ。

(蛇足=「東風」流の「其角・嵐雪」の元締めの「芭蕉」の語録中の語録の「不易・流行」の、典型的な「流行」(変化し移ろう流行)の、「言いかけ」の、「その時々の呟(つぶや)き」のような句なのであろう。)

 

4-44  (また)ぬ蚊の声の高さや杜宇(ほととぎす)

 季語=杜宇(ほととぎす)=時鳥(ほととぎす)/三夏

https://kigosai.sub.jp/001/archives/2099

【子季語】初時鳥、山時鳥、名乗る時鳥、待つ時鳥、田長鳥、沓手鳥、妹背鳥、卯月鳥、杜鵑、杜宇杜魂、子規、不如帰

【解説】初夏五月に南方から渡ってきて日本に夏を告げる鳥。雪月花に並ぶ夏の美目でもある。昔は初音を待ちわびた。初音を待つのは鶯と時鳥だけ。夜、密かに鳴くときは忍び音といった。

【例句】

野を横に馬引むけよほとゝぎす  芭蕉「猿蓑」

ほとゝぎすきのふ一聲けふ三聲  去来「去来発句集」

岩倉の狂女恋せよほとゝぎす   蕪村「五車反古」

江戸入りの一ばん声やほととぎす 一茶「七番日記」

 「蚊」も季語(三夏)で、「待たぬ蚊」と「待っているホトトギス」の「季重なり」(一つの句に季語が二つ以上入ること)の句である。「杜宇(ほととぎす)」は「五箇の景物」(雪・月・花・郭公=ほととぎす・紅葉)の一つの別格扱いの季語だが、ここでは、「待たぬ蚊の声の高さや」で、「待っているホトトギス(の初声)」と同格的扱いの、巧妙な句づくりとなっている。

(例句)

わが宿は蚊の小さきを馳走なり  芭蕉「小文庫」

 句意(その周辺)=吾らの「東風」流の「其角・嵐雪」の元締めの「芭蕉」翁の句に、「わが宿は蚊の小さきを馳走なり」と、まさに、「待(また)ぬ蚊の声の高さ(大きさ)」は、これぞ、まさしく、「小さき馳走」ではなく、「初音を待つのは鶯と時鳥」の、その「初夏」(更夜)の、その「杜宇(ほととぎす)」の「初音」であることよ。(蛇足=「芭蕉と抱一」というのは、「其角(嵐雪)と抱一」に比して、殆ど「等閑視」されている印象も受けるが、この句などは、「其角」流というよりも、「芭蕉(桃青・翁・老人)」の「蕉風一統の陰徳を得たり(『東風流(春来)』序)」という印象を深くする。)


4-45  樹作りが衣かゝれり庭若葉

季語=「庭若葉」=若葉(わかば)/初夏]

https://kigosai.sub.jp/001/archives/2132

【子季語】朴若葉、藤若葉、若葉寒

【関連季語】青葉、草の若葉、茂、新緑、新樹

【解説】おもに落葉樹の新葉のこと。やわらかく瑞々しい。若葉をもれくる日ざし、若葉が風にそよぐ姿、若葉が雨に濡れるさまなどいずれも美しい。

【例句】

若葉して御めの雫ぬぐはばや        芭蕉「笈の小文」

又是より若葉一見となりにけり      素堂「山口素堂句集」

若葉ふく風やたばこのきざみよし    嵐雪「玄峰集」

若葉吹く風さらさらと鳴りながら    惟然「惟然坊句集」

不二ひとつうづみ残してわかばかな 蕪村「蕪村句集」

絶頂の城たのもしき若葉かな        蕪村「蕪村句集」

濃く薄く奥ある色や谷若葉          太祇「太祇句選」

若葉して又もにくまれ榎哉         一茶「題叢」

 句意(その周辺)=この句は、字面だけで句意を探ると、「樹()作り」(庭師・盆栽士など?)が、「庭若葉」(「庭の若葉が生えた樹?」「庭の若葉した盆栽?)」などに、「衣(ころも)かゝれり」(衣を掛かれり=「衣をかける?」「衣で覆う?」)などしている……、ということになる。

何か、「からくり」(仕掛け)があるとすると、中七の「衣かゝれり」のような感じなのだが、これを「衣装を凝らす(意匠を凝らす)」とすると、これは、まさしく、抱一流の「からくり」(仕掛け)となってくる。

 さらに、上記の例句では、「又是より若葉一見となりにけり(素堂)」が、その抱一流の「からくり」(仕掛け)には、イメージとしてはしっくりするような印象なのである。

 これらを加味すると、「樹作りに精を出している人が、『又是より若葉一見(いちげん)となりにけり』と、庭の若葉の木々に、さまざまな、衣装(意匠)を凝らしている。」ということになる。(蛇足=「衣かゝれり」と「衣装を凝らす(意匠を凝らす)」とを結びつけたのは、これまた、「若葉して御めの雫ぬぐはばや(芭蕉)」の陰徳に因る。)

  

4-46  夏山の火串は㡡(とばり)の紙燭かな

 季語=「夏山の火串(ほぐし)」=照射(ともし)/ 三夏

https://kigosai.sub.jp/001/archives/16387

【子季語】火串/ねらい狩/鹿の子狩/照射する/火串振る

【解説】鹿の子の通る道にかがり火を焚き、鹿の子がその火にくらんだ瞬間を逃さず矢を射って鹿を捕らえるという狩猟法。

【例句】

谷本(うつぎほ)の鬼なおそれそともし笛  其角「虚栗」

弓杖に歌よみ顔のともしかな              嵐雪「其袋」

武士の子の眠さも堪へる照射かな        太祇「太祇句選」

谷風に付木吹きちる火串かな              蕪村「新華摘」

「火串(ほぐし)」=火をつけた松明(たいまつ)を挟んで地に立てる木。夏の夜、これに鹿などの近寄るのを待って射取る。《季 夏》

「㡡(とばり)」=かや。蚊を防ぐため、吊り下げて寝床を覆うもの。

「紙燭(しそく・ししょく)」= 小形の照明具。紙や布を細く巻いてよった上に蝋を塗ったもの。ときに芯(しん)に細い松の割り木を入れた。

 

(「精選版 日本国語大辞典」)

句意(その周辺)=この句の「からくり」(仕掛け)は、「火串(ほぐし)(屋外の「松明」)と「紙燭(しそく・ししょく)(屋内の「松明」)とを対比させているところにある。季語は「夏山の火串」で、これに、「㡡(とばり)の紙燭」と、この難解字体の「(とばり)」も「蚊帳(かや)」の意があり、「夏山」(屋外)と「㡡」とも対比の、二重の「からくり」となっている。

句意は、「『夏山』には、鹿をとる『火串』がたかれ、屋内の『』には、蚊を防ぐ『紙燭』が灯されている。」(蛇足=それにしても、抱一は、先の「「鄽(みせ)」といい、この「㡡(とばり)」といい、目眩ましの難漢字を多用する。)

 

4-47  板行のこれも久しきのぼり哉

季語=「のぼり」=幟(のぼり)/ 初夏

https://kigosai.sub.jp/?s=%E5%B9%9F&x=0&y=0

【子季語】五月幟/菖蒲幟/鍾馗幟/紙幟/絵幟/初幟/外幟/内幟/幟竿/幟杭/幟飾る

【解説】五月五日の端午の節句に、男子のすこやかな成長を願って立てる細長い旗状のもの。家紋や武者絵などが描かれており、高さが十メートルに及ぶものもある。

【例句】

ものめかし幟の音に沖も鳴る  来山「津の玉柏」

家ふりて幟見せたる翠微かな  蕪村「新花摘」

【参考】

「座敷のぼりと号して屋中へかざるは、近世の簡易なり。紙にして鯉の形をつくり、竹の先につけて幟と共に立る事、是も近世のならはしなり。出世の魚といへる諺により男子を祝すの意なるべし。ただし東都の風なりといへり。」(『東都歳時記』)

http://base1.nijl.ac.jp/~kojiruien/saijibu/frame/f001183.html

「武者繪の板すりて、蘇枋黄汁等にて彩れり、江戸にても鍾馗のぼりは紙を用るもあれど、それも此ごろは少なきにや、板行の繪などは絶たり、」(『嬉遊笑覽  六下兒戲』)

 

(喜多川歌麿「五節供 端午」)(部分図)

https://julius-caesar1958.amebaownd.com/posts/4084435/

 句意(その周辺)=この句も「目眩まし」の「からくり」(仕掛け)句である。まず、上五の「板行や」の「板行(はんこう・はんかう)(「書籍・文書などを版木で印刷して発行すること。また、その印刷したもの。印行。出版。」)が、またしても、誤字・誤植の類なのではないかと、意味が不明で、それが、中七の「これも久しき」と結びつき、この「これも」がで、「ギブアップ」となってくる。そして、下五の「のぼり哉」の「のぼり」が平仮名で、季語の「幟・鯉幟」と結びついて、この「幟」が「版()木で刷られたもの」で、「板行の絵幟(えのぼり)」の句なのかと、だんだんと、その正体を出してくるような、そんな「からくり」のようなのである。

 句意は、「版()木で刷られた、『板行の座敷幟の武者絵幟)』の、この『絵幟』の図柄を見るのも、随分と久しいことであるよ。」(この「絵のぼり」を、歌麿の描く「鍾馗のぼり」と解すると正解なのかも知れない。)

  

4-48  たけがはもうつ蝉も碁や五月雨

季語=五月雨=五月雨(さみだれ)/仲夏

https://kigosai.sub.jp/001/archives/2042

【子季語】さつき雨、さみだる、五月雨雲

【解説】陰暦五月に降る雨。梅雨期に降り続く雨のこと。梅雨は時候を表し、五月雨は雨を表す。「さつきあめ」または「さみだるる」と詠まれる。農作物の生育には大事な雨も、長雨は続くと交通を遮断させたり水害を起こすこともある。  

【例句】

五月雨をあつめて早し最上川   芭蕉「奥のほそ道」

五月雨の降残してや光堂       芭蕉「奥のほそ道」

さみだれの空吹おとせ大井川   芭蕉「真蹟懐紙」

五月雨に御物遠や月の顔       芭蕉「続山の井」

五月雨も瀬ぶみ尋ぬ見馴河     芭蕉「大和巡礼」

五月の雨岩ひばの緑いつまでぞ 芭蕉「向之岡」

五月雨や龍頭揚る番太郎       芭蕉「江戸新道」

五月雨に鶴の足みじかくなれり 芭蕉「東日記」

髪はえて容顔蒼し五月雨        芭蕉「続虚栗」

五月雨や桶の輪切る夜の声      芭蕉「一字幽蘭集」

五月雨にかくれぬものや瀬田の橋 芭蕉「曠野」

五月雨は滝降うづむみかさ哉     芭蕉「荵摺」

五月雨や色紙へぎたる壁の跡     芭蕉「嵯峨日記」

日の道や葵傾くさ月あめ          芭蕉「猿蓑」

五月雨や蠶(かいこ)煩ふ桑の畑 芭蕉「続猿蓑」

(参考)

「空蝉」(下記「源氏物語図・巻3))

源氏物語図 空蝉(3)/部分図/狩野派/桃山時代/17世紀/紙本金地着色/32.3×57.6/1/大分市歴史資料館蔵

≪源氏は心を許さない空蝉に業をにやして紀伊守邸を訪れる。部屋を覗きみると、空蝉と義理の娘で紀伊守の妹、軒端荻が碁を打っていた。≫

https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/46118

「たけがは・竹河」(下記「源氏物語図・巻44))

源氏物語図 竹河(巻44/部分図/狩野派/桃山時代/17世紀/紙本金地着色/48.8×57.9/1/大分市歴史資料館蔵

≪夕霧の子息蔵人少将は、玉鬘邸に忍び込み、庭の桜を賭けて碁を打つ二人の姫君の姿を垣間見て、大君への思いをつのらせる。≫

https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/86586

 句意(その周辺)=この句の上五の「たけがはも」の「たけがは」は、『源氏物語』の「第四十四帖 :竹河」の「竹河」、そして、中七の「うつ蝉も・碁や」の「うつ蝉」は、「第三帖:空蝉」の「空蝉」を指していて、その「碁や」は、その「竹河(第七段:「蔵人少将、姫君たちを垣間見る」)」と「空蝉(「第三段:空蝉と軒端荻、碁を打つ」)」との「囲碁」の場面を指している。

 句意は、「この五月雨で、『源氏物語』を紐解いていたら、「第四十四帖 :竹河」と「第三帖:空蝉」で、「姫君たちが囲碁に夢中になっている」場面が出てきましたよ。」ということになる。すなわち、この句の「からくり」(仕掛け)は、上記の、「源氏物語図巻」の「絵解き」の一句ということになる。(蛇足=抱一の「からくり(仕掛け)」は、「源氏物語図巻」の「絵解き」の一句ということだけではなく、上記の芭蕉の「五月雨」の例句、十一句の全てが、「さみだれ・さつきあめ」で、「さみだるる」の「用言止め」の句は一句もない。この句の、下五の「五月雨」は、「さつきあめ」の体言止めの詠みではなく、「さみだるる」の用言止めの詠みで、この句の眼中には、「姫君たちが囲碁に夢中になっているが、まさに、五月雨(さみだれ)のように、さみだれて、混戦中の形相を呈している」ということになる。この蛇足が正解に近いのかも? )

 

4-49  はつ秋や寝覚て笛の指遣ひ

 季語=はつ秋=初秋(はつあき)/初秋

https://kigosai.sub.jp/001/archives/4902

【子季語】新秋、孟秋、早秋、秋浅し、秋初め、秋口

【解説】秋の初めの頃のこと。暑さはまだ厳しくとも僅かながらも秋の気配を感ずるころ。

【例句】

初秋や海も青田の一みどり    芭蕉「千鳥掛」

初秋や畳みながらの蚊屋の夜着  芭蕉「酉の雲」

初秋や耳かきけづる朝ぼらけ   鬼貫「七草」

初秋や浴みしあとの気のゆるみ  太祇「句稿」

初秋や余所の灯見ゆる宵のほど  蕪村「蕪村句集」

 句意(その周辺)=この句も、芭蕉の「初秋や畳みながらの蚊屋の夜着」を「羅針盤」(「からくり」探しの「羅針盤」)とすると、これまでの「前書」の「更衣」からの「更夜」(三夏)から「初秋」(初秋)へと、微妙な「季移り」(連歌・連句で、雑(ぞう)の句をはさまず、ある季の句に直ちに他の季の句を付けること。)の、その巧妙な「からくり」を秘めている一句ということになる。

 句意は、「夏の『更夜』から『寝覚めて』、「初秋」の祭り笛の「竹笛」(篠笛)の「指遣い」を「あれか、これか」と練習している。(蛇足=「はつ秋」の「はつ」は、「音色」を「発する」をも意識しての用例なのかも知れない。また、先の「照射(ともし)」の例句の「谷本(うつぎほ)の鬼なおそれそともし笛(其角)」などに関連しての句なのかも知れない。)

  

4-50  七夕の硯に遣ふ楊枝かな

 季語=七夕=七夕(たなばた)/初秋

https://kigosai.sub.jp/001/archives/2557

【子季語】棚機、棚機つ女、七夕祭、星祭、星祝、星の手向け、星の秋、星今宵、星の歌、芋の葉の露

【関連季語】天の川、梶の葉、硯洗、庭の立琴、星合、牽牛、織女、鵲の橋、乞巧奠

【解説】旧暦七月七日の夜、またはその夜の行事。織姫と彦星が天の川を渡って年に一度合うことを許される夜である。地上では七夕竹に願い事を書いた短冊を飾り、この夜を祝う。

【例句】

七夕や秋を定むる初めの夜    芭蕉「有磯海」

七夕のあはぬこゝろや雨中天  芭蕉「続山の井」

高水に星も旅寝や岩の上    芭蕉「真蹟」

(参考)

https://suzuroyasyoko.jimdofree.com/%E5%8F%A4%E5%85%B8%E6%96%87%E5%AD%A6%E9%96%A2%E4%BF%82/%E4%B8%89%E5%86%8A%E5%AD%90-%E3%82%92%E8%AA%AD%E3%82%80-%E3%81%82%E3%81%8B%E3%81%95%E3%81%86%E3%81%97/

≪「七夕や秋を定むるはじめの夜

 此句、夜のはじめ、はじめの秋、此二に心をとゞめて折々吟じしらべて、數日の後に、夜のはじめとは究り侍る也。」(『去来抄・三冊子・旅寝論』潁原退蔵校訂、一九三九、岩波文庫p.114115

 元禄八年刊支考編の『笈日記』に、

   七夕 草庵

 たなばたや龝をさだむる夜のはじめ  翁

 高水に星も旅ねや岩のうへ

   後の句の心はなにがしの女の岩の

   上にひとりしぬればとよみけむ

   旅ねなるべし。今宵この事語り

   出たるつゐでのゆかしきにしる

   し侍る

とある。高水にの句の方は先に紹介されていて、元禄九年刊の史邦編『芭蕉庵小文庫』の小町と遍照の歌を元にしていた。

 「はじめの夜」の方の句は元禄八年刊浪化編の『有磯海』に、

   七夕や秋をさだむるはじめの夜   芭蕉

とある。同じ元禄八年刊だが数日違いでこの違いが出てしまったようだ。

  これは意味的には一緒なので、あとはリズムの問題だろう。「はじめの・よ」の四一のリズムよりも「よの・はじめ」という二三のリズムの方が安定感がある。ただ「夜のはじめ」は倒置になるので、「はじめの夜」の方が意味はわかりやすい。≫

 句意(その周辺)=旧暦の「七夕」は、夏と秋とを分ける、その分岐点なのである。芭蕉の例句の、「七夕や秋を定むるはじめの夜」が、それを端的に物語っている。そして、抱一は、この句(4-50 )と前句(4-49)との二句を並列して、この『屠龍之技』(第四 椎の木かげ)に収載することによって、この『三冊子』などに出てくる、芭蕉の句(「七夕や秋を定むるはじめの夜」)の「からくり」(狙い)を、そこに、「東風流」の洒落風の「からくり」(仕掛け)を施している。

4-49  はつ秋や寝覚て笛の指遣ひ

4-50  七夕の硯に遣ふ楊枝かな

「はつ秋」=「七夕」と、「笛の指遣ひ」=「硯に遣ふ楊枝」とが、その種明かしなのである。まず、「笛」と「楊枝」とは、「口」に咥えるものである。その「口」に咥えるものを、「指」で「遣ふ()」ものに反転している。

すなわち、前句の「笛の指遣ひ」は、次句の「硯に遣ふ楊枝」の、「指」=「楊枝(「指墨書きの指」でなく「楊枝」で書く」)の、「硯に遣ふ筆・指」でなく、「硯に遣ふ楊枝かな」というのが、抱一の「からくり」(狙い)のようなのである。

 句意は、「『七夕』の短冊に、筆や指でなく、『楊枝』で書こうと、手ごろな楊枝を、『硯』の墨をつけて、それを『遣(つか)』おうとしている。」(蛇足=この句まで、前書の「更夜」は掛かり、次句から「秋」の句となってくる。それにしても、上記の「句意」の取り方は、過重の「穿ち」の見方であるという誹りは受容することになろう。)

 

(追記) この句に接して、先のイメージが不鮮明であった次の句が、より鮮明になってきた。

 4-38  火もらひに鉋の壳(から)や梅の晝 

 この句を前句(4-37)と並列すると次のとおりとなる。

 4-37  はる雨のふり出す(さい)や梅二輪

4-38  火もらひに鉋の(から)や梅の晝 

  この前句の「賽(さい)」は、「賽子(サイコロ)」を掛けての用例と解したのだが、次句の「壳(から)」は、「おから」(豆腐殻の「卯の花」)などを掛けての用例のイメージはしたのだが、どうにも意味不明であった。

これは、「壳(から)()」から、「壳(から)()→殻粉(からこ)→からこ団子・粢(しとぎ)」と理解すると、イメージが鮮明になってくる。

句意は、「梅の昼に、火種を頂こうと、鉋の殻(から)を持って行って、一緒に、殻粉(からこ)団子を頂き、結構な、梅見の昼とあいなった。」となる。

 下記のアドレスに、「しとぎばなし」ですると、「梅の昼」と結びついて、「二月の厄除け団子()」のイメージとなってくる。

 http://www.shitogi.jp/shitogi-bkup.html

 


 

 

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