4-33 いくたびも清少納言はつがすみ
季語=はつがすみ=初霞(新年)
「丁巳春興」(前書)=「丁巳(ていみ)」(丁巳=寛政九年=一七九七)の「春興」(三春の季語の『春興(春ののどかさを楽しむ心)』の他に、新年句会の一門の『春興』と題する刷物の意もある。」
「清少納言」=平安時代中期の女流歌人。『枕草子』の作者。ここは、『枕草子』の、「春はあけぼの」(夜明け)、「夏は夜」、「秋は夕暮れ」そして「冬はつとめて、雪の降りたる」などの、「春はあけぼの」(夜明け)の一句。
句意=「四十にして惑わず」の、その前年の「新年の夜明け」である。この「新年の夜明け」は、まさに、「いくたびも、清少納言(「春はあけぼの」)」の、その新春の夜明けを、いくたびも経て、そのたびに、感慨を新たにするが、それもそれ、今日の初霞のように、だんだんと、その一つひとつがおぼろになっていく。
4-34
菜の花や簇落たる道の幅
季語=菜の花(晩春)
(例句)
菜の花や月は東に日は西に 蕪村「続明烏」
菜の花やかすみの裾に少しづつ 一茶「七番日記」
「簇落たる」=「簇(むら)落(おとし)たる」=この「簇(むら)」を「群・叢(むら)」と解したい。
抱一画集『鶯邨画譜』所収「流水に菊」(「早稲田大学図書館」蔵)
http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/chi04/chi04_00954/chi04_00954.html
しかし、江戸時代の俳句(発句)であろうが、現代俳句であろうが、「季題(季語)・定形。切字・リズム・存問(挨拶)・比喩・本句(歌・詩・詞)取り」等々の、基本的な定石というのは、程度の差はあるが、その根っ子は、同根であることは、いささかの変わりはない。
山もと遠く鷺かすみ行(ゆく) (樗良、季語「かすみ」=春)
渉(わた)し舟酒債(さかて)貧しく春暮れて(几董、「季語「春」=春)
御国(おくに)がへとはあらぬそらごと (蕪村、雑=季語なし)
脇差をこしらへたればはや倦(うみ)し (樗良、雑=季語なし)
蓑着て出(いづ)る雪の明ぼの (几董、季語「雪」=冬)
山もと遠く鷺かすみ行(ゆく) (樗良、季語「かすみ」=春)
渉(わた)し舟酒債(さかて)貧しく春暮れて(几董、「季語「春」=春)
御国(おくに)がへとはあらぬそらごと (蕪村、雑=季語なし)
脇差をこしらへたればはや倦(うみ)し (樗良、雑=季語なし)
蓑着て出(いづ)る雪の明ぼの (几董、季語「雪」=冬)
その上で、当時の抱一に焦点を当てて、これら六句の解説を施して置きたい。
4-35 うぐゐすぞ梅にやどかる鳥は皆
「鶯宿梅(おうしゅくばい)」=「鶯宿梅(おうしゅくばい)」は、平安時代後期の歴史物語「大鏡(おおかがみ)」に記された日本の古い故事の一つ。「拾遺和歌集」にも見られる。
https://www.worldfolksong.com/calendar/japan/uguisu-ume.html
「やどかる」=「宿借る」(例句)
草臥(くたび)れて宿借るころや藤の花 (芭蕉「笈の小文」)
ほととぎす宿借るころや藤の花 (「三冊子」に出てくる上記の句のオリジナル)
句意(その周辺)=春告鳥の「鶯」が、「春告草」の「梅」の木に宿ると、あたかも、それが合図のように、「小鳥たち」は「皆」、一斉に「梅」の木にやって来る。(蛇足=この句には、「鶯宿梅」の別称をもつ端唄「春雨」が似つかわしい。)
羽風に匂う 梅が香や
花にたわむれ しおらしや
小鳥でさえも 一筋に
ねぐら定めぬ 気は一つ
わたしゃ鶯 主は梅
やがて身まま気ままになるならば
サァ 鶯宿梅(おうしゅくばい)じゃないかいな
サァサ なんでもよいわいな
4—36
のり初(そむ)る五ツ布団やたから船
【例句】
須磨明石みぬ寝心やたから船 嵐雪「小弓誹諧集」
「夜具舗初(しきぞめ)之図」(『吉原青楼年中行事. 上,下之巻 / 十返舎一九 著 ; 喜多川歌麿 画』) (「早稲田大学図書館」蔵)
https://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/wo06/wo06_01494/wo06_01494_0001/wo06_01494_0001_p0010.jpg
(参考) 「夜具舗初(しきぞめ)之図」周辺
三つ布団が贈られると、まず布団が妓楼の店先に飾られました。これは「積み夜具(つみやぐ)」と呼ばれました。そしてその後、縁起の良い吉日を選んで遊女の部屋に運び込まれました。初めて三つ布団を敷くことを「敷き初め(しきぞめ)」と呼びました。≫
4-37 はる雨のふり出す賽や梅二輪
「梅」(例句)
梅一輪一輪ほどの暖かさ(嵐雪『遠のく』)
「賽(さい)」=「神にむくいること(賽神)」と「サイコロのこと(賽子)との両義がある(「ウィキペディア」)。さらに、この「賽(サイ)」は「際(サイ)=その時」の意が掛けられている。
(蛇足)=「春雨の降る」と「賽を振る」、「賽」と「際」などの「言葉遊び」で、さらに、私淑する「其(キ)=其角・嵐(ラン)」の「嵐雪」の名句「梅一輪一輪ほどの暖かさ」を踏まえ、「一輪ほど」でなく、「一輪プラス一輪」で「二輪ほど」と洒落ている。
(蛇足の蛇足)この上五の「はる雨」の「はる」も「花札を張る・賭場を張る」などの「張る(はる)」と、中七の「ふり出す」の「はる」と「ふり」との洒落なども意識されているのかも知れない。と同時に、これは、下五の「梅二輪」との取り合わせで、「花札」の「赤短札」(下記と「参考」など)の「松」(一月)・「梅」(二月)・「桜」(三月)の、「梅」(二月)と、その「梅のカス」二枚の「二輪」、さらに「赤短札」の「あかよろし」を「あめよろし」と洒落て詠んでいる風情も加わってくる。こうなると、句意は、何通りもあって手の施しようが無くなってくる。
(参考) 「花札」の「赤短札」(周辺)
「鉋の壳(から)」=「鉋屑(かんなくず)」か?=「鉋で材木を削るときにできる薄い木片の屑。かなくず」
(「精選版 日本国語大辞典」)
「江戸自慢三十六興 梅屋敷漬梅」歌川広重(二代)、歌川豊国(三代)画 /国立国会図書館所蔵
https://www.kabuki-za.co.jp/syoku/2/no62.html
≪ 絵の題に梅屋敷漬梅とあります。梅の漬物には梅干のほか青梅漬(青梅の塩漬)、糟梅(酒の粕に漬けたもの)などもあり、梅酒も現在とほぼ同じ作り方が『本朝食鑑』(1697)にあります。梅屋敷の漬梅は梅干でした。≫
4-37 はる雨のふり出す賽(さい)や梅二輪
4-38
火もらひに鉋の壳(から)や梅の晝
この前句の「賽(さい)」は、「賽子(サイコロ)」を掛けての用例と解したのだが、次句の「壳(から)」は、「おから」(豆腐殻の「卯の花」)などを掛けての用例のイメージはしたのだが、どうにも意味不明であった。
これは、「壳(から)子(こ)」から、「壳(から)粉(こ)→殻粉(からこ)→からこ団子・粢(しとぎ)」と理解すると、イメージが鮮明になってくる。
句意は、「梅の昼に、火種を頂こうと、鉋の殻(から)を持って行って、一緒に、殻粉(からこ)団子を頂き、結構な、梅見の昼とあいなった。」となる。
4-39
出代(でがはり)の唇あつき椿かな
https://kigosai.sub.jp/?s=%E6%A4%BF&x=0&y=0
【子季語】山茶、山椿、乙女椿、白椿、紅椿、一重椿、八重椿、玉椿、つらつら椿、落椿、散椿、 藪椿、雪椿
【関連季語】冬椿、椿の実
【解説】椿は、春を代表する花。万葉集のころから歌にも詠まれ日本人に親しまれてきた。つやつやした肉厚の葉の中に真紅の花を咲かせる。花びらが散るのではなく、花ひとつが丸ごと落ちるので落椿という言葉もある。最も一般的な藪椿のほか、八重咲や白椿、雪椿などの種類もある。
【例句】
鶯の笠おとしたる椿かな 芭蕉「猿蓑」
椿落て昨日の雨をこぼしけり 蕪村「蕪村遺稿」
【参考】「出代(でがはり)・出替り」も季語(仲春)だが、ここは、「椿」(三春)に掛かる形容詞的な用例(「出代(でがはり)の唇あつき」)で、季語としての働きではなく、その背後に潜ませている、抱一の趣向ということになる。
(子季語)出代/新参/古参/御目見得/居なり/重年
(解説)年季を終えた奉公人が交代すること。今で言う人事異動のようなもの。江戸では二月と八月、後に三月と九月に行われた。
(例句)
出替りや幼心にものあはれ 嵐雪「猿蓑」
出替りや傘提げて夕ながめ 許六「韻塞」
出代りの畳へ落す涙かな 太祇「平安廿歌仙」
出代や春さめざめと古葛籠 蕪村「蕪村句集」
出代や人の心のうす月夜 召波「春泥発句集」
出がはりの酒しゐられて泣きにけり 白雄「白雄句集」
出替の笑ひにふくむなみだかな 青蘿「青蘿発句集」
出代の市にさらすや五十顔 一茶「八番日記」
句意(その周辺)=「梅」(二月)と「桜」(三月)に替わって、その「出替わり」のような「椿」(四月)は、丁度、「出替わり・奉公人」の下女の「唇」のような、「ぼってりと・厚咲き(地のまま)」の花のような雰囲気を漂わしている。
4-40 款冬(かんとう)や氷のけぶりも此ごろは
https://kigosai.sub.jp/001/archives/3743
【子季語】いしぶき、つはぶきの花
【解説】キク科の常緑多年草。名の由来は「葉に艶のある蕗」による。蕗に似ているが、蕗とは別種である。大きな光沢のある葉をもち、初冬に黄色い花を多数つける。
【例句】
淋しさの目の行く方やつはの花 蓼太「蓼太句集初編」
春秋をぬしなき家や石蕗の花 几董「井華集」
空明の姿二つやつはの花 言水「初心もと柏」
ちまちまとした海もちぬ石蕗の花 一茶「七番日記」
咲くべくもおもはであるを石蕗の花 蕪村「蕪村句集」
4-41 ちり積(つみ)て山樵(やまがつ)が荷や花一朶(だ)
【関連季語】桜、初花、花曇、花見、落花、残花、余花
【解説】花といえば桜。しかし、花と桜は同じ言葉ではない。桜といえば植物であることに重きがおかれるが、花といえば心に映るその華やかな姿に重心が移る。いわば肉眼で見たのが桜、心の目に映るのが花である。
【例句】
これはこれはとばかり花の吉野山 貞室「一本草」
なほ見たし花に明け行く神の顔 芭蕉「笈の小文」
花の雲鐘は上野か浅草か 芭蕉「続虚栗」
「一朶」=一枝
「ちり積」=「塵積」(ちりつも)だが、「ちり積(つ)みて」の詠みとする。
「山樵(やまがつ・さんしょう)」=樵(きこり、木樵)・樵夫(しょうふ)・「杣夫(そまふ)」。
「歳木樵(としきこり)」=「仲冬」(暮)の季語。
(例句)
おとろへや小枝も捨てぬとし木樵 蕪村「蕪村句集」
「職人尽歌合(しょくにんづくしうたあわ)/樵夫と草刈」
https://www.benricho.org/Unchiku/edo-syokunin/07-1769syokuninzukushiutaawase/01.html
4-42 はるの田や墨絵の馬の幾かへり
「却走馬以糞」(前書)=「老子/ 道経/ 儉欲第四十六」の、「天下有道/却走馬以糞」(天下に道有れば/走馬を却(しりぞ)けて以って糞し=世の中で「道」が行われていると/伝令の早馬は追いやられて畑の耕作に用いられる)が、この前書の出典のようである。
http://sloughad.la.coocan.jp/novel/master/achaina/laozi/laozi46.htm
「幾かへり」=いくたび。なんべん。
幾かへり露けき春を過ぐしきて/花のひもとく折りに会ふらむ(『源氏物語』夕霧・藤裏葉442)
https://sakura-paris.org/dict/%E5%AD%A6%E7%A0%94%E5%8F%A4%E8%AA%9E%E8%BE%9E%E5%85%B8/content/129_856
鏑木清方画「讃春(左隻)/昭和8年(1933)/6曲1双/絹本着色」(「三の丸尚蔵館」蔵)
https://www.kunaicho.go.jp/event/sannomaru/tenrankai70.html
↓
≪左隻は隅田川に小舟を浮かべた水上生活者の情景です。
赤い着物のおかっぱ頭の小さな女の子が船底を覗き、中から母親が
優しく見上げています。
金具も捲れた古い和船ですが、バケツには桜の枝が活けてあります。
遠くの清洲橋の吊橋型の橋がぼんやり浮かんでいます。
近代的な鋼鉄橋を、鏑木清方らしく浮世絵風にあしらっています。
舟には七輪が載っていて、火が起きています。
仁徳天皇の「民のかまどはにぎはひにけり」の故事に依っているのでしょう。≫
↓
鏑木清方画「讃春(左隻)」(部分図)/ 「三の丸尚蔵館」蔵
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