5-4 其夜降(ふる)山の雪見よ鉢たゝき
(「句意」周辺)
この句の前に、「水無月なかば鉢扣百之丞得道して空阿弥と改、吾嬬に下けるに発句遣しける」との前書がある。
「鉢叩・鉢敲(はちたたき)」(「精選版 日本国語大辞典」)
【子季語】空也念仏、空也和讃
【解説】十一月十三日の空也忌から大晦日までの四十八日間、空也堂の僧が洛中洛外を巡り歩いた空也念仏のこと。瓢、鉢、鉦を叩き鳴らし、和讃や念仏を唱えた。
【例句】
われが手で我が顔なづる鉢たたき 鬼貫「仏の兄」
長嘯の墓もめぐるか鉢たたき 芭蕉「いつを昔」
裏門の竹にひびくや鉢たたき 丈草「泊舟集」
山彦をつけてありくや鉢たたき 千代女「千代尼句集」
京中にこの寂しさや鉢叩き 蝶夢「草根発句集」
ゆふがほのそれは髑髏か鉢たたき 蕪村「其雪影」
墨染の夜のにしきや鉢たたき 蕪村「夜半叟句集」
鉢叩き月下の門をよぎりけり 闌更「半化坊発句集」
川ぞひや木履はきたる鉢叩き 白雄「白雄句集」
「吾嬬(あずま・あづま)に下(くだり)けるに」周辺
この「吾嬬(あずま・あづま)」は、「吾嬬」=「東」の「奥(陸奥)の細道」(芭蕉関連)の「東」(陸奥など)への行脚と捉えるのか、それとも、「下(くだり)ける」(都・京都から地方・東国の江戸に来られた)と捉えて、「吾嬬(東)=江戸」と解するのか、どちらにも取れるが、前者の意に解して置きたい。
旧暦の六月(「水無月」=夏の最後の月=晩夏)、「鉢扣・百之丞」が、「得道して」(出家して)、「空阿弥と改め」(「空也僧(行脚僧)」の「空阿弥」と名を改め)、「吾嬬」(「奥(陸奥)の細道」(芭蕉関連))行脚に出掛けるということで、「発句遣しける」(発句三句を餞とした)。
その一句目の、「其夜降(ふる)山の雪見よ鉢たゝき」の句意は、「空也忌(十一月十三日)の夜の念仏行脚の頃は、恐らく、陸奥路の行脚の頃で、そこで陸奥の山々の雪を見ることでしょう。」
※『句兄弟』 http://kindai.ndl.go.jp/index.html
(謎解き・七十七)
兄 蟻道
弥兵衛とハしれど哀や鉢叩
弟 (其角)
伊勢島を似せぬぞ誠(まこと)鉢たゝき
(兄句の句意)弥兵衛が鳴らしているものとは知っていても、誠に鉢叩きの音はもの寂しい音であることか。
(弟句の句意)伊勢縞を来て歌舞伎役者のような恰好をしている鉢叩きだが、その伊達風の華やかな音色ではなく、そこのところが、誠の鉢叩きのように思われる。
(判詞の要点)兄句は鉢叩きにふさわしい古風な鉢叩きの句であるが、弟句はそれを伊達風の新奇な句として反転させている。
米やらぬわが家はづかし鉢敲き (季吟の長子・湖春)
おもしろやたゝかぬ時のはちたゝき (曲翠)
鉢叩月雪に名は甚之丞 (越人)
ことごとく寝覚めはやらじ鉢たゝき (其角)
長嘯の墓もめぐるか鉢叩き (芭蕉)
今少(すこし)年寄見たし鉢たゝき (嵐雪)
ひやうたんは手作なるべし鉢たゝき (桃隣)
旅人の馳走に嬉しはちたゝき (去来)
これらのことに思いを馳せた時、其角・嵐雪・去来を始め蕉門の面々にとっては、「鉢叩き」関連のものは、師の芭蕉につながる因縁の深い忘れ得ざるものということになろう。
(四)『五元集拾遺』に「鉢たたきの歌」と前書きして、次のような歌と句が収載されている。
鉢たゝきの歌
鉢たゝき鉢たゝき 暁がたの一声に
初音きかれて はつがつを
花はしら魚 紅葉のはぜ
雪にや鰒(ふぐ)を ねざむらん
おもしろや此(この) 樽たゝき
ねざめねざめて つねならぬ
世の驚けば 年のくれ
気のふるう成(なる) ばかり也
七十古来 まれなりと
やつこ道心 捨(すて)ころも
酒にかへてん 鉢たゝき
あらなまぐさの鉢叩やな
凍(コゴエ)死ぬ身の暁や鉢たゝき 其角 ≫
5-5 はつ秋や夏を見かへる和田峠
https://kigosai.sub.jp/001/archives/4902
【子季語】新秋、孟秋、早秋、秋浅し、秋初め、秋口
【解説】秋の初めの頃のこと。暑さはまだ厳しくとも僅かながらも秋の気配を感ずるころ。
【例句】
初秋や海も青田の一みどり 芭蕉「千鳥掛」
初秋や畳みながらの蚊屋の夜着 芭蕉「酉の雲」
この句も、「水無月なかば鉢扣百之丞得道して空阿弥と改、吾嬬に下けるに発句遣しける」との前書がある。その二句目の句ということになる。
この「和田峠」は、中山道の「和田峠」(和田宿と西諏訪宿の間の峠)なのか、甲州裏街道(陣馬街道・武州境)の和田峠なのか、そして、前書の「鉢扣百之丞」とどういう関わりがあるのか全く不明であるが、江戸近郊の「甲州裏街道の和田峠」と解して置きたい。
江戸を発って、江戸から甲州・信州への「和田峠」(甲州裏街道の和田峠)に差し掛かる頃は、初秋の気配が漂う中で、そこから、晩夏の江戸滞在中のことを見返ることでしょう。
(追記)
この「初秋」には、「空也僧」(空也念仏をして歩く僧)の「空阿弥」としての「「初秋」、そして、「夏を見かへる」には、得度前の、半俗半僧としての「鉢扣・百之丞」の頃の「夏を見かへる」の意が込められているのであろう。
重要文化財「空也上人立像」康勝作・鎌倉時代(特別展「空也上人と六波羅蜜寺」)
https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=2129
5-6 夕露や小萩がもとのすゞり筥
【子季語】鹿鳴草、鹿妻草、初見草、古枝草、玉見草、月見草、萩原、萩むら、萩の下風、萩散る、こぼれ萩、乱れ萩、括り萩、萩の戸、萩の宿、萩見
【解説】紫色の花が咲くと秋と言われるように、山萩は八月中旬から赤紫の花を咲かせる。古来、萩は花の揺れる姿、散りこぼれるさまが愛され、文具、調度類の意匠としても親しまれてきた。花の色は他に白、黄。葉脈も美しい。
【例句】
白露もこぼさぬ萩のうねりかな 芭蕉「栞集」
一家に遊女もねたり萩と月 芭蕉「奥の細道」
行々てたふれ伏すとも萩の原 曽良「奥の細道」
この句は、前句の「はつ秋や夏を見かへる和田峠」と同時の初秋の句で、そして、上記の芭蕉の「白露もこぼさぬ萩のうねりかな」と同一趣向の句として鑑賞したい。
芭蕉翁の「白露もこぼさぬ萩のうねりかな」の、その「白露」が、この「夕べの宿舎の小萩」に宿って、その「夕露」を「手元の硯筥の硯」に垂らして、折にふれての、念仏行脚の知らせを認めて欲しい。
抱一画集『鶯邨画譜』所収「萩図」(「早稲田大学図書館」蔵)
http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/chi04/chi04_00954/chi04_00954.html
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