是齢文化丙寅春二月二十九日
晋子の百年忌たるにより、
肖像百幅を畫き、上に一句を
題して人々にまゐらせける。
又追幅の一句をなす。
6-21 囀れや魔佛一如の花むしろ
6-22 田から田に降りゆく雨の蛙かな
6-23 護田鳥の鳴く木屋が置場や宵の月
6-24 剖葦や燈火もるゝ夜の川
6-25 鷲の棲む其木末とは柏餅
6-26 さきのぼる葵の花や段階子
是齢文化丙寅春二月二十九日
晋子の百年忌たるにより、
肖像百幅を畫き、上に一句を
題して人々にまゐらせける。
又追幅の一句をなす。
6-21 囀れや魔佛一如の花むしろ
この『井田・岩波新書』では、この「其角肖像百幅」について、現在知られている四幅について紹介している。
二 「お汁粉を還城楽(げんじょうらく)のたもとかな」同上(所在不明)
三 「夜光るうめのつぼみや貝の玉」同上(上記の図)
四 「乙鳥の塵をうごかす柳かな」同上(『井田・岩波新書』執筆中の新出)
そして、次のように続ける。
燕の速度ある動きと柳の悠然たる動き、桜の大きな動きと微細な動き、両句ともに、こういった極度に相反する二重の意味をもつ「聞句」である。また、有名な和歌「見わたせば柳桜をこきまぜて都ぞ春の錦なりける」(『古今和歌集』巻第一)をはじめとし、柳と桜は対にされてきたから、柳を詠む其角に対し、意図的に抱一が桜を選んだと考えられる。抱一句は全く関係のないモティーフを扱いながら、其角句と見事に趣向を重ねているわけで、これは唱和のなかでも反転にほかならないと確認される。 】『井田・岩波新書』
花びらの山を動かす桜哉 抱一 (『屠龍之技』)
そして、其角句は「乙鳥が柳の塵を動かすのか/柳が乙鳥の塵を動かすのか」(句意が曖昧=両義的な解釈を許す)、いわゆる「聞句=謎句仕立て」だとし、同様に、抱一句も「花びらが桜の山を動かすのか/桜が花びらの山を動かすのか」(句意が曖昧=両義的な解釈を許す)、いわゆる「聞句=謎句仕立て」というのである。
さらに、この両句は、「其角句=前句=問い掛け句」、そして「抱一句=後句=付句=答え句」の「唱和」(二句唱和)の関係にあり、抱一は、これらの「其角体験」(其角百回忌に其角肖像百幅制作=これらの其角体験・唱和をとおして抱一俳諧を構築する)を実践しながら、「抱一俳諧」を築き上げていったとする。
そして、その「抱一俳諧」(抱一の「文事」)が、江戸琳派を構築していった「抱一絵画」(抱一の「絵事」)との、その絶妙な「協奏曲」(「俳諧と絵画の織りなす抒情」)の世界こそ、「『いき』の構造」(哲学者九鬼周三著)の「いき」(「イエスかノーかははっきりせず、どちらにも解釈が揺らぐ状態)の、「いき(粋)の世界」としている。
さらに、そこに「太平の『もののあわれ』」=本居宣長の「もののあわれ」)を重奏させて、それこそが、「抱一の世界(「画・俳二道の世界」)」と喝破しているのが、今回の『井田・岩波新書』の最終章(まとめ)のようである。 ≫
この句もまた、季語が、上五の「囀れ(囀り)」(三春)と、下五の「花むしろ(筵)」(晩春)
と二つあるが、主たる季語は、上五「や切り」の「囀れ(囀り)」(三春)と解したい。
この中七の「魔佛一如」は、「魔界の魔王と仏界の仏とは全く同一であって、別のものではない」(『仏教語大辞典』)の意で、「魔仏一如絵詞(詞書5段,絵4段)」や、謡曲「善界」の「もとより魔仏一如にて凡聖不二なり」などに由来があるようである。
其角没後の追善集『類柑子』に収載されている「歌の島幷恋の丸」にも、「風雅の狐狸なれば、弶(わな)をのがれて産業となる事、和光同塵のことはり、魔仏一如の見ゆる成べし」という一節があり、それを踏まえてのものとの解もある(『酒井抱一・井田太郎著・岩波新書』)。
(『類柑子』)所収)の「其角」先師の一声に違いない。)」
6-22 田から田に降りゆく雨の蛙かな
元日は田ごとの日こそ恋しけれ (芭蕉「元禄2年/1689/真蹟懐紙」)
帰る雁(かり)田毎の月のくもる夜に (蕪村「年次未詳/1775/蕪村句集」)
さみだれや田ごとの闇と成にけり (蕪村「安永4/1775/新花摘」)
さつき雨田毎の闇となりにけり (蕪村「安永4/1775/蕪村句集」)
落水(おとしみず)田ごとのやみとなりにけり(蕪村「安永4/1775/自筆句帳」)
月に聞(きき)て蛙(かわず)ながむる田面(たのも)哉(蕪村「安永4/1775/自筆句帳」)
「句意」は、「ここ隅田川近郊の千束の里にも、田に水が張られ、蛙が一斉に鳴き始める季節となった。殊に、降り続く雨の田は、これぞ、田から田へ、田ごとの『蛙』の合唱の趣である。」
歌川広重【六十余州名所図会 信濃 更科田毎月 鏡台山】
https://matsutanka.seesaa.net/article/387138900.html
6-23 護田鳥(ばん)の鳴く木屋が置場や宵の月
季語は「護田鳥(うすべ)・鷭(ばん)の古名・溝五位(みぞごい)の異名」(「鷭」=三夏)。「鷭の笑い(ひ)」=「鷭の低い鳴き声を笑い声に例えた言い回し」=「鷭(バン)の体長はハトくらいの大きさ。腋と下尾の白斑が目立つ。全国の池、湖沼、水田、湿地等で繁殖する。草の中や水辺を歩いたり水を泳いで餌を漁る。尾を高く上げクルルクルルとよく鳴きながら泳ぎ、水面を足で蹴って助走してから飛び立つ。この草の中でクルルクルルと鳴く声は『鷭の笑い』と言われてきた。(「増殖する俳句歳時記/ May 13・2016)」
絵本江戸土産の第二編の『深川木場(ふかがわきば)』」(初代「広重」画)
http://arasan.sakura.ne.jp/wpr/?p=339
≪「この辺、材木屋の園(その)多きにより、名を木場(きば)という。その園中(えんちゅう)おのおの山水(さんすい)のながめありて風流の地と称せり。」≫
6-24 剖葦や燈火もるゝ夜の川
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/53038
6-25 鷲の棲む其木末とは柏餅
この句の、上五と中七の「鷲の棲む其木末」とは、次の凡兆の句が相応しい。(「きごさい歳時記」)
「名所江戸百景 深川洲崎十万坪」(「歌川広重」画/東京富士美術館蔵)
https://www.fujibi.or.jp/our-collection/profile-of-works.html?work_id=10184
6-26 さきのぼる葵の花や段階子
季語は「葵の花」(仲夏)。「段梯子(「だんばしご)」は、「幅の広い板をつけたはしご状の階段」のこと(「デジタル大辞泉」)。この句は、「見立て」(「俳諧で、あるものを他になぞらえて句をつくること」)の面白さを狙っての一句と解したい。
「句意」は、「葵の花が、中天に向かって、段梯子のように、上へ上へと、咲き上っている。」
酒井抱一筆「立葵紫陽花に蜻蛉図」(「十二か月花鳥図・六月」・宮内庁三の丸尚蔵館蔵)
0 件のコメント:
コメントを投稿