6-16 もみぢ折人や車の酔ざまし
『山行』杜牧
http://chugokugo-script.net/kanshi/sankou.html
遠上寒山石径斜 (遠く寒山に上れば石径《せっけい》斜《ななめ》なり)
白雲生処有人家 (白雲生ずる処《ところ》人家有り)
霜葉紅于二月花 (霜葉は二月の花よりも紅《くれない》なり)
「霜葉」は「霜にあたった葉」で紅葉した葉っぱのこと、「二月の花」は「旧暦二月のころ咲く花」(桃の花)の意である。
掲出の句の季語は「もみぢ」(紅葉)、「晩秋」の季語である。この中五の「人や車の」は、「山行」(杜牧)の三句目の「停車坐愛楓林晩 (車を停めて坐《そぞろ》に愛す楓林の晩)」を踏まえてのものなのであろう。その漢詩に、謡曲「紅葉狩り」の詞章の「。夢ばし覚ましたもうなよ.夢ばし覚まし.たもうなよ。」などわ利かせていると解せられる。
また、上五の「紅葉折る」というのは、「紅葉を折る」という動作というよりも、「紅葉狩り」(「紅葉見に出て、愉しむ」)という意での用例なのであろう。
6-17
ちよと鳴けとしくれ竹の庭雀
酒井抱一筆「竹雀図」(『絵手鑑帖・七十二図・静嘉堂文庫美術館蔵』の五十四図)紙本墨画淡彩 「抱一筆」(墨書) 「文詮」(朱文内瓢外方印) → C図
【 このような様々な主題・技法の作品を寄せ集めた作品形式のひとつのアイディアとして、『光琳百図(後編)』所載の雑画セット全二十四図をあげておきたい。このセットの形状は画帖であったかは不明ながら、そのなかに「富士山図」「竹雀図」「寒山拾得図」「大黒天図」「梅図」「芙蓉図」などが含まれ、様式は抱一の『絵手鑑』と異なるものの、主題など共通点も多い。もちろん『絵手鑑』は江戸時代の画帖の大きな流れのなかに位置する作品であるが、光琳のこのような作品からも形式や編集の方法を学んでいるのではないかと思われる。 】(『琳派五・総合(紫紅社刊)』所収「静嘉堂文庫美術館蔵 酒井抱一筆『絵手鑑』について(玉蟲敏子稿)」)
この上五の「ちよと鳴け」の「ちよ」も、雀の鳴き声の「ちよ」と、「行く年・来る年」の、次の「新しい年も『千代(千世)』=『千年。また、非常に長い年月。ちとせ』に『永久の栄え』よ」との意が掛けられている。
「句意」は、「この歳暮の草庵の狭庭の呉竹に群れ雀が鳴いている。その「ちよ・ちょ」との鳴き声は、この「太平の世が永久に栄あれ」と、「ちよ(千代)に・やちよ(八千代)に」と鳴いている。」
読王充論衝
6-18 わか草や鶴の踏(ふみ)たる跡は皆
≪ 三つ典拠がある。第一は、『論衝(ろんこう)累害(るいがい)篇の「牛馬根を践(ふ)み、刀鎌(たうけん)を割れば、生ぜし者育たず」である。同書は,後漢の王充が『論語』など先行する思想書に反駁を唱えたものである。第二は、北宋の林和靖が仕官せぬまま、隠棲して生涯娶らず、梅を妻とし、鶴を子としたという故事である。第三は、貞享三年(一六八八)、其角が新年を悠然と歩む鶴を詠んだ「日の春をさすがに鶴の歩み哉」(『丙寅初懐紙』)である。
抱一句は、「牛馬が根を踏みつけたら万物は育たないが、鶴が歩んだあとからは若草が生えている」と『論衝』を反転している。この鶴を介して、林和靖から隠遁、其角から新年のめでたさへと連想は広がるのだが、『論衝』の累害篇そのものは色あいが異なる。累害とは中傷を意味し、この一篇は累害について思索をめぐらせ、吉祥性とは径庭(けいてい)がある。抱一は出家したのち、市井をさまよっていた時期の句であることを知る後世の立場からは、中傷されて出家、隠遁したが、文人的な生活を送ることで再生し、なんとかるでたく春を迎えた、と一抹の苦さを観察したくなる。
林和靖は西湖(浙江省)のほとり、抱一は浅草寺の弁天池あるいは隅田川のほとり、ともに水辺に隠れ住んだことも重ねられているのかもしれない。実感に裏打ちされた抱一自身の陰翳が、韜晦の彼方に見えるような一句である。陰翳に満ちた場と、それに応ずるような内たる陰翳。抱一において、『論衝』が推奨した詩歌を学習する効果は、其角を通じ、このように開花していったのである。≫(『酒井抱一(井田太郎著・岩波新書)』p134)
掲出の句の季語は「わか草=若草」(晩春)なのだが、其角の「日の春(三春→新年)をさすがに鶴(三冬)の歩み哉」(丙寅初懐紙)の「本句取り」(「唱和」と「反転」)の句と解すると、この「若草(晩春)→わか草(新年)」の「新年」の詠草となり、「若草」(晩春→新年)と「鶴」(三冬)との「取り合わせ」の一句ということになる。
「鶴」も季語(三冬)だが、この句の「鶴」は「若草(晩春)→わか草(新年)」を踏む鶴」で、季語の働きはしていない。
この句は、前書の「読王充論衝」の意が分からないと、その真意は十全でないのかも知れないが、其角の「日の春(三春→新年)をさすがに鶴(三冬)の歩み哉」の「本句取り」(「唱和」と「反転」)の句と解しても、この句のイメージは伝わって来る。
わか草や鶴の踏(ふみ)たる跡は皆 (抱一)
安藤広重画「名所江戸百景」のうち「蓑輪 金杉 三河しま」
https://yahan.blog.ss-blog.jp/2018-11-21
6-19
松眞木も引けや若菜の茹加減
前書の「初子の日、長浦とゆふ所にて」の、「初子の日」は、「新年」の季語で、「正月の最初の子の日。古く、野外に出て小松引きをしたり、若菜を摘んだりして遊び、子の日の遊びと呼んだ。初子の日」のことである。そして、「長浦とゆふ所にて」は、「百花園」の近くの「長浦神社」(墨田区東向島)付近のことであろう。
喜多川歌麿「絵本四季花」より『若菜摘み』 寛政13年〈1801年〉 (ボストン美術館蔵)
https://www.benricho.org/koyomi/nanakusa-wakana.html
この句には、蕉門の、次の「例句」(「きごさい歳時記」)などが、似つかわしい。
蒟蒻に今日は売かつ若菜哉 芭蕉「俳諧薦獅子集」
霜は苦に雪に楽する若菜哉 嵐雪「きれぎれ」
老の身に青みくはゆる若菜かな 去来「追鳥狩」
つみすてゝ踏付がたき若な哉 路通「猿蓑」
6-20 乙鳥の棚うちつけよ花のやど
酒井抱一筆『四季花鳥図巻(上=春夏・下=秋冬)』「春(四)」東京国立博物館蔵
https://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/C0035815
(同上:部分拡大図)
https://yahan.blog.ss-blog.jp/2019-05-17
↓
≪ 上図の中央は、枝垂れ桜の樹間の枝の合間を二羽の燕が行き交わしている図柄である。右側には「春(三)」の続きの地上に咲く黄色の菜の花、左側には、これまた、右側の菜の花に対応して、黄色の連翹の枝が、地上と空中から枝を指し伸ばしている。
この行き交う二羽の燕が、これまでの地面・地上から空中へと視点を移動させる。さらに、枝垂れ桜のピンクの蕾とその蕾が開いた白い花、それらを右下の黄色の菜の花と、左上下の黄色の連翹、さながら色の協奏を奏でている雰囲気である。その色の協奏とともに、この二羽の燕の協奏とが重奏し、見事な春の謳歌の表現している。
燕来る時になりぬと雁がねは国思ひつつ雲隠り鳴く 大伴家持「万葉集」
盃に泥な落しそむら燕 芭蕉 「笈日記」
海づらの虹をけしたる燕かな 其角 「続虚栗」
蔵並ぶ裏は燕の通ひ道 凡兆 「猿蓑」
大和路の宮もわら屋もつばめかな 蕪村 「蕪村句集」
夕燕我にはあすのあてはなき 一茶 「文化句帖」
滝に乙鳥突き当らんとしては返る 漱石 「夏目漱石全集」 ≫
「句意」は、「初燕が行き交うころとなった。その初雀の巣作りの棚を、どうか、その花が咲き初めた家の一角に、作っていただきたい。」
(追記) 「乙鳥の棚うちつけよ花のやど」句周辺
https://yahan.blog.ss-blog.jp/2019-09-30
酒井抱一筆「桜・楓図屏風」の右隻(「桜図屏風」)デンバー美術館蔵 六曲一双 紙本金地著色 (各隻)一七五・三×三四・〇㎝ 落款(右隻)「雨庵抱一筆」 印章(各隻)「文詮」朱文円印 「抱弌」朱文方印
乙鳥の塵をうごかす柳かな 其角 (『五元集』)
花びらの山を動かす桜哉 抱一 (『屠龍之技』)
見渡せば柳桜をこきまぜて
都ぞ春の錦なりける 素性法師(『新古今』巻一)
この素性法師の歌には「 花ざかりに京を見やりてよめる」との前書きがある。抱一は、それを「江戸の太平の世を見やりてよめる」と反転しているのかも知れない。 ≫
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