雪(その一)
太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。
次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。 (「雪」)
「三好達治について――日本的な気分(清水昶稿)」(「現代詩読本三好達治・思潮社刊」所収)の中で、詩人の清水昶は、達治の詩について、「三好達治には思想なんてものはなかった。あったのは庶民的な気分であり、その気分も日本語の中に閉じることであった」と指摘している。これは決して清水昶の駄洒落というようなものではなく、達治の詩の世界の本質を貫いている一つの卓見と理解したい。
例えば、この達治の『測量船』所収の「雪」と題する二行詩は、達治の代表作の一つとして、さまざまな鑑賞文を目にすることができる。そして、その鑑賞上の主な問題点として、次のようなことが挙げられる。
一 「太郎」と「次郎」を、兄弟と見るか、見ないか?
二 「太郎の屋根」と「次郎の屋根」は、同一の屋根か、違う屋根か?
三 「太郎の家」と「次郎の家」は、同じ土地か、違う土地か?
四 また、その土地は、都会なのか、田舎なのか?
五 さらに、誰が「太郎」「次郎」を眠らせるのか?
しかし、こういう細部にわたって、この詩を鑑賞すべきものなのかどうか、はなはだ疑問なのである、作者である三好達治は、こんな細部のことなんか眼中になく、ただ、その時の「気分」で、それは、丁度、俳句を作るように、即興的に口をついて出て来たような、そんなものなのではなかろうか。
清水昶は、「庶民的な気分」であり、「その気分も日本語の中に閉じる」ことであったと言っているのだが、その「庶民的」というのは、例えば、「戦中の大半の日本人、つまり戦争に積極的に加担した庶民の本質」そして「(その付和雷同的な)あいまいな庶民の感受性」などで例示しているものであろう。そして、「日本語に閉じる」ということは、「詩歌のことに限らず人生万般のことに関して、何か判断に迷ふやうな時に直面したら、その時には、涙腺に訴へることのはうに即(つ)けばいいのだ」そして「彼は直感的に『太郎』とか『次郎』とかのことばを使って、日本的な、きわめて普遍的であるにもかかわらず、それゆえにあいまいな抒情を最大限、表現の前面におしだしている」ことなどの例示がそれに当たるのであろうか。
この後者の「日本語に閉じる」というのは、その清水昶の例示よりも、三好達治自身の言葉ですると、「私が一番最初に詩歌の類に関心を覚えたのは言葉がある制約――フォルムの中でうまく終結して完結してゐるといふことへの興味からであった」(「詩集『花筺』まで――詩情の純粋性と現実意識(三好豊一郎稿)」(「現代詩読本三好達治・思潮社刊」所収)の中で引用している「ある魂の経路」の一節)などの方がより具体的であろうか。
さて、もう一度、ここで、達治の二行詩「雪」を再掲して見たい。
太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。 → 十七字
(たろうをねむらせ・たろうのやねに・ゆきふりつむ)→二十一音字
次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。 → 十七字
(じろうをねむらせ・じろうのやねに・ゆきふりつむ)→二十一音字
こうして見て来ると、「五・七・五」の十七音字の「俳句」(発句)の世界ではないが、そのフォルム(フォーム・形式)は、極めて「俳句」(発句)の世界に近いものという印象を受けるのである。そして、一行目の「太」郎と二行目の「次」郎だけが違うだけで、後は、全く同じの、そして、全くシンプルな、「対句法」の形式を取っているということであろう。そして、この「対句法」というのは、そもそもは漢詩などに由来するものであり、そういう伝統的な堅苦しい漢詩のスタイルの中に、極めて、日本的な曖昧模糊としたファジーな気分・情趣を閉じ込めたというのが、この詩の作者、三好達治の「技」の冴えということになろうか。
ここで、これらのことについて、次のアドレスの「学習塾」の一コマを例示して置きたい。
http://toto.cocolog-nifty.com/kokugo/2007/05/post_4c6d.html
「さて、この詩の2つの文はよーく似てる。でも、ちょっとだけ違う。どこが違う?」
生徒「太郎と次郎」
「せやね、ここの名前が違う。極端に言うと、「たろう」の「た」と「じろう」の「じ」、一文字ずつ違うだけ。だからよく似てても、くり返し法じゃなくて対句法。そして、対句法だから、とても意味がある。『雪』っていう題名やから、作者は『雪』を表現したかったんやろね。この雪って、どんな雪やと思う?嵐みたいな雪やろか、それともそっと降る雪やろか」
生徒「静かな雪…かな」
「うん、多分、そうやろね。『眠らせ』という言葉が、優しいよね。そして『太郎』も『次郎』もそれぞれの家で眠ってる…みんな眠ってる、静かな感じが出てると思うねん。これ、『村中を眠らせ、村中の屋根に雪降りつむ』だったら、ここまで優しい感じは出ないんじゃないかな。人の名前を使って、対句法にすることでひとり一人の眠ってる姿がイメージできる、そんな効果を三好のオッちゃんは狙ったんちゃうかと思います。この詩はよく出てくるので、覚えておこう。対句法を使った名作やね」
☆ そして、井上ひさしの「なのだソング」も対句法の詩の一つだという説明が続く。そして、本来、三好達治の、対句法の「雪」などは、こういう井上ひさしの、対句法の「なのだソング」などの詩の世界に極めて近いものなのではなかろうか?
なのだソング 井上ひさし
雄々しく猫は生きるのだ
尾を振るのはもうやめなのだ
失敗おそれてならぬのだ
尻尾を振ってはならぬのだ
女々しくあってはならぬのだ
お目々を高く上げるのだ
凛とネコは暮らすのだ
リンと鳴る鈴は外すのだ
獅子を手本に進むのだシッシと追われちゃならぬのだ
お恵みなんぞは受けぬのだ
腕組みをしてそっぽ向くのだ
サンマのひらきがなんなのだ
サンマばかりがマンマじゃないのだ
のだのだのだともそうなのだ
それは断然そうなのだ
雄々しくネコは生きるのだ
ひとりでネコは生きるのだ
激しくネコは生きるのだ
堂々ネコは生きるのだ
きりりとネコは生きるのだ
なんとかかんとか生きるのだ
どうやらこうやら生きるのだ
しょうこりもなく生きるのだ
出たとこ勝負で生きるのだ
ちゃっかりぬけぬけ生きるのだ
破れかぶれで生きるのだ
いけしゃあしゃあと生きるのだ
めったやたらに生きるのだ
決して死んではならぬのだ
のだのだのだともそうなのだ
それは断然そうなのだ
☆さらに「技」と「反復法」についても付記して置きたい。
生徒「『わざ』です」
「そう!『技をかける』の『わざ』やな。だから表現をする時の『わざ』って意味やねん。もう1つ、『法』を使って別の熟語を作ってくれるかな」
生徒 「法律」「法則」「方法」
※出た分だけ、落書き用の板書にメモします。
「ありがとう。この中で、技に一番近そうな意味はどれかな……うん、『方法』が一番ええね。『表現技法』っていうのは、表現をよくするための技・方法という意味です。で、黒板に書いたのはその表現をカッコよくする方法の中でも、リズムを作るのに使える方法な。最初に覚えて欲しいのは(黒板を指す)これ、何て読むか読めるか?」
生徒 「『はんぷく』」
「よっしゃ、その通り。スポーツテストで『反復横とび』ってあるやろ。横とびを何度もくり返すヤツ。『反復練習』なんて使い方もする通り、『反復』は『くり返す』という意味がある。だから、この表現技法は『くり返し法』っていう別名があるから、一緒に覚えてちょうだい。テストではどっちを書いてもええよ。
反復法ってのは、例の『さいた さいた』の部分に線引いてみて。ここに使われています。ただ『さいた』という言葉を繰り返しただけ。でも、一回しか言わないより、くり返すと調子出るやん。例えば、『でんでんむしむし かたつむり』って歌でも、『でんでんむし かたつむり』より『むしむし』ってくり返すと歌っぽい。さっきのスーパーでかかってた『さかな さかな さかな~』もそうやな。
反復法は、テンポが良くなるっていう長所もあるけど、もう1つは同じ言葉を二回以上くり返されると、『お、大事なことかな?』って印象に残りやすいんやね。だから選挙の時期なんかめっちゃうるさいやん。『山田太郎でごさいます!山田太郎!山田太郎!』って何回言うねん、ってぐらい騒いでるやろ。何回も言って覚えてもらおうってことやねんな。
同じ言葉や文が、そっくりそのままくり返されていたら反復法。またはくり返し法。しっかり覚えてちょうだい。
☆もう一つ、「俳句」に関連するものも引用して置きたい。
http://toto.cocolog-nifty.com/kokugo/2007/04/post_9e4d.html
さて、詩ってこんなに短いくせにめっちゃ意味が隠されてて難しい。でも、だから面白い。普通の文章で言っちゃうと『春になって雪が解けました。雪で家に閉じ込められていた村中の子どもが、喜んで外で元気に遊んでいます』という内容が、世界で一番短い詩と言われてる俳句になると『雪解けて 村いっぱいの 子どもかな』ってめっちゃシンプルになる。でもこの方がカッコいい。
雪(その二)
太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。
次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。 (「雪」)
井伏鱒二は、三好達治の好きな詩として、「雪」と「鹿」との二編を挙げている(「好きな詩――『雪』と『鹿』について」(「現代詩読本三好達治(思潮社刊)」所収)。
[「雪」――太郎と次郎が青い鳥を探しあぐね、、疲れて眠つてゐる。ところが、青い鳥は間違ひなく炉辺に来て泊まつてゐる。こんな説明は蛇足だが、ともかく雪はしんしんと降りつもる。これほどうまく雪を降らしている詩は珍しい。事実、雪はしんしんと降りつもる。]
原文
勧 君 金 屈 巵
満 酌 不 須 辞
花 発 多 風 雨
人 生 足 別 離
書き下し文
君に勧む 金屈巵(きんくつし)
満酌 辞するを須(もち)いず
花発(ひら)いて風雨多し
人生 別離足る
井伏鱒二訳 (『厄除け詩集』)
コノサカヅキヲ受ケテクレ
ドウゾナミナミツガシテオクレ
ハナニアラシノタトエモアルゾ
「サヨナラ」ダケガ人生ダ
(寺山修司「幸福が遠すぎたら」)
さよならだけが
人生ならば
また来る春は何だろう
はるかなはるかな地の果てに
咲いている野の百合何だろう
さよならだけが
人生ならば
めぐりあう日は何だろう
やさしいやさしい夕焼と
ふたりの愛はなんだろう
さよならだけが
人生ならば
建てたわが家は何だろう
さみしいさみしい平原に
ともす灯りは何だろう
さよならだけが
人生ならば
人生なんか いりません
(三好達治「こんこんこな雪ふる朝に」)
こんこんこな雪ふる朝に
梅がいちりんさきました
また水仙もさきました
梅にむかってさきました
海はどんどと冬のこえ
空より青い沖のいろ
沖にうかんだはなれ島
島では梅がさきました
また水仙もさきました
赤いつばきもさきました
三つの花は三つのいろ
三つの顔でさきました
一つ小島にさきました
一つ畑にさきました
れんれんれんげはまだおきぬ
たんたんたんぽぽねむってる
島いちばんにさきました
ひよどり小鳥のよぶこえに
こんこんこな雪ふる朝に
島いちばんにさきました
井伏鱒二は、三好達治の詩の世界の真の理解者であった。そして、寺山修司もまた、三好達治の詩の世界を決して排斥することはしなかった。この三者に共通するものは、詩人・清水昶の言葉を借用するならば、「日本人の、その庶民の、その根っ子にある『気分』」を、実に、的確に、「これぞ日本語」という「坩堝(つるぼ)」に「それぞれのメロディーをもって心地よく詠ってくれる」という、その一点にある。
山眠る太郎次郎に雪の夢 (坊城俊樹)
坊城俊樹第二句集『あめふらし』の中の一句である。この一句に接したとき、三好達治、そして、井伏鱒二、そして、寺山修司、そして、それは取りも直さず、三好達治の永遠の二行詩「雪」の系譜につながるものが、即ち、清水昶のいう「庶民の気分」というものが、この十七音字で伝わって来る。
(追記)坊城俊樹さんとは全く異質の吾人さんの、「山眠るは季語、雪も同じ季語。屋根は峰。つまり太郎岳、次郎岳、でもよさそうです」は、これまた、清水昶さんの三好達治評の「庶民の気分」に連なるものの一つの証しのようにも思えて来る。
雪(その三)
太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。
次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。 (「雪」)
[学生――そもそも「太郎」とか「次郎」とか、そんな古くさい名前の奴はいませんよ。そんな名前ヘンですよ。
私 ――うん、古くさいという考え方でいいんだよ。この詩は日本の伝統的な情緒を歌っているわけだから。
学生――でも、「太郎」「次郎」といったら、ふつうは「反省ザルの太郎・次郎」ですよ。
私 ――ああ、テレビによく出ていたよね。猿回しのサルね。でもさあ、子供が夜静かに睡っていてね、その家の屋根に雪がしんしんと降り積もる、そういういかにも日本的な冬の情景というものは、君も思い浮かべられるでしょ。
学生――「日本昔ばなし」の世界ですよね。アニメで見たことありますよ。
私 ――まあ、そういう情景を思い浮かべて、しみじみとした情緒を感じ取れればいいんですよ。
学生――でも先生、そういう情緒を書いているとして、いったいこの詩は何を言いたいんですか。
私 ――いや、作者はね、そういう情緒、情趣をこそ言いたかった、書きたかったんですよ。
学生――はあ。]
上記は、「達治が読まれない理由(わけ)――達治の「雪」と中也の「雪」(川端隆之稿)」(「現代詩手帖――生誕百年三好達治新発見」所収)からの抜粋である。そして、そこで、次の、中原中也の「生い立ちの歌」の「雪」の詩は、今の学生はよく理解するというのである。
「生ひ立ちの歌Ⅰ」(中原中也)
幼少時
私の上に降る雪は
真綿のやうでありました
少年時
私の上に降る雪は
霙(みぞれ)のやうでありました
十七~十九
私の上に降る雪は
霰(あられ)のやうに散りました
二十~二十二
私の上に降る雪は
雹(ひょう)であるかと思はれた
二十三
私の上に降る雪は
ひどい吹雪とみえました
二十四
私の上に降る雪は
いとしめやかになりました・・・・・・・
そして、次のように続ける。
[一方、三好達治の詩「雪」には、中也の「生ひ立ちの歌」と比較して、主体たる発語者を表す言葉「私」がない。読者が自分自身を投影し、感情移入をする目標物ともなる、「私」や「自分」という言葉がないのだ。]
この「主体たる発語者を表す言葉『私』がない」ということは、三好達治の詩の世界の大きな特色なのだが、これが、西脇順三郎が指摘する、「(三好達治の詩の世界は)俳句のようなイメジ(イメージ)から出発している」(「三好君の詩について――文語調の抒情(西脇順三郎稿)」(「現代詩読本三好達治(思潮社)」)所収)と結びついて来るようにも思えるのである。
すなわち、「俳句とは一人称の文学である」とされ、一句の主役というのは「吾・自分」というのが暗黙のうちの決まり事のようになっている。そして、三好達治の詩の世界は、この「吾・自分」という主語が抹殺されているのが多いのである(背景として、その「吾・自分」が投影されているかというと、その一片の影すら存在しないものが多いのである)。
この点では、通常の「俳句」的な世界は、形の上で、「吾・自分」が存在しなくても、「吾・自分」がその背後に居るものとして鑑賞すれば良いのだが、三好達治の詩の世界では、形の上でも、その背後の関係でも、「吾・自分」が存在しないということで、そして、その意味では、通常の「俳句」的世界よりも、さらに、徹底した、「俳句」的な世界で、そのイメージの拡がりは無限大の形相を帯びてくるような雰囲気のである。
ここで、三好達治が、その詩や俳句の世界で抹殺したところの、「吾・自分」を、どうやら意識しているかどうか別にして、明確に、その「あとがき」で問題にしている句集を目にすることができた。その句集とは、『あめふらし 坊城俊樹句集』(社団法人日本伝統俳句協会)である。
[ちなみに句集名『あめふらし』は、海中にいる貝殻のない巻き貝の仲間。私自身を詠んだ句はこの生物に例えたもの一句でした。なんとも正体不明のこの生物は私らしいと思い、敬意を表してタイトルとしました。]
その句集は、ページ数にすると二百三十ページ。そして、一ページに二句が表記されているので、全部で、四百六十句(これよりも四句程度少ないか?)程度として、次の一句だけが、「吾」が入っていて、その他は、全て、「吾・自分」は、正体不明のようなのである。
あめふらしめく吾を残し鳥雲へ (坊城俊樹)
もとより、三好達治の詩の世界、そして、その俳句の世界と、三好達治とは相当距離があると推測される坊城俊樹の俳句の世界とは、実質、相当な距離があることはこれまた容易に窺い知れるとようなのであるが、こと、「吾・自分」を、坊城俊樹の言葉ですると「正体不明」にしている、その創作姿勢ということに関しては、誠に、太郎(三好達治)と次郎(坊城俊樹)ほどに近似値という思いがするのである。
これらのことについて、「達治が読まれない理由(わけ)――達治の「雪」と中也の「雪」(川端隆之稿)」(「現代詩手帖――生誕百年三好達治新発見」所収)て、次のように記述しているところが、何となく、もやもやして、正体不明なのだが、何となく、何処か似通っているという雰囲気なのである(論理の展開は別々なのだが、その結論の方向は同じような雰囲気でなくもないのである。しかし、どうも、ここのところが、なかなか、正体不明の「あめふらし」なのである)。
[ミーイズムが疫病のごとく大流行している、今現在の時世においては、中也の詩「生ひ立ちの歌」より、感情移入をしにくい達治の詩「雪」の方が、私川端には気持ちよく読めるのである。そして、その気持ちよさは、ミーイズムと対極の位置にある、共同体を慕う国家主義的な志向とは全く別物だ。川端は右翼ではないと、べつに弁解したいわけではない。三好達治の詩の世界は今や、日本の伝統的な共同体を現実的に描いた世界というより、一種人工的でヘンテコな、いわば超現実的な世界になりつつあることを、再度押さえておきたいだけである。]
雪(その四)
太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。
次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。 (「雪」)
今日の朝日新聞(平成二十三年五月十一日)の文化面に、「よみがえる田村隆一 戦後詩リード 全集完結」(白石明彦稿)の見出しで、詩人田村隆一について触れられていた。この田村隆一の「鳥語――達治礼賛」(「現代詩読本三好達治(思潮社)」所収)の「雪」評は凄い。
[この有名な詩を、もう一度、声に出して読んでみたまへ、きみ自身の声が、すでに鳥の声になっている。太郎や次郎をねむらせる声は、人間の声ではないからだ。鷗、鶫、燕、鴉、雉、雲雀、鶸、鶲(ひたき)、鵯どり、鵲(かささぎ)、鳶------]
この前のところには、こうある。
[達治のおびただしい詩篇のなかに、人間の声をきこうと思っても、それは無駄なことだ。達治の詩が古いというのなら、鳥の声が古いのだ。「世、和洋折衷の新体を試むものといふ」詩人自らこう書きしたためた処女詩集『測量船』(一九三〇刊)以来、三十年間、達治は、雅語、漢語、俗語を全面的に駆使して、鳥語の創造を目指したのである。]
「達治の詩が古いというのなら、鳥の声が古いのだ」とは、どうにも傑作である。そして、これらに続いて、萩原朔太郎の「二人の後継者たち、順三郎は野の花におもむき、達治は鳥の声に変身したのである」と綴って、西脇順三郎(「野の花」の変身)に触れられている。そして、次のように続ける。
[では、二人の自然詩人は、師にさからって、日本の「近代」に背をむけたのだろうか。むろん、答は否である。「自然」の回復こそ、この二人の後継者たちが「近代」に挑戦した唯一最大の詩的動機である。この二人の詩人、達治、順三郎に共通している重要なファクターを、ここに列挙しておく。
一 主語は、個々の花、草木、鳥。人間、およびその関係は詩的シンボルにすぎない。
二 いずれも色感、音感卓抜。
三 いずれもユーモアのセンスあり。
四 品位あり。
五 多産。 ]
この「五つのファクター」こそ、達治(そして、順三郎)の詩の世界を読み解くキィワードとなるものなのであろう。
今日の朝日新聞のもの(白石明彦稿)には、次のようなところがある。
[田村は戦時中、明治大で朔太郎の詩の授業を聴講した。学期末試験の問題は「詩について感想を述べよ」。「帝国陸海軍ハ本八日未明、西太平洋ニオイテ米英軍ト戦闘状態ニ入レリ」という大本営発表を田村は引用し、「これ以上の詩的戦慄(せんりつ)をあたえてくれる『現代詩』」はない、と答えた。採点は最高点に近かったそうだ。]
この田村隆一が、戦時中の、三好達治の戦争詩について、どういう評をしているのかは知らない。しかし、上記の大本営発表を、「これ以上の詩的戦慄(せんりつ)をあたえてくれる『現代詩』」はないとした田村隆一には、その戦後詩をリードして行く同胞の、鮎川信夫や吉本隆明らのように、何もかも十羽一絡げにして、「三好達治ナンセンス」的評は、おそらく下していなように取りたいのである。
それよりも、三好達治は、陸軍幼年学校、陸軍士官学校(中途退学)に身を置いたものであり、上記の大本営発表のような文章には通常の人よりも慣れ親しんでいたことであろう。そして、その当時の多くの仲間は、その戦闘の真っ直中で身を曝しているのである。こういうことと、達治の、戦時中の、その戦争詩は多くかかわっていることであろう。
さらに、田村隆一が指摘する、三好達治の詩の世界の、その「五つのファクター」に、達治の一時期の特異な戦争詩は、その多くを満たしてはいない。即ち、その戦争詩は、三好達治の多くに見られる「鳥語」の世界ではなく、極めて、少数に見られる「非鳥語」の世界ということになる。
この田村隆一が指摘する、「鳥語」の世界ということは、黒田三郎の「三好達治論――アンテリジャンスと風流(黒田三郎稿)」(「現代詩読本三好達治(思潮社)」所収)の「自然詩人・抒情詩人」の世界ということに他ならない。
[三好達治が一流詩人であるのは、自然詩人であり、抒情詩人である点であって、しかも彼が純粋にその領域から足を踏み外さぬからである。]
そして、この「自然詩人・抒情詩人」をして、そこから、脱「自然詩人・抒情詩人」足らんとした代表的な詩人の一人に、田村隆一の名が刻まれているということであろう。
立棺 (田村隆一)
Ⅰ
わたしの屍体に手を触れるな
おまえたちの手は
「死」に触れることができない
わたしの屍体は
群衆のなかにまじえて
雨にうたせよ
われわれには手がない
われわれには死に触れるべき手がない
わたしは都会の窓を知っている
わたしはあの誰もいない窓を知っている
どの都市へ行ってみても
おまえたちは部屋にいたためしがない
結婚も仕事も
情熱も眠りも そして死でさえも
おまえたちの部屋から追い出されて
おまえたちのように失業者になるのだ
われわれには職がない
われわれには死に触れるべき職がない
わたしは都会の雨を知っている
わたしはあの蝙蝠傘の群を知っている
どの都市へ行ってみても
おまえたちは屋根の下にいたためしがない
価値も信仰も
革命も希望も また生でさえも
おまえたちの屋根の下から追い出されて
おまえたちのように失業者になるのだ
われわれには職がない
われわれには生に触れるべき職がない
Ⅱ
わたしの屍体を地に寝かすな
おまえたちの死は
地に休むことができない
わたしの屍体は
立棺のなかにおさめて
直立させよ
地上にはわれわれの墓がない
地上にはわれわれの屍体をいれる墓がない
わたしは地上の死を知っている
わたしは地上の死の意味を知っている
どこの国へ行ってみても
おまえたちの死が墓にいれられたためしがない
河を流れて行く小娘の屍体
射殺された小鳥の血 そして虐殺された多くの声が
おまえたちの地上から追い出されて
おまえたちのように亡命者になるのだ
地上にはわれわれの国がない
地上にはわれわれの死に価いする国がない
わたしは地上の価値を知っている
わたしは地上の失われた価値を知っている
どこの国へ行ってみても
おまえたちの生が大いなるものに満たされたためしがない
未来の時まで刈りとられた麦
罠にかけられた獣たちまた小さな姉妹が
おまえたちの生から追い出されて
おまえたちのように亡命者になるのだ
地上にはわれわれの国がない
地上にはわれわれの生に価いする国がない
Ⅲ
わたしの屍体を火で焼くな
おまえたちの死は
火で焼くことができない
わたしの屍体は
文明のなかに吊るして
腐らせよ
われわれには火がない
われわれには屍体を焼くべき火がない
わたしはおまえたちの文明を知っている
わたしは愛も死もないおまえたちの文明を知っている
どの家へ行ってみても
おまえたちは家族とともにいたためしがない
父の一滴の涙も
母の子を産む痛ましい歓びも そして心の問題さえも
おまえたちの家から追い出されて
おまえたちのように病める者になるのだ
われわれには愛がない
われわれには病める者の愛だけしかない
わたしはおまえたちの病室を知っている
わたしはベッドからベッドへつづくおまえたちの夢を知っている
どの病室へ行ってみても
おまえたちはほんとうに眠っていたためしがない
ベッドから垂れさがる手
大いなるものに見ひらかれた眼 また渇いた心が
おまえたちの病室から追い出されて
おまえたちのように病める者になるのだ
われわれには毒がない
われわれにはわれわれを癒すべき毒がない
(追記)「よみがえる田村隆一 戦後詩リード、全集完結」(白石明彦稿)
http://book.asahi.com/clip/TKY201105110111.html
戦後詩を主導した詩人田村隆一(1923~98)の初の全集が完結した。成熟した詩人の詩と散文が現代へ鮮やかによみがえる。
二つの世界大戦を経験した20世紀の文明は多くの人を殺し、物を壊したが、もっとも破壊したものは「言葉と想像力」だった、と田村は考えた。戦争によって現代人の心は、廃虚と化してしまったと。この認識から生まれたのが、戦後思想詩の記念碑とされる初期の代表作「立棺(りっかん)」だ。
「わたしの屍体(したい)を地に寝かすな/おまえたちの死は/地に休むことができない/わたしの屍体は/立棺のなかにおさめて/直立させよ/地上にはわれわれの墓がない/地上にはわれわれの屍体をいれる墓がない」
これまでの詩の言葉と想像力では表現しようもない「3・11」の惨状を体験した今、半世紀以上前の詩句が黙示録のように響く。
全集を責任編集した大阪芸術大教授の長谷川郁夫さんは「萩原朔太郎が文明と悲痛に向きあったのに対して、田村さんは内にペシミズムを秘めながら陽気に向きあった。自己演出の才でのんだくれの無頼派と見せながら、実は誠実さの詩人だった」と語る。
読みやすいように、各巻ごとに同時期の詩と散文が収められている。良い詩集を読めば血行が良くなり安眠できると、ベッドで詩集を読む習慣があった田村にならい、寝そべって読みたくなる。そして、田村が散文の名手でもあったことに気づかされる。たとえば、戦前の詩の否定から出発した田村と、朔太郎との意外な接点は興味深い。
未刊行日記「モダン亭日乗」によると、田村は戦時中、明治大で朔太郎の詩の授業を聴講した。学期末試験の問題は「詩について感想を述べよ」。「帝国陸海軍ハ本八日未明、西太平洋ニオイテ米英軍ト戦闘状態ニ入レリ」という大本営発表を田村は引用し、「これ以上の詩的戦慄(せんりつ)をあたえてくれる『現代詩』」はない、と答えた。採点は最高点に近かったそうだ。
雪(その五)
太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。
次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。 (「雪」)
この三好達治の「雪」の詩をめぐって、山本健吉と大岡信との論争もどきものがあった。それは、大岡信が、その著『詩への架橋』の中で、次のように記したことに起因する。
[「雪」については従来たくさんの鑑賞文が書かれてきた。この詩は短い上に構造がきわめて簡素だから、読み手はそこにさまざまな背景を想像することができるのである。たとえば太郎と次郎は兄弟なのか、それとも別々の家の子どもたちなのか。屋根に雪が降りつむ場所は、村落なのか、町なのか、都会なのか、など。中には、太郎や次郎を眠らせたのはお母さんやお姉さんであり、そうやって眠りに入った太郎や次郎の屋根の上に、いま雪がしんしんと降っているのだというような、もはやこの詩とは関係なくなってしまった解釈までもあるらしい。]
これに対して、山本健吉が次のように反論したのである(句誌「秋」一九七八年高山錬成会における講演。同誌七九年二~三月号)
[これはどういうことか。私自身も、この詩には母親の子守唄が何となく聞こえてくるではないか、そんなことを書いたことがあります。そのことを大岡君が読んでいっているのかどうか。(------)(井伏氏の)「青い鳥」という解釈はこの詩の中味を厚くさせるようなよい解釈であるといっている大岡君が、しかし寝かし付けたのはお母さんであるという鑑賞は、詩とは何の関係もない、と言ってゐる。詩には色々な解釈が可能なわけです。ですから、詩とは色々なことにつながりをもってその解釈は行われているわけです。そうすると、この詩の中に母親の子守唄が聞えてくるではないかと言った私の解釈が、詩とは関係がないと言い切れるとは思いません。(------)私は文法学者ではない。このセンテンスの主語が母親であるか雪であるか、そういうことを言っているのではない。それより「母親の子守唄が聞こえるではないか」というのが私の鑑賞主眼なのです。雪とか雨とかいうのは日本語でも或はヨーロッパ語でも主語にならないのです。(------)むしろ主語と呼ぶべきものがあるとしたら、雪でも他のなんでもない。静かに流れる時間の流れである。そういう感じがいたしますね。ですから「雪」が主語であるとはとんでもないことです。文法的に分析したって詩は分からない。詩というのは頭で受取るべきものでなくて、心で胸で受取って欲しい。そういう思いが私にはあったのです。(------)ところが、現代の詩人達はドライです。殊に(------)モタニズムのグループの人達は、もっとドライに詩を考えている。そういうところに母親の姿など出すと、あの人達は詩の解釈とは何にも関係ないよ、と言いたくなるのかもしれない。そういう考え方から、大岡君もあのようなことを言っているのかもしれない。だが、そう言ったら、「青い鳥」も同じことです。]
これらは、「太郎を眠らせ------――詩の「解釈」とは(入沢康夫稿)」(「現代詩読本三好達治(思潮社)」所収)からの抜粋である。
ここで、入沢康夫は、次のように結論付けているのである。
[一躍して結論的に言えば、この作品は、同一行内での「太郎」の繰り返しを梃子にして、俳句の方法で言う「二物取り合はせ」の方法と「一物にて作す」方法との、微妙な境目に成り立っていると思われる。「太郎」の繰り返しによって、行の前半と後半の「切れ」に注目すれば、人事と自然、屋内と屋外の対比ともなり、「雪」を主語として意識すれば、全体に一つに融け合うのである。この微妙なバランスの揺れにしたがって、読者の中に、さまざまな方向に向かう連想の糸がつむがれ始め、読者はそれぞれの「体験」「経験」が自由にくみ入れられて行く。この詩は、元来がそういう豊かさを、構造的に内に包み持っている詩であり、逆に言って、それだからこそ、多くの人々によって、多様な、しかもそれぞれに豊かな受容を可能にしているのだ。](原文は文語体と口語体が入り交じっている。)
ここで、「二物取り合はせ」の方法と「一物にて作す」方法、そして、「切れ」を持ってくると、また、果てしなく、問題は続いてしまう雰囲気でなくもないのである。ここは、これらの、俳諧・俳句の、どうにも難解な、「二物取り合はせ」・「一物にて作す」・「切れ」を引くまでもなく、漢詩などの「対句」の考え方だけでも、上記の入沢康夫の結論と同じようになって来ると思えるのである。
太郎を眠らせ、 → 人事・屋内
太郎の屋根に雪ふりつむ。 → 自然・屋外
次郎を眠らせ、 → 人事・屋内
次郎の屋根に雪ふりつむ。 → 自然・屋内
即ち、「太郎を眠らせ」と「太郎の屋根に雪降りつむ」が対句、そして、「次郎を眠らせ」と「次郎の屋根に雪降りつむ」が対句。さらに、「太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。」と「次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。」とが対句となる。
そして、この二行詩「雪」が収められている、達治の処女句集『測量船』の中には、第二句集『南窗集』などに多く見られる、達治の最も得意とした四行詩は一篇も見当たらないのである。
このことに関連して、この二行詩を、その句読点の「、。」に従い行分けをすると、まさしく、四行詩に変身をするのである。
太郎を眠らせ
太郎の屋根に雪ふりつむ
次郎を眠らせ
次郎の屋根に雪ふりつむ
さらに付け加えるならば、この二行詩は、いわゆる「対句法」によって創作されているとすれば、やはり、擬人化されての「雪」が隠されていると見るのが妥当のように思われて来るのである。
(雪が)太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。
(雪が)次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。
(追記)
http://toto.cocolog-nifty.com/kokugo/2007/05/post_4c6d.html
対句法
似た言葉、文を並べて印象づける方法。
例: 黒ヤギさんから お手紙 ついた
白ヤギさんたら 読まずに 食べた
「はい、写してちょうだい~。この歌知ってる人、手を挙げてごらん。お、結構いるな。『黒ヤギさんから お手紙 ついた 白ヤギさんたら 読まずに 食べた しーかたがないので おーへんじかーいた さっきの 手紙の ご用事なあに♪』って曲やな。多分、白ヤギは手紙見た瞬間『うまそう!』と思ったんやろな。食べてから『はっ!しまった!』となって、手紙を書く。でも、この曲の続きは『白ヤギさんから お手紙 ついた 黒ヤギさんたら 読まずに 食べた』……って、終わらんやん(笑) それはともかく、この歌詞は出だしの2行に表現技法が使われているので覚えておこう。
『黒ヤギ』と『白ヤギ』
『から』と『たら』
『ついた』と『食べた』
ノートのここに線を引いてな。この2つの文、よーく似てるけどちょっとずつ違う。この違うところが、続けて読むと面白い。こうした『よーく似た言葉や文を並べてリズムを出す』方法を、『ついくほう』と言います。読み方わからん人はちゃんと書いておいて。『対句法』の『対』ってのは、『セット』という意味。だから『句』をセットにする方法という意味なんやね。
雪(その六)
太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。
次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。 (「雪」)
『詩への架橋(大岡信著)』(岩波新書)では、この詩について次のような鑑賞文を寄せている。
[「雪」については従来たくさんの鑑賞文が書かれてきた。この詩は短い上に構造がきわめて簡素だから、読み手はそこにさまざまな背景を想像することができるのである。たとえば太郎と次郎は兄弟なのか、それとも別々の家の子どもたちなのか。屋根に雪が降りつむ場所は、村落なのか、町なのか、都会なのか、など。中には、太郎や次郎を眠らせたのはお母さんやお姉さんであり、そうやって眠りに入った太郎や次郎の屋根の上に、いま雪がしんしんと降っているのだというような、もはやこの詩とは関係なくなってしまった解釈までもあるらしい。]
ここまでは、「太郎を眠らせ------――詩の「解釈」とは(入沢康夫稿)」(「現代詩読本三好達治(思潮社)」所収)からの抜粋である。 その原文(大岡信)では、次のような記述が続いている。
[しかしこれまでだれひとり、井伏氏のように青い鳥を探しあぐねた太郎と次郎のことなど思いつきはしなかった。これは全く突飛にみえる空想だけれども、一たん書かれてしまえば、これほどこの詩にふさわしい、そっと詩を見守りつつ詩の中味を濃くさせた鑑賞もなかったように感じられる。詩人の心をもう一人の詩人の心がさりげなく、まっすぐに射貫いたのである。]
このように、井伏鱒二の「青い鳥」鑑賞を絶賛し、山本健吉(名前は出していない)の「子守唄」説は、「中には、太郎や次郎を眠らせたのはお母さんやお姉さんであり、そうやって眠りに入った太郎や次郎の屋根の上に、いま雪がしんしんと降っているのだというような、もはやこの詩とは関係なくなってしまった解釈までもあるらしい」と貶されてのでは、山本健吉も、立つ瀬がなかったであろう。
山本健吉が、「『青い鳥』説があるならは『子守唄』説もあるでしょう」というのは、至極最もなことであった。それよりも、三好達治の、この二行詩「雪」の背景には、「青い鳥」説よりも「子守唄」説の方が、その実体に近いものだったような雰囲気でなくもないのである。
[ええ、達治さんは六歳のときにひと冬、雪深い舞鶴のわたしの家ですごされてますので、その「雪」は、太郎、次郎という名前で表現されているような点からみても、一般には蕪村の「夜色楼台図(京都の市街雪景)だという意見もありますが、わたしはやはり舞鶴の雪じゃないのか、という気がします。家の祖母がどんなに可愛がったとしても、子供の達治さんの想いがいくのはほんとうの家族のいる遠く離れた大阪の家でしょうから。]
これは「三好達治との五十年――インタヴュー(佐谷和彦稿)」(「現代詩手帖生誕百年三好達治再発見」所収)からの抜粋である。
この佐谷和彦は、三好達治が六歳の時、一時養子にいった佐谷家の方で、達治とは五十年という長い親交のあった方である。この佐谷和彦の祖母が達治を溺愛したことも、上記には綴られている。また、こうも綴られている。
[太郎と次郎は同じ屋根の下に眠っているのか? それとも別々にか? わたしは、ふたりははなればなれの場所で眠っていると思います。太郎は舞鶴で、次郎は大阪でしょう。この詩がつくられた時期は昭和二年(初出「青空」)で、その一年後に舞鶴のことが記されている「太郎」(初出「信天翁」)が生まれています。そうしたことから考えても太郎は作者の分身であると推察してよいと思います。このようにみてくると「雪」は蕪村の京都ではなくて、舞鶴の雪であるとわたしは思います。その理由は、少年の達治が過ごした舞鶴の雪の方に強いリアリティがあるからです。]
これらの、太郎と次郎とは兄弟で、それぞれ離ればなれに暮らしているという見方は、「三好達治『雪』」(中村稔稿)なども同じである。
[事情あって日本海に面した港町と大阪の下町とに兄弟が離ればなれに暮らしている。その港町に雪がしんしんと降りつもる。都会のうちつづく屋根にも雪がふりつもっている。その雪の下で兄弟がそれぞれに眠っている。兄弟のそれぞれの昼の間の寂しさをやさしく雪がつつみ慰めるかのように。(中略)こうした鑑賞は三好さんの体験に則しすぎた覗き見的鑑賞であるかも知れない。(中略)それでも、太郎と次郎を、その文字どおり兄弟と考え、太郎と次郎とが同じ屋根の下で暮らしてはいない、その屋根のそれぞれに雪がふりつもる、という解釈を間違いと言いきるいわれもなさそうだし、そうした方が、この詩に空間的イメージの拡がりを与えることになろう。]
この中村稔の鑑賞は、「太郎を眠らせ------――詩の「解釈」とは(入沢康夫稿)」(「現代詩読本三好達治(思潮社)」所収)の抜粋のものであるが、「評伝三好達治――詩人の出発(中村稔稿)」(「現代詩読本三好達治(思潮社)」所収)でも、これらの背景の記述がなされている。
達治の、明治三十九年の年譜は次のとおりである(『日本詩人全集二一三好達治(新潮社)』)。
[明治三十九年(一九〇六) 六歳 京都府舞鶴町の他家に一時養子となる。しかし長男であるために籍を移すことができず、間もなく、兵庫県有馬郡三田町の祖父母のもとにひきとられる。]
この年譜にある舞鶴町の他家が、佐谷和彦の実家である。
太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。
次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。
この「太郎」を、養子に行った舞鶴の佐谷家の達治の分身として、「次郎」を生まれた実家の大阪の弟と見立てることも、これまた、一つの鑑賞であろう。さらには、その舞鶴から移った有馬三田町の祖母の家を含めてのものと見ることも可能であろう。このように、この詩の「太郎」と「次郎」とを、離ればなれに住んでいる兄弟として鑑賞することは、確かに、中村稔が指摘するように、「空間的イメージの拡がり」というものを感じさせる思いがしてくる。
そして、ここに、この詩の背景として、達治の「母」への「子守唄」を持ってくることも、これまた一つの鑑賞であろう。それは丁度、達治の師の萩原朔太郎の『郷愁の詩人与謝蕪村』の、その「昔々しきりに思う、子守唄の哀切な思慕」が、この詩の背景にあるとすることは、これは、井伏鱒二の「青い鳥」説と同じように、いや、それ以上に、一つの有力な鑑賞なのではなかろうか。
まして、山本健吉の蕪村への思いというのは、それらに関する著書の一つを管見しただけでも容易に察することができるものであれば、この「子守唄」説は容易に撤回できるものではなかろう。
そして、石原八束が、この詩の背景として、蕪村の水墨画の傑作「夜色楼台雪万家図」と重ね合わせていることに対して、達治は殊の外気に入っていたということは、山本健吉もまた、この「夜色楼台家万家図」と重ね合わせることは、決してそれを排除するどころか大賛成をするところのものでもあろう。
そして、達治の、蕪村の「春風馬堤曲」への思い入れの深さについては、これまた、その一つの、『私たちの句集(中学生全集・筑摩書房)』を管見しただけでも、これまた容易に察せられるところのものである。そして、その蕪村の異色の俳詩の「春風馬堤曲」もまた、蕪村の、これぞ「昔々しきりに思う、子守唄の哀切な思慕」を背景としたものであった。
こうして見てくると、達治の傑作詩の、二行詩の「雪」の背景には、京都とか土地を特定することもなく、蕪村の、水墨画の最高傑作、「夜色楼台家万家図」と、その俳詩の最高傑作、「春風馬堤曲」の、「昔々しきりに思う、子守唄の哀切な思慕」とが、二重にも三重にも重なり合わさりながら、一つの完成された、達治の抒情詩の最高峰を現出したものとして理解をいたしたいのである。
雪(その七)
太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。
次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。 (「雪」)
「太郎を眠らせ------――詩の「解釈」とは(入沢康夫稿)」(「現代詩読本三好達治(思潮社)」所収)の中で、入沢康夫は、次のような付記を付している。
[付記 なほ、達治の「甃(いし)のうへ」に、室生犀星の「春の寺」の影響があることは、つとに言はれてゐることだが、『測量船』で、「甃(いし)のうへ」のすぐ前に置かれてゐる「雪」にも犀星詩の影響の何がしかを考へることはできるかもしれない。たとへば、『第二愛の詩集』の中の「冬の晩方」など。]
甃(いし)のうへ(三好達治)
あはれ花びらながれ
をみなごに花びらながれ
をみなごしめやかに語らひあゆみ
うららかの跫音(あしおと)空にながれ
をりふしに瞳(ひとみ)をあげて
翳(かげ)りなきみ寺の春をすぎゆくなり
み寺の甍(いらか)みどりにうるほひ
廂々(ひさしびさし)に
風鐸(ふうたく)のすがたしづかなれば
ひとりなる
わが身の影をあゆまする甃(いし)のうへ
春の寺(室生犀星)
うつくしきみ寺なり
み寺にさくられうらんたれば
うぐひすしたたり
さくら樹(ぎ)にすゞめら交(さか)り
かんかんと鐘鳴りてすずろなり。
かんかんと鐘鳴りてさかんなれば
をとめらひそやかに
ちちははのなすことをして遊ぶなり。
門もくれなゐ炎炎と
うつくしき春のみ寺なり。
次のアドレスで次のように記述している。
http://www.midnightpress.co.jp/poem/2009/09/%20post_109.html
[ところで、この詩が、室生犀星の「春の寺」の意識的な本歌取りだと指摘したのは大岡信氏である。(中略)なるほど、ふたつの詩を読みくらべれば、大岡氏の指摘に納得させられるが、よりはっきりとするのは、ふたりの詩人の資質の違いではないだろうか。「本の手帖」の「三好達治追悼号」(1964年6月号)に収められた様々な文章は、この詩人の「謎」の一端に触れるようなところがあり、実に興味深い。奥野健男によれば、萩原朔太郎全集の編集に際して、犀星と達治は喧嘩別れし、そのまま絶交状態にあったのだが、達治は犀星の通夜に羽織袴で現われたという。「二日続いたお通夜のあと、三好さんは家にも帰らず、とん平でいつまでも飲み続けられていた。そしてたまたま隣の席に坐つたぼくに、自分がどの位犀星に決定的な影響を受けたか、詩人として完成したのは朔太郎だがそのそもそもは犀星の『抒情小曲集』の革命的な詩表現にあることを何度となく繰り返し述べ、惜しい詩人を喪つたと言つては絶句し、涙をぬぐわれるのであつた」。]
雪(三好達治)
太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。
次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。 (「雪」)
冬の晩方(室生犀星)
静かにしてゐると
幽遠な冬がいちどに下りて来るやうだ
人家のあたりに今まで騒いでゐた子供等の
その声や歌がはたと止んで
まるで蓋をしたやうに
地上は暗くなつてしまつた
ぞくぞくした寒さだ
針のやうに顫えてゐる空気だ
氷がみしみし張りつめられてゐるやうだ
障子が藍色にみえる
電燈の下で本をひろげて
読みかからうとして
ふいと静かなあたりをふりかへる
寒さは人の耳を澄まさしてくる
だれも来ない
からだがある一点に
実に微妙なある一点にぢつとしてゐる
達治の「雪」は、犀星の「冬の晩方」の本歌取りというのには、いささか距離があるように思える。それよりも、『動物詩集』の「雪降虫のうた」こそ、達治の「雪」の本歌取りの詩のように思えるのである。
雪降虫のうた(室生犀星)
雪のふる前
雪のふったあと
朝
ひるすぎのはれま
雪降虫が上になり
下にまひ
こんなにさむいのに
どこからあつまって来るのでせう
みぢかい冬の日の中で遊んでいます。
北国では米つき虫といひ
太郎や米つけ
次郎にはいふなといふ子供のうたがある。
日がかげると
雪降虫はどこかにかくれてしまひ
さびしい雪がふって来ます。
そして、この「雪降虫のうた」のまえに、「はたはたのうた」がある。
はたはたのうた(室生犀星)
はたはたといふさかな、
うすべにいろのはたはた、
はたはたがとれる日は
はたはた雲といふ雲があらはれる。
はたはたやいてたべるのは
北国のこどものごちそうなり。
はたはたみれば
母をおもふも
冬のならひなり
この犀星の「はたはたのうた」は、「母をおもふも/冬のならひなり」と、犀星の「母恋いの詩」でもある。とすれば、三好達治の「雪」もまた、「母の子守唄が聞こえてくる」(山本健吉)、それは、また、蕪村の「昔々しきりに思う、子守唄の哀切な思慕」(萩原朔太郎)に似た詩なのではなかろうか。
(追記)室生犀星の『動物詩集』は昭和十八年の刊行で、年代的には、三好達治の『測量船』(昭和五年刊)の方が早い。いずれにしろ、犀星の『抒情小曲集』(大正七年刊)・『愛の詩集』(大正七年刊)・『第二愛の詩集』(大正八年刊)・「青き魚を釣る人」(大正十二年刊)などの強い影響を達治が受けていることは確かなことである。
雪(その八)
太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。
次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。 (「雪」)
三好達治は、室生犀星に大きな影響を受けている。なかんずく、達治の処女詩集『測量船』は、犀星の処女詩集『抒情小曲集』に大きな示唆を受けてのものであった。しかし、現在、達治が目にしたところの、犀星の『抒情小曲集』という詩集を目にすることは殆ど出来ないと言っても過言ではなかろう。その全貌は、別記(『室生犀星全集第一巻』(新潮社)所収「抒情小曲集」)のようなものである。この『抒情小曲集』の「序曲」から「小曲集箴言」
までのものは、例えば、『室生犀星詩集(福永武彦編)』(新潮社)などでは、その影すらも止めていない。三好達治が、この詩集のどんなところに影響を受けたのか、特に、達治の傑作詩「雪」に関連して、その影響を受けているようなところを抜粋すると次のとおりである。
[ 序曲
芽がつつ立つ
ナイフのやうな芽が
たつた一本
すつきりと蒼空に立つ
抒情詩の精神には音楽が有つ微妙な恍惚と情熱とがこもつてゐて人心に囁く。(後略)]
三好達治の詩の世界は、まさに、室生犀星の、この「音楽が有つ微妙な恍惚と情熱」を秘めた抒情詩を追い求め続けたものであった。そもそも、その『測量船』の「序詩」ともいうべき二行詩の「春の岬」は、犀星の詩集の「序曲」とか「序詩」とかの影響を強く受けている。
[ 抒情詩信条
一 詩より詩作の瞬間(モメント)を愛す。
二 祈れば樹の上の果実すつと鳴りて落つ。祈れば青きもの紅くなり形無きもの顕はる。
三 瞳と瞳とを合掌す。
四 山は静止す。そのさまざまなるものに富み胎めるかを見よ。真に生けるものの静けさを聴けよ。
五 爾のわれの接吻をうける時つねにつねに爾の輝くを見たり。 ]
これは、室生犀星の詩の創作信条であるが、同時に、これらは、三好達治の詩の創作信条にも合致するものであろう。
[ 自序
(前略)私は雪の深い北国に育った。(中略)夜は窓や戸口の雪の、中から燈灯が漏れてゐた。戸外運動といふものが雪の為めに自然なくされてゐた子供の私らは、いつも室に坐つたり煖炉にあたつりして、恐ろしい吹雪の夜を送つてゐた。(後略) ]
[『抒情小曲集』覚書
(前略)
降雪
十月下旬より時雨となり、十一月終りは冷たき霙となる。霙となりて永き冬に入れば漸て霰となり、雪となる。二三尺も積るは例年の事にして、時に丈余にもなる事ありて、犬等は皆屋根の上にて遊び戯る。雪降れば却つて温かく、人人は夜炬燵を囲みて団欒す。雪降れど霰凍れども故郷の冬は忘れがたかり。
(後略) ]
室生犀星は、生まれて直ぐに養子にやられた。三好達治もその養子の体験がある。犀星は日本海に面する金沢の生まれ。そして、達治が一時養子に行った家も日本海に面する舞鶴である。この二人の詩人の雪とのかかわりは非常に大きい。犀星は、「雪降れど霰凍れども故郷の冬は忘れがたかり」と、その「自序」に記す。そして、三好達治の二行詩の傑作「雪」も、犀星が、その「自序」に記す「雪」と深いかかわりを持っているように思えるのである。
雪のしたより燃ゆるもの
かぜに乗り来て
いつしらずひかりゆく
春秋ふかめ燃ゆるもの (犀星『抒情小曲集』「序詩」)
これは、犀星の処女詩集『抒情小曲集』の「自序」の前に記された「序詩」である。この「序詩」のもとに、犀星の『抒情小曲集』の数々の名詩が綴られている。
そして、この『抒情小曲集』に続く、第二詩集『青き魚を釣る人』の「序詩」(夕となれば寂しといへる人に/幾人けふあひけむ――。)に続き、レミ・ドウ・グルモンの二行詩を基調とした「雪」が記されているのである。
シモオヌ、雪はそなたの顎のやうに白い、
シモオヌ、雪はそなたの膝のやうに白い。
シモオヌ、そなたの手は雪のやうに冷たい、
シモオヌ、そなたの心は雪のやうに冷たい。
雪は火のくちづけにふれて溶ける、
そなたの心はわかれのくちづけに溶ける。
雪は松が枝の上につもつて悲しい、
そなたの額は栗色の髪の下に悲しい。
シモオヌ、雪はそなたの妹、中庭に眠てゐる、
シモオヌ、われはそなたを雪よ恋よと思つてゐる(レミ・ドウ・グルモン「雪」)
この「雪」は、犀星は、『海潮音拾遺』(上田敏訳)に因っている。そして、この「雪」は、達治が、萩原朔太郎・室生犀星と共に師事した、堀口大学にも名訳がある。
雪
訳詩:堀 口 大 学
シモーン、雪はお前の襟足のやうに白い、
シモーン、雪はお前の膝のやうに白い。
シモーン、お前の手は雪のやうに冷たい。
シモーン、お前の心は雪のやうに冷たい。
雪を溶かすには火の接吻(くちづけ)、
お前の心を解くには、別れの接吻。
雪はさびしげに、松の枝の上、
お前のひたひはさびしげに、黒かみのかげ。
シモーン、お前の妹、雪は庭に眠つてゐる、
シモーン、お前は私の雪、さうして私の恋人。
この二行詩を基調とした、グールモンの「雪」こそ、達治の傑作詩の「雪」の詩型(句読点入り)であり、この二行詩の詩型の中に、犀星と共通する環境の日本海に面した雪の思い出を綴った詩こそ、達治の二行詩の「雪」なのではなかろうか。
すなわち、達治の処女詩集『測量船』は、犀星の処女詩集『抒情小曲集』そして第二詩集『青き魚を釣る人』を背景として生まれたものであり、その傑作詩の「雪」は、第二詩集『青き魚を釣る人』の「序詩」に続く、「雪」(レミ・ドウ・グルモン)を、その「郷愁」(――「海よ、僕らの使ふ文字では、お前の中に母がゐる。そして、母よ、仏蘭西人の言葉では、あなたの中に海がある。」)は、「海のあなたの」(テオドル・オオパネル)を、その背景としていると、そんな理解をいたしたいのである。
海のあたなたの (テオドル・オオパネル)
海のあなたの遙けき国へ
いつも夢路の波枕、
波の枕のなくなくぞ、
こがれ憧れわたるかな、
海のあなたの遙けき国へ。
この達治の「郷愁」の背景となっている、「海のあなたの」(テオドル・オオパネル)は、犀星は『海潮音』(上田敏訳)に因っている。
(別記)『室生犀星全集第一巻』(新潮社)所収「抒情小曲集」
抒情小曲集……………………………………19
序曲…………………………………………19
(「抒情詩の精神には……」)…………19
(扉銘)……………………………………19
(序)(北原白秋)………………………19
抒情詩信条…………………………………20
(序)(萩原朔太郎)……………………20
(扉銘)(ルイ・ベルトラン)…………20
(序)(田辺孝次)………………………21
(序詩)……………………………………21
(「自分は五月ころから……」)………21
自序…………………………………………21
『抒情小曲集』覚書………………………23
小曲集箴言…………………………………23
1部
小景異情 その1 ………………………25
小景異情 その2 ………………………26
小景異情 その3 ………………………26
小景異情 その4 ………………………26
小景異情 その5 ………………………26
小景異情 その6 ………………………27
旅途………………………………………27
京都にて…………………………………27
流離………………………………………28
木の芽……………………………………28
祇園………………………………………28
夏の朝……………………………………29
寺の庭……………………………………29
旅上………………………………………29
三月………………………………………29
足羽川……………………………………30
ふるさと…………………………………30
犀川………………………………………30
みやこへ…………………………………31
寂しき春…………………………………31
利根の砂山………………………………32
氷の扉……………………………………32
桜と雲雀…………………………………32
土筆………………………………………33
前橋公園…………………………………33
かもめ……………………………………33
海浜独唱…………………………………34
蛇…………………………………………34
新曲………………………………………34
砂山の雨…………………………………34
魚とその哀歓……………………………35
赤櫨………………………………………35
2部
時無草……………………………………35
永日………………………………………36
秋の日……………………………………36
小曲………………………………………37
小曲………………………………………37
月草………………………………………37
しら雲……………………………………37
十一月初旬………………………………38
十一月初旬………………………………38
くらげ……………………………………38
霜…………………………………………38
樹をのぼる蛇……………………………38
あらし来る前……………………………39
磧…………………………………………39
松林のなかに坐す………………………39
砂丘の上…………………………………40
静かなる空………………………………40
水すまし…………………………………41
秋思………………………………………41
しぐれ……………………………………41
哀章………………………………………42
わかれ……………………………………42
雪くる前…………………………………42
朱き葉……………………………………42
山にゆきて………………………………43
すて石に書きたる詩……………………43
秋の終り…………………………………43
煙れる冬木………………………………44
大乗寺山にて……………………………44
3部
都に帰り来て……………………………45
はつなつ…………………………………45
蝉頃………………………………………45
並木町……………………………………46
銀製の乞食………………………………46
天の虫……………………………………47
上野ステエシヨン………………………47
苗…………………………………………47
植物園にて………………………………48
郊外にて…………………………………48
室生犀星氏………………………………48
ある日……………………………………49
坂…………………………………………50
坂…………………………………………50
断章………………………………………51
道…………………………………………51
酒場………………………………………52
街にて……………………………………52
夏の国……………………………………52
二つの瞳孔………………………………53
あさぞら…………………………………53
郊外にて…………………………………53
寂しき椅子………………………………54
十月のノオト……………………………54
合掌 その1 ……………………………55
合掌 その2 ……………………………55
合掌 その3 ……………………………55
合掌 その4 ……………………………55
合掌 その5 ……………………………56
合掌 その6 ……………………………56
抒情小曲集(補遺)…………………………57
卓上噴水……………………………………57
遠くよりのぶるもの……………………57
銀行街……………………………………57
裸形崇拝…………………………………58
右…………………………………………58
雨中佇立…………………………………59
兇賊TICRIS氏……………………………59
あさくさ…………………………………61
夕日………………………………………62
とくさ……………………………………62
接吻………………………………………62
みどりを拝む……………………………62
卓上噴水…………………………………63
再刊小言……………………………………63
青き魚を釣る人………………………………64
序詩…………………………………………64
雪(レミ・ドゥ・グルモン)……………64
(「松下問童子……」)…………………64
(扉銘)……………………………………65
海のあなたの(テオドル・オオバネル)……65
扉銘…………………………………………65
青き魚を釣る人のこと(佐藤春夫)……65
序(萩原朔太郎)…………………………65
小言…………………………………………67
(扉銘)……………………………………67
青き魚を釣る人……………………………68
(「私はそのころ……」)……………68
春の寺……………………………………68
山の温泉…………………………………68
春の入日に………………………………69
朱の小箱…………………………………69
逢ひて来し夜は…………………………69
こころ……………………………………70
断章………………………………………70
山なみ……………………………………70
欅…………………………………………70
冬の逢瀬…………………………………71
小曲………………………………………72
ふるさとより……………………………72
南天の朱き玉……………………………72
青き魚を釣る人…………………………72
ゆう餉……………………………………73
赤き月……………………………………73
五月………………………………………73
氷菓………………………………………73
愛猫………………………………………73
榎の実……………………………………74
路上にしるすうた………………………74
ゆめ………………………………………74
友に与へて………………………………75
僧院の窓辺………………………………75
ゆき………………………………………75
洲崎の海…………………………………75
ある秋の午後……………………………76
雪くる前…………………………………76
青草に坐す…………………………………77
(「そのころ少年世界が……」)……77
栗売………………………………………77
暮日………………………………………77
とんぼ釣り………………………………78
滞郷異信…………………………………78
壁上哀歌…………………………………79
哀しき都市………………………………79
青草に坐す………………………………80
雨…………………………………………80
消えゆく蟲………………………………81
秋…………………………………………81
秋晴のほとり……………………………82
黎明………………………………………82
深空………………………………………83
芒…………………………………………83
霜……………………………………………83
(「私はいろいろな顔を……」)……83
瑠璃色の黄昏……………………………84
美しき犬…………………………………85
或る日の薄暮……………………………86
断章………………………………………87
夜の霜……………………………………87
新曲………………………………………88
燃焼………………………………………88
水の上の恋………………………………89
眼閉づれば………………………………89
匿れた芽…………………………………90
秋の幻影…………………………………90
哀歌………………………………………90
晩春………………………………………90
断章………………………………………91
愛魚詩篇……………………………………91
(「私はそのころ……」)……………91
愛魚詩篇…………………………………91
寂しき魚界………………………………92
断章………………………………………93
凍えたる魚………………………………93
挽歌………………………………………93
椎…………………………………………94
七つの魚…………………………………94
樫の木………………………………………95
(「私たちは庭から磧――」)………95
断章………………………………………95
おんな子と坐りて………………………96
静かなる卓上……………………………96
ある日……………………………………96
深更に佇ちて……………………………96
泉のほとり………………………………97
抱擁………………………………………98
青き魚を釣る人の記(序に代へて)……99
雪(その九)
太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。
次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。 (「雪」)
三好達治の処女詩集『測量船』は、達治の師の萩原朔太郎の『月に吠える』、そして、朔太郎と双璧をなす室生犀星の『青き魚を釣る人』などの影響を多大に受けているということは、達治自身いろいろな形で認めているところのものである。
そして、達治の傑作詩の、掲出の「雪」の詩も、犀星の『青き魚を釣る人』の「序詩」の次に出てくる、上田敏訳の「雪」(レミ・ドゥ・グルモン)が、その背景の一つにあるのではなかろうかということについて先に触れた。
http://blogs.yahoo.co.jp/seisei14/62823818.html
雪 (レミ・ドゥ・グルモン作 上田敏訳)
シモオヌ、雪はそなたの顎のやうに白い、
シモオヌ、雪はそなたの膝のやうに白い。
シモオヌ、そなたの手は雪のやうに冷たい、
シモオヌ、そなたの心は雪のやうに冷たい。
雪は火のくちづけにふれて溶ける、
そなたの心はわかれのくちづけに溶ける。
雪は松が枝の上につもつて悲しい、
そなたの額は栗色の髪の下に悲しい。
シモオヌ、雪はそなたの妹、中庭に眠てゐる、
シモオヌ、われはそなたを雪よ恋よと思つてゐる。
今回、次のサイトの「「雪」(三好達治)解釈の鳥瞰図作成のためのノート」(望月善次稿)で、次のように記されていることを知った。
http://ir.iwate-u.ac.jp/dspace/bitstream/10140/1378/1/erar-v42n2p192-208.pdf
[「雪」作品へ影響を与えたであろうもの三点を挙げることとする。一つは、北川冬彦の影響になる短詩型運動〔小川(83)(一九七〇)p211、小野(84)(一九七七)〕からの影響であり、二つは、レミ・ドゥ・グルモン(Remy de Gurmont)の「雪」(La Neige) か
らの影響であり、三つは、室生犀星詩からの影響〔入沢(180)(一九七九)〕 である。
ここでは、二つの目のレミ・ドゥ・グルモンの「雪」からの影響についてのみ敷衍することとする。即ち、グルモンの「雪」を達治は、堀口大学訳によったのか、それとも上田敏訳によって知ったのかの問題である。達治の「雪」とグルモンの「雪」との関連について初めて指摘したのは、伊藤信吉氏であるが、氏はその際堀口大学訳を挙げているのであるが〔伊藤(信)(10)〕、これは、後日、安田保雄氏によって上田敏訳ではないのかと反論されている。〔(25)(一九六三)〕また新藤千恵氏は、そのアンソロジー編集に際し、達治の「雪」のあとに上田訳のグルモンの「雪」をさりげなく配し〔(31)(一九六五)〕、菊池由美氏は、堀口訳を掲げているが〔(104)(一九八〇)〕両氏の場合は、その根拠は明示されていない]
註(10) 伊藤信吉『現代詩の鑑賞』(新潮社、一九五三-二)〔『新潮社文庫版』(一九五四―四、一九六八-五)
(25) 安田保雄「『海潮音』以後の上田敏と近代詩人」<『立教大学 日本文学』N011(一九六八-十一)
(31) 新藤千意『若い人への詩』(社会思想社、一九六五-七)
(83) 小川和佑『増補改訂版 三好達治研究』(教育出版センター、一九七六-十)
(84〉 小野隆「『測量船』試論Ⅱ―主として同人誌との関係について」<『共立女子短期大学文学科紀要』No20
100) 入沢康夫「太郎を眠らせ……- 詩の『解釈』とは - 」<『現代詩読本 7 三好達治』 pp165〜171>
(104) 菊池由美「三好達治研究1文語定型詩の形成と本質」<『高知女子大国文』No16
上記の伊藤信吉のものは、『現代詩の鑑賞(草野心平編)』(社会思想社刊)で、「伊藤信吉はこの二行詩に、芭蕉の句とフランスのグウルモンの詩『雪』を連想するといっている」(安西均稿)と紹介している。そして、その紹介に続いて、「三好ほど意識的に『伝統詩』と『現代抒情詩』との二重性を均衡させて出発した詩人はまれであった。一方を採るために一方を捨てたのでない。過去と現代、伝統と新風、日本と西欧・・・の合金あるいは詩的弁証法というべき詩風から出発したのであった」とも記している。
ともあれ、上記のサイトなどの、北川冬彦の影響の短詩型運動、レミ・ドゥ・グルモンの「雪」からの影響、そして、室生犀星詩からの影響というのは、多かれ少なかれ見て取ることができる。そして、中でも、上田敏訳の「雪」(レミ・ドゥ・グルモン)は、犀星の『青き魚を釣る人』所収のものという理解と、その詩集所収の詩から、陰に陽に影響を受けているということ特記して置きたい。
それと併せ、この達治の「雪」の詩に触れると、何故か、次のような文部省唱歌などが思い起こされて来る。
冬の夜 (文部省唱歌)
一、
燈火(ともしび)ちかく衣縫ふ(きぬぬう)母は
春の遊の樂(たの)しさ語る。
居並(いなら)ぶ子どもは指を折りつつ、
日數(かず)かぞへて喜び勇む。
圍爐裏(いろり)火はとろとろ、
外は吹雪(ふぶき)。
二、
圍爐裏(いろり)のはたに繩(なわ)なふ父は
過ぎしいくさの手柄(てがら)を語る。
居並(いなら)ぶ子どもはねむさ忘れて、
耳を傾(かたむ)け、こぶしを握(にぎ)る。
圍爐裏(いろり)火はとろとろ、
外は吹雪(ふぶき)。
この文部省唱歌は、戦後の「母さんの歌」に連なるものであろう。
母さんの歌(窪田聡 作詞/作曲)
かあさんが 夜なべをして
手袋あんでくれた
木枯らし吹いちゃ 冷たかろうて
せっせとあんだだよ
ふるさとの便りはとどく
いろりのにおいがした
かあさんは 麻糸つむぐ
一日つむぐ
おとうは土間で わら打ち仕事
お前もがんばれよ
ふるさとの冬はさみしい
せめてラジオ聞かせたい
かあさんの あかぎれ痛い
生みそをすりこむ
根雪もとけりゃ もうすぐ春だで
畑が待ってるよ
小川のせせらぎが聞こえる
なつかしさがしみとおる
なつかしさがしみとおる
と解して来ると、詩人三好達治のスタートの詩とされている、「乳母車」が、やはり、達治の二行詩「雪」に先行するものなのではなかろうか。
乳母車(三好達治)
母よ――
淡くかなしきもののふるなり
紫陽花(あじさい)いろのもののふるなり
はてしなき並樹のかげを
そうそうと風のふくなり
時はたそがれ
母よ 私の乳母車(うばぐるま)を押せ
泣きぬれる夕陽にむかって
轔轔(りんりん)と私の乳母車を押せ
赤い総(ふさ)のある天鵞絨(びろうど)の帽子を
つめたき額にかむらせよ
旅いそぐ鳥の列にも
季節は空を渡るなり
淡くかなしきもののふる
紫陽花いろのもののふる道
母よ 私は知っている
この道は遠く遠くはてしない道
とすれば、達治の傑作詩の「雪」の冒頭に、この「乳母車」の、この「母よ――」を持って来ることに、いささかのためらいもない。
雪(三好達治)
母よ――
太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。
次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。
雪(その十)
太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。
次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。 (「雪」)
[萩原さんは、ぼくの書いたものを前に置いて、「詩というものは、前と後をヘシ折って書くんじゃ」と言った。それはね、簡単な言葉だけど、大事なことを言ってるんだ。前と後をヘシ折って、捨てて、惜しいけれどそれはもうはしょつて、それで書くものだ。](『近代詩人選 萩原朔太郎(大岡信猪)』)
三好達治の二行詩「雪」は、「前と後をヘシ折って」書かれている。そのヘシ折られた「前」のところには何が入るのか(?) これは、「母よ――」と、「主体母親説」と解したいのだが、これは、どうにも少数説の気配なのである。
http://ir.iwate-u.ac.jp/dspace/bitstream/10140/1378/1/erar-v42n2p192-208.pdf
[詩壇等における<眠らせ>の主体母親説への批判は、安西均〔(76)(一九七五)〕吉本隆明〔(77)(一九七五)〕大岡信〔(85)(一九七七)〕佐々木幸綱〔(102)(一九八〇)〕等の各氏によってなされている。]
(註)76安西均「農村の夜の雪、都会の夜の雪」(『野火』(一九七五-三))
77吉本隆明「初期歌謡」<赤羽淑、橋本不美男、藤平春男編『和歌の本質と展開』(桜楓社一九七五-五)
85大岡信『詩への架橋』(岩波書店一九七七-六)
102佐々木幸綱「作歌の現場――詩型の強制力」(「短歌」一九八〇-二))
また、そのヘシ折られた「後」のところには何があったのか(?) もうこうなると推測するのも憚るほど闇の中ということになる。しかし、例えば、この「太郎と次郎とは兄弟なのか非兄弟なのか(?) この太郎と次郎とは同一屋根の下なのかどうか(?) また、それは都会なのか田舎なのか(?) さらに、それは別々に遠く離れているのかいないのか(?) はたまた、太郎、次郎の他に、三郎・四郎などか省略されていると解すべきなのかどうか(?)」と、現に、これらのことは、それぞれの方が、それぞれに真っ正面から論じ合っているのである。
こういうことが、この二行詩をめぐって、何故起こって来るのか(?) それは一にかかって、この二行詩の「曖昧さ」(ファジー)に起因する。この「曖昧さ」(ファジー)ということに関連して、次のアドレスのサイトで、『虚構の方法・世界―展開法と層序法と折衷法 (名詩の世界 西郷文芸学入門講座)』(西郷竹彦著)の「主語省略と視点の屈折」という「虚構の方法」ということを紹介している。
http://caseko.blog90.fc2.com/blog-entry-383.html
[この「雪」の細かい分析をしますと、〈太郎を眠らせ、〉で読点(テン)があります。そして、〈太郎の屋根に雪ふりつむ。〉とことばの意味の上では〈ふりつむ。〉と句点(マル)で切れているけれども、一行を長くとり、いつまでも〈雪〉が降りつづけるようなイメージをつくりだしています。こうして、この詩の視覚的効果がイメージづくりの手伝いをしているのです。時間的にも空間的にも広がりを見せる形です。
それから、〈太郎を眠らせ、〉と言えば「視点」が家の中にあります。それが、今度は〈太郎の屋根に雪ふりつむ。〉と言えば、「視点」が一転して外になる。外から、言わば空の高みから集落全体を見渡しているような「視点」の位置が想像されます。この「雪」の詩は、「主語省略と視点の屈折」という「虚構の方法」がかくも深遠な世界を現出しているのです。]
しかし、この「主語省略と視点の屈折」という「虚構の方法」というものは、萩原朔太郎が三好達治に伝達したところの、「詩というものは、前と後をヘシ折って書く」ということと表裏一体を為すものとも思われるのである。即ち、達治の二行詩の「雪」は、その「前」と「後」とに、「ヘシ折られた」ところの省略(「主語の省略」など)があって、その省略が、さらに、この二行詩の構成に、さまざまな「視点の屈折」をもたらし、それらが相俟って、「かくも深遠な世界を現出」するに至るということと解したいのである。
そして、実は、この「主語省略と視点の屈折」という「虚構の方法」は、いわゆる、連歌・俳諧(連句)の「付合(つけあい)」(前句に付句をする。その付句は後句を想定する)と同じ原理で成り立っていように思われるのである。これを、達治の二行詩の「雪」で説明すると次のとおりとなる。
(前句)→ 付句の作者が任意に解釈する(「雪」に関するものなのか「母」に関するもの
なのかなどは全くのフリーの世界)
(付句)太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。
次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。
(後句)→ 付句を前句としてこれに付句をする(この付句を作るときに、前句をどのよ
うに解釈するかは全くのフリーの世界)
もとより、三好達治にこのような明確な連歌・俳諧(連句)の「付合」などの応用などの意識はなかったであろうが、少なくとも、「短歌・俳句」という日本の伝統的な詩形の応用ということは、下記の伊藤信吉の指摘のとおり、意識下にあったでことであろう。そして、このことは、この「雪」だけではなく、『測量船』の序詩ともいうべき「春の岬」などと相俟って、その推察は当を得ているように思えるのである。
http://ir.iwate-u.ac.jp/dspace/bitstream/10140/1378/1/erar-v42n2p192-208.pdf
[この短章で作者は、なにを具体的に試みたのだろうか。これを現代抒情詩の形成という点からみれば、作者は意識的に、わざわざ短歌に近い形式をもちいたのである。つまり短歌に近い小さな詩形をもちいるとき、その抒情は、伝統詩の方へよりつよく傾くものか、それとも現代詩としての新鮮さを獲得することができるものか--そうした実験がおこなわれたのである。〔伊藤(信)(10)(五五三)〕]
註1010) 伊藤信吉『現代詩の鑑賞』(新潮社、一九五三-二)〔『新潮社文庫版』
そして、「春の岬」の「春の岬旅のをはりの鷗どり/浮きつつ遠くなりにけるかも」は、明らかに、短歌の応用であるが、「太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。/次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。」の「雪」は、短歌よりも俳句の応用で、それが、対句(連歌・連句の唱和の一形式)のものという意識があったと理解をしたいのである。それが、結果として、連歌・俳諧(連句)の付合と同じような効果をもたらし、そのことをして、作者がその創作時には予想もしていないような「深遠な世界を現出」するに至ったと理解をしたいのである。
さて、この二行詩「雪」は、昭和二年(一九二七)、達治、二十七歳の時、『青空』第二十五号に発表されたのが、その初出である。そして、その初出においては、「雪」という題で、二つの詩を発表していたのである。その一篇は、これまで見てきたところの、すなわち、『測量船』所収の「雪」の詩であり、もう一篇は、次のもので、こちらの「雪」の詩は『測量船』には収録されていない。
雪ふりつもり、足跡みなかげもてり。
いそぎ給はで、雪はしづかにふみ給へ (「雪」)
しかし、この『測量船』未収録の二行詩の「雪」は、「太郎を眠らせ・・・」の「雪」の詩には遙かに及ばないという印象は拭い去ることは出来ない(『三好達治の世界(小川和佑著)』)。
さらに、達治には、これらの初期の二篇の二行詩「雪」に続き、その後、次のような雪の詩を創作し、それぞれ詩集に収載するのであるが、それらの雪の詩もまた、最も初期の、そして、その処女詩集『測量船』に収載されている「太郎を眠らせ・・・」の「雪」の詩を凌ぐものは、ついに現出しなかったと言っても過言ではなかろう。
「私と雪と」<『測量船』>
「雪景」<『閤花集』>
「雪」<『山菜集』拾遺>
「雪夜」一〜三<『山果集』拾遺>
「雪彼」<『山果集』拾遺>
「新雪」<『州千里』>
「雪はふる」<『砂の砦』>
すなわち、達治は、実験詩の詩集とも位置付けられる、そのスタートの詩集『測量船』中に、生涯にわたっての最高傑作ともいうべき、一つの「近代詩中の古典としてよいほどの風格」(『日本近代詩鑑賞・昭和篇(吉田精一著)』)を具えているところの完成された二行詩「雪」を始め幾つかの傑作詩を誕生させ、その頂点のような作品群から、その後の詩人としての長いスタートを切ったということに他ならない。
以後の達治は、昭和期最大の詩人として多くの人々から愛唱されるところの「国民詩人」の地位も得ることになるが、それらの作品群は、そのスタートの実験詩的な『測量船』所収の「過去と現代、伝統と新風、日本と西欧」(『現代詩の鑑賞(草野心平編)』)とが象徴的に一体となった完成度の高い「太郎を眠らせ・・・」の二行詩の「雪」や、古典的な「生得の深いリリシズム」(百田宗治)を湛えた「甃(いし)のうへ」などに比すると、それを一見して凌駕するものは容易に見当たらないと言っても、これまた、決して言い過ぎではなかろう。
太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。
次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。 (「雪」)
そして、繰り返すことになるが、この「雪」の詩の一年前の大正十五年(一九二六)の「青空」第十六号に発表された「乳母車」は、百田宗治が『日本詩人』において激賞をしたもので、この「乳母車」こそ、詩人三好達治のスタートの作品ということになる。そして、この「乳母車」の主題は、これは紛れもなく、その冒頭に出て来る「母よ――」の「母」ということになる。
その一年後の昭和二年(一九二七)の「青空」に、達治は、掲出の「雪」と題する二篇を始め、散文詩の「谺」などの五篇の詩を発表する。そして、この時の五篇の詩中、「太郎を眠らせ・・・」の「雪」の二行詩と、散文詩の「谺」だけが、その処女詩集『測量船』に収載されることとなる。そして、この散文詩の「谺」の主題もまた、「乳母車」の詩の主題と同じ、「母」ということになる。
とすれば、同時に「青空」に発表し、同時に、『測量船』に収載したところの、「太郎を眠らせ・・・」の「雪」の二行詩の主題も、これまた、「乳母車」と同じように、「母よ――」の、その「母」と理解することも、これまた繰り返すことになるが、それは決して飛躍し過ぎた見方ではないという確信に似たものを抱くのである。
母よ――
太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。
次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。 (「雪」)
そして、この三好達治の傑作詩の「雪」と同時の作と理解できる散文詩「谺」を、ここに並記することこそ、この散文詩の「谺」を、『測量船』中に収載した、三好達治の胸中に秘められた想いなのではなかろうか・・・と、そんな確信に似た想いをも抱くのである。
谺 (三好達治)
夕暮れが四方に罩(こ)め、青い世界地図のやうな雲が地平に垂れていた。草の葉ばかりに風の吹いている平野の中で。彼は高い声で母を呼んでいた。
街ではよく彼の顔が母に似ているといって人々がわらった。釣針のやうに背なかをまげて、母はどちらの方角へ、点々と、その足跡をつづけていったのか。夕暮れに浮ぶ白い道のうへを、その遠くへ彼は高い声で母を呼んでいた。
しづかに彼の耳に聞えてきたのは、それは谺になった彼の叫声であったのか、または遠くで、母がその母を呼んでいる叫声であったのか。
夕暮れが四方に罩(こ)め、青い雲が地平に垂れていた。
0 件のコメント:
コメントを投稿