その七 誰が嗅いで見て譬たか河童の屁
誰(だ)が嗅いで見て譬(たとえ)たか河童(かっぱ)の屁(へ) 卍 文政八(一八二五)(『柳多留八十五篇』)
木っ端の火は、取るに足らないことや、たわいもないことなど、河童の屁と同様の意味で使われており、その語源も定まっているため、「木っ端の火」の転化説が妥当である。
後者の説は、河童が水中で屁をしたことを想定し、その勢いがないことまで考え、取るに足りないことの意味に繋げている点で無理がある。また、簡単にやってのけるという意味には繋がらない。河童の屁を「屁の河童」と反転させる言い方は、江戸時代後期頃、言葉を反転させるのが流行したことによる。』(『語源由来辞典』)
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https://gogen-yurai.jp/kappanohe/
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『北斎漫画』(第12編)より「釣の名人」(葛飾北斎 画)の拡大画像
https://edo-g.com/blog/2017/07/utagawa_hirokage.html/utagawa_hirokage8_l
『北斎漫画(第12編)』(「国立国会図書館デジタルコレクション」22/34)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/851657
(右図)「釣りの名人」
(左図)「同 河童を釣るの法」
https://youkaiwikizukan.hatenablog.com/entry/2013/05/27/151349
(右図)「釣りの名人」→ 「魚を狙ったら女の人が釣れました! やったね!」
(左図)「河童を釣るの法」→「河童は人間のマル秘臓器である『尻小玉』を好むというのに、この男ときたら尻を突出し『どうぞどうぞ』」な恰好である。」(この解よりも、「河童の好物の『※尻小玉』を餌に、尻を水面突き出して、河童を誘いだし、水面から出てきたら、左手に持っている網を引いて生け捕りする図」というのが、この図の正解に近いのかも知れない。)
句意=「河童の屁」とか「屁の河童」とか、その「譬え」は、「誰が・何時・何処で、どのようにして、嗅いだものなのか」、そんな「譬え」を言いだした野郎に、この「卍」(まんじ)様の「屁」でも喰らわしてやるか! 」
※河童の川流れ
得意分野であるにも関わらず失敗してしまうことを、水泳の得意な河童が川に溺れる様子に例えたもの。
※河童の木登り
苦手なこと、不得意なことをする例え。
※屁の河童
いつも水の中にいる河童の屁には勢いがないことから、「取るに足りないこと」を「河童の屁」と呼ぶようになり、後に語順が変わった。「木っ端の火」が語源という説もある。
※陸(おか)へ上がった河童
「河童は水中では能力を十分発揮できるが、陸に上がると力がなくなる」とされるところから、力のある者が環境が一変するとまったく無力になってしまうことのたとえ。
※カッパ巻き
河童がキュウリを好むことから巻き寿司のキュウリ巻きをカッパ巻きと呼ぶ。
※河童忌
小説家芥川龍之介の忌日7月24日。死の直前の代表作『河童』にちなむ。
※河童の妙薬
河童が製法を教えたと伝承されている由来を持つ民間薬・家伝薬のこと。
※ガタロ
上方落語の演目『代書』『商売根問』などに登場する商売。川底を網でさらって得た鉄くずや貴金属などを換金して稼ぎを得る自営業を指し、その川さらいの姿が河童を連想させる事から商売の隠語として河童の関西名「河太郎」(がたろ)が当てられた。水泳が得意な人や、頭頂の毛髪が少ない人など、河童を連想させる人物のあだ名として使われることもある。
※雨具の合羽(かっぱ)は、ポルトガル語の capa(カパ)に由来し河童とは無関係である。ただし河童を合羽と書くことはある。
歌川国芳画、多嘉木虎之助。田村川で川虎(河童)を生け捕る図(「ウィキペディア」)
河童に屁をくらわす。月岡芳年作(「大田記念美術館」蔵)
https://twitter.com/ukiyoeota/status/1239764752886202368
(参考)「葛飾北斎と河童の屁」(コラム)
渋温泉の北斎句碑の一つ
- 誰が嗅(かい)で見て譬(たとえ)たか河童の屁 北斎 -
世界的に有名な江戸時代の浮世絵師・葛飾北斎(かつしかほくさい、1760~1849年)は、例えば、借金するとき、借用書に自分が深々と頭を下げているイラストを描いて、北斎をもじって『ヘクサイ(屁臭い)』と署名するなど、天真爛漫で奇行に富み、清貧に生きた人でもありました。そして、知る人ぞ知る川柳の大家でもありました。
渋温泉そして地獄谷野猿公苑へ行くのに乗ったのが、長野電鉄の特急電車『スノーモンキー』でした。長野駅 ~ 湯田中の間、33.2kmを44分で走ります。長野電鉄では、電車が長野駅と湯田中駅に着くとき、『終点』ではなく『終着駅』とアナウンスし、思わずジーンと旅情を掻き立てられました。
また、スノーモンキーの車内では、『まもなく小布施(おぶせ)、栗と北斎の町・小布施に到着致します』などと、電車が駅の直前に近づくと、その駅周辺の名所や名物などを紹介しながらアナウンスします。
北斎が、晩年に長く逗留したのが長野県上高井郡の小布施でした。江戸で知り合った小布施の文人・高井鴻山(たかいこうざん)に招かれた北斎は84歳から88歳の4年間小布施に滞在し『怒涛図』などを描いています。
北斎は、小布施からそう遠くない渋温泉にも湯治に訪れたとされ、渋温泉には北斎の川柳を刻んだ 187本の御影石の句碑が建てられています。その一つに河童の屁の句があります。
誰が嗅で見て譬たか河童の屁 北斎
河童の屁を誰が嗅(か)いでみて『取るに足りないこと』に譬(たと)えたのかというユーモアです。ほかの川柳もなかなか面白いです。
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