蕪村と月渓が描いた陶淵明像
蕪村は、延享元年(一七四二、寛保四年二月二十一日に延享と改元)に、野州(栃木県)宇都宮において、『寛保四年宇都宮歳旦帖』(紙数九枚・十七頁、中村家蔵)という小冊子の歳旦帖を出し、俳諧宗匠として名乗りを上げる。そこに「巻軸」と前書きを付して、「古庭に鶯啼きぬ日もすがら」の自句で締めくくり、それまでの「宰鳥」の号に代わり、初めて「蕪村」の号を用いる。すなわち、この初歳旦帖は、蕪村の改号披露を兼ねてのものということになる(『人物叢書与謝蕪村(田中善信著)』)。
この「蕪村」の号は、陶淵明の「帰去来兮辞」の「田園将ニ蕪レナントトス胡ゾ帰ラザル」に由来し、「蕪は荒れるの意味であり、『蕪村』は荒れ果てた村」の意ということになろう。すなわち、蕪村にとって、生まれ故郷は「帰るに帰れない」、その脳裏にのみ存在するものであった(田中・前掲書)。
蕪村没後、蕪村の画俳二道の後継者の一人に目せられていた月渓(呉春)が、亡き師の机上にあった『陶靖節(淵明)詩集』に挟まれていた、師自筆の「桐火桶無弦の琴の撫でごころ」の栞を見付けて、これに画(陶淵明像)と賛(蕪村自筆であることの証文など)を付した「嫁入手蕪村筆栞・月渓筆陶淵明図」(逸翁美術館蔵)が今に伝存されている。
この「嫁入手」とは、蕪村の遺児の「婚資捻出のために」、蕪村の「自筆句稿・冊子・巻物・色紙・栞」などに、月渓等の直弟子が画賛などを付して、蕪村の落款(サイン)に代えた作品の題名に便宜上付せられているものである。
この月渓の賛(括弧書きは注)は次のとおりである。
[ 師翁(蕪村)物故の後、余(月渓)ひさしく夜半亭(京都の蕪村が没した住居=夜半亭)にありて、机上なる陶靖節(陶淵明)の詩集を閲るに、半過るころ此しほり(栞)を得たり。これ全淵明(陶淵明)のひとゝなりをしたひてなせる句なるべし。
天明甲辰(三年=一七八三)春二月(蕪村=二月二十五日未明没)写於夜半亭 月渓(松村月渓=呉春) ]
この月渓(呉春)の描く陶淵明像は、蕪村の数ある陶淵明像の中で、おそらく、蕪村門の直弟子にあっては、一番身近な「陶淵明像」(『安永三年(一七七四)春帖』中の直弟子の一人「馬圃」(芦田霞夫/醸造業/俳人) →の「我とヽもに琴かき撫る柳かな」に付した蕪村画の「陶淵明像」)を参考にしていると思われる。
そして、この一筆書きのような略画の「草絵」(俳画)の「陶淵明像」は、実に、安永三年(一七七四)の、蕪村、六十三歳時、師の夜半亭二世宋阿こと早野巴人の三十三回忌に当たる年の作である。
その巴人が没した寛保二年(一七四二)、そして、初歳旦帖を編み「蕪村」の号を使い始めた延享元年(寛保四年=一七四四)の翌年の頃、すなわち、結城・下館在住の頃の、「子漢」と款する「陶淵明山水図」(絹本淡彩三幅対)中の「陶淵明図」がある。これが、まさしく、
無弦琴を奏でている陶淵明図なのである。
そして、これが文人画家・蕪村のスタートを飾った作品ともいえるものであろう(この「陶淵明山水図・中村美術サロン蔵」が『蕪村全集六絵画・遺墨』の第一番目に登載されている)。
この他の蕪村の陶淵明像などを『蕪村全集六』より記しておきたい。
一 絵画・模索期(宝暦八~明和六年)
48
陶淵明図 紙本淡彩 一幅 款「河南超居写」 国立博物館蔵
80
陶淵明聴松風図 双幅 款「東成謝長庚写」「辛巳冬写於三菓軒中謝長庚」 宝暦十
一年 「当市西陣平尾氏、上京井上氏旧蔵品入札」(大正六・四)
163 陶淵明図 淡彩一幅 款「謝長庚」 「倉家並某旧家什器入札」(昭四・六)
164 陶淵明図 淡彩一幅 款「謝長庚」 「大阪市某氏入札」(大十五・三)
二 絵画・完成期(明和七~安永六)
220 五柳先生図 一幅 款「写於夜半亭謝春星」 「第五回東美入札」(昭五四・三)
221 五柳先生図 絹本着色 一幅 款「謝春星写於三菓堂中」 「題不明入札(大阪)」(昭二十九・十)
437 後赤壁賦・帰去来辞図 紙本淡彩 双幅 款「日東謝寅画幷書」「日東々成謝寅画且
書」 逸翁美術館蔵
556 柳下陶淵明図 絹本淡彩 一幅 款「謝寅」 「七葉軒、不老庵入札」(昭四・四)
557 陶靖節図 絹本着色 一幅 款「倣張平山筆意 日東謝寅」 「松坂屋逸品古書籍書画幅大即売会目録」(昭和五十二・六)
その他
山水図(出光美術館)六曲一双
重要文化財 1763年
十便十宜図(川端康成記念会)画帖
国宝 1771年 池大雅との競作。蕪村は十宜図を描く。
紅白梅図(角屋もてなしの文化美術館)襖4面、四曲屏風一隻 重要文化財
蘇鉄図(香川・妙法寺)四曲屏風一双(もと襖)
重要文化財
山野行楽図(東京国立博物館)六曲一双
重要文化財
竹溪訪隠図(個人蔵)掛幅
重要文化財
奥の細道図巻(京都国立博物館)巻子本2巻 重要文化財 1778年
野ざらし紀行図(個人蔵)六曲一隻
重要文化財
奥の細道図屏風(山形美術館)六曲一隻
重要文化財 1779年
奥の細道画巻(逸翁美術館)巻子本2巻 重要文化財 1779年
新緑杜鵑図(文化庁)掛幅
重要文化財
竹林茅屋・柳蔭騎路図(個人蔵)六曲一双
重要文化財
春光晴雨図(個人蔵)掛幅
重要文化財
鳶烏図(北村美術館)掛幅(双幅)
重要文化財
峨嵋露頂図(法人蔵)巻子
重要文化財
夜色楼台図(個人蔵)掛幅
国宝
富嶽列松図(愛知県美術館)掛幅
重要文化財
柳堤渡水・丘辺行楽図(ボストン美術館)六曲一双
紙本墨画淡彩
蜀桟道図(シンガポールの会社) 1778年
(追記)
平成二十八年十月二十九日(土)~十二月二十一日(日)まで、佐野市立吉沢記念美術
館で、「特別企画展 東と西の蕪村―伊藤若冲『菜蟲譜』期間限定公開」が開催された。
そこで、「陶淵明・山水図」(蕪村筆)が公開されていた。その作品解説は次のとおりである。
[ 最初期の彩色作品で、下館に伝来。「子漢」の款記は本作が唯一。印は捺されない。
陶淵明は中国・六朝の詩人で、「帰去来辞」「桃花源記」などが知られる。「蕪村」号は
「帰去来辞」の「田園将蕪(マサニアレナントス)」に由来することが有力視されるほ
か、詩画ともに桃源郷を投影した作品が晩年まで頻出するなど、蕪村にとって重要な詩
人。中幅の陶淵明は、酒に酔う毎に「無弦の琴」を撫でたという故事による。左右幅は
「帰去来辞」の「舟は遙々として以て軽くあがり、風は飄々として衣を吹く」「雲は無心
に以て峰を出で、鳥は飛ぶに倦きて還るを知る」を描く、明るい光を含んでかすむ海、藍
と淡墨の葉を重ねて描かれた風に騒ぐ竹林など、後半の蕪村画の要素が見える。]
(『東と西の蕪村(佐野市立吉沢記念美術館遍)』)
(特記事項)
※ この「陶淵明」図中、左下に、花押のように、小さな「鈴」のようなものが描かれて
いた。これは、陶淵明の「無弦琴」に関連して、「琴の爪」のようなのである。この「琴
の爪」と蕪村の花押(「槌」「頭陀袋」のような、蕪村の謎めいた花押)は、この「琴の
爪」に、その由来があるような、そんな示唆を受けたことを特記して置きたい・
0 件のコメント:
コメントを投稿