駒宮如岡を悼(いた)みて
7-2 露霜に手を合(せ)たる紅葉哉
露霜の消やすき我が身老いぬともまた若反り君をし待たむ 『万葉集(巻12-3043)』
(露や霜のように消えやすいわが身ですが、たとえ老いてもまた若返り、あなた様を待とうと思います。)
https://manyoshu-japan.com/10535/
朝霜の消ぬべくのみや時なしに思ひわたらむ息の緒にして 『万葉集(巻12-3043)』
(朝霜はたやすく消えていくが、そのようにはかなく消えてゆくのみだろうかこの恋は。時を定めず恋い続けるだろう細々と。)
https://manyoshu-japan.com/10533/
こころとて人に見すべき色ぞなきただ露霜の結ぶのみにて<道元:傘松道栄>
(こころは元来無色、露霜も無色、色なき世界に色なきものが消滅するのみ)
https://suikan.seigasha.co.jp/mado54.htm
この抱一の句は、「露霜」(晩秋)と「紅葉」(晩秋)と、季語が二つの「季重なり」の句で、さらに、「句切れ」からすると、「二句切れ」(二句一章体)とも、「句切れなし」(一句一章体)の句とも取れる、独特の構成を有している句とも言える。
「句切れ」(「ウィキペディア」)
露霜に・手を合(せ)たる・紅葉哉/ (「句切れなし」)
また、季語の働きからすると、「二句切れ」でも、「句切れなし」でも、下五の「紅葉」が、主たる季語で、上五の「露霜」は、それを補完する、従たる季語ということになろう。
「句意」は、「『露霜』が一面を白覆っている。それは、忽然と亡くなった『駒宮如岡』が、姿を変えて現れたようにも思われる。しみじみと合掌し、在りし日の『駒宮如岡』を追悼する。眼を転ずれば、ことごとく、『紅葉』の世界である。」
箕輪石川矦(候)口切出し
7-3 軒にけふはこび手前の時雨哉
「今戸箕輪・石川日向守の屋敷(「池波正太郎「「鬼平犯科帳」の短編「五月闇」)
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/323360
(例句)
一時雨礫や降て小石川 芭蕉「江戸広小路」
行雲や犬の欠尿(かけばり)むらしぐれ 芭蕉「六百番俳諧発句合」
草枕犬も時雨るかよるのこゑ 芭蕉「甲子吟行」
この海に草鞋(わらんぢ)捨てん笠時雨 芭蕉「皺箱物語」
新わらの出そめて早き時雨哉 芭蕉「蕉翁句集」
「口切り」(くちきり)/初冬。「その年の新茶を葉のまま陶器の壺に入れ、口を封じて保存する。冬にその封を切り、茶臼でひいて茶をたてる。口切の茶事として客を招いてふるまう。もっとも晴れがましい茶会として、しつらいや装いに気を配る。」(「きごさい歳時記」)
(例句)
口切に堺の庭ぞなつかしき 芭蕉「深川」
口切のとまり客あり峰の坊 太祗「石の月」
口切りや湯気ただならぬ台所 蕪村「落日庵句集」
口切りの庵や寝て見るすみだ河 几董「井華集」
口切りや寺へ呼ばれて竹の奥 召波「春泥発句集」
「口切り茶事ご案内状」
https://ameblo.jp/koisuruchakai/entry-12650644272.html
7-4 鷹の棲む山は霞むかとし樵
「鷹」(三冬)も「霞」(冬霞=三冬)も季語だが、ここは、「鷹が住む冬霞で茫々とした深山」の意で、「とし樵(年木樵)」(暮・仲冬)の補完的な用例である。
「樵夫蒔絵硯箱」(伝本阿弥光悦/江戸時代(17世紀)/一具 縦24.2㎝ 横23.0㎝ 総高10.1㎝/MOA美術館蔵)
https://www.moaart.or.jp/?collections=203
≪ 蓋の甲盛りを山形に高く作り、蓋と身の四隅を丸くとったいわゆる袋形の硯箱である。身の内部は、左側に銅製水滴と硯を嵌め込み、右側を筆置きとし、さらに右端には笄(こうがい)形に刳(く)った刀子入れを作る。蓋表には、黒漆の地に粗朶を背負い山路を下る樵夫を、鮑貝・鉛板を用いて大きく表す。蓋裏から身、さらには身の底にかけて、金の平(ひら)蒔絵の土坡(どは)に、同じく鮑貝・鉛板を用いてわらびやたんぽぽを連続的に表し、山路の小景を表現している。樵夫は、謡曲「志賀」に取材した大伴黒主を表したものと考えられる。樵夫の動きを意匠化した描写力や、わらび・たんぽぽを図様化した見事さには、光悦・宗達合作といわれる色紙や和歌巻の金銀泥(きんぎんでい)下絵と共通した趣きがみられる。また、鉛や貝の大胆な用い方や斬新な造形感覚からは、光悦という当代一流の意匠家が、この制作に深くかかわっていることが感じられる。原三渓旧蔵。≫
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