日曜日, 11月 08, 2026

「胸形變板画巻(『惜命板画柵』)」(石田波郷句・棟方志功板画)管見(三十五)~(三十七)

 「胸形變板画巻(『惜命板画柵』)」(石田波郷句・棟方志功板画)管見(三十五)~(三十七)

その三十五 業苦(ごうく)呼起す未明の風鈴は 


業苦(ごうく)呼起す未明の風鈴は.jpg


「棟方志功全集 第5巻 (詩歌の柵 1)」(「国立国会図書館デジタルコレクション」)所収「胸形變板画巻」
https://dl.ndl.go.jp/pid/12748150/1/121

 季語は、「風鈴」(三夏)。この上五の「業苦(ごうく)」は、佛語の「過去に行った悪業(あくごう)のために、現世で受ける苦しみ」の意なのであろう。「未明」は、「夜がすっかりとは明けきらない時分」の意であるが、作者(波郷)の作意は、「未明=午前零 時から午前三 時頃まで。 明け方=午前三 時頃から午前六 時頃まで」の、「夜とも朝とも思われる未明に」の意のように解したい。句意は、「夜とも朝とも思われる未明に、季節外れの風鈴が、チリンチリンと鳴っている。その、未明の風鈴の音は、成形手術後の、肋(あばら)切った、その胸部の傷痕の、その業苦(ごうく)を呼び起こすのである。」
 この「業苦(ごうく)」は、波郷が、十九歳時期に、「馬酔木」の巻頭句となった、そのデビュー作の、「秋の暮業火(ごうか)となりて秬(きび)は燃ゆ」の、その「仏語」の「業火(ごうか)」(「地獄の罪人を焼く猛火。転じて、はげしい火、炎。」・「身を滅ぼす悪業を火にたとえていう語。」)と、これは、やはり、その根っ子の、「業苦(ごうく)・業火(ごうか))」と連動しているものと解して差し支えなかろう。

(参考一) 「風鈴(三夏)」周辺

[ 風鈴(ふうりん)三夏
【子季語】 風鈴売
【解説】 夏、その涼を聞いて涼を得るための小さな鐘のことである。なかに風鈴を鳴らす金属製の舌があり、その舌につるした短冊が風に吹かれて、チリンチリンと鳴る。金属のほかガラス、陶器などで作ったものがあり、音色も形も素材により様々である。鉄は南部風鈴、ガラスは江戸風鈴が有名。 ](「きごさい歳時記」)
【例句】

https://fudemaka57.exblog.jp/26108917/

業苦呼起す未明の風鈴は     石田波郷『惜命』(昭和二十四年作)
風鈴の肋を打つて鳴りいでぬ   石田波郷『惜命』(昭和二十四年作)
姿見に見ゆる風鈴鳴りにけり   水原秋櫻子『葛飾(昭和五年刊)』
風鈴の荷に川風や橋の上     水原秋櫻子『葛飾(昭和五年刊)』
風鈴や船乗込の噂して      水原秋櫻子『蘆雁(昭和十四年刊)』
五十まりの風鐸(ふうたく)寂びつ薄紅葉 水原秋櫻子『緑雲』(昭和四十五年作)
冬の風鈴ただ一息の今年なりし  中村草田男
野の軒の風鈴の音や世の広さ   中村草田男
風鈴の短冊切れし女等居て    中村草田男
風鈴や自店に無かりしものを詫ぶ 中村草田男
風鈴や角家朗らに棲めるらし   中村草田男
焼跡の葎の一つ風鈴鳴る     加藤秋邨         ]

「 「水原秋櫻子と石田波郷」周辺

業苦呼起す未明の風鈴は     石田波郷『惜命』(昭和二十四年作)
風鈴の肋を打つて鳴りいでぬ   石田波郷『惜命』(昭和二十四年作)
姿見に見ゆる風鈴鳴りにけり   水原秋櫻子『葛飾(昭和五年刊)』
風鈴の荷に川風や橋の上     水原秋櫻子『葛飾(昭和五年刊)』
風鈴や船乗込の噂して      水原秋櫻子『蘆雁(昭和十四年刊)』
五十まりの風鐸(ふうたく)寂びつ薄紅葉 水原秋櫻子『緑雲』(昭和四十五年作)

 掲出の「業苦呼起す未明の風鈴は」の句は、同時の作と思われる「風鈴の肋(あばら)を打つて鳴りいでぬ」との連作の一つとすると、その句意は鮮明となってくる。
 この句は、「秋櫻子・草田男・楸邨」の「風鈴」の句などの、波郷の「臨書(お手本)」の句ではなく、若き日の己のデビュー時の、「秋の暮業火(ごうか)となりて秬(きび)は燃ゆ」(昭和六年・十九歳)の、その原点に立ち戻っての、「己の俳諧(俳句)」を、日々反芻しながら、それらを「臨書(お手本)」としての、昭和二十四年(三十七歳)の、「生死わ彷徨っている」頃の『惜命』の句ということになる。

秋の暮業火(ごうか)となりて秬(きび)は燃ゆ(昭和六年・十九歳)
業苦(ごうく)呼起す未明(みめい)の風鈴は (昭和二十四年・三十七歳)

 この両句を並列すると、「業火(ごうか)」と「業苦(ごうく)」、「秋の暮(夕暮れ)」と「未明(朝まだき)」、そして、「秬(きび)は燃ゆ」(視覚の世界)と、「風鈴は」(聴覚の世界)との、その見事な、「臨書の名手・波郷」の、その「臨書」(お手本)の、その「俳諧(俳句)」の、その骨法を見る想いが去来してくる。

 ここで、石田波郷が亡くなった、昭和四十四年(一九六九・波郷・五十六歳、秋櫻子・七十八歳)十二月二十一日の、秋櫻子の追悼句を、下記に掲げたい。

鶴とほく翔(た)けて返らず冬椿  『緑星(昭和四十四年)』(「石田波郷君を悼む」)
梅玉(ばいぎょく)を継ぐは誰ぞや近松忌  (同上)
巣林子(そうりんし)まつる香炉にむかひけり(同上)

 この一句目は、秋櫻子の、これが、「己『馬酔木』の、その直門の石田波郷『鶴』」、その全うなる追悼句ということになろう。
 そして、二句目の、この「梅玉(ばいぎょく)を継ぐは誰ぞや近松忌」の句は、秋櫻子は、波郷の、己(秋櫻子)の側近になった、波郷(『風切・昭和十八年刊』・三十一歳)の、波郷の、次の一句を想起してのもののようにも思われる。

夕月に湯屋開くなり近松忌 (波郷(『風切・昭和十八年刊』・三十一歳))

 この波郷の「近松記」の句に関しては、波郷の終生の師となる、水原秋櫻子第一句集『葛飾(水原秋櫻子・昭和五年刊)』所収の、次の二句などを「臨書」(お手本)としての、所謂、挨拶句という雰囲気を有している。

夕月のたへにも繊き案山子かな 『葛飾(水原秋櫻子・昭和五年刊)』→(夕月の)
傀儡にも座設けしたり近松忌  『葛飾(水原秋櫻子・昭和五年刊)』→(近松忌)

 秋櫻子は、波郷が亡くなった、昭和四十四年十一月二十一日(享年、五十六歳)に、次の追悼句を奉げている。

鶴とほく翔けて返らず冬椿 『緑星(昭和四十四年)』(「石田波郷君を悼む」)
梅玉(ばいぎょく)を継ぐは誰ぞや近松忌  (同上)
巣林子(そうりんし)まつる香炉にむかひけり(同上)

 この一句目の「鶴」は、波郷の主宰誌の名であり、この「冬椿」の「椿」は波郷の愛した植物名であり、さらに、「鶴帰る」(春の季語)の「帰る」を「替える」と転回しての、秋櫻子らしい、目配りの届いた、端正な、格調のある追悼句ということになる。
 そして、この二句目の、季語の「近松忌(仲冬)」(【子季語】巣林子忌/巣林忌 【解説】陰暦十一月二十二日。浄瑠璃、歌舞伎脚本作者近松門左衛門の忌日。「曽根崎心中」など世話物にすぐれた作品が多い。芭蕉、西鶴と共に元禄三文豪の一人と称された)、これは、波郷が亡くなった、「十一月二十一日」の、その翌日の「十一月二十二日」を意味しており、さらに、この「梅玉(ばいぎょく)」は、近松門左衛門の「『心中天網島・紙治』のおさん」などを演じた、「三代目・中村梅玉(明治八年)一月十四日~(昭和二十三年)三月十八日))
のようにも解せられる。

「又平とお徳」.jpg

「又平とお徳」(六代目尾上菊五郎の又平と三代目中村梅玉のお徳、昭和14年5月歌舞伎座『傾城反魂香』「土佐将監閑居の場」より)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%82%BE%E5%9F%8E%E5%8F%8D%E9%AD%82%E9%A6%99

 上記の『傾城反魂香(けいせい はんごんこう)』は、「通称「吃又」(どもまた)がよく上演される。元は近松門左衛門作の人形浄瑠璃」に由来するものである。
 この「吃又」(どもまた)が、{水原秋櫻子}とすると、この「お徳」は、「石田波郷」ということになる。
 その「反魂香」の由来は、「中唐の詩人・白居易の著した『李夫人詩』に記された「反魂香」の故事に基づいたもの。前漢の武帝は亡くした李夫人を偲ぶことしきりだったので、あるとき道士に霊薬をつくらせてその香を焚いてみると、はたして彼女の魂が反ってきたかのように李夫人の姿が煙の内に見えたという。」ということが、その背景に宿しているのである。
 この「白居居(李白・李太白)」の「「反魂香」の故事関連のことが、秋櫻子の「石田波郷君を悼む」(「鶴」昭和四十五年二月石田波郷追悼号)の、その末尾に記されている。

[ むかし唐の李太白は酒を愛して多くの名死を生み、死んだ後には天上にかがやく星の一つとなった。今の世にこういう奇跡のおこる道理もないが、万一それがおこるとすれば、君(註・石田波郷)の場合が最も条件に叶っているような気がする。それほど君の天分は傑れており、君の人柄はおおらかであった。今ここに君と別れるに当り、私はそのことが、ひとしおつよく感じられて君を惜しむ思いをいよいよ深くするのである。 ]「石田波郷君を悼む」(「鶴」昭和四十五年二月石田波郷追悼号)

  ここで、上記の三句目の、「巣林子(そうりんし)まつる香炉にむかひけり」の句は、その波郷が亡くなった、その「十一月十一日」の、その翌日の、「近松忌・巣林子忌」(十一月十二日)に、「近松門左衛門」の、その「ドラマ」(歌舞伎)のように、吾が最愛の「伴侶(側近・その妻「お徳」)」の、「その香炉(霊前)」にむかひけり」ということになる。


(参考二) 水原秋櫻子の「近松忌」周辺

 波郷が亡くなった昭和四十四年に、「石田波郷君を悼む」との前書を付して、次の三句を呈している。

鶴とほく翔(た)けて返らず冬椿  『緑星(昭和四十四年)』(「石田波郷君を悼む」)
梅玉(ばいぎょく)を継ぐは誰ぞや近松忌  (同上)
巣林子(そうりんし)まつる香炉にむかひけり(同上

 この二句目の「梅玉(ばいぎょく)を継ぐは誰ぞや近松忌」の、この「梅玉(ばいぎょく)」と「近松忌」の措辞の配合は、『晩華』(昭和三十九年刊)所収の「昭和三十六年」の「近松忌」と題する七句の内の二句目の、次の句と全く同じものである。

梅玉も逝きけるあとの近松忌 『晩華』(昭和三十六年)

 この「梅玉」こと歌舞伎の女形役者の名手「三代目・中村梅玉」が亡くなったのは、昭和二十三年(一九四八年)三月で、この年の二月に、石田波郷が、「馬酔木」の同人に復帰し、同時に、波郷の「鶴」門の「石塚友二・石川桂郎・中村金鈴」等も同人として参加し、その前年に、「馬酔木」退会した「山口誓子・橋本多佳子・山口波津女」等を、波郷一門が引き継ぐように、その前面に出てきた、「秋櫻子・波郷」にとっては、忘れ得ざる年でもあった。
 秋櫻子の「近松忌」関連の初出の句は、その第一句集『葛飾』(昭和五年刊)の、次の句などであろう。

傀儡(くぐつ)にも座設けしたり近松忌 『葛飾(水原秋櫻子・昭和五年刊)』

 この「傀儡(くぐつ)」は、人形浄瑠璃の「あやつり人形」のことで、それと「近松忌」との配合ということになる。この句などが、恐らく、秋櫻子門で、この秋櫻子俳句を「臨書」(お手本)として、石田波郷の「鶴」を主宰した頃の、次の傑作句が誕生したように思われる。

夕月に湯屋(ゆや)開くなり近松忌   『風切(波郷・昭和十八年刊』)

 即ち、石田波郷にとっても「近松忌」は、忘れ得ざるものであり、謂わば、この「近松忌」というのは、「秋櫻子(師)・波郷(弟)」の「師弟交遊・交歓の季題(季語)」と称しても、それほど飛躍した見方でもなかろう。
 事実、秋櫻子の最晩年の句集『餘生(昭和五十二年刊・八十六歳時)』所収の「昭和四十七年」に「近松忌」とだいして、次の七句が呈されている。

大近松まつる香煙こもりけり 餘生(昭和五十二年刊)』所収「昭和四十七年(近松忌)」  
絵すがたは誰(た)が筆ならむ近松忌  (同上)
鐘の声稀にきく世や近松忌      (同上)
大阪に中座のこるや近松忌引     (同上)
巣林子まつる香炉をさだめあり    (同上)
巣林子まつるに不参無かりけり    (同上) 
浅酌(せんしやく)の四五子のこるや近松忌 (同上)

 秋櫻子は、この『餘生』刊行後に、『蘆雁(昭和五十四年刊)』と、『水原秋櫻子全集(全二十一巻)』を世に問うて、昭和五十六年(一九八一年)七月十七日に、その八十九年の生涯を閉じることになる。
そして、この「秋櫻子(師)・波郷(弟)」との「師弟交遊・交歓の季題(季語)」の、この「近松忌」に関しては、そのまとまったものは、上記の『餘生(昭和五十二年刊・八十六歳時)』の七句が、絶吟のものと解しても、これまた、差し支えなかろう。
 ここで、下記アドレスの「近松忌」の例句を、「秋櫻子(師)・波郷(弟)」の「師弟交遊・交歓の季題(岸田稚魚季語)」として、「馬酔木」(秋櫻子・波郷・藤田湘子)、「鶴」(石田波郷・鈴木真砂女・岸田稚魚)、そして、「天狼」(山口誓子)、「浜」(大野林火)、「氷海」(秋元不死男)、そして、「杉」(森澄雄)のなどのものを抜粋して置きたい。

(例句・抜粋)

https://fudemaka57.exblog.jp/26659223/#goog_rewarded

夕月に湯屋開くなり近松忌    石田波郷 『風切』
傀儡にも座設けしたり近松忌   水原秋桜子『葛飾』
心中の花道くらし近松忌     水原秋桜子
梅玉も逝きけるあとの近松忌   水原秋櫻子『晩華』
大近松まつる香煙こもりけり   水原秋櫻子『餘生』
大阪に中座のこるや近松忌    水原秋櫻子『餘生』
浅酌の四五子のこるや近松忌   水原秋櫻子『餘生』
絵すがたは誰が筆ならむ近松忌  水原秋櫻子『餘生』
鐘の声稀にきく世や近松忌    水原秋櫻子『餘生
曽て世の男女の情や近松忌    山口誓子
さかりばに鉄骨立てり近松忌   山口誓子
近松忌大阪にあり鳩と睦み    大野林火『方円集・昭和五十年』
こちら向く灯の顔や近松忌    藤田湘子
枯れきれぬ柳の愁ひ近松忌    鈴木真砂女『夕螢』
近松忌しのび泣きもす女とは   鈴木真砂女『居待月』
鏡台の塗りの剥落近松忌     鈴木真砂女『都鳥』
爪剪つてもらふ甘えや近松忌   鈴木真砂女
近松忌しのび泣きもす女とは   鈴木真砂女
午すぎの鶏鳴くや近松忌     岸田稚魚『負け犬』
肥船をネオン粧ふ近松忌     秋元不死男
鳰どりも鴎もこゑの近松忌    森澄雄『空艪』
わが家にをみなごゑあり近松忌  森澄雄
心中より殺しの平成近松忌    森澄雄
旅にゐて装黒づくめ近松忌    森澄雄
老いは色恋の湯ざめや近松忌   森澄雄
老ふたり鯛焼食べて近松忌    森澄雄
藪柑子龍の玉あり近松忌     森澄雄
見に出でし落葉月夜や近松忌   森澄雄
近松忌母を母上母者人      森澄雄
鳰どりも鴎もこゑの近松忌    森澄雄
雪山の夜も聳えをり近松忌    森澄雄


(参考三) 水原秋櫻子の「波郷忌」周辺

 波郷が亡くなった翌年の、昭和四十五年(一九七〇)の梅雨時に、秋櫻子は、五十崎古郷(「馬酔木」独立時の同人・波郷の師)と波郷の生地の四国・松山を訪問して、「師弟の碑」と題して、七句を、その系列第十八句集『緑雲』の巻末に収載している。
 その内の三句は、次のものである。

畑の花黄にむらさきに梅雨くらし 『緑雲(昭和四十六年)』(「松山、余戸」)
月見草うち伏すまゝに丘の雨   『同上』(「波郷君墓畔」)
梅雨ふかき吹降りに拝む師弟の碑 『同上』(五十崎邸句碑)

 秋櫻子の、五十崎古郷と波郷の生地の四国・松山を訪れたのは、これが二回目、その一回目は、昭和二十五年(一九五〇)で、その時の三句を掲載すると次のとおりである。

巨き犬立ち迎へたる五月闇 『残照(昭和二十七年)』(夜更けて道後温泉着)
樗さけり古郷波郷の邑(むら)かすむ 『同上』(二十六日朝、松山市城山に登る)
夏服の若人がつたふ面影を『同上』(五十崎朗君にあふ、相見るを得ざりし古郷君を偲びて)

この年(昭和二十五)に、波郷は、東京療養所を退所し、六月に第五句集『惜命』を刊行する。また、その十月に、秋櫻子の、戦後の代表的な、第十句集『霧林』が刊行され、その「巻末に」(跋文)の末尾に、「馬酔木同人である石田波郷、石川桂郎、藤田湘子の三君には、原稿の清記、校正の仕事を担当してもらった」(秋櫻子記)と、波郷が、この刊行の一役を担っている。
その二年後に刊行された、秋櫻子の第十一句集『残照』の「巻末に」(跋文)の末尾にも、「この集は、私の信頼する二人の手によって出来上がる.紙質の選定、割付け、校正等の仕事は石田波郷君の担当。装幀、製本等の仕事は池上浩山人の担当。著者としてはこれで全く申分のないことである」(秋櫻子記)との、秋櫻子の波郷への全面的な信頼がいかに深かったのかが覗える。
因みに、この一句目の、秋櫻子の「巨(おお)き犬」の「巨(おお)き」の措辞は、波郷が
没する一年前(昭和四十三年)の、秋櫻子の病床の波郷をお見舞いの、次の返礼の句などにおいて、あたかも、この秋櫻子の措辞が、二人の交歓の証しの措辞のように用いられている。

巨(おお)き掌(て)を賜ひ新茶を賜ひけり『酒中以後(波郷・昭和四十三年)』(「水原先生)
巨(おお)き掌(て)をわれに賜ひぬ白菖蒲『同上』(『水原先生再び』) 

 そして、二句目の、秋櫻子の、「師(秋櫻子)弟(五十崎古郷・石田波郷)句碑」となっている句は、古郷と波郷の生地に、下記(補記参考)のとおり建立されている。

(補記参考)

樗さけり古郷波郷の邑(むら)かすむ.jpg

「樗(おうち)さけり古郷波郷(こきょうはきょう)の邑(むら)かすむ (水原)秋桜子」
http://www.haiku-matsuyama.jp/josai/430/
[副碑に「由来」として
  馬酔木派俳句の主宰水原秋桜子先生が昭和二十七年五月御来松の砌、松山城から馬酔木派同人五十崎古郷及び石田波郷の生地を展望されて詠まれた俳句である。昭和戊辰六十三年五月建之
とある。この句碑は、秋桜子にとって県下で唯一の碑である。
 水原秋桜子は、本名は豊、別号を「喜雨亭」という。学生時代、高浜虚子の文学に刺激を受け、研鑽を重ね「ホトトギス」課題句の選者となるが、「主観写生」を提唱し虚子と対立、決別していった。
 五十崎古郷は、伊予郡余土村(現松山市余戸中)に生まれた。本名は修。松山高校を結核で中退、療養のうちに昭和3年頃から水原秋桜子に師事し、本格的に句作に没頭した。秋桜子が「ホトトギス」を離脱、「馬酔木」を発足させたとき、門弟石田波郷とともに「馬酔木」に移り、昭和8年、第一期の同人となり、「松山馬酔木会」を結成、翌9年、「渦潮」を創刊、地方俳壇の振興に努めた。
 石田波郷は、垣生村西垣生(現松山市西垣生町)に生まれた。古郷に師事、古郷を通じて秋桜子門下となり、昭和7年上京、「馬酔木」の編集にたずさわり秋桜子門の重要メンバーとなる。」

 ここで、上記の「月見草うち伏すまゝに丘の雨」(『緑雲・昭和四十六年・「波郷君墓畔」』)
の句は、四国・松山の「石田家墓畔」での作で、波郷が葬られている「波郷墓碑」は、調布市の深大寺に在り、その境内には、「石田波郷(「鶴」初代主宰)句碑(吹き起る秋風鶴を歩ましむ)」と「星野麦丘人(「鶴」三代目主宰)句碑(草や木や十一月の深大寺)」との、「師(石田波郷)・弟(星野麦丘人)句碑」なども建立されている。
 この深大寺は、波郷と「鶴」連衆が、しばしば吟行した、波郷所縁の深い寺であり、例えば、『春嵐(昭和三十一年)』の末尾の作に、次の「深大寺」との前書のある二句が収載されている。

啄みてただ秋陰の烏骨鶏    『春嵐(波郷・昭和三十一年・「深大寺」)』
鵙ひびく深大寺蕎麥冷えにけり 『同上』

 そして、恐らく、波郷の三周忌追悼句会でのものと思われる、昭和四十六年(一九七一年・八十歳)時の、秋櫻子の「深大寺波郷忌」との前書のある四句が、その第十九句集『餘生』に収載されている。

波郷忌の霜晴まぶし朝寝して 『餘生(秋櫻子・昭和四十六年・「深大寺波郷忌 四句」) 』
波郷忌や富士玲瓏(れいろう)の道行きて (『同上』)
波郷忌や白鳳佛の厨子(ずし)かがよひ  (『同上』)
波郷忌の散華まひつつ了りけり     (『同上』)

[ 「波郷忌(はきょうき、はきやうき)初冬
【子季語】 忍冬忌、風鶴忌、惜命忌
【解説】 十一月二十一日。俳人石田波郷の忌日。大正二年松山市生まれ。上京して「馬酔木」編集部に入って秋櫻子の知遇を得る。昭和十二年「鶴」創刊主宰。戦後は胸部疾患のため療養生活を送り、昭和四十四年没。五十六歳。墓は東京深大寺にある。](「きごさい歳時記」)

【例句】

https://fudemaka57.exblog.jp/22924219/
https://fudemaka57.exblog.jp/26406060/

波郷忌や富士玲瓏の道行きて    水原秋櫻子『餘生』(「鶴・初代主宰=波郷」の師)
群青の空あたゝかに波郷の忌    石塚友二「鶴」(二代主宰)
波郷忌のくるまで柿は食はぬこと  星野麥丘人「鶴」(三代主宰)
波郷忌やかの日は二十七のわれ   鈴木しげを「鶴」(四代主宰)
波郷忌のはや暮れなづむ実むらさき  石田あき子(「波郷夫人・「馬酔木」同人)
波郷忌のほど好き燗となりにけり   水原春郎(秋櫻子「馬酔木」二代主宰)
波郷忌のけふも短き日なりけ   百合山羽公「寒雁」(「馬酔木」独立時同人)
波郷忌の風の落ちこむ神田川   秋元不死男(「秋櫻子・誓子・波郷」)
波郷忌の香港に酒つつしまず   森澄雄(「楸邨・波郷)」)
波郷忌の首を据ゑたる夕景色   藤田湘子(「秋櫻子・波郷」)
今にして切字にまよふ風鶴忌   能村登四郎(「秋櫻子・波郷」)
八つ手咲き遺書書かざりし波郷の忌 村山故郷(「秋櫻子・波郷」)
末枯を大足で来る波郷の忌    林翔(「秋櫻子・波郷」)
日本海見し日の短か波郷の忌   古沢太穂(「楸邨・波郷)」)
波郷忌の家にここだの恋椿    角川源義『西行の日』(「蛇笏・波郷」)
波郷忌の柿をしづかに見つめゐる 角川春樹『夢殿』(源義・波郷・澄雄)
波郷忌や踏んで木の実の鳴る音も 飯田龍太(蛇笏・波郷)」)
杉山に波郷忌の雲あそびをり   原裕『青垣』(「石鼎・波郷」)
母とゐて言慎めり波郷の忌    五十崎朗(五十崎古郷・波郷」)
波郷忌のちかづく「卯波」がよひかな 上田五千石『琥珀』(「不死男・波郷」)
波郷忌や波郷好みの燗つけて   鈴木真砂女『夕螢』(「鶴)」・「卯波」の女将)
大股に波郷忌の来る風の音    殿村菟絲子『晩緑』」(「鶴)」)
波郷忌のやさしき霜にまづ跼む  山田みづえ『木語』(「鶴)」)
波郷忌や風呂吹に箸あそばせて  小林康治(「鶴」)
こゝろ矯めきて波郷忌の冬暖し  杉山岳陽(「鶴」)
賜はりし遺愛の徳利波郷の忌   牛山一庭人(「鶴」)
まみどりの落葉も雨に風鶴忌   八木林之介『青霞集』(「鶴」)
水霜の波郷忌もまた憂かりけり  草間時彦『櫻山』(「鶴」)
桂郎忌の枯木波郷忌の枯木中   斎藤玄『雁道』(「鶴」)
波郷忌や朝の雨とは水に降り   石田勝彦『秋興』(「鶴」)
目薬の一滴波郷忌が近し     鈴木鷹夫(「鶴」)
波郷忌の秋桜子先生のあとに蹤き 岸田稚魚『筍流し』(「鶴」)


(参考四) 「水原秋櫻子句集」周辺

一 『葛飾』(馬酔木発行所、1930年)(大正八年~昭和五年・四季別)(「序」=主観写生)
二 『新樹』(香蘭社、1933年)(昭和六年~昭和八年) (「付記」=「窓秋」デザイン)
三 『秋苑』(龍星閣、1935年)(昭和八年~昭和十年)(昭和九年=秋櫻子「馬酔木」主宰)
四 『岩礁』(沙羅書店、1937年)(昭和十年~昭和十二年)(窓秋・辰之助「馬酔木」退会)
五 『蘆刈』(河出書房、1939年)(昭和十三年~昭和十四年)(波郷・楸邨「馬酔木」編集)
六 『古鏡』(甲鳥書林、1942年)(昭和十五年~昭和十六年)(「京大俳句事件」)
七 『磐梯』(甲鳥書林、1943年)(昭和十七年~昭和十八年)( 波郷・楸邨「馬酔木」退会)
八 『重陽』(細川書店、1948年)(昭和十八年~昭和二十二年)(「大日本言論報国会」)
九 『梅下抄』(武蔵野書店、1948年)(四季別・「誓子・多佳子=「馬酔木」退会」)
十 『霜林』(目黒書店、1950年)(昭和二十三年~昭和二十五年)(波郷「馬酔木」復帰)
十一『残鐘』(竹頭社、1952年)(昭和二十五年~昭和二十七年)(波郷「惜命」)  
十二『帰心』(琅玕洞、1954年)(昭和二十七年~昭和二十九年))(波郷「水原秋櫻子句集」)
十三『玄魚』(近藤書店、1957年)(昭和二十九年~昭和三十一年)(波郷「石田波郷全集」)
十四『蓬壺』(近藤書店、1959年)(昭和三十二年~昭和三十三年)(「馬酔木」四百号)
十五『旅愁』(琅玕洞、1961年)(昭和三十四年~昭和三十五年)(波郷「朝日俳壇選者」) 
十六『晩華』(角川書店、1964年)(昭和三十六年~昭和三十八年)(「俳人協会」発足)
十七『殉教』(求龍堂、1969年)(昭和三十九年~昭和四十三年)(秋櫻子「日本芸術院賞」)
十八『緑雲』(東京美術、1971年)(昭和四十三年~昭和四十六年)(昭和四十三年=波郷没)
十九『餘生』(求龍堂、1977年)(昭和四十六年~昭和四十九年) (「馬酔木」五十周年)
二十『蘆雁』(東京美術、1979年)(『餘生』以後~)(秋櫻子=昭和五十六年七月十七日没)

「一 『葛飾』」~「十九『餘生』」

『葛飾 (馬酔木叢書 ; 第4編)』
https://dl.ndl.go.jp/pid/1174077

水原秋桜子全集 第1巻 (句集 1)
https://dl.ndl.go.jp/pid/12538658

水原秋桜子全集 第2巻 (句集 2)
https://dl.ndl.go.jp/pid/12538659

水原秋桜子全集 第3巻 (句集 3)
https://dl.ndl.go.jp/pid/12538660

水原秋桜子全集 第4巻 (句集 4)
https://dl.ndl.go.jp/pid/12538661

『水原秋桜子全集 第5巻 (句集 5)』
https://dl.ndl.go.jp/pid/12538662

水原秋桜子全集 第6巻 (俳論)
https://dl.ndl.go.jp/pid/12538663

水原秋桜子全集 第7巻 (作家論)
https://dl.ndl.go.jp/pid/12538665

水原秋桜子全集 第8巻 (日記)
https://dl.ndl.go.jp/pid/12538666

水原秋桜子全集 第9巻 (鑑賞 1)
https://dl.ndl.go.jp/pid/12538667

水原秋桜子全集 第10巻 (鑑賞 2)
https://dl.ndl.go.jp/pid/12538668

水原秋桜子全集 第11巻 (鑑賞 3)
https://dl.ndl.go.jp/pid/12538669

水原秋桜子全集 第12巻 (芸術論)
https://dl.ndl.go.jp/pid/12538670

水原秋桜子全集 第13巻 (自句自解)
https://dl.ndl.go.jp/pid/12538671

水原秋桜子全集 第14巻 (入門、吟行、添削)
https://dl.ndl.go.jp/pid/12538672

水原秋桜子全集 第15巻 (俳句作法)
https://dl.ndl.go.jp/pid/12538673

水原秋桜子全集 第16巻 (随筆 1)
https://dl.ndl.go.jp/pid/12538674

水原秋桜子全集 第17巻 (随筆 2)
https://dl.ndl.go.jp/pid/12538675

水原秋桜子全集 第18巻 (紀行)
https://dl.ndl.go.jp/pid/12538676

水原秋桜子全集 第19巻 (自伝回想)
https://dl.ndl.go.jp/pid/12538677

水原秋桜子全集 第20巻 (古典研究 1)
https://dl.ndl.go.jp/pid/12538678

水原秋桜子全集 第21巻
https://dl.ndl.go.jp/pid/12538679

「二十『蘆雁』」

「水原秋櫻子研究 : その俳句形成過程について」(「野中亮介」稿)
https://catalog.lib.kyushu-u.ac.jp/opac_download_md/2534370/scs0294.pdf

「淡き筋ぞよき---水原秋櫻子の晩年」(「平井照敏)」稿)
http://taka.no.coocan.jp/a5/cgi-bin/dfrontpage/FUDEMAKASE3/bannensyuuousi.PDF


その三十六 病者より痩せしかぐろき小鰺売り

病者より痩せしかぐろき小鰺売り.jpg

「棟方志功全集 第5巻 (詩歌の柵 1)」(「国立国会図書館デジタルコレクション」)所収「胸形變板画巻」
https://dl.ndl.go.jp/pid/12748150/1/122

 季語は「小鯵売(り)」(三夏)。「かぐろき」は「万葉集」由来の措辞(「かぐろき髪にいつの間か霜の降りけむ(万葉集・八〇四)」)の「黒々としている」の意。句意は、「病床で臥せている病室に、小鯵売りがやって来る。この小鯵売りは、病者の吾らよりも痩せているが、弱弱しい白き病者よりも、黒々と健康体で、それが何とも羨ましいことよ。」
 この句は、当時、波郷が、入退院を繰り返していた「国立東京療養所」(「北多摩郡清瀬村」)の、その「炊事小屋」(「付添婦や見舞いに来た家族・患者たちが給食の栄養不足を補うため煮焚きしていた「荒屋(あばらや)」を背景にしての一句と解すると、その句意が、より鮮明になって来る。
 これらのことは、下記アドレスの、「石田波郷1、2 、3 、4」の、当時の「国立東京療養所」関連のものを見て行くと、さらに、その鮮明さが増して来る。

<石田波郷 1. 東京療養所南七寮六番室>
https://www.city.kiyose.lg.jp/bunkasportskankou/rekishi/shishi/1009191/1009879/1009251.html

<石田波郷 2. 胸形変・惜命>
https://www.city.kiyose.lg.jp/bunkasportskankou/rekishi/shishi/1009191/1009879/1009394.html

<石田波郷 3. 清瀬村>
https://www.city.kiyose.lg.jp/bunkasportskankou/rekishi/shishi/1009191/1009879/1009486.html

<石田波郷 4. 故郷のごとき療養所>
https://www.city.kiyose.lg.jp/bunkasportskankou/rekishi/shishi/1009191/1009879/1009492.html

東京療養所.jpg

(図版)東京療養所鳥瞰図 国立病院機構東京病院所蔵


(参考一) 「鯵(あじ、あぢ)三夏」周辺

[【子季語】 真鯵、室鯵、小鯵、鯵釣、鯵売
【関連季語】 沖膾
【解説】 梅雨のころ旬を迎える海洋魚。鯖、鰯と並ぶ大衆魚である。代表的な料理「鰺のたたき」は漁師料理の沖膾から始まったとされる。沖膾は、漁師が獲ったばかり魚をその場で料理して食べるというもの。ほかに刺身、塩焼き、フライ、干物などにして食す。
【来歴】 『毛吹草』(正保2年、1645年)に所出。](「きごさい歳時記」)

【例句】(抜粋)

https://fudemaka57.exblog.jp/22740267/

病廊を来たる跣足の小鰺売     石田波郷
桐の実や干鯵をまた乾かさむ    石田波郷
小鯵売虹にそむきて行きにけり   五十崎古郷『五十崎古郷句集』
鰺干すや松葉牡丹のかたへより   水原秋櫻子
鯵の鮨つくりなれつつ鳳仙花    水原秋櫻子
鰺ずしの酢のききすぎし暑さかな  水原春郎
鯵くふや夜はうごかぬ雲ばかり   加藤楸邨
売聲の小鰺に暮れて浦の秋     石塚友二
喰ひ剰し小鯵を棄てよ看護妻    石川桂郎『含羞』
椎若葉小鯵一尾もありがたし    志摩芳次郎
坂がかり夕鰺売りの後に蹤く    能村登四郎
松風や朝寒顔の小鰺売り      村山古郷
小鯵売母にかよひて小胸つく    杉山岳陽『晩婚』
小鰺らが寄る道の辺の恋の漁夫   藤田湘子
旅一つのがせし鰺を叩きけり    鈴木真砂女
酢をくぐる小鯵の肌や夕時雨    鈴木真砂女

 「石田波郷」と、その主宰誌「鶴」を知る上で、上記の俳人の方々は、その生涯にわたる「師・友」の面々ということになろう。殊に、「石塚友二(「鶴」編集・俳人・作家)・石川桂郎(「俳句研究」編集・俳人・作家)・志摩芳次郎(「現代俳句」「俳句」編集・俳人・評論)」の、この三人は、陰に陽に「石田波郷」を支え続けた、その盟友ともいうべき存在であったということも付記して置きたい。


(参考二) 『石田波郷全集』周辺

石田波郷全集 第1巻 (俳句 1)
https://dl.ndl.go.jp/pid/12485902

石田波郷全集 第2巻 (俳句 2)
https://dl.ndl.go.jp/pid/12485903

石田波郷全集 第3巻 (俳句 3)
https://dl.ndl.go.jp/pid/12485904

石田波郷全集 第4巻 (俳論)
https://dl.ndl.go.jp/pid/12485905

石田波郷全集 第5巻 (作家論)
https://dl.ndl.go.jp/pid/12485906

石田波郷全集 第6巻 (鑑賞 1)
https://dl.ndl.go.jp/pid/12485907

石田波郷全集 第7巻 (鑑賞 2)
https://dl.ndl.go.jp/pid/12485908

石田波郷全集 第8巻 (随想 1)
https://dl.ndl.go.jp/pid/12485909

石田波郷全集 第9巻 (随想 2)
https://dl.ndl.go.jp/pid/12485910

石田波郷全集 別巻 (拾遺・研究)
https://dl.ndl.go.jp/pid/12485911

石田波郷全集 第5巻 (作家論) (『石田波郷全集』全9巻・別巻1巻/「研究余録~全集目次総覧~」)

http://kenkyuyoroku.blog84.fc2.com/blog-entry-150.html


第5巻 作家論 1971.4.30
 
作家論‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 7
随筆的友二論‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 9
表紙なき手帳‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥16
夜雨の葛‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥22
寝待のベツド‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥25
長靴に腰埋め‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥29
秋桜子先生と私‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥33
螢谷夜行の句‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥42
「松風」‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥44
馬相以後‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥50
褐色の道‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥58
遠く高いもの‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥61
斎藤空華の手紙‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥64
秋桜子と「馬酔木」‥‥‥‥‥‥‥‥‥75
二者併用‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥85
友二登場‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥89
磯貝碧蹄館‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥96
石橋辰之助を偲ぶ‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 100
南山房‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 106
石川桂郎のこと‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 113
稚い芭蕉‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 117
句集評‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 126
海燕私記‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 127
「これやこの」書入れ‥‥‥‥‥‥‥ 150
霜林鑑賞‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 159
「霜林」‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 169
絵硝子の諸作‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 177
「帰心」‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 184
「水原秋桜子選集第3巻」 ‥‥‥‥ 194
「帰心」小感‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 210
漂泊の歌によせて‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 214
苺酒の味‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 218
「海彦」書き入れ‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 225
「年代別馬酔木巻頭句集」‥‥‥‥‥ 244
蘭を抱く人‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 252
蓬壷のほとり‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 259
同じ木の根に‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 266
「童顔」の前で‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 269
「晩華」礼讃‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 275
追悼記‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 279
古郷さんのこと‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 281
中尾白雨の死‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 284
塚原夜潮氏を悼む‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 286
高橋馬相について‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 287
たゞ一度‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 288
松本たかしを悼む‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 290
話はつゞく‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 292
石橋辰之助のこと‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 295
弔辞‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 300
飯田蛇笏の死をいたむ‥‥‥‥‥‥‥ 303
樫の実‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 305
野人麦草死す‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 308
序・跋集‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 313
金魚阿岐良「燈」序‥‥‥‥‥‥‥‥ 315
近藤有紀子「簪」序‥‥‥‥‥‥‥‥ 316
前橋多弦「石垣」序‥‥‥‥‥‥‥‥ 317
斎藤空華「空華句集」序‥‥‥‥‥‥ 319
高橋馬相「秋山越」序‥‥‥‥‥‥‥ 320
殿村莵絲子「絵硝子」跋‥‥‥‥‥‥ 323
小坂順子「野分」序‥‥‥‥‥‥‥‥ 324
杉山岳陽「晩婚」跋‥‥‥‥‥‥‥‥ 326
中西舗土「白服」序‥‥‥‥‥‥‥‥ 328
小林康治「四季貧窮」序‥‥‥‥‥‥ 329
清水基吉「寒蕭々」序‥‥‥‥‥‥‥ 331
小川一灯「一灯句集」序‥‥‥‥‥‥ 332
藤原款冬「国東」序‥‥‥‥‥‥‥‥ 334
川畑火川「凡医の歌」序‥‥‥‥‥‥ 336
藤田湘子「途上」跋‥‥‥‥‥‥‥‥ 338
越田禾城「匙」序‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 340
能村登四郎「咀嚼音」跋‥‥‥‥‥‥ 345
鬼頭文子「木靴」序‥‥‥‥‥‥‥‥ 347
寺田木公「白松」序‥‥‥‥‥‥‥‥ 350
田原千暉「車椅子」序‥‥‥‥‥‥‥ 353
角川源義「ロダンの首」跋‥‥‥‥‥ 356
相馬遷子「山国」跋‥‥‥‥‥‥‥‥ 360
沢聡「橇道」跋‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 368
石川桂郎「含羞」序‥‥‥‥‥‥‥‥ 372
上条筑子「千曲川」跋‥‥‥‥‥‥‥ 373
小坂順子「はしり梅」跋‥‥‥‥‥‥ 378
兼巻旦流子「刀架」跋‥‥‥‥‥‥‥ 381
石野兌「初蜩」序‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 386
坂牧周祐・坂牧しげ子「陶婚」序‥‥ 389
岸田稚魚「負け犬」序‥‥‥‥‥‥‥ 390
馬場移公子「峡の音」跋‥‥‥‥‥‥ 392
菅裸馬「玄酒」跋‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 398
堀口星眠「火山灰の道」跋‥‥‥‥‥ 402
山田文男「林の花」跋‥‥‥‥‥‥‥ 406
岩田昌寿「地の塩」序‥‥‥‥‥‥‥ 408
萩原麦草「麦嵐」序‥‥‥‥‥‥‥‥ 411
谷津龍之「母郷の河」序‥‥‥‥‥‥ 414
殿村莵絲子「路傍」序‥‥‥‥‥‥‥ 418
本間静心子「妻の匙」序‥‥‥‥‥‥ 421
村沢夏風「寒影」序‥‥‥‥‥‥‥‥ 425
今村俊三「鳩の頚」序‥‥‥‥‥‥‥ 426
立花豊子「黄帷子」跋‥‥‥‥‥‥‥ 431
戸川稲村「砂の塔」序‥‥‥‥‥‥‥ 435
小島忠郎「桑榾火」序‥‥‥‥‥‥‥ 439
本宮銑太郎「虎斑」序‥‥‥‥‥‥‥ 442
森総彦「贋福耳」序‥‥‥‥‥‥‥‥ 447
小沼弘二郎「木の実独楽」序‥‥‥‥ 449
末次雨城「農我武者羅」序‥‥‥‥‥ 452
山田碧江「父母の足袋」序‥‥‥‥‥ 455
宮田睦子「聖五月」序‥‥‥‥‥‥‥ 457
中島みさを「夏のれん」序‥‥‥‥‥ 459
萩原麦草「枯山仏」序‥‥‥‥‥‥‥ 463
山田みづえ「忘」序‥‥‥‥‥‥‥‥ 465
森田柳葉「五風十雨」序‥‥‥‥‥‥ 469
斎藤優二郎「磐石」序‥‥‥‥‥‥‥ 471
籏こと「命虔めり」序‥‥‥‥‥‥‥ 474
絵馬寿「千住」序‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 476
小野沙知子「えごの花」序‥‥‥‥‥ 477
近藤晴彦「晴彦百句集」序‥‥‥‥‥ 478
吉田北舟子「雪割燈」後記‥‥‥‥‥ 480
*解題(草間時彦)‥‥‥‥‥‥‥‥ 483


その三十七 野分あと口のゆるびて睡りをり

野分あと口のゆるびて睡りをり.jpg

「棟方志功全集 第5巻 (詩歌の柵 1)」(「国立国会図書館デジタルコレクション」)所収「胸形變板画巻」
https://dl.ndl.go.jp/pid/12748150/1/122

季語は「野分(あと)」(仲秋))。句意は、「野分(野を分けるような秋の颱風=手術)のあと、快癒とはほど遠いが、安癒の、口もゆるびて(健やかに)、うつらうつらと、睡り居る日々である。」

(参考一)「野分(のわき)仲秋」周辺

【子季語】 野わけ、野分だつ、野分波、野分雲、野分跡、野分晴
【関連季語】 台風、初嵐、やまじ、おしあな
【解説】 野の草を吹き分けて通る秋の強い風のこと。主に台風のもたらす風をさす。地方によっては「やまじ」「おしあな」などと呼ぶところもある。『枕草子』(百八十八段)では「野分のまたの日こそ、いみじうあはれにをかしけれ」とあり、野分の翌日はしみじみとした趣があるとする。](「きごさい歳時記」)

【例句】 
 
https://fudemaka57.exblog.jp/26197492/

吹きめぐる野分に向けし喉仏    加藤秋邨『野哭』所収「野哭」(「述懐七句」)
火の中に死なざりしかば野分満つ  加藤秋邨「同上」
身に沁みて死にき遣るは謗らるる  加藤楸邨「同上」
秋夕焼に溺れんとするを叱咤せり  加藤楸邨「同上」
死ねば野分生きてゐしかば争へり  加藤秋邨「同上」(「序句=この書/今は亡き友に献げる」)
霜の石踏まれどほしの朝いたる   加藤秋邨「同上」
ある夜わが吐く息白く裏切らる   加藤秋邨「同上」
身も胸も野分の貨車に打ち揺られ  加藤秋邨「同上」(「十一月九日、石橋秀野氏等に逢ふ」)
石を吹く野分や疲れてはならず   加藤秋邨「同上」(「山本健吉氏と逢ふ」)
疲れ濃し畳の下を野分ゆく    加藤秋邨「同上」
姙りてしまへば野分吹くばかり  加藤秋邨「同上」
明日いかに焦土の野分起伏せり   加藤秋邨『野哭』所収「流離抄」
月明き大石ありて野分せり     加藤秋邨「同上」
白墨の手を洗ひをる野分かな     中村草田男
眼つりし野分の芭蕉いまの蝉    中村草田男
人を恋ふ野分の彼方此方かな    石田波郷
東京に妻をやりたる野分かな    石田波郷
毒消売唇に手あてて野分来る     石田波郷
乙女さやか野分の供華をかきいだき 石田波郷

 加藤楸邨の、戦後(昭和二十三年)に刊行された、第六句集『野哭』所収の「野哭(昭和二十一年九月~昭和二十二年)」(「述懐七句」)の、その「野分」の句ほど、当時の、「人間探求派(中村草田男・加藤楸邨・石田波郷)」の三人における、草田男の「楸邨批判(「軍部便乗・戦争肯定」)」ほど、身に堪えた、楸邨の言葉でするならば、「カオス=名状し難き鬱積した心情」の、その「慟哭」(それは、杜甫の「野哭」=「野にあって天を仰いで哭する」)の、その「述懐七句」ということになろう。

吹きめぐる野分に向けし喉仏   加藤秋邨『野哭』所収「野哭」(「述懐七句」)
火の中に死なざりしかば野分満つ 加藤秋邨「同上」
身に沁みて死にき遣るは謗らるる 加藤楸邨「同上」
秋夕焼に溺れんとするを叱咤せり 加藤楸邨「同上」
死ねば野分生きてゐしかば争へり 加藤秋邨「同上」(「序句=この書/今は亡き友に献げる」)
霜の石踏まれどほしの朝いたる 加藤秋邨「同上」
ある夜わが吐く息白く裏切らる  加藤秋邨「同上」

 この楸邨の一句目は、「昭和二十一年八月十五日、終戦の、その価値観の百八十度転換した、その秋の野分は、容赦なく、吾が『喉仏』を突き刺さってくる」というような意であろう。
 そして、その二句目は、「あの戦争で、あの空襲で生き長らえた吾への、痛切な『野分』
(それは、三句目の「謗らるる」であり、さらに、四句目の「叱咤せり」)」ということになろう。
 ここで、五句目の、『野哭』の「序句」として取り上げられている、「死ねば野分生きてゐしかば争へり」と、その前書の「この書/今は亡き友に献げる」は、その六句目の「霜の石踏まれどほし」と、七句目「息白く裏切らる」と相俟って、これらの句の背景にある、草田男の「楸邨批判」(「楸邨氏への手紙(「俳句研究/昭和二十一年七・八月号」)に対する、「楸邨の草田男への弁明」(「俳句と人間ついて(「俳句研究/昭和二十二年一・二月号」)の句と解して差し支えなろう。
 これらのことに関しては、下記のアドレスで、その一端について触れている。

https://yahantei.blogspot.com/search/label/%E6%A5%B8%E9%82%A8%E3%81%A8%E4%BF%A1%E3%81%AE%E9%80%A3%E5%8F%A5

(再掲)

[ 加藤楸邨と大岡信の唱和(その五)

牡丹の奥に怒涛怒濤の奥に牡丹        楸邨
閻魔の哄笑(わら)ふ時は来向(きむ)かふ  信

 こらの句(付合)は、「楸邨句交響十二章」(「現代詩手帖」一九八七・一月号)の中のものである。この楸邨氏の句については、この「楸邨句交響十二章」を紹介していただいたメールに、「楸邨旧作二句を引く。『隠岐やいま木の芽をかこむ怒涛かな』・『火の奥に牡丹崩るるさまを見つ』、前者は東京大空襲の夜、二人の子を求めて妻知世子と共に火中を彷徨した時の作。ともに楸邨代表作なること言ふをまたず」との添え書きがなされていた。
この「隠岐やいま木の芽をかこむ怒濤かな」の句は、昭和十八年刊行の『雪後の天』の一句で、 同時作の「さえざえと雪後の天の怒濤かな」とともに後鳥羽上皇の流刑の土地である隠岐での作として夙に知られているものである。
そして、楸邨氏が当時の俳句の一つの目指す方向と考えていた「実ありて悲しびそふる」(芭蕉の「許六離別の詞」に出てくる後鳥羽上皇の口伝)ものの句として、晩年までこれらの句に愛着を持っていたことは容易に想像のできるところのものである。
そして、もう一句の「火の奥に牡丹崩るるさま見つ」は昭和二十三年刊行の『火の記憶』所収の中のものである。この句については「五月二十三日、夜大編隊侵入、母を金沢に疎開せしめ、上州に楚秋と訣れ、帰宅せし直後なり、わが家罹災」との前書きがある。これまた、楸邨氏の戦争中の忘れ得ざる一句として、晩年の楸邨の胸中にあったこともまた想像に難くない。
この『火の記憶』と同時に刊行された『野哭』の句集こそ、楸邨氏が愛着して止まなかったものであろう。そして、「死ねば野分生きてゐしかば争えり」と、当時、中村草田男氏らからは「戦争協力者」として批判され、楸邨氏にとっては、忘れようとしても忘れることのできない、様々な思いが晩年まで去来していたことは、これまた想像に難くない。
そして、昭和六十年の楸邨氏の八十歳のときに刊行した句集『怒濤』の中に、上記の付合の楸邨氏の字余りの破調の句が収載されているのである。
それに対しての、信氏の「閻魔の哄笑(わら)ふ時は来向(きむ)かふ」とは、楸邨氏の、喜びや悲しみの様々な「来し方」を振り返りながら、晩年の楸邨氏の悠揚迫らざる大人の風姿に接しての、諧謔的な畏敬の念を込めての付句と理解できるものであろう。
それは、「時は来向かう」という措辞に、
万葉集の、「春過ぎて 夏来向かへば あしひきの山呼び響(とよ)め さ夜中に 鳴く雷公鳥(ほととぎす) 初声を 聞けばなつかし 菖蒲(あやめぐさ) 花橘を 貫(ぬ)き交へ かづらくまでに 里響(とよ)め 鳴き渡れども なほし偲はゆ」(『巻第十九』の長歌、この巻には大友家持のものが多い)の、その響きが、「閻魔は哄笑ふ」という諧謔的なものを、日本古来の大和言葉で締め括って、その落差を楽しんでているように思えるのである。
この付合が、この「楸邨句交響十二章」のうちでは筆頭にあげられるものであろうか・・・、そんな風に信氏は感じているのではなかろうか。  ]

 ここで、楸邨の『野哭(昭和二十年~昭和二十二年)』(系列第六句集)に続く『起伏(昭和二十三年~二十四年)』(系列第六句集)で、楸邨は、波郷が、その死線を彷徨う、その境涯俳句の金字塔の『惜命(昭和二十二年~昭和二十五年)』を世に問う頃、波郷と同じく、「昭和二十三年六月に急性肋膜炎」の肺結核で、病床の日々となる。
 この、波郷の『惜命(昭和二十二年~昭和二十五年)』の中に、波郷の「楸邨」と「草田男」に関する前書を付した句が収載されている。

蝌蚪群るる限り君癒えよ我は否(昭和二十四年「楸邨に」)
驟雨を伴れ来し病まざる草田男その夫人(昭和二十四年「草田男氏、夫人と共に見舞ひ給うふ」)

 これらの、波郷の「草田男・楸邨」を背景とする句は、当時の、「草田男」(四十八歳・『成蹊大教授=国文科』)と、「楸邨(四十四歳、病臥中『芭蕉句集』を編む。四十九歳時に『青山学院短期大学教授=国文科』)と、そして、「波郷」(三十六歳・句集『胸形變』刊)の、その当時と、それ以降の、この三人のドラマ(昭和俳壇における、「萬緑(草田男)・「寒雷(楸邨)・「鶴(波郷))」が浮き彫りになって来る。

棟方志功全集 第5巻 (詩歌の柵 1).jpg

『棟方志功全集 第5巻 (詩歌の柵 1)』
https://dl.ndl.go.jp/pid/12748150/1/122

 この、「胸形變板画巻(おくつけ)/著 石田波郷編/発行 吉良憲夫/板刊 日本板画院/
時 昭和廿六年二月二十三日」というのは、「石田波郷」俳諧(「惜命」俳諧)、そして、そ
れらの背景となっている、「草田男・楸邨・波郷」=「人間探求派」=「萬緑(草田男)・「寒雷(楸邨)・「鶴(波郷))」の一接点」、そして、それらに対する、「日本板画院」(棟方志功)の、その一つの、メッセージとも解するものであろう。


(参考二)『惜命(石田波郷第四句集・五百六句)』と「胸形變板画巻(『惜命板画柵』)」(石田波郷句・棟方志功板画・三十七句)との周辺(未了)

※『惜命(石田波郷第四句集・五百六句)』(『現代俳句大系 第八巻』所収「惜命」などに因る。)
※「胸形變板画巻(『惜命板画柵』)・三十七句」(石田波郷句・棟方志功板画)周辺(「俳句研究/昭和六十二・八/特集・石田波郷の文学」所収「『胸形変』板画巻(吉良蘇月稿)」などに因る。)

『惜命(石田波郷第四句集・五百六句)』と「胸形變板画巻(『惜命板画柵』)・三十七句」

「秋臥(五句)」→ (昭和二十二年、三十五歳) →「胸形變板画巻(『惜命板画柵』)無
「冬日射(十三句)→「同上)」無
「横光利一死(八句)」→「同上)」無
「墓の眺め(八句)」 →(昭和二十三年、三十六歳) →「同上)」無
「春へ(八句)」   →(「同上)」無
「後雁(十四句)」  →「同上)」無
「遠母来(五句)」  →「同上)」無
「薄暑(五句)」   →「同上)」無
「療養所(十一句)」 →「同上)」無

「羸痩(るいそう)=「痩せること」(十七句)」→「同上・下記(三句)」
一 栗咲く香血を喀く前もその後も (唐草の図)→「栗咲く(栗の花)」(仲夏)
https://yahan.seesaa.net/article/507842165.html
二 優曇華やきのふの如き熱の中  (絮の図)→「優曇華」(晩夏)
https://yahan.seesaa.net/article/507963081.html
三 蝉かなしベッド縋る子を見れば (角材の図)→「蝉」(晩夏)
https://yahan.seesaa.net/article/508139416.html

「凡に見ず(八句)」→「同上」」無
「肋(あばら)(十一句)」→「同上・下記(一句)」
四 金の芒はるかなる母の禱りをり (野草の図)→「芒(すすき)」(三秋)
https://yahan.seesaa.net/article/508338776.html

「成形(二十四句)」→「同上・下記(四句)」
五 花圃(かほ)に水汲める見てをり手術前 (角材の図)→「花圃(かほ)」(三秋)
https://yahan.seesaa.net/article/508393480.html
六 たばしるや叫喚す胸形変  ※(無紋余白)→「鵙」(三秋)
https://yahan.seesaa.net/article/508677638.html
七 麻薬うてば十三夜月遁走す (唐草丸紋の図) )→「十三夜月」(晩秋)
https://yahan.seesaa.net/article/508941120.html
八 秋の暮溲罎(しびん)泉のこゑをなす (枯葉の図)→「秋の暮」(三秋)
https://yahan.seesaa.net/article/509098148.html

「二次成形告知(五句)」  →「同上」無
「二次成形その後(二十句)」→「同上・下記(二句)」
九 松籟や白息かた みにながし佇つ(大木の図)→「息白し)」(三冬)
https://yahan.seesaa.net/article/509163561.html
一〇 悴み病めど栄光の如く子等育つ(木枝の図)→「悴)む」(晩冬)
https://yahan.seesaa.net/article/509305818.html

「冬鶯(十一句)」→「同上・下記(三句)」
一一 冬日の妻よ吾に肋骨無きのちも ※(無紋余白)→「冬日」(三冬)
https://yahan.seesaa.net/article/509396772.html
一二 冬鶯われは病弟子胸あつし (角材の図)→「冬鶯」(三冬)
https://yahan.seesaa.net/article/509611636.html
一三 寒夜脇に肋の切口開くべし  (肋骨の図)→「寒夜(冬の夜)」(三冬)
https://yahan.seesaa.net/article/509671280.html

「送迎(十一句)」→(「胸形變板画巻(『惜命板画柵』)無
「ベトレヘムの鐘」)→「同上・下記(一句)」
一四 病む六人一寒燈を消すとき来(ベッドの図)→「寒燈」(三冬)
https://yahan.seesaa.net/article/510025519.html

「屍の眺め(四十一句)」→(昭和二十四年、三十七歳) →「胸形變板画巻(『惜命板画柵』) →「同上・下記(七句)」
一五 綿虫やそこは屍の出でゆく門 ※(無紋余白)→「綿虫」(初冬)
https://yahan.seesaa.net/article/510098153.html
一六 白き手の病者ばかりの落葉焚(楢の葉の図)→「落葉焚」(三冬)
https://yahan.seesaa.net/article/510134541.html
一七 冬日低し吾と子の間妻急がん※(無紋余白)→「冬日」(三冬)
https://yahan.seesaa.net/article/510216150.html
一八 妻恋へり裸木に星咲き出でて (木立の図)→「裸木」(三冬)
https://yahan.seesaa.net/article/510241589.html
一九 頂は見えぬ赤松冬日沁む  (松の図)→「冬日」(三冬)
https://yahan.seesaa.net/article/510336309.html
二〇 牡蠣食へり重たき肩を起しては (波頭の図)→「牡蛎」(三冬)
https://yahan.seesaa.net/article/510365383.html
二一 曇天と古草の間屍(かばね)行く (角材の図)→「古草」(三冬)
https://yahan.seesaa.net/article/510416249.html
「雪(五句)」→→「同上・下記(一句)」
二二 雪はしづかにゆたかにはやし屍室  ※(黒地・白鷺の図)→「雪」(晩冬)」
https://yahan.seesaa.net/article/510475147.html

「雪ふたたび(五句) →「同上・下記(一句)」
二三 雪後来し子の柔(にこ)髪のかなしさよ ※(無紋余白)→「雪後(雪後の天・深雪晴・雪晴)」(晩冬)
https://yahan.seesaa.net/article/510573408.html

「早春(十一句) →「同上・下記(四句)」
二四 梅も一枝死者の仰臥の正しさよ    (梅花の図)→「梅」(初春)
https://yahan.seesaa.net/article/510805227.html
二五 三月風胸の火吹かれ打臥すも     (並び紋様)→「三月(風)」(仲春)
https://yahan.seesaa.net/article/510894302.html
二六 春雷の熄みし口洞閉づるかな     (雪図紋) →「春雷」(三春)
https://yahan.seesaa.net/article/511134741.html
二七 春疾風屍(かばね)敢て出でゆくも   (芽木の図) →「春疾風」(三春)
https://yahan.seesaa.net/article/511331313.html

「遺残空洞(十四句)」→「同上・下記(二句)」
二八 屍(し)を運ぶ春丸顔の看護婦達  ※(黒地・観音像の図) →「春」(三春)
https://yahantei14.seesaa.net/article/511556250.html?1741734966
二九 雪柳ふぶくごとくに今や咳く     (雪柳の図) →「雪柳」(仲春)
https://yahan.seesaa.net/article/511764892.html

「ブロンぺ(十四句)」→「同上・下記(一句)」
三〇 惜しみなく女患者に蝌蚪頒つ   (女性と蝌蚪図) →「蝌蚪」(晩春)
https://yahan.seesaa.net/article/511993735.html

「予量(十七句)」→「同上・下記(一句)」
三一 蟻地獄病者の影をもて蔽ふ     ※(無紋余白)  →「蟻地獄」(三夏)
https://yahan.seesaa.net/article/512226083.html
「憂患(十一句)」→「胸形變板画巻(『惜命板画柵』)無

「長梅雨(三十二句)」→「同上・下記(二句)」
三二 梅雨仄か命死ぬ歌頬を熱す    ※(無紋余白) →「梅雨」(仲夏)
https://yahan.seesaa.net/article/512630625.html
三三 灯るごと梅雨の郭公鳴き出だす   (郭公の図) →「郭公」(三夏)

「動悸(八句)」 →「胸形變板画巻(『惜命板画柵』)無
「荘厳(十一句)」→「同上』)下記二句
三四 日盛りのシヤワー痩躯を荘厳す    (日輪の図) →「日盛り」(晩夏)
https://yahan.seesaa.net/article/513402239.html
三五 業苦呼起す未明の風鈴は      ※(無紋余白) →「風鈴」(三夏)
https://yahan.seesaa.net/article/514123226.html

「晩夏光(十四句)」(「同上』)下記一句
※※三七 病者より痩せしかぐろき小鰺売り (昼顔の図) →小鯵売(り)」(三夏)
https://yahan.seesaa.net/article/514348985.html

「癩園の籬(十一句)」→「同上)無
「颱風過(十四句)」「同上)下記一句
※※三六 野分あと口のゆるびて睡りをり (野の草図)→野分(仲秋)
https://yahan.seesaa.net/article/514479180.html

露の楽(八句) →(昭和二十四年、三十七歳) →「同上』)無
霧雫(八句)  →(昭和二十四年、三十七歳)→「同上」
捨菊(十七句) →(昭和二十四年、三十七歳) →「同上」 
接吻(八句)  →(昭和二十四年、三十七歳) →「同上」  
冬日楽園(二十三句) →(昭和二十四年、三十七歳) →「同上」 
降誕祭過(五句)  →(昭和二十四年、三十七歳) →「同上」 
家長七日(十一句) → (昭和二十五年、三十八歳) →「同上」 
水仙花(二十句)  → (昭和二十五年、三十八歳) →「同上」

(補記) 「胸形變板画巻(『惜命板「画柵』)」(石田波郷句・棟方志功板画・三十七句)では、
「※※三六 野分あと口のゆるびて睡りをり」の後に、「※※三七 病者より痩せしかぐろき小鰺売り」が、その巻末句になっているのだが、『惜命(石田波郷第四句集・五百六句)』(『現代俳句大系 第八巻』所収「惜命」) そして、「胸形變板画巻(『惜命板画柵』)・三十七句」(石田波郷句・棟方志功板画)周辺(「俳句研究/昭和六十二・八/特集・石田波郷の文学」所収「『胸形変』板画巻(吉良蘇月稿)」の記述の、「※※三七 病者より痩せしかぐろき小鰺売り」の次に、その巻末句は、「※※三六 野分あと口のゆるびて睡りをり」と解すべきなのであろう。
 なお、「胸形變板画巻(『惜命板画柵』)・三十七句」(石田波郷句・棟方志功板画)周辺(「俳句研究/昭和六十二・八/特集・石田波郷の文学」所収「『胸形変』板画巻(吉良蘇月稿)」周辺については、下記のアドレスで紹介している。

https://yahantei14.seesaa.net/index-3.html

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