「胸形變板画巻(『惜命板画柵』)」(石田波郷句・棟方志功板画)管見(二十九)~(三十四)
その二十九 雪柳ふぶくごとくに今や咳く
「棟方志功全集 第5巻 (詩歌の柵 1)」(「国立国会図書館デジタルコレクション」)所収「胸形變板画巻」
https://dl.ndl.go.jp/pid/12748150/1/120
季語は、「雪柳」(仲春)。句意は、「雪柳が、風花のように吹雪いている。その吹雪の如くに、今や、病床で咳が止まない。」
この句は、例えば、「柳絮(りゅうじょう)・ふぶくごとくに・今や咳く」と、「雪柳」(仲春)を「柳絮(りうじよ・りゅうじょう)」(仲春)と置き換えて解することも一興であろう。
この「柳絮」のイメージですると、「女人ぼさつ(岡本かの子・詩)」の、次の一節と繋がって来る。
「 柳絮直(ナオ)ければ即ち直(ナオ)く
松厳しければわれも厳し
杉潔(イサギヨ)きに はた潔(イサギヨ)く
女人われこそ観世音ぼさつ 」
「雪柳」(仲春)と「柳絮(りうじよ・りゅうじょう)」(仲春)との、「季語」そして、その「例句(抜粋)」は、下記の(参考一)のとおりである。
(参考一) 「雪柳」(仲春)と「柳絮(りうじよ・りゅうじょう)」(仲春)
「雪柳(ゆきやなぎ)仲春」周辺
https://kigosai.sub.jp/001/archives/4803
[【子季語】 小米花、小米桜、こめやなぎ、えくぼ花、噴雪花
【解説】 バラ科の落葉低木。柳のようにしなう枝に、真白い小さな花が群がって咲く。葉に先立って花をつけるため、満開の様子はひとかたまりの雪のよう。春風に散る細かい花びらは、風花のようである。 ](「きごさい歳時記」)
【例句】(抜粋)
https://fudemaka57.exblog.jp/25619076/
※雪柳ふぶくごとくに今や咳く 石田波郷
こぼれねば花とはなれず雪やなぎ 加藤秋邨
拳骨を突き出しゆく子雪柳 加藤秋邨
病院に漸く馴れぬ雪柳 村山故郷
行く人に籠居見らるるや雪柳 村山故郷
「柳絮(りゅうじょ、りうじよ)仲春」周辺
https://kigosai.sub.jp/001/?s=%E6%9F%B3%E7%B5%AE
[【子季語】 柳の絮、柳の花、柳絮飛ぶ
【関連季語】 柳
【解説】 柳は春、花を咲かせたあと、綿毛のような実を結ぶ。これが柳絮だが、風にのって運ばれてゆくさまは雪が舞うようでも、羽毛が舞うようでもある。 ](「きごさい歳時記」)
【例句】(抜粋)
https://fudemaka57.exblog.jp/25667156/
※柳絮とぶや夜に日に咳いてあはれなり 石橋秀野
ある時は柳絮に濁る山おろし 前田普羅「春寒浅間山」
ひとすぢの柳絮の流れ町を行く 前田普羅「 春寒浅間山」
人に来て人に触れざる柳絮かな 前田普羅 「春寒浅間山」
尾根を越す柳絮の風の見えにけり 前田普羅 「春寒浅間山」
妻を歎くも風樹のや柳絮飛ぶ 中村草田男
(参考二) 「黒と白」との「コンストラクト(対比)」との世界
「棟方志功全集 第5巻 (詩歌の柵 1)」(「国立国会図書館デジタルコレクション」)所収「胸形變板画巻」所収「屍(かばね)運ぶ春丸顔の看護婦達」 → A図
https://dl.ndl.go.jp/pid/12748150/1/120
「棟方志功全集 第5巻 (詩歌の柵 1)」(「国立国会図書館デジタルコレクション」)所収「胸形變板画巻」 → B図
https://dl.ndl.go.jp/pid/12748150/1/120
「棟方志功全集 第5巻 (詩歌の柵 1)」(「国立国会図書館デジタルコレクション」)所収「胸形變板画巻」 → C図
https://dl.ndl.go.jp/pid/12748150/1/118
https://yahan.seesaa.net/article/510475147.html
(補記) 上記の「A図」と『C図』は、「黒地(画面)に白文字(句)そして『黒と白との画像』」で、この二図が、「胸形變板画巻(『惜命板画柵』)」(石田波郷句・棟方志功板画)での、棟方志功の殊に思い入れの深い作品ということになろう。
「C図」は、「白地(白画面)に黒文字(句)そして『黒(線)と白(線)との画像』で、これが、
「胸形變板画巻(『惜命板画柵』)」(石田波郷句・棟方志功板画)での基調を為す彫り(板画)ということになろう。
そして、これらは、裏彩色を施さない、志功の「『黒と白』との『コンストラクト(対比)』との世界」というこことになろう。
(参考三)『惜命(石田波郷第四句集・五百六句)』と「胸形變板画巻(『惜命板画柵』)」(石田波郷句・棟方志功板画・三十七句)との周辺(未完)
※『惜命(石田波郷第四句集・五百六句)』(『現代俳句大系 第八巻』所収「惜命」などに因る。)
※「胸形變板画巻(『惜命板画柵』)・三十七句」(石田波郷句・棟方志功板画)周辺(「俳句研究/昭和六十二・八/特集・石田波郷の文学」所収「『胸形変』板画巻(吉良蘇月稿)」などに因る。)
『惜命(石田波郷第四句集・五百六句)』と「胸形變板画巻(『惜命板画柵』)・三十七句」
「秋臥(五句)」→ (昭和二十二年、三十五歳) →「胸形變板画巻(『惜命板画柵』)無
「冬日射(十三句)→「同上)」無
「横光利一死(八句)」→「同上)」無
「墓の眺め(八句)」 →(昭和二十三年、三十六歳) →「同上)」無
「春へ(八句)」 →(「同上)」無
「後雁(十四句)」 →「同上)」無
「遠母来(五句)」 →「同上)」無
「薄暑(五句)」 →「同上)」無
「療養所(十一句)」 →「同上)」無
「羸痩(るいそう)=「痩せること」(十七句)」→「同上・下記(三句)」
一 栗咲く香血を喀く前もその後も (唐草の図)→「栗咲く(栗の花)」(仲夏)
https://yahan.seesaa.net/article/507842165.html
二 優曇華やきのふの如き熱の中 (絮の図)→「優曇華」(晩夏)
https://yahan.seesaa.net/article/507963081.html
三 蝉かなしベッド縋る子を見れば (角材の図)→「蝉」(晩夏)
https://yahan.seesaa.net/article/508139416.html
「凡に見ず(八句)」→「同上」」無
「肋(あばら)(十一句)」→「同上・下記(一句)」
四 金の芒はるかなる母の禱りをり (野草の図)→「芒(すすき)」(三秋)
https://yahan.seesaa.net/article/508338776.html
「成形(二十四句)」→「同上・下記(四句)」
五 花圃(かほ)に水汲める見てをり手術前 (角材の図)→「花圃(かほ)」(三秋)
https://yahan.seesaa.net/article/508393480.html
六 たばしるや叫喚す胸形変 ※(無紋余白)→「鵙」(三秋)
https://yahan.seesaa.net/article/508677638.html
七 麻薬うてば十三夜月遁走す (唐草丸紋の図) )→「十三夜月」(晩秋)
https://yahan.seesaa.net/article/508941120.html
八 秋の暮溲罎(しびん)泉のこゑをなす (枯葉の図)→「秋の暮」(三秋)
https://yahan.seesaa.net/article/509098148.html
「二次成形告知(五句)」 →「同上」無
「二次成形その後(二十句)」→「同上・下記(二句)」
九 松籟や白息かた みにながし佇つ(大木の図)→「息白し)」(三冬)
https://yahan.seesaa.net/article/509163561.html
一〇 悴み病めど栄光の如く子等育つ(木枝の図)→「悴)む」(晩冬)
https://yahan.seesaa.net/article/509305818.html
「冬鶯(十一句)」→「同上・下記(三句)」
一一 冬日の妻よ吾に肋骨無きのちも ※(無紋余白)→「冬日」(三冬)
https://yahan.seesaa.net/article/509396772.html
一二 冬鶯われは病弟子胸あつし (角材の図)→「冬鶯」(三冬)
https://yahan.seesaa.net/article/509611636.html
一三 寒夜脇に肋の切口開くべし (肋骨の図)→「寒夜(冬の夜)」(三冬)
https://yahan.seesaa.net/article/509671280.html
「送迎(十一句)」→(「胸形變板画巻(『惜命板画柵』)無
「ベトレヘムの鐘」)→「同上・下記(一句)」
一四 病む六人一寒燈を消すとき来(ベッドの図)→「寒燈」(三冬)
https://yahan.seesaa.net/article/510025519.html
「屍の眺め(四十一句)」→(昭和二十四年、三十七歳) →「胸形變板画巻(『惜命板画柵』) →「同上・下記(七句)」
一五 綿虫やそこは屍の出でゆく門 ※(無紋余白)→「綿虫」(初冬)
https://yahan.seesaa.net/article/510098153.html
一六 白き手の病者ばかりの落葉焚(楢の葉の図)→「落葉焚」(三冬)
https://yahan.seesaa.net/article/510134541.html
一七 冬日低し吾と子の間妻急がん※(無紋余白)→「冬日」(三冬)
https://yahan.seesaa.net/article/510216150.html
一八 妻恋へり裸木に星咲き出でて (木立の図)→「裸木」(三冬)
https://yahan.seesaa.net/article/510241589.html
一九 頂は見えぬ赤松冬日沁む (松の図)→「冬日」(三冬)
https://yahan.seesaa.net/article/510336309.html
二〇 牡蠣食へり重たき肩を起しては (波頭の図)→「牡蛎」(三冬)
https://yahan.seesaa.net/article/510365383.html
二一 曇天と古草の間屍(かばね)行く (角材の図)→「古草」(三冬)
https://yahan.seesaa.net/article/510416249.html
「雪(五句)」→→「同上・下記(一句)」
二二 雪はしづかにゆたかにはやし屍室 ※(黒地・白鷺の図)→「雪」(晩冬)」
https://yahan.seesaa.net/article/510475147.html
「雪ふたたび(五句) →「同上・下記(一句)」
二三 雪後来し子の柔(にこ)髪のかなしさよ ※(無紋余白)→「雪後(雪後の天・深雪晴・雪晴)」(晩冬)
https://yahan.seesaa.net/article/510573408.html
「早春(十一句) →「同上・下記(四句)」
二四 梅も一枝死者の仰臥の正しさよ (梅花の図)→「梅」(初春)
https://yahan.seesaa.net/article/510805227.html
二五 三月風胸の火吹かれ打臥すも (並び紋様)→「三月(風)」(仲春)
https://yahan.seesaa.net/article/510894302.html
二六 春雷の熄みし口洞閉づるかな (雪図紋) →「春雷」(三春)
https://yahan.seesaa.net/article/511134741.html
二七 春疾風屍(かばね)敢て出でゆくも (芽木の図) →「春疾風」(三春)
https://yahan.seesaa.net/article/511331313.html
「遺残空洞(十四句)」→「同上・下記(二句)」
二八 屍(し)を運ぶ春丸顔の看護婦達 ※(黒地・観音像の図) →「春()
https://yahantei14.seesaa.net/article/511556250.html?1741734966
二九 雪柳ふぶくごとくに今や咳く (雪柳の図) →「雪柳」(仲春)
「ブロンぺ(十四句)」→「同上・下記(一句)」
三〇 惜しみなく女患者に蝌蚪頒つ (女性と蝌蚪図) →
「予量(十七句)」→「同上・下記(一句)」
三一 蟻地獄病者の影をもて蔽ふ ※(無紋余白) →
「憂患(十一句)」→「胸形變板画巻(『惜命板画柵』)無
「長梅雨(三十二句)」→「同上・下記(二句)」
三二 梅雨仄か命死ぬ歌頬を熱す ※(無紋余白) →
三三 灯るごと梅雨の郭公鳴き出だす (郭公 の図) →
「動悸(八句)」 →「胸形變板画巻(『惜命板画柵』)無
「荘厳(十一句)」→「同上』)下記二句
三四 日盛りのシヤワー痩躯を荘厳す (日輪の図) →
三五 業苦呼起す未明の風鈴は ※(無紋余白) →
「晩夏光(十四句)」(「同上』)下記一句
三七 病者より痩せしかぐろき小鰺売り (昼顔の図) →
「癩園の籬(十一句)」→「同上)無
「颱風過(十四句)」「同上)下記一句
三六 野分あと口のゆるびて睡りをり (野の草の図) →
露の楽(八句) →(昭和二十四年、三十七歳) →「同上』)無
霧雫(八句) →(昭和二十四年、三十七歳)→「同上」
捨菊(十七句) →(昭和二十四年、三十七歳) →「同上」
接吻(八句) →(昭和二十四年、三十七歳) →「同上」
冬日楽園(二十三句) →(昭和二十四年、三十七歳) →「同上」
降誕祭過(五句) →(昭和二十四年、三十七歳) →「同上」
家長七日(十一句) → (昭和二十五年、三十八歳) →「同上」
水仙花(二十句) → (昭和二十五年、三十八歳) →「同上」
その三十 惜しみなく女患者に蝌蚪頒つ

「棟方志功全集 第5巻 (詩歌の柵 1)」(「国立国会図書館デジタルコレクション」)所収「胸形變板画巻」
https://dl.ndl.go.jp/pid/12748150/1/120
季語は「蝌蚪(かと、くわと)」(晩春)。句意は、「『お玉杓子』の模様の頭巾を被った女性の患者が、吾の病室の『蝌蚪(「お玉杓子」)』を欲しいと言う。『どうぞ・どうぞ』と、『惜しみなく』(『形見分け』の如く)、進呈するのである。」
もとより、この句意は、志功の板画の、「黒線との白線との『女患者』」の画像によるものだが、『惜命』(系列第五句集/昭和二十三年~二十五年)などの、この句の収載されている、その前後の句を見て行くと、その背景が、より具象的にイメージされて来る。
(「遺残空洞」=十四句、うち四句抜粋)
屍を運ぶ春丸顔の看護婦達(「胸形變板画巻」二十八句目)
https://yahan.seesaa.net/article/511577926.html
るいるいと蟇交み手術延びてをり
目刺一連療養いよよ永からむ
雪柳ふぶくこどくに今や咳く(「胸形變板画巻」二十九句目)
https://yahan.seesaa.net/article/511764892.html
(「ブロンぺ」=十四句、うち八句抜粋)
噴水の耳打つ手術前夜寝ず
創痛や春の山鳩応(いら)へつつ
噴水や顎も二重の看護婦等
緑蔭を看護婦がゆき死神がゆく
蝌蚪群るる限り君癒えよ我は否(前書「楸邨に」)
麺麭屑を蝌蚪にやる他の生もなし
※惜しみなく女患者に蝌蚪頒つ(「胸形變板画巻」三十句目)
手術経て苺つぶせり左手に
(「予量」=十七句、うち四句抜粋)
曲がりて赤し風無き日の出の松の芯
卯の花や仰臥の指に葉一枚
夕虹や三年生き得ば神の寵
蟻地獄病者の影をもて蔽ふ(「胸形變板画巻」三十一句目)
『惜命』の、波郷自身の「『惜命』余禄」(「跋」=抜粋)には、次のとおり記されている。
昭和二十三年五月 七日、都下清瀬村国立東京療養所七寮に入所す。
同年 十月十四日、第一次成形。右第一~第四肋骨切除。
同年 十二月二日、第二次成形。右第五~第七肋骨切除。
昭和二十四年二月、 断層写真に遺残空洞を認む。(「遺残空洞」=十四句)
同年四月十四日、遺残空洞に対し肋膜外合成樹脂充填術を行ふ。(「ブロンぺ」=十四句)
同年五月、手術後しばらく陰性たりし菌陽性となる。(「予量」=十七句)
同年九月、「惜命」を編み、十月退所を予定す。
同年十月、補正成形をすすめられる。直後検痰塗沫陰性、月末集菌陰性。「胸形変」を編む。
同年十一月、正月退所を許さる。
同年十二月二十八日、外泊許可を得て自宅に帰る。
昭和二十五年一月四日、療養所にに帰る。「現代俳句」編纂を始む。「「惜命」追加終了。
昭和二十五年一月二十八日清瀬にて 筆者(石田波郷)記
掲出の「※惜しみなく女患者に蝌蚪頒つ」は、、「第一次成形」手術(昭和二十三十月)、「第二次成形」手術(同年十二月)」、そして、第三次の「合成樹脂充填術(「ピンポン球位の四個、ナフタリン位の十九個けを埋め込む手術」)」(昭和二十四年四月)の直後の句ということになる。この句に続く「予量」(病状の「経過処置」・「予後処置」)の「夕虹や三年生き得ば神の寵」の句などと併せ鑑賞して行くと、これは紛れもなく、その「惜しみなく」は、「死」を意識する日々にあって、「形見分け」のようなイメージが湧いて来る。
そして、この「蝌蚪」(お玉杓子)は、その「死」をイメージする「病原菌」(結核菌陽性)にも、その「生(再生)」をイメージする「孵化したばかり蛙の子」にも、これらの句に接する者には、二様のイメージを齎すのでのであろう。
これらのことは、前の「遺残空洞」に収載されている「屍を運ぶ春丸顔の看護婦達」の句の「陽(よう)の看護婦」(「女人ぼさつ(岡本かの子・詩)」)のイメージ(「患者」の「生」を見守っている「生」のイメージ)から、「ブロンぺ」に収載されている「緑蔭を看護婦がゆき死神がゆく」の句の「死」のイメージの、「屍(遺体・死体=死神)を運ぶ」、その「蔭(いん)の看護婦」のイメージへと、これまた、二様のイメージが様々に交差して来る。
(参考一) [「蝌蚪(かと、くわと)」(晩春)周辺
https://kigosai.sub.jp/001/archives/1966#:~:text=%E8%9D%8C%E8%9A%AA%EF%BC%88%E3%81%8B%E3%81%A8%E3%80%81%E3%81%8F%E3%82%8F%E3%81%A8%EF%BC%89%20%E6%99%A9%E6%98%A5%20%E2%80%93%20%E5%AD%A3%E8%AA%9E%E3%81%A8%E6%AD%B3%E6%99%82%E8%A8%98
【子季語】 お玉杓子、蛙の子、蛙子、蛙生る、蝌蚪の紐、数珠子、蝌蚪の水
【関連季語】 蛙
【解説】 蛙の子である。ちょろちょろと泳ぎまわる姿が愛らしく、次第に手足が生え尾がとれてゆく。形が杓子に似ていることからこの名がある。 ](「きごさい歳時記」)
【例句】(抜粋)
https://fudemaka57.exblog.jp/25610583/
惜しみなく女患者に蝌蚪頒つ 石田波郷『惜命』
麺麭屑を蝌蚪にやる他の生もなし 石田波郷『惜命』
蝌蚪群るる限り君癒えよ我は否 石田波郷『惜命』
肋切りし日ははや遠し蝌蚪見れば 石田波郷
病みて長き指をぬらせり蝌蚪の水 石田波郷
蝌蚪の死ぬ土くれ投げつ嘆かるる 石田波郷
浅き水に泛びて山の蝌蚪あかし 石田波郷
蝌蚪の水わたれば佛居居へり 水原秋櫻子『葛飾』
峠田は蝌蚪にかがよふ漆の芽 水原秋櫻子『残鐘』
蝌蚪のこる不思議さに水澄みにけり 水原秋櫻子『蘆雁』
吉野路は田打おそくして蝌蚪あそぶ 水原秋櫻子『秋苑』
にはとりも蝌蚪もおどろきをすぐ忘る 中村草田男
いまだ蝌蚪そのもの乾くには到らず 中村草田男
蝌蚪小さし浮かびて消ゆる水泡よりも 中村草田男
蝌蚪育つ鉄気の水に鋼色 中村草田男
蝌蚪見れば孤児院思ふ性を葉てよ 中村草田男
蝌蚪尾なし四五冊の書をさまよへば 加藤秋邨『山脈』
生れきたりてはてなくおたまじやくしなり 加藤秋邨
かの日見し蝌蚪いまつくづくと青蛙 加藤秋邨
税の数字よ小学生の日の蝌蚪よ 加藤秋邨
蝌蚪の群焦土に子等を置きにけり 加藤秋邨
蝌蚪足を翼のごとくふりあへる 加藤秋邨
尾をふる蝌蚪幾万を埋め売地です 加藤秋邨
蝌蚪の水ふめば崩るゝ泥の色 石橋秀野
蝌蚪一つ唇ひろぐればぼたん散る 永田耕衣
(参考二) 『惜命』(石田波郷)と『山脈』(加藤楸邨)周辺
麻薬うてば十三夜月遁走す 波郷『惜命』(昭和二十三年)
https://yahan.seesaa.net/article/508941120.html
水のむと片目つぶれば十三夜 楸邨『山脈』(前書「昭和二十三年より病臥続く」)
この波郷の句は、昭和二十三年十月の「第一次成形」手術後の、『惜命(「成形(二十四句)」の内)』所収、そして、「胸形變板画巻(「七句目」)所収の句である。
この波郷の、肋骨を四本切除後の、瀕死の病床にあって「十三夜(月)」を作句した、その同じ年の「十三夜」の句を、楸邨は、「水のむと片目つぶれば十三夜」と作句し、この句に、「昭和二十三年より病臥続く」との前書を付している。楸邨もまた、波郷と同じく、胸部疾患で、病床にあったのである。
波郷の『惜命』は、波郷の金字塔をなす「境涯俳句」の、その赤裸々な、「わが闘病恢復記(「肺の中のピンポン球」のサブタイトル)の、その全貌の、「病床句日記」でもある。
惜しみなく女患者に蝌蚪頒つ 波郷『惜命』(昭和二十四年)
蝌蚪群るる限り君癒えよ我は否 同上
蝌蚪尾なし四五冊の書をさまよへば 秋邨『山脈(昭和二十三年~昭和二十四年)』
ビール吹くかつて波郷としかせりき 同上
掲出の、上記一句目の波郷の句は、昭和二十四年作で、『惜命(「「ブロンぺ」=十四句)」の内)』所収、そして、「胸形變板画巻(「三十目」)所収の句である。もう、この時には、前年に、二回の成形手術、そして、三回目のブロンぺの手術後の句で、その背景は、波郷が「死」をも覚悟しての、壮絶な句というイメージを宿す句なのである。
それに続く、二句目の「蝌蚪群るる限り君癒えよ我は否」の句は、波郷の「馬酔木(水原秋櫻子)」の『同机・同胞・同志』、そして、「人間探求派の『長兄・中村草田男、次兄・加藤楸邨、三男・篠原梵・四男(末弟)・石田波郷』」の、その『兄事する同志・連衆の楸邨』」への挨拶句ということになる。
当時、この二人は、同じ「胸部疾患」で、「病臥の日々」にあったが、楸邨は、上記の三句目の「蝌蚪尾なし四五冊の書をさまよへば」と、波郷の、当時の、手術に次ぐ手術の、その闘病の日々に比すると、上記の二句目の、波郷の「君(楸邨) 癒えよ吾(波郷)は否」と、これは、波郷の日々「死」と向き合った句に接すると、この二人の、終生の関係が浮き彫りになってくる。
そして、上記の四句目の、楸邨の「ビール吹くかつて波郷としかせりき」の句は、当時の「生死を彷徨っている『波郷』」への挨拶句ということになろう。
そもそも、この自作句中に、特定の「波郷」などという、句を鑑賞する側にとっては、意味不明ともいえる、謂わば、「同志・連衆」の名と、「自己」の名とを、直接的、また、間接的に「前書」などで多用した、「人間探求派の『長兄・中村草田男、次兄・加藤楸邨、三男・篠原梵・四男(末弟)・石田波郷』」の中で、「加藤楸邨」ということになろう。
没日寒「草田男」の胸釦(ボタン)はづれ
我が名「楸邨」汗の沈黙(しじま)に呟かる
夏痩せてありや浴衣の脛を抱き(前書「石田波郷に」)
これらの句は、戦前の、昭和十五年(一九四〇)、楸邨、三十五歳の時に刊行された、第三句集『穂高』所収のものである。この年に、楸邨は、俳誌「寒雷」を創刊、主宰者となっている。この前年の八月には、「俳句研究」の座談会「新しい俳句の課題」(草田男・楸邨・梵・波郷)で、「人間探求派」というネーミングを呈されることになる。
https://yahantei14.seesaa.net/article/509168121.html
秋の風書き憂かりけむ字の歪み(前書「波郷病む」)
この句は、楸邨の第七句集『野哭』(昭和二十三年刊)所収「野哭抄」の句で、昭和二十二年の作である。この年の十月に、清瀬の国立東京療養所に入所する前に、江戸川保健所に通い、人口気胸などを行っていたが、症状は悪化の一途で、そういう最中にあって、楸邨と波郷との間では、相互に書翰の遣り取りなどをしていたのであろう。
鉛筆書きの濃く淡く冬嶺濃く淡く(前書「病波郷より来信」)
この句は、楸邨の第八句集『起伏』(昭和二十四年刊)所収のもので、波郷の、清瀬の国立東京療養所からの書翰に関するものであろう。
こういう、共に、病臥中の、楸邨と波郷との、その書翰などの句に接すると、掲出の、下記の波郷の句などは、より鮮明にイメージ化されて来るであろう。
惜しみなく女患者に蝌蚪頒つ 波郷『惜命』(昭和二十四年)
蝌蚪群るる限り君癒えよ我は否 同上
この二句目の「蝌蚪(かと、くわと)」は、「加藤楸邨」の、その「加藤(かとう・くわとう)」の、波郷の「捩り」(もとの表現を変えて滑稽(こっけい)または寓意(ぐうい)的にしたもの)の用例のようにも思われて来る。
(参考三)『惜命(石田波郷第四句集・五百六句)』と「胸形變板画巻(『惜命板画柵』)」(石田波郷句・棟方志功板画・三十七句)との周辺(未完)
※『惜命(石田波郷第四句集・五百六句)』(『現代俳句大系 第八巻』所収「惜命」などに因る。)
※「胸形變板画巻(『惜命板画柵』)・三十七句」(石田波郷句・棟方志功板画)周辺(「俳句研究/昭和六十二・八/特集・石田波郷の文学」所収「『胸形変』板画巻(吉良蘇月稿)」などに因る。)
『惜命(石田波郷第四句集・五百六句)』と「胸形變板画巻(『惜命板画柵』)・三十七句」
「秋臥(五句)」→ (昭和二十二年、三十五歳) →「胸形變板画巻(『惜命板画柵』)無
「冬日射(十三句)→「同上)」無
「横光利一死(八句)」→「同上)」無
「墓の眺め(八句)」 →(昭和二十三年、三十六歳) →「同上)」無
「春へ(八句)」 →(「同上)」無
「後雁(十四句)」 →「同上)」無
「遠母来(五句)」 →「同上)」無
「薄暑(五句)」 →「同上)」無
「療養所(十一句)」 →「同上)」無
「羸痩(るいそう)=「痩せること」(十七句)」→「同上・下記(三句)」
一 栗咲く香血を喀く前もその後も (唐草の図)→「栗咲く(栗の花)」(仲夏)
https://yahan.seesaa.net/article/507842165.html
二 優曇華やきのふの如き熱の中 (絮の図)→「優曇華」(晩夏)
https://yahan.seesaa.net/article/507963081.html
三 蝉かなしベッド縋る子を見れば (角材の図)→「蝉」(晩夏)
https://yahan.seesaa.net/article/508139416.html
「凡に見ず(八句)」→「同上」」無
「肋(あばら)(十一句)」→「同上・下記(一句)」
四 金の芒はるかなる母の禱りをり (野草の図)→「芒(すすき)」(三秋)
https://yahan.seesaa.net/article/508338776.html
「成形(二十四句)」→「同上・下記(四句)」
五 花圃(かほ)に水汲める見てをり手術前 (角材の図)→「花圃(かほ)」(三秋)
https://yahan.seesaa.net/article/508393480.html
六 たばしるや叫喚す胸形変 ※(無紋余白)→「鵙」(三秋)
https://yahan.seesaa.net/article/508677638.html
七 麻薬うてば十三夜月遁走す (唐草丸紋の図) )→「十三夜月」(晩秋)
https://yahan.seesaa.net/article/508941120.html
八 秋の暮溲罎(しびん)泉のこゑをなす (枯葉の図)→「秋の暮」(三秋)
https://yahan.seesaa.net/article/509098148.html
「二次成形告知(五句)」 →「同上」無
「二次成形その後(二十句)」→「同上・下記(二句)」
九 松籟や白息かた みにながし佇つ(大木の図)→「息白し)」(三冬)
https://yahan.seesaa.net/article/509163561.html
一〇 悴み病めど栄光の如く子等育つ(木枝の図)→「悴)む」(晩冬)
https://yahan.seesaa.net/article/509305818.html
「冬鶯(十一句)」→「同上・下記(三句)」
一一 冬日の妻よ吾に肋骨無きのちも ※(無紋余白)→「冬日」(三冬)
https://yahan.seesaa.net/article/509396772.html
一二 冬鶯われは病弟子胸あつし (角材の図)→「冬鶯」(三冬)
https://yahan.seesaa.net/article/509611636.html
一三 寒夜脇に肋の切口開くべし (肋骨の図)→「寒夜(冬の夜)」(三冬)
https://yahan.seesaa.net/article/509671280.html
「送迎(十一句)」→(「胸形變板画巻(『惜命板画柵』)無
「ベトレヘムの鐘」)→「同上・下記(一句)」
一四 病む六人一寒燈を消すとき来(ベッドの図)→「寒燈」(三冬)
https://yahan.seesaa.net/article/510025519.html
「屍の眺め(四十一句)」→(昭和二十四年、三十七歳) →「胸形變板画巻(『惜命板画柵』) →「同上・下記(七句)」
一五 綿虫やそこは屍の出でゆく門 ※(無紋余白)→「綿虫」(初冬)
https://yahan.seesaa.net/article/510098153.html
一六 白き手の病者ばかりの落葉焚(楢の葉の図)→「落葉焚」(三冬)
https://yahan.seesaa.net/article/510134541.html
一七 冬日低し吾と子の間妻急がん※(無紋余白)→「冬日」(三冬)
https://yahan.seesaa.net/article/510216150.html
一八 妻恋へり裸木に星咲き出でて (木立の図)→「裸木」(三冬)
https://yahan.seesaa.net/article/510241589.html
一九 頂は見えぬ赤松冬日沁む (松の図)→「冬日」(三冬)
https://yahan.seesaa.net/article/510336309.html
二〇 牡蠣食へり重たき肩を起しては (波頭の図)→「牡蛎」(三冬)
https://yahan.seesaa.net/article/510365383.html
二一 曇天と古草の間屍(かばね)行く (角材の図)→「古草」(三冬)
https://yahan.seesaa.net/article/510416249.html
「雪(五句)」→→「同上・下記(一句)」
二二 雪はしづかにゆたかにはやし屍室 ※(黒地・白鷺の図)→「雪」(晩冬)」
https://yahan.seesaa.net/article/510475147.html
「雪ふたたび(五句) →「同上・下記(一句)」
二三 雪後来し子の柔(にこ)髪のかなしさよ ※(無紋余白)→「雪後(雪後の天・深雪晴・雪晴)」(晩冬)
https://yahan.seesaa.net/article/510573408.html
「早春(十一句) →「同上・下記(四句)」
二四 梅も一枝死者の仰臥の正しさよ (梅花の図)→「梅」(初春)
https://yahan.seesaa.net/article/510805227.html
二五 三月風胸の火吹かれ打臥すも (並び紋様)→「三月(風)」(仲春)
https://yahan.seesaa.net/article/510894302.html
二六 春雷の熄みし口洞閉づるかな (雪図紋) →「春雷」(三春)
https://yahan.seesaa.net/article/511134741.html
二七 春疾風屍(かばね)敢て出でゆくも (芽木の図) →「春疾風」(三春)
https://yahan.seesaa.net/article/511331313.html
「遺残空洞(十四句)」→「同上・下記(二句)」
二八 屍(し)を運ぶ春丸顔の看護婦達 ※(黒地・観音像の図) →「春()
https://yahantei14.seesaa.net/article/511556250.html?1741734966
二九 雪柳ふぶくごとくに今や咳く (雪柳の図) →「雪柳」(仲春)
https://yahan.seesaa.net/article/511764892.html
「ブロンぺ(十四句)」→「同上・下記(一句)」
三〇 惜しみなく女患者に蝌蚪頒つ (女性と蝌蚪図) →
「予量(十七句)」→「同上・下記(一句)」
三一 蟻地獄病者の影をもて蔽ふ ※(無紋余白) →
「憂患(十一句)」→「胸形變板画巻(『惜命板画柵』)無
「長梅雨(三十二句)」→「同上・下記(二句)」
三二 梅雨仄か命死ぬ歌頬を熱す ※(無紋余白) →
三三 灯るごと梅雨の郭公鳴き出だす (郭公 の図) →
「動悸(八句)」 →「胸形變板画巻(『惜命板画柵』)無
「荘厳(十一句)」→「同上』)下記二句
三四 日盛りのシヤワー痩躯を荘厳す (日輪の図) →
三五 業苦呼起す未明の風鈴は ※(無紋余白) →
「晩夏光(十四句)」(「同上』)下記一句
三七 病者より痩せしかぐろき小鰺売り (昼顔の図) →
「癩園の籬(十一句)」→「同上)無
「颱風過(十四句)」「同上)下記一句
三六 野分あと口のゆるびて睡りをり (野の草の図) →
露の楽(八句) →(昭和二十四年、三十七歳) →「同上』)無
霧雫(八句) →(昭和二十四年、三十七歳)→「同上」
捨菊(十七句) →(昭和二十四年、三十七歳) →「同上」
接吻(八句) →(昭和二十四年、三十七歳) →「同上」
冬日楽園(二十三句) →(昭和二十四年、三十七歳) →「同上」
降誕祭過(五句) →(昭和二十四年、三十七歳) →「同上」
家長七日(十一句) → (昭和二十五年、三十八歳) →「同上」
水仙花(二十句) → (昭和二十五年、三十八歳) →「同上」
「棟方志功全集 第5巻 (詩歌の柵 1)」(「国立国会図書館デジタルコレクション」)所収「胸形變板画巻」
https://dl.ndl.go.jp/pid/12748150/1/120
季語は「蝌蚪(かと、くわと)」(晩春)。句意は、「『お玉杓子』の模様の頭巾を被った女性の患者が、吾の病室の『蝌蚪(「お玉杓子」)』を欲しいと言う。『どうぞ・どうぞ』と、『惜しみなく』(『形見分け』の如く)、進呈するのである。」
もとより、この句意は、志功の板画の、「黒線との白線との『女患者』」の画像によるものだが、『惜命』(系列第五句集/昭和二十三年~二十五年)などの、この句の収載されている、その前後の句を見て行くと、その背景が、より具象的にイメージされて来る。
(「遺残空洞」=十四句、うち四句抜粋)
屍を運ぶ春丸顔の看護婦達(「胸形變板画巻」二十八句目)
https://yahan.seesaa.net/article/511577926.html
るいるいと蟇交み手術延びてをり
目刺一連療養いよよ永からむ
雪柳ふぶくこどくに今や咳く(「胸形變板画巻」二十九句目)
https://yahan.seesaa.net/article/511764892.html
(「ブロンぺ」=十四句、うち八句抜粋)
噴水の耳打つ手術前夜寝ず
創痛や春の山鳩応(いら)へつつ
噴水や顎も二重の看護婦等
緑蔭を看護婦がゆき死神がゆく
蝌蚪群るる限り君癒えよ我は否(前書「楸邨に」)
麺麭屑を蝌蚪にやる他の生もなし
※惜しみなく女患者に蝌蚪頒つ(「胸形變板画巻」三十句目)
手術経て苺つぶせり左手に
(「予量」=十七句、うち四句抜粋)
曲がりて赤し風無き日の出の松の芯
卯の花や仰臥の指に葉一枚
夕虹や三年生き得ば神の寵
蟻地獄病者の影をもて蔽ふ(「胸形變板画巻」三十一句目)
『惜命』の、波郷自身の「『惜命』余禄」(「跋」=抜粋)には、次のとおり記されている。
昭和二十三年五月 七日、都下清瀬村国立東京療養所七寮に入所す。
同年 十月十四日、第一次成形。右第一~第四肋骨切除。
同年 十二月二日、第二次成形。右第五~第七肋骨切除。
昭和二十四年二月、 断層写真に遺残空洞を認む。(「遺残空洞」=十四句)
同年四月十四日、遺残空洞に対し肋膜外合成樹脂充填術を行ふ。(「ブロンぺ」=十四句)
同年五月、手術後しばらく陰性たりし菌陽性となる。(「予量」=十七句)
同年九月、「惜命」を編み、十月退所を予定す。
同年十月、補正成形をすすめられる。直後検痰塗沫陰性、月末集菌陰性。「胸形変」を編む。
同年十一月、正月退所を許さる。
同年十二月二十八日、外泊許可を得て自宅に帰る。
昭和二十五年一月四日、療養所にに帰る。「現代俳句」編纂を始む。「「惜命」追加終了。
昭和二十五年一月二十八日清瀬にて 筆者(石田波郷)記
掲出の「※惜しみなく女患者に蝌蚪頒つ」は、、「第一次成形」手術(昭和二十三十月)、「第二次成形」手術(同年十二月)」、そして、第三次の「合成樹脂充填術(「ピンポン球位の四個、ナフタリン位の十九個けを埋め込む手術」)」(昭和二十四年四月)の直後の句ということになる。この句に続く「予量」(病状の「経過処置」・「予後処置」)の「夕虹や三年生き得ば神の寵」の句などと併せ鑑賞して行くと、これは紛れもなく、その「惜しみなく」は、「死」を意識する日々にあって、「形見分け」のようなイメージが湧いて来る。
そして、この「蝌蚪」(お玉杓子)は、その「死」をイメージする「病原菌」(結核菌陽性)にも、その「生(再生)」をイメージする「孵化したばかり蛙の子」にも、これらの句に接する者には、二様のイメージを齎すのでのであろう。
これらのことは、前の「遺残空洞」に収載されている「屍を運ぶ春丸顔の看護婦達」の句の「陽(よう)の看護婦」(「女人ぼさつ(岡本かの子・詩)」)のイメージ(「患者」の「生」を見守っている「生」のイメージ)から、「ブロンぺ」に収載されている「緑蔭を看護婦がゆき死神がゆく」の句の「死」のイメージの、「屍(遺体・死体=死神)を運ぶ」、その「蔭(いん)の看護婦」のイメージへと、これまた、二様のイメージが様々に交差して来る。
(参考一) [「蝌蚪(かと、くわと)」(晩春)周辺
https://kigosai.sub.jp/001/archives/1966#:~:text=%E8%9D%8C%E8%9A%AA%EF%BC%88%E3%81%8B%E3%81%A8%E3%80%81%E3%81%8F%E3%82%8F%E3%81%A8%EF%BC%89%20%E6%99%A9%E6%98%A5%20%E2%80%93%20%E5%AD%A3%E8%AA%9E%E3%81%A8%E6%AD%B3%E6%99%82%E8%A8%98
【子季語】 お玉杓子、蛙の子、蛙子、蛙生る、蝌蚪の紐、数珠子、蝌蚪の水
【関連季語】 蛙
【解説】 蛙の子である。ちょろちょろと泳ぎまわる姿が愛らしく、次第に手足が生え尾がとれてゆく。形が杓子に似ていることからこの名がある。 ](「きごさい歳時記」)
【例句】(抜粋)
https://fudemaka57.exblog.jp/25610583/
惜しみなく女患者に蝌蚪頒つ 石田波郷『惜命』
麺麭屑を蝌蚪にやる他の生もなし 石田波郷『惜命』
蝌蚪群るる限り君癒えよ我は否 石田波郷『惜命』
肋切りし日ははや遠し蝌蚪見れば 石田波郷
病みて長き指をぬらせり蝌蚪の水 石田波郷
蝌蚪の死ぬ土くれ投げつ嘆かるる 石田波郷
浅き水に泛びて山の蝌蚪あかし 石田波郷
蝌蚪の水わたれば佛居居へり 水原秋櫻子『葛飾』
峠田は蝌蚪にかがよふ漆の芽 水原秋櫻子『残鐘』
蝌蚪のこる不思議さに水澄みにけり 水原秋櫻子『蘆雁』
吉野路は田打おそくして蝌蚪あそぶ 水原秋櫻子『秋苑』
にはとりも蝌蚪もおどろきをすぐ忘る 中村草田男
いまだ蝌蚪そのもの乾くには到らず 中村草田男
蝌蚪小さし浮かびて消ゆる水泡よりも 中村草田男
蝌蚪育つ鉄気の水に鋼色 中村草田男
蝌蚪見れば孤児院思ふ性を葉てよ 中村草田男
蝌蚪尾なし四五冊の書をさまよへば 加藤秋邨『山脈』
生れきたりてはてなくおたまじやくしなり 加藤秋邨
かの日見し蝌蚪いまつくづくと青蛙 加藤秋邨
税の数字よ小学生の日の蝌蚪よ 加藤秋邨
蝌蚪の群焦土に子等を置きにけり 加藤秋邨
蝌蚪足を翼のごとくふりあへる 加藤秋邨
尾をふる蝌蚪幾万を埋め売地です 加藤秋邨
蝌蚪の水ふめば崩るゝ泥の色 石橋秀野
蝌蚪一つ唇ひろぐればぼたん散る 永田耕衣
(参考二) 『惜命』(石田波郷)と『山脈』(加藤楸邨)周辺
麻薬うてば十三夜月遁走す 波郷『惜命』(昭和二十三年)
https://yahan.seesaa.net/article/508941120.html
水のむと片目つぶれば十三夜 楸邨『山脈』(前書「昭和二十三年より病臥続く」)
この波郷の句は、昭和二十三年十月の「第一次成形」手術後の、『惜命(「成形(二十四句)」の内)』所収、そして、「胸形變板画巻(「七句目」)所収の句である。
この波郷の、肋骨を四本切除後の、瀕死の病床にあって「十三夜(月)」を作句した、その同じ年の「十三夜」の句を、楸邨は、「水のむと片目つぶれば十三夜」と作句し、この句に、「昭和二十三年より病臥続く」との前書を付している。楸邨もまた、波郷と同じく、胸部疾患で、病床にあったのである。
波郷の『惜命』は、波郷の金字塔をなす「境涯俳句」の、その赤裸々な、「わが闘病恢復記(「肺の中のピンポン球」のサブタイトル)の、その全貌の、「病床句日記」でもある。
惜しみなく女患者に蝌蚪頒つ 波郷『惜命』(昭和二十四年)
蝌蚪群るる限り君癒えよ我は否 同上
蝌蚪尾なし四五冊の書をさまよへば 秋邨『山脈(昭和二十三年~昭和二十四年)』
ビール吹くかつて波郷としかせりき 同上
掲出の、上記一句目の波郷の句は、昭和二十四年作で、『惜命(「「ブロンぺ」=十四句)」の内)』所収、そして、「胸形變板画巻(「三十目」)所収の句である。もう、この時には、前年に、二回の成形手術、そして、三回目のブロンぺの手術後の句で、その背景は、波郷が「死」をも覚悟しての、壮絶な句というイメージを宿す句なのである。
それに続く、二句目の「蝌蚪群るる限り君癒えよ我は否」の句は、波郷の「馬酔木(水原秋櫻子)」の『同机・同胞・同志』、そして、「人間探求派の『長兄・中村草田男、次兄・加藤楸邨、三男・篠原梵・四男(末弟)・石田波郷』」の、その『兄事する同志・連衆の楸邨』」への挨拶句ということになる。
当時、この二人は、同じ「胸部疾患」で、「病臥の日々」にあったが、楸邨は、上記の三句目の「蝌蚪尾なし四五冊の書をさまよへば」と、波郷の、当時の、手術に次ぐ手術の、その闘病の日々に比すると、上記の二句目の、波郷の「君(楸邨) 癒えよ吾(波郷)は否」と、これは、波郷の日々「死」と向き合った句に接すると、この二人の、終生の関係が浮き彫りになってくる。
そして、上記の四句目の、楸邨の「ビール吹くかつて波郷としかせりき」の句は、当時の「生死を彷徨っている『波郷』」への挨拶句ということになろう。
そもそも、この自作句中に、特定の「波郷」などという、句を鑑賞する側にとっては、意味不明ともいえる、謂わば、「同志・連衆」の名と、「自己」の名とを、直接的、また、間接的に「前書」などで多用した、「人間探求派の『長兄・中村草田男、次兄・加藤楸邨、三男・篠原梵・四男(末弟)・石田波郷』」の中で、「加藤楸邨」ということになろう。
没日寒「草田男」の胸釦(ボタン)はづれ
我が名「楸邨」汗の沈黙(しじま)に呟かる
夏痩せてありや浴衣の脛を抱き(前書「石田波郷に」)
これらの句は、戦前の、昭和十五年(一九四〇)、楸邨、三十五歳の時に刊行された、第三句集『穂高』所収のものである。この年に、楸邨は、俳誌「寒雷」を創刊、主宰者となっている。この前年の八月には、「俳句研究」の座談会「新しい俳句の課題」(草田男・楸邨・梵・波郷)で、「人間探求派」というネーミングを呈されることになる。
https://yahantei14.seesaa.net/article/509168121.html
秋の風書き憂かりけむ字の歪み(前書「波郷病む」)
この句は、楸邨の第七句集『野哭』(昭和二十三年刊)所収「野哭抄」の句で、昭和二十二年の作である。この年の十月に、清瀬の国立東京療養所に入所する前に、江戸川保健所に通い、人口気胸などを行っていたが、症状は悪化の一途で、そういう最中にあって、楸邨と波郷との間では、相互に書翰の遣り取りなどをしていたのであろう。
鉛筆書きの濃く淡く冬嶺濃く淡く(前書「病波郷より来信」)
この句は、楸邨の第八句集『起伏』(昭和二十四年刊)所収のもので、波郷の、清瀬の国立東京療養所からの書翰に関するものであろう。
こういう、共に、病臥中の、楸邨と波郷との、その書翰などの句に接すると、掲出の、下記の波郷の句などは、より鮮明にイメージ化されて来るであろう。
惜しみなく女患者に蝌蚪頒つ 波郷『惜命』(昭和二十四年)
蝌蚪群るる限り君癒えよ我は否 同上
この二句目の「蝌蚪(かと、くわと)」は、「加藤楸邨」の、その「加藤(かとう・くわとう)」の、波郷の「捩り」(もとの表現を変えて滑稽(こっけい)または寓意(ぐうい)的にしたもの)の用例のようにも思われて来る。
(参考三)『惜命(石田波郷第四句集・五百六句)』と「胸形變板画巻(『惜命板画柵』)」(石田波郷句・棟方志功板画・三十七句)との周辺(未完)
※『惜命(石田波郷第四句集・五百六句)』(『現代俳句大系 第八巻』所収「惜命」などに因る。)
※「胸形變板画巻(『惜命板画柵』)・三十七句」(石田波郷句・棟方志功板画)周辺(「俳句研究/昭和六十二・八/特集・石田波郷の文学」所収「『胸形変』板画巻(吉良蘇月稿)」などに因る。)
『惜命(石田波郷第四句集・五百六句)』と「胸形變板画巻(『惜命板画柵』)・三十七句」
「秋臥(五句)」→ (昭和二十二年、三十五歳) →「胸形變板画巻(『惜命板画柵』)無
「冬日射(十三句)→「同上)」無
「横光利一死(八句)」→「同上)」無
「墓の眺め(八句)」 →(昭和二十三年、三十六歳) →「同上)」無
「春へ(八句)」 →(「同上)」無
「後雁(十四句)」 →「同上)」無
「遠母来(五句)」 →「同上)」無
「薄暑(五句)」 →「同上)」無
「療養所(十一句)」 →「同上)」無
「羸痩(るいそう)=「痩せること」(十七句)」→「同上・下記(三句)」
一 栗咲く香血を喀く前もその後も (唐草の図)→「栗咲く(栗の花)」(仲夏)
https://yahan.seesaa.net/article/507842165.html
二 優曇華やきのふの如き熱の中 (絮の図)→「優曇華」(晩夏)
https://yahan.seesaa.net/article/507963081.html
三 蝉かなしベッド縋る子を見れば (角材の図)→「蝉」(晩夏)
https://yahan.seesaa.net/article/508139416.html
「凡に見ず(八句)」→「同上」」無
「肋(あばら)(十一句)」→「同上・下記(一句)」
四 金の芒はるかなる母の禱りをり (野草の図)→「芒(すすき)」(三秋)
https://yahan.seesaa.net/article/508338776.html
「成形(二十四句)」→「同上・下記(四句)」
五 花圃(かほ)に水汲める見てをり手術前 (角材の図)→「花圃(かほ)」(三秋)
https://yahan.seesaa.net/article/508393480.html
六 たばしるや叫喚す胸形変 ※(無紋余白)→「鵙」(三秋)
https://yahan.seesaa.net/article/508677638.html
七 麻薬うてば十三夜月遁走す (唐草丸紋の図) )→「十三夜月」(晩秋)
https://yahan.seesaa.net/article/508941120.html
八 秋の暮溲罎(しびん)泉のこゑをなす (枯葉の図)→「秋の暮」(三秋)
https://yahan.seesaa.net/article/509098148.html
「二次成形告知(五句)」 →「同上」無
「二次成形その後(二十句)」→「同上・下記(二句)」
九 松籟や白息かた みにながし佇つ(大木の図)→「息白し)」(三冬)
https://yahan.seesaa.net/article/509163561.html
一〇 悴み病めど栄光の如く子等育つ(木枝の図)→「悴)む」(晩冬)
https://yahan.seesaa.net/article/509305818.html
「冬鶯(十一句)」→「同上・下記(三句)」
一一 冬日の妻よ吾に肋骨無きのちも ※(無紋余白)→「冬日」(三冬)
https://yahan.seesaa.net/article/509396772.html
一二 冬鶯われは病弟子胸あつし (角材の図)→「冬鶯」(三冬)
https://yahan.seesaa.net/article/509611636.html
一三 寒夜脇に肋の切口開くべし (肋骨の図)→「寒夜(冬の夜)」(三冬)
https://yahan.seesaa.net/article/509671280.html
「送迎(十一句)」→(「胸形變板画巻(『惜命板画柵』)無
「ベトレヘムの鐘」)→「同上・下記(一句)」
一四 病む六人一寒燈を消すとき来(ベッドの図)→「寒燈」(三冬)
https://yahan.seesaa.net/article/510025519.html
「屍の眺め(四十一句)」→(昭和二十四年、三十七歳) →「胸形變板画巻(『惜命板画柵』) →「同上・下記(七句)」
一五 綿虫やそこは屍の出でゆく門 ※(無紋余白)→「綿虫」(初冬)
https://yahan.seesaa.net/article/510098153.html
一六 白き手の病者ばかりの落葉焚(楢の葉の図)→「落葉焚」(三冬)
https://yahan.seesaa.net/article/510134541.html
一七 冬日低し吾と子の間妻急がん※(無紋余白)→「冬日」(三冬)
https://yahan.seesaa.net/article/510216150.html
一八 妻恋へり裸木に星咲き出でて (木立の図)→「裸木」(三冬)
https://yahan.seesaa.net/article/510241589.html
一九 頂は見えぬ赤松冬日沁む (松の図)→「冬日」(三冬)
https://yahan.seesaa.net/article/510336309.html
二〇 牡蠣食へり重たき肩を起しては (波頭の図)→「牡蛎」(三冬)
https://yahan.seesaa.net/article/510365383.html
二一 曇天と古草の間屍(かばね)行く (角材の図)→「古草」(三冬)
https://yahan.seesaa.net/article/510416249.html
「雪(五句)」→→「同上・下記(一句)」
二二 雪はしづかにゆたかにはやし屍室 ※(黒地・白鷺の図)→「雪」(晩冬)」
https://yahan.seesaa.net/article/510475147.html
「雪ふたたび(五句) →「同上・下記(一句)」
二三 雪後来し子の柔(にこ)髪のかなしさよ ※(無紋余白)→「雪後(雪後の天・深雪晴・雪晴)」(晩冬)
https://yahan.seesaa.net/article/510573408.html
「早春(十一句) →「同上・下記(四句)」
二四 梅も一枝死者の仰臥の正しさよ (梅花の図)→「梅」(初春)
https://yahan.seesaa.net/article/510805227.html
二五 三月風胸の火吹かれ打臥すも (並び紋様)→「三月(風)」(仲春)
https://yahan.seesaa.net/article/510894302.html
二六 春雷の熄みし口洞閉づるかな (雪図紋) →「春雷」(三春)
https://yahan.seesaa.net/article/511134741.html
二七 春疾風屍(かばね)敢て出でゆくも (芽木の図) →「春疾風」(三春)
https://yahan.seesaa.net/article/511331313.html
「遺残空洞(十四句)」→「同上・下記(二句)」
二八 屍(し)を運ぶ春丸顔の看護婦達 ※(黒地・観音像の図) →「春()
https://yahantei14.seesaa.net/article/511556250.html?1741734966
二九 雪柳ふぶくごとくに今や咳く (雪柳の図) →「雪柳」(仲春)
https://yahan.seesaa.net/article/511764892.html
「ブロンぺ(十四句)」→「同上・下記(一句)」
三〇 惜しみなく女患者に蝌蚪頒つ (女性と蝌蚪図) →
「予量(十七句)」→「同上・下記(一句)」
三一 蟻地獄病者の影をもて蔽ふ ※(無紋余白) →
「憂患(十一句)」→「胸形變板画巻(『惜命板画柵』)無
「長梅雨(三十二句)」→「同上・下記(二句)」
三二 梅雨仄か命死ぬ歌頬を熱す ※(無紋余白) →
三三 灯るごと梅雨の郭公鳴き出だす (郭公 の図) →
「動悸(八句)」 →「胸形變板画巻(『惜命板画柵』)無
「荘厳(十一句)」→「同上』)下記二句
三四 日盛りのシヤワー痩躯を荘厳す (日輪の図) →
三五 業苦呼起す未明の風鈴は ※(無紋余白) →
「晩夏光(十四句)」(「同上』)下記一句
三七 病者より痩せしかぐろき小鰺売り (昼顔の図) →
「癩園の籬(十一句)」→「同上)無
「颱風過(十四句)」「同上)下記一句
三六 野分あと口のゆるびて睡りをり (野の草の図) →
露の楽(八句) →(昭和二十四年、三十七歳) →「同上』)無
霧雫(八句) →(昭和二十四年、三十七歳)→「同上」
捨菊(十七句) →(昭和二十四年、三十七歳) →「同上」
接吻(八句) →(昭和二十四年、三十七歳) →「同上」
冬日楽園(二十三句) →(昭和二十四年、三十七歳) →「同上」
降誕祭過(五句) →(昭和二十四年、三十七歳) →「同上」
家長七日(十一句) → (昭和二十五年、三十八歳) →「同上」
水仙花(二十句) → (昭和二十五年、三十八歳) →「同上」
その三十一 蟻地獄病者の影をもて蔽ふ

「棟方志功全集 第5巻 (詩歌の柵 1)」(「国立国会図書館デジタルコレクション」)所収「胸形變板画巻」
https://dl.ndl.go.jp/pid/12748150/1/121
季語は、「蟻地獄」(三夏)=「その穴に蟻が落ち込めば、砂のため這い出すことができず、蟻はその体液を吸いとられる。」
句意は、「肺病(肺疾患・俳結核)というのは、まさに、『蟻地獄』さながらに、二度と這い出すことが出来ない業病である。その業病を背負った『病者の影』をして、「もて蔽ふ(う)」(その陰影をして、「蔽い隠したい」)日々である。」
この句は、波郷が実景の「蟻地獄」を見ての「嘱目吟(句)」「(俳諧で、即興的に目にふれたものを吟ずること)ではない。病床にあって、今の生死を彷徨っている病気の、その根っ子にある「病原菌(結核菌)」などから、「蟻地獄」などを連想しての、「観想・観念・感慨」(「嘱目景」の反対の「心象景」のような意)の句ということになる。
そして、この「観想・観念・感慨」(「嘱目景」の反対の「心象景」のような意)の句の背景には、当時の、三度の手術(成形手術二回、ブロンぺ関連手術一回)で足掻いている自分(波郷)と、同じ、肺疾患で病床の日々にある「俳諧連衆・連衆の兄事する加藤楸邨」、そして、
この前年(昭和二十三年)の八月二十一日に、急死した、然も、同じ病原菌の「急性結核」で亡くなった、水原秋櫻子の「馬酔木」門で切磋琢磨した「俳諧連衆・連衆の兄事する石橋辰之助(竹秋子)」のことが、この「蟻地獄」の背景に蠢いていると解すると、この句の全体像が浮かび上がって来る。
この「石橋辰之助(竹秋子)」が亡くなった時の、加藤楸邨と石田波郷との句が、それぞれ、
『起伏(楸邨句集)』と『惜命(波郷句集)』に収載されている。
短夜の青嶺ばかりがのこりけり(楸邨『起伏』、前書「石橋辰之助 訃報」)
頬に蠅つけ睡れる者は縁由(ゆかり)なし(波郷『惜命』、前書「石橋辰之助の訃を聞く」)
この一句目の、楸邨の辰之助への追悼句の、「短夜・青嶺」などの措辞は、次の、石橋辰之助の句の「本句取り」の用例と解することも出来よう。
短夜の国原とざす霧に濡れ (石橋辰之助『山行』所収「黎明」)
短夜の扉は雲海ひらかれぬ (「同上」所収集「昭和七年」)
紺青の空が淋しや萩の花 (「同上」所収「昭和六年」 )
繭干すや農鳥岳にとはの雪 (「同上」所収「昭和六年以前」)
二句目の、波郷の辰之助への追悼句は、何らかの石橋辰之助の「本句取り」の手法に因るものと解すると、次のような辰之助を句を挙げて置きたい。
炉火守りて焼岳凍る夜を寝ねず (石橋辰之助『山行』所収「山小屋想片」)
炉火守の遠き雪崩に目覚めをり (「同上」所収「昭和七年」)
遠ざかる雪崩や炉辺に目をとづる (「同上」所収「昭和七年」)
山桜青き夜空をちりゐたる (「同上」所収「昭和七年」)
即ち、この二句目の波郷の追悼句は、楸邨の、用語・用例による「本句取り」の句ではなくて、「頬に蠅つけ睡れる者は縁由(ゆかり)なし」と、「石橋辰之助は、頬に蠅つけ睡れる者ではない。」、石橋辰之助は、「炉火守りて焼岳凍る夜を寝ねず」・「炉火守の遠き雪崩に目覚めをり」に違いない。然れども、もし、その訃報が真実ならば、「遠ざかる雪崩や炉辺に目をとづる」のように、安らかな眠りであったことであろう。そして、畏友・辰之助の、「山桜青き夜空をちりゐたる」の句を反芻している・・・、と、このように解することも、一つの鑑賞であろう。
ついでに、下記の、波郷の『惜命』の一句は、辰之助の『山行』の句の「本句取り」の用例と解したい。
麺麭(めんぼう・パン)屑を蝌蚪にやる他の生もなし 石田波郷(『惜命』)
花に彳(た)ち農場の麵麭(めんぽう・パン)を喰ひちぎる 石橋辰之助(『山行』)
この一句目の、波郷の「席命」の句の、この上五中の「パン(綿棒・パン)」は、二句目の、辰之助の、中七の「農場の麵麭(めんぽう・パン)」の「本句取り」の句とも解せられ、この波郷の句の、「麺麭(めんぼう・パン)屑」は、「パン屑」と詠むように解したい。
(参考その一)「蟻地獄(ありじごく、ありぢごく)三夏」周辺
https://kigosai.sub.jp/001/archives/3714#:~:text=%E8%9F%BB%E5%9C%B0%E7%8D%84%EF%BC%88%E3%81%82%E3%82%8A%E3%81%98%E3%81%94%E3%81%8F%E3%80%81%E3%81%82%E3%82%8A,%E4%B8%89%E5%A4%8F%20%E2%80%93%20%E5%AD%A3%E8%AA%9E%E3%81%A8%E6%AD%B3%E6%99%82%E8%A8%98
【子季語】擂鉢虫、あとずさり、あとさり虫
【解説】うすばかげろうの幼虫である。うすばかげろうは細い砂のすり鉢状の穴を巣として、その穴の奥にひそんでいる。その穴に蟻が落ち込めば、砂のため這い出すことができず、蟻はその体液を吸いとられる。
【例句】
https://fudemaka57.exblog.jp/25949386
※蟻地獄病者の影をもて蔽ふ 石田波郷「惜命」
手を突けば数限りなき蟻地獄 石田波郷
※蟻地獄かく長き日のあるものか 加藤秋邨「起伏」
米搗ばつたひとりはねをり蟻地獄 加藤秋邨
蟻地獄ただどん底に月さして 加藤秋邨
他者の上にさぐる同罪蟻地獄 中村草田男
日のひかり蟻地獄さへ樟のにほひ 中村草田男
(参考二)『惜命(石田波郷第四句集・五百六句)』と「胸形變板画巻(『惜命板画柵』)」(石田波郷句・棟方志功板画・三十七句)との周辺(未完)
※『惜命(石田波郷第四句集・五百六句)』(『現代俳句大系 第八巻』所収「惜命」などに因る。)
※「胸形變板画巻(『惜命板画柵』)・三十七句」(石田波郷句・棟方志功板画)周辺(「俳句研究/昭和六十二・八/特集・石田波郷の文学」所収「『胸形変』板画巻(吉良蘇月稿)」などに因る。)
『惜命(石田波郷第四句集・五百六句)』と「胸形變板画巻(『惜命板画柵』)・三十七句」
「秋臥(五句)」→ (昭和二十二年、三十五歳) →「胸形變板画巻(『惜命板画柵』)無
「冬日射(十三句)→「同上)」無
「横光利一死(八句)」→「同上)」無
「墓の眺め(八句)」 →(昭和二十三年、三十六歳) →「同上)」無
「春へ(八句)」 →(「同上)」無
「後雁(十四句)」 →「同上)」無
「遠母来(五句)」 →「同上)」無
「薄暑(五句)」 →「同上)」無
「療養所(十一句)」 →「同上)」無
「羸痩(るいそう)=「痩せること」(十七句)」→「同上・下記(三句)」
一 栗咲く香血を喀く前もその後も (唐草の図)→「栗咲く(栗の花)」(仲夏)
https://yahan.seesaa.net/article/507842165.html
二 優曇華やきのふの如き熱の中 (絮の図)→「優曇華」(晩夏)
https://yahan.seesaa.net/article/507963081.html
三 蝉かなしベッド縋る子を見れば (角材の図)→「蝉」(晩夏)
https://yahan.seesaa.net/article/508139416.html
「凡に見ず(八句)」→「同上」」無
「肋(あばら)(十一句)」→「同上・下記(一句)」
四 金の芒はるかなる母の禱りをり (野草の図)→「芒(すすき)」(三秋)
https://yahan.seesaa.net/article/508338776.html
「成形(二十四句)」→「同上・下記(四句)」
五 花圃(かほ)に水汲める見てをり手術前 (角材の図)→「花圃(かほ)」(三秋)
https://yahan.seesaa.net/article/508393480.html
六 たばしるや叫喚す胸形変 ※(無紋余白)→「鵙」(三秋)
https://yahan.seesaa.net/article/508677638.html
七 麻薬うてば十三夜月遁走す (唐草丸紋の図) )→「十三夜月」(晩秋)
https://yahan.seesaa.net/article/508941120.html
八 秋の暮溲罎(しびん)泉のこゑをなす (枯葉の図)→「秋の暮」(三秋)
https://yahan.seesaa.net/article/509098148.html
「二次成形告知(五句)」 →「同上」無
「二次成形その後(二十句)」→「同上・下記(二句)」
九 松籟や白息かた みにながし佇つ(大木の図)→「息白し)」(三冬)
https://yahan.seesaa.net/article/509163561.html
一〇 悴み病めど栄光の如く子等育つ(木枝の図)→「悴)む」(晩冬)
https://yahan.seesaa.net/article/509305818.html
「冬鶯(十一句)」→「同上・下記(三句)」
一一 冬日の妻よ吾に肋骨無きのちも ※(無紋余白)→「冬日」(三冬)
https://yahan.seesaa.net/article/509396772.html
一二 冬鶯われは病弟子胸あつし (角材の図)→「冬鶯」(三冬)
https://yahan.seesaa.net/article/509611636.html
一三 寒夜脇に肋の切口開くべし (肋骨の図)→「寒夜(冬の夜)」(三冬)
https://yahan.seesaa.net/article/509671280.html
「送迎(十一句)」→(「胸形變板画巻(『惜命板画柵』)無
「ベトレヘムの鐘」)→「同上・下記(一句)」
一四 病む六人一寒燈を消すとき来(ベッドの図)→「寒燈」(三冬)
https://yahan.seesaa.net/article/510025519.html
「屍の眺め(四十一句)」→(昭和二十四年、三十七歳) →「胸形變板画巻(『惜命板画柵』) →「同上・下記(七句)」
一五 綿虫やそこは屍の出でゆく門 ※(無紋余白)→「綿虫」(初冬)
https://yahan.seesaa.net/article/510098153.html
一六 白き手の病者ばかりの落葉焚(楢の葉の図)→「落葉焚」(三冬)
https://yahan.seesaa.net/article/510134541.html
一七 冬日低し吾と子の間妻急がん※(無紋余白)→「冬日」(三冬)
https://yahan.seesaa.net/article/510216150.html
一八 妻恋へり裸木に星咲き出でて (木立の図)→「裸木」(三冬)
https://yahan.seesaa.net/article/510241589.html
一九 頂は見えぬ赤松冬日沁む (松の図)→「冬日」(三冬)
https://yahan.seesaa.net/article/510336309.html
二〇 牡蠣食へり重たき肩を起しては (波頭の図)→「牡蛎」(三冬)
https://yahan.seesaa.net/article/510365383.html
二一 曇天と古草の間屍(かばね)行く (角材の図)→「古草」(三冬)
https://yahan.seesaa.net/article/510416249.html
「雪(五句)」→→「同上・下記(一句)」
二二 雪はしづかにゆたかにはやし屍室 ※(黒地・白鷺の図)→「雪」(晩冬)」
https://yahan.seesaa.net/article/510475147.html
「雪ふたたび(五句) →「同上・下記(一句)」
二三 雪後来し子の柔(にこ)髪のかなしさよ ※(無紋余白)→「雪後(雪後の天・深雪晴・雪晴)」(晩冬)
https://yahan.seesaa.net/article/510573408.html
「早春(十一句) →「同上・下記(四句)」
二四 梅も一枝死者の仰臥の正しさよ (梅花の図)→「梅」(初春)
https://yahan.seesaa.net/article/510805227.html
二五 三月風胸の火吹かれ打臥すも (並び紋様)→「三月(風)」(仲春)
https://yahan.seesaa.net/article/510894302.html
二六 春雷の熄みし口洞閉づるかな (雪図紋) →「春雷」(三春)
https://yahan.seesaa.net/article/511134741.html
二七 春疾風屍(かばね)敢て出でゆくも (芽木の図) →「春疾風」(三春)
https://yahan.seesaa.net/article/511331313.html
「遺残空洞(十四句)」→「同上・下記(二句)」
二八 屍(し)を運ぶ春丸顔の看護婦達 ※(黒地・観音像の図) →「春」(三春)
https://yahantei14.seesaa.net/article/511556250.html?1741734966
二九 雪柳ふぶくごとくに今や咳く (雪柳の図) →「雪柳」(仲春)
https://yahan.seesaa.net/article/511764892.html
「ブロンぺ(十四句)」→「同上・下記(一句)」
三〇 惜しみなく女患者に蝌蚪頒つ (女性と蝌蚪図) →「蝌蚪」(晩春)
https://yahan.seesaa.net/article/511993735.html
「予量(十七句)」→「同上・下記(一句)」
三一 蟻地獄病者の影をもて蔽ふ ※(無紋余白) →「蟻地獄」(三夏)
「憂患(十一句)」→「胸形變板画巻(『惜命板画柵』)無
「長梅雨(三十二句)」→「同上・下記(二句)」
三二 梅雨仄か命死ぬ歌頬を熱す ※(無紋余白) →
三三 灯るごと梅雨の郭公鳴き出だす (郭公 の図) →
「動悸(八句)」 →「胸形變板画巻(『惜命板画柵』)無
「荘厳(十一句)」→「同上』)下記二句
三四 日盛りのシヤワー痩躯を荘厳す (日輪の図) →
三五 業苦呼起す未明の風鈴は ※(無紋余白) →
「晩夏光(十四句)」(「同上』)下記一句
三七 病者より痩せしかぐろき小鰺売り (昼顔の図) →
「癩園の籬(十一句)」→「同上)無
「颱風過(十四句)」「同上)下記一句
三六 野分あと口のゆるびて睡りをり (野の草の図) →
露の楽(八句) →(昭和二十四年、三十七歳) →「同上』)無
霧雫(八句) →(昭和二十四年、三十七歳)→「同上」
捨菊(十七句) →(昭和二十四年、三十七歳) →「同上」
接吻(八句) →(昭和二十四年、三十七歳) →「同上」
冬日楽園(二十三句) →(昭和二十四年、三十七歳) →「同上」
降誕祭過(五句) →(昭和二十四年、三十七歳) →「同上」
家長七日(十一句) → (昭和二十五年、三十八歳) →「同上」
水仙花(二十句) → (昭和二十五年、三十八歳) →「同上」
「棟方志功全集 第5巻 (詩歌の柵 1)」(「国立国会図書館デジタルコレクション」)所収「胸形變板画巻」
https://dl.ndl.go.jp/pid/12748150/1/121
季語は、「蟻地獄」(三夏)=「その穴に蟻が落ち込めば、砂のため這い出すことができず、蟻はその体液を吸いとられる。」
句意は、「肺病(肺疾患・俳結核)というのは、まさに、『蟻地獄』さながらに、二度と這い出すことが出来ない業病である。その業病を背負った『病者の影』をして、「もて蔽ふ(う)」(その陰影をして、「蔽い隠したい」)日々である。」
この句は、波郷が実景の「蟻地獄」を見ての「嘱目吟(句)」「(俳諧で、即興的に目にふれたものを吟ずること)ではない。病床にあって、今の生死を彷徨っている病気の、その根っ子にある「病原菌(結核菌)」などから、「蟻地獄」などを連想しての、「観想・観念・感慨」(「嘱目景」の反対の「心象景」のような意)の句ということになる。
そして、この「観想・観念・感慨」(「嘱目景」の反対の「心象景」のような意)の句の背景には、当時の、三度の手術(成形手術二回、ブロンぺ関連手術一回)で足掻いている自分(波郷)と、同じ、肺疾患で病床の日々にある「俳諧連衆・連衆の兄事する加藤楸邨」、そして、
この前年(昭和二十三年)の八月二十一日に、急死した、然も、同じ病原菌の「急性結核」で亡くなった、水原秋櫻子の「馬酔木」門で切磋琢磨した「俳諧連衆・連衆の兄事する石橋辰之助(竹秋子)」のことが、この「蟻地獄」の背景に蠢いていると解すると、この句の全体像が浮かび上がって来る。
この「石橋辰之助(竹秋子)」が亡くなった時の、加藤楸邨と石田波郷との句が、それぞれ、
『起伏(楸邨句集)』と『惜命(波郷句集)』に収載されている。
短夜の青嶺ばかりがのこりけり(楸邨『起伏』、前書「石橋辰之助 訃報」)
頬に蠅つけ睡れる者は縁由(ゆかり)なし(波郷『惜命』、前書「石橋辰之助の訃を聞く」)
この一句目の、楸邨の辰之助への追悼句の、「短夜・青嶺」などの措辞は、次の、石橋辰之助の句の「本句取り」の用例と解することも出来よう。
短夜の国原とざす霧に濡れ (石橋辰之助『山行』所収「黎明」)
短夜の扉は雲海ひらかれぬ (「同上」所収集「昭和七年」)
紺青の空が淋しや萩の花 (「同上」所収「昭和六年」 )
繭干すや農鳥岳にとはの雪 (「同上」所収「昭和六年以前」)
二句目の、波郷の辰之助への追悼句は、何らかの石橋辰之助の「本句取り」の手法に因るものと解すると、次のような辰之助を句を挙げて置きたい。
炉火守りて焼岳凍る夜を寝ねず (石橋辰之助『山行』所収「山小屋想片」)
炉火守の遠き雪崩に目覚めをり (「同上」所収「昭和七年」)
遠ざかる雪崩や炉辺に目をとづる (「同上」所収「昭和七年」)
山桜青き夜空をちりゐたる (「同上」所収「昭和七年」)
即ち、この二句目の波郷の追悼句は、楸邨の、用語・用例による「本句取り」の句ではなくて、「頬に蠅つけ睡れる者は縁由(ゆかり)なし」と、「石橋辰之助は、頬に蠅つけ睡れる者ではない。」、石橋辰之助は、「炉火守りて焼岳凍る夜を寝ねず」・「炉火守の遠き雪崩に目覚めをり」に違いない。然れども、もし、その訃報が真実ならば、「遠ざかる雪崩や炉辺に目をとづる」のように、安らかな眠りであったことであろう。そして、畏友・辰之助の、「山桜青き夜空をちりゐたる」の句を反芻している・・・、と、このように解することも、一つの鑑賞であろう。
ついでに、下記の、波郷の『惜命』の一句は、辰之助の『山行』の句の「本句取り」の用例と解したい。
麺麭(めんぼう・パン)屑を蝌蚪にやる他の生もなし 石田波郷(『惜命』)
花に彳(た)ち農場の麵麭(めんぽう・パン)を喰ひちぎる 石橋辰之助(『山行』)
この一句目の、波郷の「席命」の句の、この上五中の「パン(綿棒・パン)」は、二句目の、辰之助の、中七の「農場の麵麭(めんぽう・パン)」の「本句取り」の句とも解せられ、この波郷の句の、「麺麭(めんぼう・パン)屑」は、「パン屑」と詠むように解したい。
(参考その一)「蟻地獄(ありじごく、ありぢごく)三夏」周辺
https://kigosai.sub.jp/001/archives/3714#:~:text=%E8%9F%BB%E5%9C%B0%E7%8D%84%EF%BC%88%E3%81%82%E3%82%8A%E3%81%98%E3%81%94%E3%81%8F%E3%80%81%E3%81%82%E3%82%8A,%E4%B8%89%E5%A4%8F%20%E2%80%93%20%E5%AD%A3%E8%AA%9E%E3%81%A8%E6%AD%B3%E6%99%82%E8%A8%98
【子季語】擂鉢虫、あとずさり、あとさり虫
【解説】うすばかげろうの幼虫である。うすばかげろうは細い砂のすり鉢状の穴を巣として、その穴の奥にひそんでいる。その穴に蟻が落ち込めば、砂のため這い出すことができず、蟻はその体液を吸いとられる。
【例句】
https://fudemaka57.exblog.jp/25949386
※蟻地獄病者の影をもて蔽ふ 石田波郷「惜命」
手を突けば数限りなき蟻地獄 石田波郷
※蟻地獄かく長き日のあるものか 加藤秋邨「起伏」
米搗ばつたひとりはねをり蟻地獄 加藤秋邨
蟻地獄ただどん底に月さして 加藤秋邨
他者の上にさぐる同罪蟻地獄 中村草田男
日のひかり蟻地獄さへ樟のにほひ 中村草田男
(参考二)『惜命(石田波郷第四句集・五百六句)』と「胸形變板画巻(『惜命板画柵』)」(石田波郷句・棟方志功板画・三十七句)との周辺(未完)
※『惜命(石田波郷第四句集・五百六句)』(『現代俳句大系 第八巻』所収「惜命」などに因る。)
※「胸形變板画巻(『惜命板画柵』)・三十七句」(石田波郷句・棟方志功板画)周辺(「俳句研究/昭和六十二・八/特集・石田波郷の文学」所収「『胸形変』板画巻(吉良蘇月稿)」などに因る。)
『惜命(石田波郷第四句集・五百六句)』と「胸形變板画巻(『惜命板画柵』)・三十七句」
「秋臥(五句)」→ (昭和二十二年、三十五歳) →「胸形變板画巻(『惜命板画柵』)無
「冬日射(十三句)→「同上)」無
「横光利一死(八句)」→「同上)」無
「墓の眺め(八句)」 →(昭和二十三年、三十六歳) →「同上)」無
「春へ(八句)」 →(「同上)」無
「後雁(十四句)」 →「同上)」無
「遠母来(五句)」 →「同上)」無
「薄暑(五句)」 →「同上)」無
「療養所(十一句)」 →「同上)」無
「羸痩(るいそう)=「痩せること」(十七句)」→「同上・下記(三句)」
一 栗咲く香血を喀く前もその後も (唐草の図)→「栗咲く(栗の花)」(仲夏)
https://yahan.seesaa.net/article/507842165.html
二 優曇華やきのふの如き熱の中 (絮の図)→「優曇華」(晩夏)
https://yahan.seesaa.net/article/507963081.html
三 蝉かなしベッド縋る子を見れば (角材の図)→「蝉」(晩夏)
https://yahan.seesaa.net/article/508139416.html
「凡に見ず(八句)」→「同上」」無
「肋(あばら)(十一句)」→「同上・下記(一句)」
四 金の芒はるかなる母の禱りをり (野草の図)→「芒(すすき)」(三秋)
https://yahan.seesaa.net/article/508338776.html
「成形(二十四句)」→「同上・下記(四句)」
五 花圃(かほ)に水汲める見てをり手術前 (角材の図)→「花圃(かほ)」(三秋)
https://yahan.seesaa.net/article/508393480.html
六 たばしるや叫喚す胸形変 ※(無紋余白)→「鵙」(三秋)
https://yahan.seesaa.net/article/508677638.html
七 麻薬うてば十三夜月遁走す (唐草丸紋の図) )→「十三夜月」(晩秋)
https://yahan.seesaa.net/article/508941120.html
八 秋の暮溲罎(しびん)泉のこゑをなす (枯葉の図)→「秋の暮」(三秋)
https://yahan.seesaa.net/article/509098148.html
「二次成形告知(五句)」 →「同上」無
「二次成形その後(二十句)」→「同上・下記(二句)」
九 松籟や白息かた みにながし佇つ(大木の図)→「息白し)」(三冬)
https://yahan.seesaa.net/article/509163561.html
一〇 悴み病めど栄光の如く子等育つ(木枝の図)→「悴)む」(晩冬)
https://yahan.seesaa.net/article/509305818.html
「冬鶯(十一句)」→「同上・下記(三句)」
一一 冬日の妻よ吾に肋骨無きのちも ※(無紋余白)→「冬日」(三冬)
https://yahan.seesaa.net/article/509396772.html
一二 冬鶯われは病弟子胸あつし (角材の図)→「冬鶯」(三冬)
https://yahan.seesaa.net/article/509611636.html
一三 寒夜脇に肋の切口開くべし (肋骨の図)→「寒夜(冬の夜)」(三冬)
https://yahan.seesaa.net/article/509671280.html
「送迎(十一句)」→(「胸形變板画巻(『惜命板画柵』)無
「ベトレヘムの鐘」)→「同上・下記(一句)」
一四 病む六人一寒燈を消すとき来(ベッドの図)→「寒燈」(三冬)
https://yahan.seesaa.net/article/510025519.html
「屍の眺め(四十一句)」→(昭和二十四年、三十七歳) →「胸形變板画巻(『惜命板画柵』) →「同上・下記(七句)」
一五 綿虫やそこは屍の出でゆく門 ※(無紋余白)→「綿虫」(初冬)
https://yahan.seesaa.net/article/510098153.html
一六 白き手の病者ばかりの落葉焚(楢の葉の図)→「落葉焚」(三冬)
https://yahan.seesaa.net/article/510134541.html
一七 冬日低し吾と子の間妻急がん※(無紋余白)→「冬日」(三冬)
https://yahan.seesaa.net/article/510216150.html
一八 妻恋へり裸木に星咲き出でて (木立の図)→「裸木」(三冬)
https://yahan.seesaa.net/article/510241589.html
一九 頂は見えぬ赤松冬日沁む (松の図)→「冬日」(三冬)
https://yahan.seesaa.net/article/510336309.html
二〇 牡蠣食へり重たき肩を起しては (波頭の図)→「牡蛎」(三冬)
https://yahan.seesaa.net/article/510365383.html
二一 曇天と古草の間屍(かばね)行く (角材の図)→「古草」(三冬)
https://yahan.seesaa.net/article/510416249.html
「雪(五句)」→→「同上・下記(一句)」
二二 雪はしづかにゆたかにはやし屍室 ※(黒地・白鷺の図)→「雪」(晩冬)」
https://yahan.seesaa.net/article/510475147.html
「雪ふたたび(五句) →「同上・下記(一句)」
二三 雪後来し子の柔(にこ)髪のかなしさよ ※(無紋余白)→「雪後(雪後の天・深雪晴・雪晴)」(晩冬)
https://yahan.seesaa.net/article/510573408.html
「早春(十一句) →「同上・下記(四句)」
二四 梅も一枝死者の仰臥の正しさよ (梅花の図)→「梅」(初春)
https://yahan.seesaa.net/article/510805227.html
二五 三月風胸の火吹かれ打臥すも (並び紋様)→「三月(風)」(仲春)
https://yahan.seesaa.net/article/510894302.html
二六 春雷の熄みし口洞閉づるかな (雪図紋) →「春雷」(三春)
https://yahan.seesaa.net/article/511134741.html
二七 春疾風屍(かばね)敢て出でゆくも (芽木の図) →「春疾風」(三春)
https://yahan.seesaa.net/article/511331313.html
「遺残空洞(十四句)」→「同上・下記(二句)」
二八 屍(し)を運ぶ春丸顔の看護婦達 ※(黒地・観音像の図) →「春」(三春)
https://yahantei14.seesaa.net/article/511556250.html?1741734966
二九 雪柳ふぶくごとくに今や咳く (雪柳の図) →「雪柳」(仲春)
https://yahan.seesaa.net/article/511764892.html
「ブロンぺ(十四句)」→「同上・下記(一句)」
三〇 惜しみなく女患者に蝌蚪頒つ (女性と蝌蚪図) →「蝌蚪」(晩春)
https://yahan.seesaa.net/article/511993735.html
「予量(十七句)」→「同上・下記(一句)」
三一 蟻地獄病者の影をもて蔽ふ ※(無紋余白) →「蟻地獄」(三夏)
「憂患(十一句)」→「胸形變板画巻(『惜命板画柵』)無
「長梅雨(三十二句)」→「同上・下記(二句)」
三二 梅雨仄か命死ぬ歌頬を熱す ※(無紋余白) →
三三 灯るごと梅雨の郭公鳴き出だす (郭公 の図) →
「動悸(八句)」 →「胸形變板画巻(『惜命板画柵』)無
「荘厳(十一句)」→「同上』)下記二句
三四 日盛りのシヤワー痩躯を荘厳す (日輪の図) →
三五 業苦呼起す未明の風鈴は ※(無紋余白) →
「晩夏光(十四句)」(「同上』)下記一句
三七 病者より痩せしかぐろき小鰺売り (昼顔の図) →
「癩園の籬(十一句)」→「同上)無
「颱風過(十四句)」「同上)下記一句
三六 野分あと口のゆるびて睡りをり (野の草の図) →
露の楽(八句) →(昭和二十四年、三十七歳) →「同上』)無
霧雫(八句) →(昭和二十四年、三十七歳)→「同上」
捨菊(十七句) →(昭和二十四年、三十七歳) →「同上」
接吻(八句) →(昭和二十四年、三十七歳) →「同上」
冬日楽園(二十三句) →(昭和二十四年、三十七歳) →「同上」
降誕祭過(五句) →(昭和二十四年、三十七歳) →「同上」
家長七日(十一句) → (昭和二十五年、三十八歳) →「同上」
水仙花(二十句) → (昭和二十五年、三十八歳) →「同上」
その三十二 梅雨仄か命死ぬ歌頬を熱す

「棟方志功全集 第5巻 (詩歌の柵 1)」(「国立国会図書館デジタルコレクション」)所収「胸形變板画巻」
https://dl.ndl.go.jp/pid/12748150/1/121
季語は「梅雨(仄か)」の「梅雨」(仲夏)。この「仄か」は、「梅雨の走り」(初夏)の「仄か」ではなく、季語的には「五月闇」(仲夏)で、「梅雨時のころの鬱蒼とした暗さ」の意であろう。句意は、「梅雨時の、この鬱蒼とした暗い病床で、入寮中に亡くなった畏友・石橋辰之助の、『命と死ぬ歌(句)集』(没年後刊行の『妻子』)の、その絶句の「梅雨」に関わる句などを反芻しながら、頬を熱くしている日々である。」
この中七の「命死ぬ歌」は、波郷が、生死を彷徨っている病床中に絶命した、例えば、石橋辰之助の、その『山行』(馬酔木叢書(沙羅書店)昭和十年=1935刊、昭和六年以前~昭和十年)、そして、続く、『山岳畫』(昭和十二年刊)、『家』(昭和十五年刊)、『妻子』(昭和二十三年)、『山暦』(昭和二十六年刊)などを想定して、それらの「梅雨」の句を探って行くと、この句の背景が、より鮮明になって来る。
石橋辰之助の絶句は、没年後に刊行された『山暦』(昭和二十年刊)に末尾に収載されている、次の二句である。
絶句二句
ついに入院わが四十の酷暑かな
妻とおし真実遠しひとり病めば 「石橋辰之助名作集」より
「石橋辰之助略年譜」(『定本 石橋辰之助句集』所収)には、次のとおり記されている。
https://dl.ndl.go.jp/pid/12485666/1/124
[ 昭和二十三年八月一日 阿佐ヶ谷北病院に入院。三日、妻子上京。死の十日前に子供達と面会。句集『妻子』出版のことを病床で知る。二十一日午後十一時六分、同病院に逝く。二十七日、台東区永住町最厳寺にて葬儀、委員長、小西久弥氏。九月、「俳句人」十三号発行、「伸びよ、職場の俳句人」が遺稿となる。十一月、第三句集「妻子」七洋社より出版。この年、妻子細野より東京に帰る。この年も、病臥寸前まで、日本鋼管鶴鉄、連盟埼玉支部、香取支部、柏支部、食糧支部などの句会を指導した。]
掲出の、石橋辰之助の絶句二句の一句目の句は、加藤楸邨(明治三十八年=一九〇五年生れ)、石橋辰之助(明治四十二年=一九〇九年生れ)、そして、石田波郷(大正二年=一九一三年生れ)の、次の句などがイメージ化されて来る。
ついに入院わが四十の酷暑かな (石橋辰之助「昭和二十三年作の絶句」の一句目)
野の起伏ただ春寒き四十代(加藤楸邨「起伏(昭和二十四年刊)」・「序に代えて」の序句)
初蝶やわが三十の袖袂 (石田波郷「風切(昭和十八年刊)」・波郷(三十歳時)の作)
三十の吾が句如何や槻芽立つ (同上)
と同時に、掲出の、石橋辰之助の絶句二句の二句目の句は、共に、水原秋櫻子の「馬酔木」で切磋琢磨した、加藤楸邨と石田波郷の、その追悼句を並列して置く必要があろう。
妻とおし真実遠しひとり病めば(石橋辰之助「昭和二十三年作の絶句」の二句目)
短夜の青嶺ばかりがのこりけり(加藤楸邨「起伏(昭和二十四年刊)」・「石橋辰之助・訃報」)
頬に蠅つけ睡れる者は縁由(ゆかり)なし(波郷『惜命』、前書「石橋辰之助の訃を聞く」)
その上で、冒頭の、波郷の、この「梅雨仄か命死ぬ歌頬を熱す」の一句は、石橋辰之助の、生前に、その刊行を心待ちにし、そして、その刊行を見ずにして逝った、その第三句集『妻子』所収「一九四六年」の、次の「梅雨(六句)」への、その鎮魂の一句と解したい。
『妻子』所収「一九四六年」
https://dl.ndl.go.jp/pid/12485666/1/88
不幸ありて妻子等疎開先
より上京すれど家なし、
忽ちにして去る 六句
梅雨の駅信濃にかえる家ありぬ
子と妻を梅雨の車中に置き嘆く
梅雨に濡れ置き列車より身を離す
梅雨の灯をひとり点じぬひとの家に
ひとり寝て梅雨の裸灯よきびしき世
梅雨深し暁いまだ戸を漏れず
(参考一)「梅雨(つゆ)」(仲夏)周辺
https://kigosai.sub.jp/001/archives/2041
「【子季語】梅雨(ばいう)、黴雨、梅の雨、梅霖、青梅雨、荒梅雨、梅雨じめり、梅雨前線、梅雨時、ついり、五月曇
【関連季語】五月雨、梅雨晴、梅雨雷、梅雨曇、空梅雨、迎へ梅雨、送り梅雨
【解説】六月ごろ、ひと月にわたって降りつづく長雨。さみだれのこと。ちょうど梅の実の熟れるころなので梅雨ともいう。梅雨の季節をさすこともある。
【来歴】『花火草』(寛永13年、1636年)に所出。
【実証的見解】梅雨前線は、五月なかごろ、太平洋上で発生した高気圧が、洋上に張り出した大陸の高気圧とぶつかって発生し、太平洋高気圧の発達とともにしだいに押し上げられて、日本列島に近づく。六月中旬頃には日本列島に沿って横たわる形で停滞し、北海道と小笠原諸島を除く日本各地に大量の雨をもたらす。 ](「きごさい歳時記」)
【例句】
https://fudemaka57.exblog.jp/25932887/#goog_rewarded
梅雨晴れや手枕の骨鳴るままに 横光利一「横光利一全句集」
古釘や蚊帳吊り落す梅雨のあけ 横光利一「横光利一全句集」
梅雨曇りベルの音よく冴ゆる門 横光利一「横光利一全句集」
梅雨曇り皮嚢よく匂ふ朝 横光利一「横光利一全句集」
梅雨の駅信濃にかえる家ありぬ 石橋辰之助「妻子」「山暦?」
梅雨深し暁いまだ戸を漏れず 石橋辰之助「妻子」「山暦?」
子を妻を梅雨の車中に置き嘆く 石橋辰之助「妻子」「山暦?」
梅雨に濡れ置き列車より身を離す 石橋辰之助「妻子」「山暦?」
梅雨の灯をひとり点じぬひとの家に 石橋辰之助「妻子」「山暦?」
ひとり寝て梅雨の裸灯よきびしき世 石橋辰之助「妻子」「山暦?」
残雪の風おろしくる梅雨大樹 石橋辰之助「山暦?」
濡れ濡れて梅雨の信濃の家園かな 石橋辰之助「山暦?」
梅雨の夜の灯よりまたゝく炉火愛し 石橋辰之助「山暦?」
梅雨暗し昼餉は炉辺につどひくる 石橋辰之助「山暦?」
梅雨の夜の川音妻の膝くづれ 石橋辰之助「山暦?」
かへり来て梅雨の家園のものを煮る 石橋辰之助「山暦?」
睡り足り梅雨の山田に戸をひらく 石橋辰之助「山暦?」
粥あつし梅雨の山鳩日もすがら 石橋辰之助「山暦?」
長梅雨の瀬のさだめなく岩魚釣 石橋辰之助「山暦?」
木がくれて梅雨の山家となりにけり 石橋辰之助「山暦?」
梅雨くらく晝餉の爐辺につどいくる 石橋辰之助
粥あつし梅雨の山鳩日もすがら 石橋辰之助
梅雨の夜の川音妻の膝くずれ 石橋辰之助
かへり梅雨手にさづけられ枇杷三顆 石橋秀野『定本石橋秀野句文集』
梳る必死の指に梅雨晴間(かく衰へて) 石橋秀野『定本石橋秀野句文集』
梅雨じめり痩せ骨三月よこたへて 石橋秀野『定本石橋秀野句文集』
とびからす病者に啼いて梅雨寒し 石橋秀野『定本石橋秀野句文集』
濤音や都をいづる梅雨二タ夜 石橋秀野『定本石橋秀野句文集』
梅雨あけの鎌倉くらき旋風かな 石橋秀野『定本石橋秀野句文集』
梅雨晴の月高くなり浴みしぬ 石橋秀野定本石橋秀野句文集』
とびからす病者に啼いて梅雨寒し 石橋秀野「桜濃く」
梅雨仄か命死ぬ歌頬を熱す 石田波郷「惜命」「胸形變板画巻(『惜命板画柵』)32」
灯るごと梅雨の郭公鳴き出だす 石田波郷「惜命」「胸形變板画巻(『惜命板画柵』)33」
病者睡て足裏くろし梅雨晴間 石田波郷「惜命」
梅雨の朱き蛇目傘に妻が隠り来ぬ 石田波郷「惜命」
二夜三夜傘さげ会へば梅雨めきぬ 石田波郷「風切」
妻にのみ憤りをり返り梅雨 石田波郷「春嵐」
青梅雨のわが病室へ通ひ妻 石田波郷「酒中花以後」
梅雨あけの雷ぞときけり喪の妻は 石田波郷
飯食ひに出づるばうたる梅雨の中 石田波郷
梅雨はげし右も左も寝てしまふ 石田波郷
九十九里浜南白亀川口梅雨はれぬ 石田波郷
新娶まさをき梅雨の旅路かな 石田波郷
暗黒にそそげる梅雨は子をへだつ 石田波郷
有棘鉄線ゆるめず梅雨の療養所 石田波郷
梅雨の椎雨の夜明に狎れにけり 石田波郷
梅雨の町向日葵がくと坂に垂れ 石田波郷
梅雨の空ひとが遺せし手鏡に 石田波郷
梅雨仄白きこと相同じ寝て了へり 石田波郷
梅雨近き用や葛西にわたりけり 石田波郷
葭原に梅雨あがるらし鰻筒 石田波郷
青梅雨のわが病室へ通ひ妻 石田波郷
梅雨満月夫が病棟の肩に出づ 石田あき子「見舞籠」
早梅雨の夫見舞ふほか行處なし 石田あき子「見舞籠」
小雷病床に梅雨あがりけり 石田あき子「見舞籠」
子に梅雨の家計あづけて病みつぐも 石田あき子「見舞籠」
梅雨ふかし鶯を飼ふ老患者 石田あき子「見舞籠」
梅雨月や胸の高さに小名木川 石田あき子「見舞籠」
横光利一が亡くなった、昭和二十二年(一九四七)十二月十日に、石田波郷の『惜命』では、「横光利一死」と題して、追悼句、八句を呈している。
続く、昭和二十三年(一九四八) 八月二十一日に、石橋辰之助が亡くなった時に、『惜命』の「羸痩(るいそう)」の中で、追悼句を呈し、「屍の眺め」の中で、「石橋辰之助未亡人」という前書のある、次の一句を収載している。
涙はふるまゝに冬日の未亡人 (石田波郷『惜命』所収「屍の眺め」)
また、石橋辰之助の『妻子』の「一九四七年」と題する句中に、次の、石田波郷が、江戸川保健所に通い、人工気胸を治療していた頃に、その石田波郷宅を訪問してと前書のある、次の一句が収載されている。この年の、九月二十六日に、波郷の「鶴」の、代表的女流俳人の「石橋秀野」(「山本健吉・石橋貞吉」夫人)が、京都の国立宇多野療養所で没している。
(前掲のとおり、「この年の十二月二十三日に、横光利一が没している。」)
江東の果てに石田波郷を訪う 一句
わが顔にまぶし鉄屑溝また溝 (石橋辰之助『妻子』所収「一九四七年」)
(参考二)『惜命(石田波郷第四句集・五百六句)』と「胸形變板画巻(『惜命板画柵』)」(石田波郷句・棟方志功板画・三十七句)との周辺(未完)
※『惜命(石田波郷第四句集・五百六句)』(『現代俳句大系 第八巻』所収「惜命」などに因る。)
※「胸形變板画巻(『惜命板画柵』)・三十七句」(石田波郷句・棟方志功板画)周辺(「俳句研究/昭和六十二・八/特集・石田波郷の文学」所収「『胸形変』板画巻(吉良蘇月稿)」などに因る。)
『惜命(石田波郷第四句集・五百六句)』と「胸形變板画巻(『惜命板画柵』)・三十七句」
「秋臥(五句)」→ (昭和二十二年、三十五歳) →「胸形變板画巻(『惜命板画柵』)無
「冬日射(十三句)→「同上)」無
「横光利一死(八句)」→「同上)」無
「墓の眺め(八句)」 →(昭和二十三年、三十六歳) →「同上)」無
「春へ(八句)」 →(「同上)」無
「後雁(十四句)」 →「同上)」無
「遠母来(五句)」 →「同上)」無
「薄暑(五句)」 →「同上)」無
「療養所(十一句)」 →「同上)」無
「羸痩(るいそう)=「痩せること」(十七句)」→「同上・下記(三句)」
一 栗咲く香血を喀く前もその後も (唐草の図)→「栗咲く(栗の花)」(仲夏)
https://yahan.seesaa.net/article/507842165.html
二 優曇華やきのふの如き熱の中 (絮の図)→「優曇華」(晩夏)
https://yahan.seesaa.net/article/507963081.html
三 蝉かなしベッド縋る子を見れば (角材の図)→「蝉」(晩夏)
https://yahan.seesaa.net/article/508139416.html
「凡に見ず(八句)」→「同上」」無
「肋(あばら)(十一句)」→「同上・下記(一句)」
四 金の芒はるかなる母の禱りをり (野草の図)→「芒(すすき)」(三秋)
https://yahan.seesaa.net/article/508338776.html
「成形(二十四句)」→「同上・下記(四句)」
五 花圃(かほ)に水汲める見てをり手術前 (角材の図)→「花圃(かほ)」(三秋)
https://yahan.seesaa.net/article/508393480.html
六 たばしるや叫喚す胸形変 ※(無紋余白)→「鵙」(三秋)
https://yahan.seesaa.net/article/508677638.html
七 麻薬うてば十三夜月遁走す (唐草丸紋の図) )→「十三夜月」(晩秋)
https://yahan.seesaa.net/article/508941120.html
八 秋の暮溲罎(しびん)泉のこゑをなす (枯葉の図)→「秋の暮」(三秋)
https://yahan.seesaa.net/article/509098148.html
「二次成形告知(五句)」 →「同上」無
「二次成形その後(二十句)」→「同上・下記(二句)」
九 松籟や白息かた みにながし佇つ(大木の図)→「息白し)」(三冬)
https://yahan.seesaa.net/article/509163561.html
一〇 悴み病めど栄光の如く子等育つ(木枝の図)→「悴)む」(晩冬)
https://yahan.seesaa.net/article/509305818.html
「冬鶯(十一句)」→「同上・下記(三句)」
一一 冬日の妻よ吾に肋骨無きのちも ※(無紋余白)→「冬日」(三冬)
https://yahan.seesaa.net/article/509396772.html
一二 冬鶯われは病弟子胸あつし (角材の図)→「冬鶯」(三冬)
https://yahan.seesaa.net/article/509611636.html
一三 寒夜脇に肋の切口開くべし (肋骨の図)→「寒夜(冬の夜)」(三冬)
https://yahan.seesaa.net/article/509671280.html
「送迎(十一句)」→(「胸形變板画巻(『惜命板画柵』)無
「ベトレヘムの鐘」)→「同上・下記(一句)」
一四 病む六人一寒燈を消すとき来(ベッドの図)→「寒燈」(三冬)
https://yahan.seesaa.net/article/510025519.html
「屍の眺め(四十一句)」→(昭和二十四年、三十七歳) →「胸形變板画巻(『惜命板画柵』) →「同上・下記(七句)」
一五 綿虫やそこは屍の出でゆく門 ※(無紋余白)→「綿虫」(初冬)
https://yahan.seesaa.net/article/510098153.html
一六 白き手の病者ばかりの落葉焚(楢の葉の図)→「落葉焚」(三冬)
https://yahan.seesaa.net/article/510134541.html
一七 冬日低し吾と子の間妻急がん※(無紋余白)→「冬日」(三冬)
https://yahan.seesaa.net/article/510216150.html
一八 妻恋へり裸木に星咲き出でて (木立の図)→「裸木」(三冬)
https://yahan.seesaa.net/article/510241589.html
一九 頂は見えぬ赤松冬日沁む (松の図)→「冬日」(三冬)
https://yahan.seesaa.net/article/510336309.html
二〇 牡蠣食へり重たき肩を起しては (波頭の図)→「牡蛎」(三冬)
https://yahan.seesaa.net/article/510365383.html
二一 曇天と古草の間屍(かばね)行く (角材の図)→「古草」(三冬)
https://yahan.seesaa.net/article/510416249.html
「雪(五句)」→→「同上・下記(一句)」
二二 雪はしづかにゆたかにはやし屍室 ※(黒地・白鷺の図)→「雪」(晩冬)」
https://yahan.seesaa.net/article/510475147.html
「雪ふたたび(五句) →「同上・下記(一句)」
二三 雪後来し子の柔(にこ)髪のかなしさよ ※(無紋余白)→「雪後(雪後の天・深雪晴・雪晴)」(晩冬)
https://yahan.seesaa.net/article/510573408.html
「早春(十一句) →「同上・下記(四句)」
二四 梅も一枝死者の仰臥の正しさよ (梅花の図)→「梅」(初春)
https://yahan.seesaa.net/article/510805227.html
二五 三月風胸の火吹かれ打臥すも (並び紋様)→「三月(風)」(仲春)
https://yahan.seesaa.net/article/510894302.html
二六 春雷の熄みし口洞閉づるかな (雪図紋) →「春雷」(三春)
https://yahan.seesaa.net/article/511134741.html
二七 春疾風屍(かばね)敢て出でゆくも (芽木の図) →「春疾風」(三春)
https://yahan.seesaa.net/article/511331313.html
「遺残空洞(十四句)」→「同上・下記(二句)」
二八 屍(し)を運ぶ春丸顔の看護婦達 ※(黒地・観音像の図) →「春」(三春)
https://yahantei14.seesaa.net/article/511556250.html?1741734966
二九 雪柳ふぶくごとくに今や咳く (雪柳の図) →「雪柳」(仲春)
https://yahan.seesaa.net/article/511764892.html
「ブロンぺ(十四句)」→「同上・下記(一句)」
三〇 惜しみなく女患者に蝌蚪頒つ (女性と蝌蚪図) →「蝌蚪」(晩春)
https://yahan.seesaa.net/article/511993735.html
「予量(十七句)」→「同上・下記(一句)」
三一 蟻地獄病者の影をもて蔽ふ ※(無紋余白) →「蟻地獄」(三夏)
https://yahan.seesaa.net/article/512226083.html
「憂患(十一句)」→「胸形變板画巻(『惜命板画柵』)無
「長梅雨(三十二句)」→「同上・下記(二句)」
三二 梅雨仄か命死ぬ歌頬を熱す ※(無紋余白) →「梅雨」(仲夏)
三三 灯るごと梅雨の郭公鳴き出だす (郭公の図) →「郭公」(三夏)
「動悸(八句)」 →「胸形變板画巻(『惜命板画柵』)無
「荘厳(十一句)」→「同上』)下記二句
三四 日盛りのシヤワー痩躯を荘厳す (日輪の図) →
三五 業苦呼起す未明の風鈴は ※(無紋余白) →
「晩夏光(十四句)」(「同上』)下記一句
三七 病者より痩せしかぐろき小鰺売り (昼顔の図) →
「癩園の籬(十一句)」→「同上)無
「颱風過(十四句)」「同上)下記一句
三六 野分あと口のゆるびて睡りをり (野の草の図) →
露の楽(八句) →(昭和二十四年、三十七歳) →「同上』)無
霧雫(八句) →(昭和二十四年、三十七歳)→「同上」
捨菊(十七句) →(昭和二十四年、三十七歳) →「同上」
接吻(八句) →(昭和二十四年、三十七歳) →「同上」
冬日楽園(二十三句) →(昭和二十四年、三十七歳) →「同上」
降誕祭過(五句) →(昭和二十四年、三十七歳) →「同上」
家長七日(十一句) → (昭和二十五年、三十八歳) →「同上」
水仙花(二十句) → (昭和二十五年、三十八歳) →「同上」
「棟方志功全集 第5巻 (詩歌の柵 1)」(「国立国会図書館デジタルコレクション」)所収「胸形變板画巻」
https://dl.ndl.go.jp/pid/12748150/1/121
季語は「梅雨(仄か)」の「梅雨」(仲夏)。この「仄か」は、「梅雨の走り」(初夏)の「仄か」ではなく、季語的には「五月闇」(仲夏)で、「梅雨時のころの鬱蒼とした暗さ」の意であろう。句意は、「梅雨時の、この鬱蒼とした暗い病床で、入寮中に亡くなった畏友・石橋辰之助の、『命と死ぬ歌(句)集』(没年後刊行の『妻子』)の、その絶句の「梅雨」に関わる句などを反芻しながら、頬を熱くしている日々である。」
この中七の「命死ぬ歌」は、波郷が、生死を彷徨っている病床中に絶命した、例えば、石橋辰之助の、その『山行』(馬酔木叢書(沙羅書店)昭和十年=1935刊、昭和六年以前~昭和十年)、そして、続く、『山岳畫』(昭和十二年刊)、『家』(昭和十五年刊)、『妻子』(昭和二十三年)、『山暦』(昭和二十六年刊)などを想定して、それらの「梅雨」の句を探って行くと、この句の背景が、より鮮明になって来る。
石橋辰之助の絶句は、没年後に刊行された『山暦』(昭和二十年刊)に末尾に収載されている、次の二句である。
絶句二句
ついに入院わが四十の酷暑かな
妻とおし真実遠しひとり病めば 「石橋辰之助名作集」より
「石橋辰之助略年譜」(『定本 石橋辰之助句集』所収)には、次のとおり記されている。
https://dl.ndl.go.jp/pid/12485666/1/124
[ 昭和二十三年八月一日 阿佐ヶ谷北病院に入院。三日、妻子上京。死の十日前に子供達と面会。句集『妻子』出版のことを病床で知る。二十一日午後十一時六分、同病院に逝く。二十七日、台東区永住町最厳寺にて葬儀、委員長、小西久弥氏。九月、「俳句人」十三号発行、「伸びよ、職場の俳句人」が遺稿となる。十一月、第三句集「妻子」七洋社より出版。この年、妻子細野より東京に帰る。この年も、病臥寸前まで、日本鋼管鶴鉄、連盟埼玉支部、香取支部、柏支部、食糧支部などの句会を指導した。]
掲出の、石橋辰之助の絶句二句の一句目の句は、加藤楸邨(明治三十八年=一九〇五年生れ)、石橋辰之助(明治四十二年=一九〇九年生れ)、そして、石田波郷(大正二年=一九一三年生れ)の、次の句などがイメージ化されて来る。
ついに入院わが四十の酷暑かな (石橋辰之助「昭和二十三年作の絶句」の一句目)
野の起伏ただ春寒き四十代(加藤楸邨「起伏(昭和二十四年刊)」・「序に代えて」の序句)
初蝶やわが三十の袖袂 (石田波郷「風切(昭和十八年刊)」・波郷(三十歳時)の作)
三十の吾が句如何や槻芽立つ (同上)
と同時に、掲出の、石橋辰之助の絶句二句の二句目の句は、共に、水原秋櫻子の「馬酔木」で切磋琢磨した、加藤楸邨と石田波郷の、その追悼句を並列して置く必要があろう。
妻とおし真実遠しひとり病めば(石橋辰之助「昭和二十三年作の絶句」の二句目)
短夜の青嶺ばかりがのこりけり(加藤楸邨「起伏(昭和二十四年刊)」・「石橋辰之助・訃報」)
頬に蠅つけ睡れる者は縁由(ゆかり)なし(波郷『惜命』、前書「石橋辰之助の訃を聞く」)
その上で、冒頭の、波郷の、この「梅雨仄か命死ぬ歌頬を熱す」の一句は、石橋辰之助の、生前に、その刊行を心待ちにし、そして、その刊行を見ずにして逝った、その第三句集『妻子』所収「一九四六年」の、次の「梅雨(六句)」への、その鎮魂の一句と解したい。
『妻子』所収「一九四六年」
https://dl.ndl.go.jp/pid/12485666/1/88
不幸ありて妻子等疎開先
より上京すれど家なし、
忽ちにして去る 六句
梅雨の駅信濃にかえる家ありぬ
子と妻を梅雨の車中に置き嘆く
梅雨に濡れ置き列車より身を離す
梅雨の灯をひとり点じぬひとの家に
ひとり寝て梅雨の裸灯よきびしき世
梅雨深し暁いまだ戸を漏れず
(参考一)「梅雨(つゆ)」(仲夏)周辺
https://kigosai.sub.jp/001/archives/2041
「【子季語】梅雨(ばいう)、黴雨、梅の雨、梅霖、青梅雨、荒梅雨、梅雨じめり、梅雨前線、梅雨時、ついり、五月曇
【関連季語】五月雨、梅雨晴、梅雨雷、梅雨曇、空梅雨、迎へ梅雨、送り梅雨
【解説】六月ごろ、ひと月にわたって降りつづく長雨。さみだれのこと。ちょうど梅の実の熟れるころなので梅雨ともいう。梅雨の季節をさすこともある。
【来歴】『花火草』(寛永13年、1636年)に所出。
【実証的見解】梅雨前線は、五月なかごろ、太平洋上で発生した高気圧が、洋上に張り出した大陸の高気圧とぶつかって発生し、太平洋高気圧の発達とともにしだいに押し上げられて、日本列島に近づく。六月中旬頃には日本列島に沿って横たわる形で停滞し、北海道と小笠原諸島を除く日本各地に大量の雨をもたらす。 ](「きごさい歳時記」)
【例句】
https://fudemaka57.exblog.jp/25932887/#goog_rewarded
梅雨晴れや手枕の骨鳴るままに 横光利一「横光利一全句集」
古釘や蚊帳吊り落す梅雨のあけ 横光利一「横光利一全句集」
梅雨曇りベルの音よく冴ゆる門 横光利一「横光利一全句集」
梅雨曇り皮嚢よく匂ふ朝 横光利一「横光利一全句集」
梅雨の駅信濃にかえる家ありぬ 石橋辰之助「妻子」「山暦?」
梅雨深し暁いまだ戸を漏れず 石橋辰之助「妻子」「山暦?」
子を妻を梅雨の車中に置き嘆く 石橋辰之助「妻子」「山暦?」
梅雨に濡れ置き列車より身を離す 石橋辰之助「妻子」「山暦?」
梅雨の灯をひとり点じぬひとの家に 石橋辰之助「妻子」「山暦?」
ひとり寝て梅雨の裸灯よきびしき世 石橋辰之助「妻子」「山暦?」
残雪の風おろしくる梅雨大樹 石橋辰之助「山暦?」
濡れ濡れて梅雨の信濃の家園かな 石橋辰之助「山暦?」
梅雨の夜の灯よりまたゝく炉火愛し 石橋辰之助「山暦?」
梅雨暗し昼餉は炉辺につどひくる 石橋辰之助「山暦?」
梅雨の夜の川音妻の膝くづれ 石橋辰之助「山暦?」
かへり来て梅雨の家園のものを煮る 石橋辰之助「山暦?」
睡り足り梅雨の山田に戸をひらく 石橋辰之助「山暦?」
粥あつし梅雨の山鳩日もすがら 石橋辰之助「山暦?」
長梅雨の瀬のさだめなく岩魚釣 石橋辰之助「山暦?」
木がくれて梅雨の山家となりにけり 石橋辰之助「山暦?」
梅雨くらく晝餉の爐辺につどいくる 石橋辰之助
粥あつし梅雨の山鳩日もすがら 石橋辰之助
梅雨の夜の川音妻の膝くずれ 石橋辰之助
かへり梅雨手にさづけられ枇杷三顆 石橋秀野『定本石橋秀野句文集』
梳る必死の指に梅雨晴間(かく衰へて) 石橋秀野『定本石橋秀野句文集』
梅雨じめり痩せ骨三月よこたへて 石橋秀野『定本石橋秀野句文集』
とびからす病者に啼いて梅雨寒し 石橋秀野『定本石橋秀野句文集』
濤音や都をいづる梅雨二タ夜 石橋秀野『定本石橋秀野句文集』
梅雨あけの鎌倉くらき旋風かな 石橋秀野『定本石橋秀野句文集』
梅雨晴の月高くなり浴みしぬ 石橋秀野定本石橋秀野句文集』
とびからす病者に啼いて梅雨寒し 石橋秀野「桜濃く」
梅雨仄か命死ぬ歌頬を熱す 石田波郷「惜命」「胸形變板画巻(『惜命板画柵』)32」
灯るごと梅雨の郭公鳴き出だす 石田波郷「惜命」「胸形變板画巻(『惜命板画柵』)33」
病者睡て足裏くろし梅雨晴間 石田波郷「惜命」
梅雨の朱き蛇目傘に妻が隠り来ぬ 石田波郷「惜命」
二夜三夜傘さげ会へば梅雨めきぬ 石田波郷「風切」
妻にのみ憤りをり返り梅雨 石田波郷「春嵐」
青梅雨のわが病室へ通ひ妻 石田波郷「酒中花以後」
梅雨あけの雷ぞときけり喪の妻は 石田波郷
飯食ひに出づるばうたる梅雨の中 石田波郷
梅雨はげし右も左も寝てしまふ 石田波郷
九十九里浜南白亀川口梅雨はれぬ 石田波郷
新娶まさをき梅雨の旅路かな 石田波郷
暗黒にそそげる梅雨は子をへだつ 石田波郷
有棘鉄線ゆるめず梅雨の療養所 石田波郷
梅雨の椎雨の夜明に狎れにけり 石田波郷
梅雨の町向日葵がくと坂に垂れ 石田波郷
梅雨の空ひとが遺せし手鏡に 石田波郷
梅雨仄白きこと相同じ寝て了へり 石田波郷
梅雨近き用や葛西にわたりけり 石田波郷
葭原に梅雨あがるらし鰻筒 石田波郷
青梅雨のわが病室へ通ひ妻 石田波郷
梅雨満月夫が病棟の肩に出づ 石田あき子「見舞籠」
早梅雨の夫見舞ふほか行處なし 石田あき子「見舞籠」
小雷病床に梅雨あがりけり 石田あき子「見舞籠」
子に梅雨の家計あづけて病みつぐも 石田あき子「見舞籠」
梅雨ふかし鶯を飼ふ老患者 石田あき子「見舞籠」
梅雨月や胸の高さに小名木川 石田あき子「見舞籠」
横光利一が亡くなった、昭和二十二年(一九四七)十二月十日に、石田波郷の『惜命』では、「横光利一死」と題して、追悼句、八句を呈している。
続く、昭和二十三年(一九四八) 八月二十一日に、石橋辰之助が亡くなった時に、『惜命』の「羸痩(るいそう)」の中で、追悼句を呈し、「屍の眺め」の中で、「石橋辰之助未亡人」という前書のある、次の一句を収載している。
涙はふるまゝに冬日の未亡人 (石田波郷『惜命』所収「屍の眺め」)
また、石橋辰之助の『妻子』の「一九四七年」と題する句中に、次の、石田波郷が、江戸川保健所に通い、人工気胸を治療していた頃に、その石田波郷宅を訪問してと前書のある、次の一句が収載されている。この年の、九月二十六日に、波郷の「鶴」の、代表的女流俳人の「石橋秀野」(「山本健吉・石橋貞吉」夫人)が、京都の国立宇多野療養所で没している。
(前掲のとおり、「この年の十二月二十三日に、横光利一が没している。」)
江東の果てに石田波郷を訪う 一句
わが顔にまぶし鉄屑溝また溝 (石橋辰之助『妻子』所収「一九四七年」)
(参考二)『惜命(石田波郷第四句集・五百六句)』と「胸形變板画巻(『惜命板画柵』)」(石田波郷句・棟方志功板画・三十七句)との周辺(未完)
※『惜命(石田波郷第四句集・五百六句)』(『現代俳句大系 第八巻』所収「惜命」などに因る。)
※「胸形變板画巻(『惜命板画柵』)・三十七句」(石田波郷句・棟方志功板画)周辺(「俳句研究/昭和六十二・八/特集・石田波郷の文学」所収「『胸形変』板画巻(吉良蘇月稿)」などに因る。)
『惜命(石田波郷第四句集・五百六句)』と「胸形變板画巻(『惜命板画柵』)・三十七句」
「秋臥(五句)」→ (昭和二十二年、三十五歳) →「胸形變板画巻(『惜命板画柵』)無
「冬日射(十三句)→「同上)」無
「横光利一死(八句)」→「同上)」無
「墓の眺め(八句)」 →(昭和二十三年、三十六歳) →「同上)」無
「春へ(八句)」 →(「同上)」無
「後雁(十四句)」 →「同上)」無
「遠母来(五句)」 →「同上)」無
「薄暑(五句)」 →「同上)」無
「療養所(十一句)」 →「同上)」無
「羸痩(るいそう)=「痩せること」(十七句)」→「同上・下記(三句)」
一 栗咲く香血を喀く前もその後も (唐草の図)→「栗咲く(栗の花)」(仲夏)
https://yahan.seesaa.net/article/507842165.html
二 優曇華やきのふの如き熱の中 (絮の図)→「優曇華」(晩夏)
https://yahan.seesaa.net/article/507963081.html
三 蝉かなしベッド縋る子を見れば (角材の図)→「蝉」(晩夏)
https://yahan.seesaa.net/article/508139416.html
「凡に見ず(八句)」→「同上」」無
「肋(あばら)(十一句)」→「同上・下記(一句)」
四 金の芒はるかなる母の禱りをり (野草の図)→「芒(すすき)」(三秋)
https://yahan.seesaa.net/article/508338776.html
「成形(二十四句)」→「同上・下記(四句)」
五 花圃(かほ)に水汲める見てをり手術前 (角材の図)→「花圃(かほ)」(三秋)
https://yahan.seesaa.net/article/508393480.html
六 たばしるや叫喚す胸形変 ※(無紋余白)→「鵙」(三秋)
https://yahan.seesaa.net/article/508677638.html
七 麻薬うてば十三夜月遁走す (唐草丸紋の図) )→「十三夜月」(晩秋)
https://yahan.seesaa.net/article/508941120.html
八 秋の暮溲罎(しびん)泉のこゑをなす (枯葉の図)→「秋の暮」(三秋)
https://yahan.seesaa.net/article/509098148.html
「二次成形告知(五句)」 →「同上」無
「二次成形その後(二十句)」→「同上・下記(二句)」
九 松籟や白息かた みにながし佇つ(大木の図)→「息白し)」(三冬)
https://yahan.seesaa.net/article/509163561.html
一〇 悴み病めど栄光の如く子等育つ(木枝の図)→「悴)む」(晩冬)
https://yahan.seesaa.net/article/509305818.html
「冬鶯(十一句)」→「同上・下記(三句)」
一一 冬日の妻よ吾に肋骨無きのちも ※(無紋余白)→「冬日」(三冬)
https://yahan.seesaa.net/article/509396772.html
一二 冬鶯われは病弟子胸あつし (角材の図)→「冬鶯」(三冬)
https://yahan.seesaa.net/article/509611636.html
一三 寒夜脇に肋の切口開くべし (肋骨の図)→「寒夜(冬の夜)」(三冬)
https://yahan.seesaa.net/article/509671280.html
「送迎(十一句)」→(「胸形變板画巻(『惜命板画柵』)無
「ベトレヘムの鐘」)→「同上・下記(一句)」
一四 病む六人一寒燈を消すとき来(ベッドの図)→「寒燈」(三冬)
https://yahan.seesaa.net/article/510025519.html
「屍の眺め(四十一句)」→(昭和二十四年、三十七歳) →「胸形變板画巻(『惜命板画柵』) →「同上・下記(七句)」
一五 綿虫やそこは屍の出でゆく門 ※(無紋余白)→「綿虫」(初冬)
https://yahan.seesaa.net/article/510098153.html
一六 白き手の病者ばかりの落葉焚(楢の葉の図)→「落葉焚」(三冬)
https://yahan.seesaa.net/article/510134541.html
一七 冬日低し吾と子の間妻急がん※(無紋余白)→「冬日」(三冬)
https://yahan.seesaa.net/article/510216150.html
一八 妻恋へり裸木に星咲き出でて (木立の図)→「裸木」(三冬)
https://yahan.seesaa.net/article/510241589.html
一九 頂は見えぬ赤松冬日沁む (松の図)→「冬日」(三冬)
https://yahan.seesaa.net/article/510336309.html
二〇 牡蠣食へり重たき肩を起しては (波頭の図)→「牡蛎」(三冬)
https://yahan.seesaa.net/article/510365383.html
二一 曇天と古草の間屍(かばね)行く (角材の図)→「古草」(三冬)
https://yahan.seesaa.net/article/510416249.html
「雪(五句)」→→「同上・下記(一句)」
二二 雪はしづかにゆたかにはやし屍室 ※(黒地・白鷺の図)→「雪」(晩冬)」
https://yahan.seesaa.net/article/510475147.html
「雪ふたたび(五句) →「同上・下記(一句)」
二三 雪後来し子の柔(にこ)髪のかなしさよ ※(無紋余白)→「雪後(雪後の天・深雪晴・雪晴)」(晩冬)
https://yahan.seesaa.net/article/510573408.html
「早春(十一句) →「同上・下記(四句)」
二四 梅も一枝死者の仰臥の正しさよ (梅花の図)→「梅」(初春)
https://yahan.seesaa.net/article/510805227.html
二五 三月風胸の火吹かれ打臥すも (並び紋様)→「三月(風)」(仲春)
https://yahan.seesaa.net/article/510894302.html
二六 春雷の熄みし口洞閉づるかな (雪図紋) →「春雷」(三春)
https://yahan.seesaa.net/article/511134741.html
二七 春疾風屍(かばね)敢て出でゆくも (芽木の図) →「春疾風」(三春)
https://yahan.seesaa.net/article/511331313.html
「遺残空洞(十四句)」→「同上・下記(二句)」
二八 屍(し)を運ぶ春丸顔の看護婦達 ※(黒地・観音像の図) →「春」(三春)
https://yahantei14.seesaa.net/article/511556250.html?1741734966
二九 雪柳ふぶくごとくに今や咳く (雪柳の図) →「雪柳」(仲春)
https://yahan.seesaa.net/article/511764892.html
「ブロンぺ(十四句)」→「同上・下記(一句)」
三〇 惜しみなく女患者に蝌蚪頒つ (女性と蝌蚪図) →「蝌蚪」(晩春)
https://yahan.seesaa.net/article/511993735.html
「予量(十七句)」→「同上・下記(一句)」
三一 蟻地獄病者の影をもて蔽ふ ※(無紋余白) →「蟻地獄」(三夏)
https://yahan.seesaa.net/article/512226083.html
「憂患(十一句)」→「胸形變板画巻(『惜命板画柵』)無
「長梅雨(三十二句)」→「同上・下記(二句)」
三二 梅雨仄か命死ぬ歌頬を熱す ※(無紋余白) →「梅雨」(仲夏)
三三 灯るごと梅雨の郭公鳴き出だす (郭公の図) →「郭公」(三夏)
「動悸(八句)」 →「胸形變板画巻(『惜命板画柵』)無
「荘厳(十一句)」→「同上』)下記二句
三四 日盛りのシヤワー痩躯を荘厳す (日輪の図) →
三五 業苦呼起す未明の風鈴は ※(無紋余白) →
「晩夏光(十四句)」(「同上』)下記一句
三七 病者より痩せしかぐろき小鰺売り (昼顔の図) →
「癩園の籬(十一句)」→「同上)無
「颱風過(十四句)」「同上)下記一句
三六 野分あと口のゆるびて睡りをり (野の草の図) →
露の楽(八句) →(昭和二十四年、三十七歳) →「同上』)無
霧雫(八句) →(昭和二十四年、三十七歳)→「同上」
捨菊(十七句) →(昭和二十四年、三十七歳) →「同上」
接吻(八句) →(昭和二十四年、三十七歳) →「同上」
冬日楽園(二十三句) →(昭和二十四年、三十七歳) →「同上」
降誕祭過(五句) →(昭和二十四年、三十七歳) →「同上」
家長七日(十一句) → (昭和二十五年、三十八歳) →「同上」
水仙花(二十句) → (昭和二十五年、三十八歳) →「同上」
その三十三 灯るごと梅雨の郭公鳴き出だす

「棟方志功全集 第5巻 (詩歌の柵 1)」(「国立国会図書館デジタルコレクション」)所収「胸形變板画巻」
https://dl.ndl.go.jp/pid/12748150/1/121
季語は、「(梅雨の)郭公」の「郭公」(三夏)。句意は、「病室の灯が、灯るごとくに、梅雨闇の雑木林で、郭公が、その異称の「呼子鳥」のように、『カッコー、カッコー』と、鳴き(泣き・啼き) 出している。」
この句は、『惜命』の「長梅雨」(昭和二十四年作)と題する、三十二句中の末尾の句であ
る。この「長梅雨」(昭和二十四年作)の中では、「胸形變板画巻(『惜命板画柵』)」に収載されているのは、前作(三十二番目)に続く(三十三番目)の句ということになる。
三二 梅雨仄か命死ぬ歌頬を熱す (無紋余白) →「梅雨」(仲夏)
三三 灯るごと梅雨の郭公鳴き出だす (郭公の図) →「郭公」(三夏)
この二作は、前句に続き、「石橋辰之助」への追悼句の一つとして鑑賞したい。
(参考一)「郭公(かっこう、くわくこう)三夏」周辺
https://kigosai.sub.jp/001/archives/2100#:~:text=%E5%88%9D%E5%A4%8F%E3%80%81%E5%8D%97%E6%96%B9%E3%81%8B%E3%82%89%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AB,%E5%A4%89%E5%8C%96%E3%81%97%E3%81%9F%E3%82%82%E3%81%AE%E3%81%A7%E3%82%82%E3%81%82%E3%82%8B%E3%80%82
【子季語】閑古鳥
【解説】初夏、南方から日本に渡って来る鳩よりやや小形の鳥。明るい林や草原で「カッコー、カッコー」と鳴く。江戸期によく用いられた閑古鳥という名は、鳴声ののどかさによるものであり、「かっこうどり」の変化したものでもある。](「きごさい歳時記」)
【例句】(抜粋)
https://fudemaka57.exblog.jp/25867354/
灯るごと梅雨の郭公鳴き出だす 石田波郷『惜命』(昭和二十五年刊)
郭公のひそみ啼きゐて風暑し 石橋辰之助『山行』所収「蓼科高原」(昭和六年作)
郭公の声近づきて応ふなり 水原秋櫻子『蘆刈』(昭和十四年刊)
郭公や瑠璃沼蕗の中に見ゆ 水原秋櫻子『蘆刈』(昭和十四年刊)
郭公や迦具土の神けふしづか 水原秋櫻子『蘆刈』(昭和十四年刊)
郭公や野に疲れたる夕間暮 水原秋櫻子『古鏡』(昭和十七年刊)
雲垂れて郭公これにひびかへり 水原秋櫻子『古鏡』(昭和十七年刊)
郭公や烏城にのこる角櫓 水原秋櫻子『残鐘』(昭和二十七年刊)
学園や郭公楡をくぐり飛ぶ 水原秋櫻子『晩華』(昭和三十九年刊)
磐梯へ翔けし郭公戻り鳴く 水原秋櫻子『殉教』(昭和四十四年刊)
郭公や雲のつつめる遅ざくら 水原秋櫻子『殉教』(昭和四十四年刊)
「郭公」の例句中、水原秋櫻子の『蘆刈』(昭和十四年刊)時代というのは、石田波郷が、昭和七年(一九三二年、十九歳時)に、四国(愛媛・松山中学校)から、上京して、秋桜子門(「馬酔木」門での、「石橋辰之助(竹秋子・二十三歳)・高屋窓秋(二十二歳)に入って、秋桜子(馬酔木)」の、「若手俊英三羽烏(竹秋子=辰之助・窓秋・波郷)」の、それぞれの旅立ちの時期でもあった。
高屋窓秋は、昭和十一年(一九三五年・二十五歳)時に、「『馬酔木』の同人を辞し、俳句から離れている。」(『現代俳句の世界16 富沢赤黄男・高屋窓秋・渡辺白泉集』所収「高屋窓秋略年譜」)
石橋辰之助は、昭和十二年(一九三六年・二十七歳)時に、「『馬酔木』を離れ、杉村聖林子と『荒男』を創刊し、翌年、『京大俳句』に参加、昭和十五年、句集『家』上梓、この年、西東三鬼らと新興俳句総合誌『天香』を創刊したが、新興俳句弾圧事件により検挙を受け、五年間作品活動を禁止された。昭和十八年、日本映画社へ転ず。昭和二十年戦災。翌年、新俳句人連盟創立、幹事に選出された。同年、『俳句人』創刊、昭和二十二年、新俳句人連盟幹事長、昭和二十三年、日本民主主義文化連盟芸術委員会専門委員。同年八月一日粟粒結核にて入院。昭和二十三年八月二十一日死亡。享年満四十歳。」(『現代俳句大系第二巻』所収「解説・『山行(石橋辰之助)・有働亨稿』」)
石田波郷は、昭和十七年(一九四二年・三十歳)に、「春、馬酔木の編集を辞し、つづいて同人も辞した。六月結婚。職なく、『鶴』に力をそそいだ。加藤楸邨も馬酔木を去った。小野某の内務省を背景にした暗々の圧迫に因るといわれている。」(『石田波郷)

後列 石橋辰之助・水原秋桜子・石田波郷・高屋窓秋)
https://yahantei.blogspot.com/2008/06/blog-post_6304.html
三月堂
来し方や馬酔木咲く野の日のひかり(水原秋櫻子『葛飾(昭和五年刊)』所収「大和の春(昭和二年作)」)
朝焼の雲海屋根を溢れ落つ(石橋辰之助『山行(昭和十年刊)』所収「昭和七年(昭和七年作)」)
頭の中で白い夏野となつてゐる(高屋窓秋『白い夏野(昭和十一年刊)』所収「雑(昭和七年作)」)
吹きおこる秋風鶴をあゆましむ(石田波郷『鶴の眼(昭和十四年刊)』所収「秋(昭和十四作)」)
一句目の、水原秋櫻子の句は、その第一句集『葛飾』の書名に由来あるもので、この『葛飾』について、「『葛飾』一巻は、写生俳句が失いかけていた抒情の回復を成しとげた歴史的な句集である。近代俳句の出発を子規の革新運動に求めながら、現代俳句の出発は、『葛飾』およびそれに続く『自然の真と文芸上の真』の主張とに求めてさしつかえないであろう。」との評がなされている。(『現代俳句大系第一巻』所収「解説・『葛飾(水原秋櫻子)・有働亨稿』」)
二句目の、石橋辰之助の句も、その第一句集『山行』と、この句について、「『山行』一巻は、辰之助の山岳開拓者としての地位を決定づけたものであり、なかんずく『朝焼の雲海屋根を溢れ落つ』の句は『山岳俳句の嚆矢』とさえ称されている。」と評されている。(『現代俳句大系第二巻』所収「解説・『山行(石橋辰之助)・有働亨稿』」)
ここに、石田波郷の、この「朝焼の雲海屋根を溢れ落つ」の評の、その一端について、下記に抜粋をして置きたい。
[ 『山行』(昭和十年刊)所載。昭和六年、水原秋櫻子の率いる『馬酔木』が『ホトトギス』を脱離し、客観写生に対し主観的観照・抒情解放を唱えて、昭和俳句革新の口火を切ったわけだが、その時、秋櫻子の旗本に篠田春蝉(後の悌二郎)・滝春一・石橋竹秋子(後の辰之助)・高屋窓秋の四俊秀がいた。それぞれ異なった句風をもっていたが、若々しく新鮮な情熱が共通していた。「馬酔木の四春秋」として俳壇の抑圧されていた青年層を瞠目させたねのである。その中で石橋辰之助は山岳俳句に全く新しい面を開いた。(中略)
見渡す限り漠々たる雲は下界をとざして、海原のごとく幾座かの山頂を岩礁のように泛(うか)べ、空もろともに荘厳な朝焼に染められている。満を持した時間の中で、やがて雲に動きが見え、雲海がせり上がるように尾根を越えはじめる。胸一杯に生命の搏動する壮大な景観だ。この句の力強い、開放的な声調には、この作者をふくめて新しい俳句運動に身を挺する者の、若い矜持があふれているようである。](『俳句講座6 現代名句評釈』所収「石橋辰之助(石田波郷稿)」)
三句目の、高屋窓秋の、この句と、その第一句集『白い夏野』周辺のことなどに関して、石田波郷の、この句の評の一端を、下記に抜粋をして置きたい。
[ 『白い夏野』は窓秋の馬酔木時代の句を収録している。この句は初期のもので、昭和六・七年頃の作であろう。「馬酔木」の独立を期として春の洪水ようにひろがった新興俳句界の、若い希望として窓秋の句は驚異的に迎えられた。「ホトトギス」の客観写生に対して主観尊重を唱えたとはいえ、写生を根底とすることに変りはない。その秋櫻子が窓秋のこの句を認めて『馬酔木』雑詠の上位に置いたのは不思議に見えるが、若い時代の情熱が秋櫻子をも動かしたとみればよいのである。『馬酔木』の中で窓秋ただ一人がほんとうに新しかったのである。(中略)
この句の「白い夏野」は現実の夏野ではない。抽象風景である。「頭の中で」と抽象設定を示しているところが、やはり他の現実的な句とかけはなれない場で作られたことを示している。(中略)
窓秋が詠もうとしているのは、そういう風景ではない。「白い」を詠もうとしているのだ。写生俳句とは全く別である。口語を用いていることも新しい。(後略) }(『俳句講座6 現代名句評釈』所収「高屋窓秋(石田波郷稿)」)
高屋窓秋の「白い夏野」周辺については、下記のアドレスでなど触れて来た。
高屋窓秋の「白い夏野(その一)」(一~十)
https://yahantei.blogspot.com/2008/06/blog-post.html
[(再掲・抜粋)
私(波郷)は、窓秋が喫茶店でモーツァルトなどを聴きながら、一枚の原稿紙に丹念な文字で一句一句製図でもひくように創り出すのをいつも見ていた。 時には五句の字数までが揃って、五句の文字が縦も横も綺麗に並んでいたこともある。そうするために字数を揃えるべく句を直すことさえあった。連作という新しい詩形がほんとうに必要なのは、結局は窓秋ただ一人だったのである。
これらの波郷の鑑賞文に接して、窓秋と全くの同時代の、詩人で建築家であった、四季派の立原道造が思い起されてくる。窓秋は明治四十三年の生れ、道造は大正三年の生れで、道造が後輩であるが、窓秋が俳壇と訣別して遠く満州の地に赴任した翌年の昭和十四年に、二十四歳という若さで他界している。道造の詩には、若い人のみが許される、「若々しい希望と若々しい愛とそれらを追い求め続ける夢」とが、美しい、波郷の言葉でするならば、「一枚の原稿紙に丹念な文字で一句一句製図でもひくように」創作されている。そして、窓秋
の、二十六歳の時に刊行した、窓秋の青春の句集『白い夏野』は、これは、まぎれもなく、窓秋の、その陰鬱な時代の到来する夜明けの、若き詩人だけが許される透明な詩心で把握した、「夢みたもの」の、「一枚の原稿紙に丹念な文字で一句一句製図でもひくように」創作したものの痕跡のように思われてくるのである。]
ここで、高屋窓秋(昭和十一年「馬酔木」離脱)、石橋辰之助(昭和十二年「馬酔木」離脱)、そして、石田波郷(昭和十七年「馬酔木」離脱)の、それぞれの水原秋櫻子の「馬酔木」の離脱については、「秋櫻子が、宮内省侍医寮御用係を仰付けられたことと、当時の国情の推移とを思いあわせ、『馬酔木』の中で勝手なことはできない。秋櫻子に迷惑がかかる、という深慮からの決意であった。」(『高屋窓秋全句集』併載「百句自註」)との記述がある。(『現代俳句の世界16) 富沢赤黄男・高屋窓秋・渡邊白泉』所収「解説(三橋敏雄稿)」)
また、その「解説(三橋敏雄稿)」中に、「昭和七年(一九三二)二月二十日、石田波郷が松山より単身上京した。東京を知らぬ波郷を東京駅に出迎えたのは、竹秋子、窓秋、牛山一庭人の三人、その翌日、『馬酔木』発行所は、前記の西応寺(註・「佐々木綾華」が住職の寺院)より当時の神田区雉子町三十一番地の内神田ビル内に移転した。前後して同誌は内容、体裁ともに改革され、一段と充実するが、ときに当たって窓秋は、師秋櫻子の意を体し、編集と経営の両面にわたって持てる才能を十二分に発揮した。(中略) 波郷はその事務を手伝う」との記述もなされている。
因みに、この、高屋窓秋と石橋辰之助の「馬酔木」離脱(同時に「馬酔木」編集から離脱)と入れ替わるように、加藤楸邨が、昭和十二年(一九三七・三十二歳)に、東京文理科大学国文科に入学・上京し、「教師(粕壁中学校)から老学生へと転向し」、同時に「馬酔木」発行所で、石田波郷と共に、水原秋櫻子の傍らで、秋櫻子の経済的援助を受けながら、「馬酔木」の編集に携わって行く。これらの周辺のことなどについて、「加藤楸邨年譜」などから、関係するところを、下記に抜粋して置きたい。
[ 昭和十年(一九三五・三十歳) 一月、「馬酔木」同人となる。九月五日、次男冬樹出生。
(『現代俳句の世界8 加藤楸邨集』所収「加藤楸邨略年譜」、「石橋辰之助(二十五歳)・高屋窓秋(二十四歳)・石田波郷(二十一歳)」は、昭和八年に同人となっている。年齢は、昭和十年の楸邨に合わせている。水原秋櫻子・四十二歳、篠田春蝉・三十五歳、滝春一・三十三歳、百合山羽公・三十歳、相生垣瓜人・三十六歳、塚原夜潮・三十五歳、佐野まもる・三十三歳、軽部烏頭子・四十三歳、五十崎古郷・三十八歳、佐々木綾華・四十一歳。)
昭和十二年(一九三七・三十二歳) 粕壁中学校を辞し、東京文理科大学国文科に入学。能勢浅次先生の指導を受く。馬酔木発行所へつとめ、石田波郷を知る。小石川区坂下町四十番地に住居。三男明雄出生。秋、穂高(註・長男)をつれて、東北旅行。(『新訂俳句シリーズ・人と作品16 加藤楸邨(田川飛旅子著)』所収「年譜」)
昭和十四年(一九三九・三十四歳) 春、波郷、楚秋と木曾に遊んだ。台風下に仙台に弟を訪ね、立石寺に登った。八月、「俳句研究」座談会での発言によって「人間探求派」と名付けられた。(『新訂俳句シリーズ・人と作品16 加藤楸邨(田川飛旅子著)』所収「年譜」)
昭和十六年(一九四一・三十六歳) 三月、隠岐へ下る。斎藤茂吉を訪問す。秋、京都へ潁原退蔵を訪問す。このころから発想契機を中心とした「芭蕉発句評釈」の仕事に没頭す。(『新訂俳句シリーズ・人と作品16 加藤楸邨(田川飛旅子著)』所収「年譜」)
昭和十七年(一九四二・三十七歳) 一月、上諏訪旅行。四月、波郷と共に「馬酔木」 同人を辞す。(以下略) (『新訂俳句シリーズ・人と作品16 加藤楸邨(田川飛旅子著)』所収「年譜」) ]
これらのことは、下記のアドレスで紹介されている、「馬酔木」誌上での、「秋櫻子・楸邨・波郷=※印」のものを併記して置たい。
https://fragie.exblog.jp/32473732/
[大正十一年(一九二二)四月「ホトトギス」系僚誌として「破魔弓」創刊。主宰 佐々木綾華、選者 長谷川かな女。水原秋櫻子、第二号より同人として参加
大正十二年(一九二三)池内たけし、選者となる
大正十三年(一九二四)秋櫻子、選者となる
大正十五年(一九二六)十二月秋櫻子句文集『南風』刊
昭和二年(一九二七)三月選集『破魔弓俳句集』刊
昭和三年(一九二八)七月「馬醉木」と改題
※昭和五年(一九三〇)四月秋櫻子第一句集『葛飾』刊
昭和六年(一九三一)四月十周年記念号
昭和六年(一九三一)七月第一回馬醉木俳句会開催(紀伊國屋書店講堂)
※昭和六年(一九三一)十月秋櫻子、「自然の真と文芸上の真」を誌上に発表、「ホトトギス」と訣別
昭和七年(一九三二)一月馬醉木賞制定
※昭和八年(一九三三)四月軽部烏頭子、百合山羽公、瀧春一、篠田春蝉(悌二郎)、塚原夜潮、佐野まもる、高屋窓秋、石橋竹秋子(辰之助)、五十崎古郷、石田波郷、相生垣瓜人、佐々木綾華の十二名自選欄へ移る。
※昭和九年(一九三四)五月石田波郷、編集に加わる
※昭和九年(一九三四)七月秋櫻子、主宰となる
※昭和十年(一九三五)五月山口誓子加盟
昭和十年(一九三五)十二月最初の『馬醉木年刊句集』刊
※昭和十二年(一九三七)四月加藤楸邨上京、発行所勤務となる
昭和十三年(一九三八)十月秋櫻子第一句碑「水漬きつゝ新樹の楊ましろなり」が五色沼畔に建立される
※昭和十七年(一九四二)五月石田波郷、加藤楸邨、馬醉木を去る ]
ここで、第四句目の、石田波郷の「吹きおこる秋風鶴をあゆましむ」(昭和十二年・『鶴の眼』)周辺については、『新訂俳句シリーズ・人と作品17 石田波郷(楠本憲吉著)』所収「鑑賞篇(楠本憲吉稿)」のものを、下記に、その全文を掲載して置きたい。
[ 昭和十二年九月、「馬」と「樹氷林」が合併されて、波郷主宰の「鶴」が創刊された。その第二号で波郷は「鶴の眼」と題して
僕は「鶴」の発刊に因んで上野動物園に出かけて鶴の句を作ったが不出来で作品欄に発表することができない。「文章の間に挿入」して
児の嘆秋風の鶴あゆまざる
吹きおこる秋風鶴をあゆましむ
と書いている。「鶴」は戦時中、中断したが、戦後復刊されて今日なお「鶴の連衆」を擁して俳壇の一角に君臨している。
この句は波郷の代表句の一つに数えるべき、格調の高い、古典的風貌を持つ名品と断じても異論はあるまい。 ]
(参考二)『惜命(石田波郷第四句集・五百六句)』と「胸形變板画巻(『惜命板画柵』)」(石田波郷句・棟方志功板画・三十七句)との周辺(未完)
※『惜命(石田波郷第四句集・五百六句)』(『現代俳句大系 第八巻』所収「惜命」などに因る。)
※「胸形變板画巻(『惜命板画柵』)・三十七句」(石田波郷句・棟方志功板画)周辺(「俳句研究/昭和六十二・八/特集・石田波郷の文学」所収「『胸形変』板画巻(吉良蘇月稿)」などに因る。)
『惜命(石田波郷第四句集・五百六句)』と「胸形變板画巻(『惜命板画柵』)・三十七句」
「秋臥(五句)」→ (昭和二十二年、三十五歳) →「胸形變板画巻(『惜命板画柵』)無
「冬日射(十三句)→「同上)」無
「横光利一死(八句)」→「同上)」無
「墓の眺め(八句)」 →(昭和二十三年、三十六歳) →「同上)」無
「春へ(八句)」 →(「同上)」無
「後雁(十四句)」 →「同上)」無
「遠母来(五句)」 →「同上)」無
「薄暑(五句)」 →「同上)」無
「療養所(十一句)」 →「同上)」無
「羸痩(るいそう)=「痩せること」(十七句)」→「同上・下記(三句)」
一 栗咲く香血を喀く前もその後も (唐草の図)→「栗咲く(栗の花)」(仲夏)
https://yahan.seesaa.net/article/507842165.html
二 優曇華やきのふの如き熱の中 (絮の図)→「優曇華」(晩夏)
https://yahan.seesaa.net/article/507963081.html
三 蝉かなしベッド縋る子を見れば (角材の図)→「蝉」(晩夏)
https://yahan.seesaa.net/article/508139416.html
「凡に見ず(八句)」→「同上」」無
「肋(あばら)(十一句)」→「同上・下記(一句)」
四 金の芒はるかなる母の禱りをり (野草の図)→「芒(すすき)」(三秋)
https://yahan.seesaa.net/article/508338776.html
「成形(二十四句)」→「同上・下記(四句)」
五 花圃(かほ)に水汲める見てをり手術前 (角材の図)→「花圃(かほ)」(三秋)
https://yahan.seesaa.net/article/508393480.html
六 たばしるや叫喚す胸形変 ※(無紋余白)→「鵙」(三秋)
https://yahan.seesaa.net/article/508677638.html
七 麻薬うてば十三夜月遁走す (唐草丸紋の図) )→「十三夜月」(晩秋)
https://yahan.seesaa.net/article/508941120.html
八 秋の暮溲罎(しびん)泉のこゑをなす (枯葉の図)→「秋の暮」(三秋)
https://yahan.seesaa.net/article/509098148.html
「二次成形告知(五句)」 →「同上」無
「二次成形その後(二十句)」→「同上・下記(二句)」
九 松籟や白息かた みにながし佇つ(大木の図)→「息白し)」(三冬)
https://yahan.seesaa.net/article/509163561.html
一〇 悴み病めど栄光の如く子等育つ(木枝の図)→「悴)む」(晩冬)
https://yahan.seesaa.net/article/509305818.html
「冬鶯(十一句)」→「同上・下記(三句)」
一一 冬日の妻よ吾に肋骨無きのちも ※(無紋余白)→「冬日」(三冬)
https://yahan.seesaa.net/article/509396772.html
一二 冬鶯われは病弟子胸あつし (角材の図)→「冬鶯」(三冬)
https://yahan.seesaa.net/article/509611636.html
一三 寒夜脇に肋の切口開くべし (肋骨の図)→「寒夜(冬の夜)」(三冬)
https://yahan.seesaa.net/article/509671280.html
「送迎(十一句)」→(「胸形變板画巻(『惜命板画柵』)無
「ベトレヘムの鐘」)→「同上・下記(一句)」
一四 病む六人一寒燈を消すとき来(ベッドの図)→「寒燈」(三冬)
https://yahan.seesaa.net/article/510025519.html
「屍の眺め(四十一句)」→(昭和二十四年、三十七歳) →「胸形變板画巻(『惜命板画柵』) →「同上・下記(七句)」
一五 綿虫やそこは屍の出でゆく門 ※(無紋余白)→「綿虫」(初冬)
https://yahan.seesaa.net/article/510098153.html
一六 白き手の病者ばかりの落葉焚(楢の葉の図)→「落葉焚」(三冬)
https://yahan.seesaa.net/article/510134541.html
一七 冬日低し吾と子の間妻急がん※(無紋余白)→「冬日」(三冬)
https://yahan.seesaa.net/article/510216150.html
一八 妻恋へり裸木に星咲き出でて (木立の図)→「裸木」(三冬)
https://yahan.seesaa.net/article/510241589.html
一九 頂は見えぬ赤松冬日沁む (松の図)→「冬日」(三冬)
https://yahan.seesaa.net/article/510336309.html
二〇 牡蠣食へり重たき肩を起しては (波頭の図)→「牡蛎」(三冬)
https://yahan.seesaa.net/article/510365383.html
二一 曇天と古草の間屍(かばね)行く (角材の図)→「古草」(三冬)
https://yahan.seesaa.net/article/510416249.html
「雪(五句)」→→「同上・下記(一句)」
二二 雪はしづかにゆたかにはやし屍室 ※(黒地・白鷺の図)→「雪」(晩冬)」
https://yahan.seesaa.net/article/510475147.html
「雪ふたたび(五句) →「同上・下記(一句)」
二三 雪後来し子の柔(にこ)髪のかなしさよ ※(無紋余白)→「雪後(雪後の天・深雪晴・雪晴)」(晩冬)
https://yahan.seesaa.net/article/510573408.html
「早春(十一句) →「同上・下記(四句)」
二四 梅も一枝死者の仰臥の正しさよ (梅花の図)→「梅」(初春)
https://yahan.seesaa.net/article/510805227.html
二五 三月風胸の火吹かれ打臥すも (並び紋様)→「三月(風)」(仲春)
https://yahan.seesaa.net/article/510894302.html
二六 春雷の熄みし口洞閉づるかな (雪図紋) →「春雷」(三春)
https://yahan.seesaa.net/article/511134741.html
二七 春疾風屍(かばね)敢て出でゆくも (芽木の図) →「春疾風」(三春)
https://yahan.seesaa.net/article/511331313.html
「遺残空洞(十四句)」→「同上・下記(二句)」
二八 屍(し)を運ぶ春丸顔の看護婦達 ※(黒地・観音像の図) →「春」(三春)
https://yahantei14.seesaa.net/article/511556250.html?1741734966
二九 雪柳ふぶくごとくに今や咳く (雪柳の図) →「雪柳」(仲春)
https://yahan.seesaa.net/article/511764892.html
「ブロンぺ(十四句)」→「同上・下記(一句)」
三〇 惜しみなく女患者に蝌蚪頒つ (女性と蝌蚪図) →「蝌蚪」(晩春)
https://yahan.seesaa.net/article/511993735.html
「予量(十七句)」→「同上・下記(一句)」
三一 蟻地獄病者の影をもて蔽ふ ※(無紋余白) →「蟻地獄」(三夏)
https://yahan.seesaa.net/article/512226083.html
「憂患(十一句)」→「胸形變板画巻(『惜命板画柵』)無
「長梅雨(三十二句)」→「同上・下記(二句)」
三二 梅雨仄か命死ぬ歌頬を熱す ※(無紋余白) →「梅雨」(仲夏)
https://yahan.seesaa.net/article/512630625.html
三三 灯るごと梅雨の郭公鳴き出だす (郭公の図) →「郭公」(三夏)
「動悸(八句)」 →「胸形變板画巻(『惜命板画柵』)無
「荘厳(十一句)」→「同上』)下記二句
三四 日盛りのシヤワー痩躯を荘厳す (日輪の図) →
三五 業苦呼起す未明の風鈴は ※(無紋余白) →
「晩夏光(十四句)」(「同上』)下記一句
三七 病者より痩せしかぐろき小鰺売り (昼顔の図) →
「癩園の籬(十一句)」→「同上)無
「颱風過(十四句)」「同上)下記一句
三六 野分あと口のゆるびて睡りをり (野の草の図) →
露の楽(八句) →(昭和二十四年、三十七歳) →「同上』)無
霧雫(八句) →(昭和二十四年、三十七歳)→「同上」
捨菊(十七句) →(昭和二十四年、三十七歳) →「同上」
接吻(八句) →(昭和二十四年、三十七歳) →「同上」
冬日楽園(二十三句) →(昭和二十四年、三十七歳) →「同上」
降誕祭過(五句) →(昭和二十四年、三十七歳) →「同上」
家長七日(十一句) → (昭和二十五年、三十八歳) →「同上」
水仙花(二十句) → (昭和二十五年、三十八歳) →「同上」
「棟方志功全集 第5巻 (詩歌の柵 1)」(「国立国会図書館デジタルコレクション」)所収「胸形變板画巻」
https://dl.ndl.go.jp/pid/12748150/1/121
季語は、「(梅雨の)郭公」の「郭公」(三夏)。句意は、「病室の灯が、灯るごとくに、梅雨闇の雑木林で、郭公が、その異称の「呼子鳥」のように、『カッコー、カッコー』と、鳴き(泣き・啼き) 出している。」
この句は、『惜命』の「長梅雨」(昭和二十四年作)と題する、三十二句中の末尾の句であ
る。この「長梅雨」(昭和二十四年作)の中では、「胸形變板画巻(『惜命板画柵』)」に収載されているのは、前作(三十二番目)に続く(三十三番目)の句ということになる。
三二 梅雨仄か命死ぬ歌頬を熱す (無紋余白) →「梅雨」(仲夏)
三三 灯るごと梅雨の郭公鳴き出だす (郭公の図) →「郭公」(三夏)
この二作は、前句に続き、「石橋辰之助」への追悼句の一つとして鑑賞したい。
(参考一)「郭公(かっこう、くわくこう)三夏」周辺
https://kigosai.sub.jp/001/archives/2100#:~:text=%E5%88%9D%E5%A4%8F%E3%80%81%E5%8D%97%E6%96%B9%E3%81%8B%E3%82%89%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AB,%E5%A4%89%E5%8C%96%E3%81%97%E3%81%9F%E3%82%82%E3%81%AE%E3%81%A7%E3%82%82%E3%81%82%E3%82%8B%E3%80%82
【子季語】閑古鳥
【解説】初夏、南方から日本に渡って来る鳩よりやや小形の鳥。明るい林や草原で「カッコー、カッコー」と鳴く。江戸期によく用いられた閑古鳥という名は、鳴声ののどかさによるものであり、「かっこうどり」の変化したものでもある。](「きごさい歳時記」)
【例句】(抜粋)
https://fudemaka57.exblog.jp/25867354/
灯るごと梅雨の郭公鳴き出だす 石田波郷『惜命』(昭和二十五年刊)
郭公のひそみ啼きゐて風暑し 石橋辰之助『山行』所収「蓼科高原」(昭和六年作)
郭公の声近づきて応ふなり 水原秋櫻子『蘆刈』(昭和十四年刊)
郭公や瑠璃沼蕗の中に見ゆ 水原秋櫻子『蘆刈』(昭和十四年刊)
郭公や迦具土の神けふしづか 水原秋櫻子『蘆刈』(昭和十四年刊)
郭公や野に疲れたる夕間暮 水原秋櫻子『古鏡』(昭和十七年刊)
雲垂れて郭公これにひびかへり 水原秋櫻子『古鏡』(昭和十七年刊)
郭公や烏城にのこる角櫓 水原秋櫻子『残鐘』(昭和二十七年刊)
学園や郭公楡をくぐり飛ぶ 水原秋櫻子『晩華』(昭和三十九年刊)
磐梯へ翔けし郭公戻り鳴く 水原秋櫻子『殉教』(昭和四十四年刊)
郭公や雲のつつめる遅ざくら 水原秋櫻子『殉教』(昭和四十四年刊)
「郭公」の例句中、水原秋櫻子の『蘆刈』(昭和十四年刊)時代というのは、石田波郷が、昭和七年(一九三二年、十九歳時)に、四国(愛媛・松山中学校)から、上京して、秋桜子門(「馬酔木」門での、「石橋辰之助(竹秋子・二十三歳)・高屋窓秋(二十二歳)に入って、秋桜子(馬酔木)」の、「若手俊英三羽烏(竹秋子=辰之助・窓秋・波郷)」の、それぞれの旅立ちの時期でもあった。
高屋窓秋は、昭和十一年(一九三五年・二十五歳)時に、「『馬酔木』の同人を辞し、俳句から離れている。」(『現代俳句の世界16 富沢赤黄男・高屋窓秋・渡辺白泉集』所収「高屋窓秋略年譜」)
石橋辰之助は、昭和十二年(一九三六年・二十七歳)時に、「『馬酔木』を離れ、杉村聖林子と『荒男』を創刊し、翌年、『京大俳句』に参加、昭和十五年、句集『家』上梓、この年、西東三鬼らと新興俳句総合誌『天香』を創刊したが、新興俳句弾圧事件により検挙を受け、五年間作品活動を禁止された。昭和十八年、日本映画社へ転ず。昭和二十年戦災。翌年、新俳句人連盟創立、幹事に選出された。同年、『俳句人』創刊、昭和二十二年、新俳句人連盟幹事長、昭和二十三年、日本民主主義文化連盟芸術委員会専門委員。同年八月一日粟粒結核にて入院。昭和二十三年八月二十一日死亡。享年満四十歳。」(『現代俳句大系第二巻』所収「解説・『山行(石橋辰之助)・有働亨稿』」)
石田波郷は、昭和十七年(一九四二年・三十歳)に、「春、馬酔木の編集を辞し、つづいて同人も辞した。六月結婚。職なく、『鶴』に力をそそいだ。加藤楸邨も馬酔木を去った。小野某の内務省を背景にした暗々の圧迫に因るといわれている。」(『石田波郷)
後列 石橋辰之助・水原秋桜子・石田波郷・高屋窓秋)
https://yahantei.blogspot.com/2008/06/blog-post_6304.html
三月堂
来し方や馬酔木咲く野の日のひかり(水原秋櫻子『葛飾(昭和五年刊)』所収「大和の春(昭和二年作)」)
朝焼の雲海屋根を溢れ落つ(石橋辰之助『山行(昭和十年刊)』所収「昭和七年(昭和七年作)」)
頭の中で白い夏野となつてゐる(高屋窓秋『白い夏野(昭和十一年刊)』所収「雑(昭和七年作)」)
吹きおこる秋風鶴をあゆましむ(石田波郷『鶴の眼(昭和十四年刊)』所収「秋(昭和十四作)」)
一句目の、水原秋櫻子の句は、その第一句集『葛飾』の書名に由来あるもので、この『葛飾』について、「『葛飾』一巻は、写生俳句が失いかけていた抒情の回復を成しとげた歴史的な句集である。近代俳句の出発を子規の革新運動に求めながら、現代俳句の出発は、『葛飾』およびそれに続く『自然の真と文芸上の真』の主張とに求めてさしつかえないであろう。」との評がなされている。(『現代俳句大系第一巻』所収「解説・『葛飾(水原秋櫻子)・有働亨稿』」)
二句目の、石橋辰之助の句も、その第一句集『山行』と、この句について、「『山行』一巻は、辰之助の山岳開拓者としての地位を決定づけたものであり、なかんずく『朝焼の雲海屋根を溢れ落つ』の句は『山岳俳句の嚆矢』とさえ称されている。」と評されている。(『現代俳句大系第二巻』所収「解説・『山行(石橋辰之助)・有働亨稿』」)
ここに、石田波郷の、この「朝焼の雲海屋根を溢れ落つ」の評の、その一端について、下記に抜粋をして置きたい。
[ 『山行』(昭和十年刊)所載。昭和六年、水原秋櫻子の率いる『馬酔木』が『ホトトギス』を脱離し、客観写生に対し主観的観照・抒情解放を唱えて、昭和俳句革新の口火を切ったわけだが、その時、秋櫻子の旗本に篠田春蝉(後の悌二郎)・滝春一・石橋竹秋子(後の辰之助)・高屋窓秋の四俊秀がいた。それぞれ異なった句風をもっていたが、若々しく新鮮な情熱が共通していた。「馬酔木の四春秋」として俳壇の抑圧されていた青年層を瞠目させたねのである。その中で石橋辰之助は山岳俳句に全く新しい面を開いた。(中略)
見渡す限り漠々たる雲は下界をとざして、海原のごとく幾座かの山頂を岩礁のように泛(うか)べ、空もろともに荘厳な朝焼に染められている。満を持した時間の中で、やがて雲に動きが見え、雲海がせり上がるように尾根を越えはじめる。胸一杯に生命の搏動する壮大な景観だ。この句の力強い、開放的な声調には、この作者をふくめて新しい俳句運動に身を挺する者の、若い矜持があふれているようである。](『俳句講座6 現代名句評釈』所収「石橋辰之助(石田波郷稿)」)
三句目の、高屋窓秋の、この句と、その第一句集『白い夏野』周辺のことなどに関して、石田波郷の、この句の評の一端を、下記に抜粋をして置きたい。
[ 『白い夏野』は窓秋の馬酔木時代の句を収録している。この句は初期のもので、昭和六・七年頃の作であろう。「馬酔木」の独立を期として春の洪水ようにひろがった新興俳句界の、若い希望として窓秋の句は驚異的に迎えられた。「ホトトギス」の客観写生に対して主観尊重を唱えたとはいえ、写生を根底とすることに変りはない。その秋櫻子が窓秋のこの句を認めて『馬酔木』雑詠の上位に置いたのは不思議に見えるが、若い時代の情熱が秋櫻子をも動かしたとみればよいのである。『馬酔木』の中で窓秋ただ一人がほんとうに新しかったのである。(中略)
この句の「白い夏野」は現実の夏野ではない。抽象風景である。「頭の中で」と抽象設定を示しているところが、やはり他の現実的な句とかけはなれない場で作られたことを示している。(中略)
窓秋が詠もうとしているのは、そういう風景ではない。「白い」を詠もうとしているのだ。写生俳句とは全く別である。口語を用いていることも新しい。(後略) }(『俳句講座6 現代名句評釈』所収「高屋窓秋(石田波郷稿)」)
高屋窓秋の「白い夏野」周辺については、下記のアドレスでなど触れて来た。
高屋窓秋の「白い夏野(その一)」(一~十)
https://yahantei.blogspot.com/2008/06/blog-post.html
[(再掲・抜粋)
私(波郷)は、窓秋が喫茶店でモーツァルトなどを聴きながら、一枚の原稿紙に丹念な文字で一句一句製図でもひくように創り出すのをいつも見ていた。 時には五句の字数までが揃って、五句の文字が縦も横も綺麗に並んでいたこともある。そうするために字数を揃えるべく句を直すことさえあった。連作という新しい詩形がほんとうに必要なのは、結局は窓秋ただ一人だったのである。
これらの波郷の鑑賞文に接して、窓秋と全くの同時代の、詩人で建築家であった、四季派の立原道造が思い起されてくる。窓秋は明治四十三年の生れ、道造は大正三年の生れで、道造が後輩であるが、窓秋が俳壇と訣別して遠く満州の地に赴任した翌年の昭和十四年に、二十四歳という若さで他界している。道造の詩には、若い人のみが許される、「若々しい希望と若々しい愛とそれらを追い求め続ける夢」とが、美しい、波郷の言葉でするならば、「一枚の原稿紙に丹念な文字で一句一句製図でもひくように」創作されている。そして、窓秋
の、二十六歳の時に刊行した、窓秋の青春の句集『白い夏野』は、これは、まぎれもなく、窓秋の、その陰鬱な時代の到来する夜明けの、若き詩人だけが許される透明な詩心で把握した、「夢みたもの」の、「一枚の原稿紙に丹念な文字で一句一句製図でもひくように」創作したものの痕跡のように思われてくるのである。]
ここで、高屋窓秋(昭和十一年「馬酔木」離脱)、石橋辰之助(昭和十二年「馬酔木」離脱)、そして、石田波郷(昭和十七年「馬酔木」離脱)の、それぞれの水原秋櫻子の「馬酔木」の離脱については、「秋櫻子が、宮内省侍医寮御用係を仰付けられたことと、当時の国情の推移とを思いあわせ、『馬酔木』の中で勝手なことはできない。秋櫻子に迷惑がかかる、という深慮からの決意であった。」(『高屋窓秋全句集』併載「百句自註」)との記述がある。(『現代俳句の世界16) 富沢赤黄男・高屋窓秋・渡邊白泉』所収「解説(三橋敏雄稿)」)
また、その「解説(三橋敏雄稿)」中に、「昭和七年(一九三二)二月二十日、石田波郷が松山より単身上京した。東京を知らぬ波郷を東京駅に出迎えたのは、竹秋子、窓秋、牛山一庭人の三人、その翌日、『馬酔木』発行所は、前記の西応寺(註・「佐々木綾華」が住職の寺院)より当時の神田区雉子町三十一番地の内神田ビル内に移転した。前後して同誌は内容、体裁ともに改革され、一段と充実するが、ときに当たって窓秋は、師秋櫻子の意を体し、編集と経営の両面にわたって持てる才能を十二分に発揮した。(中略) 波郷はその事務を手伝う」との記述もなされている。
因みに、この、高屋窓秋と石橋辰之助の「馬酔木」離脱(同時に「馬酔木」編集から離脱)と入れ替わるように、加藤楸邨が、昭和十二年(一九三七・三十二歳)に、東京文理科大学国文科に入学・上京し、「教師(粕壁中学校)から老学生へと転向し」、同時に「馬酔木」発行所で、石田波郷と共に、水原秋櫻子の傍らで、秋櫻子の経済的援助を受けながら、「馬酔木」の編集に携わって行く。これらの周辺のことなどについて、「加藤楸邨年譜」などから、関係するところを、下記に抜粋して置きたい。
[ 昭和十年(一九三五・三十歳) 一月、「馬酔木」同人となる。九月五日、次男冬樹出生。
(『現代俳句の世界8 加藤楸邨集』所収「加藤楸邨略年譜」、「石橋辰之助(二十五歳)・高屋窓秋(二十四歳)・石田波郷(二十一歳)」は、昭和八年に同人となっている。年齢は、昭和十年の楸邨に合わせている。水原秋櫻子・四十二歳、篠田春蝉・三十五歳、滝春一・三十三歳、百合山羽公・三十歳、相生垣瓜人・三十六歳、塚原夜潮・三十五歳、佐野まもる・三十三歳、軽部烏頭子・四十三歳、五十崎古郷・三十八歳、佐々木綾華・四十一歳。)
昭和十二年(一九三七・三十二歳) 粕壁中学校を辞し、東京文理科大学国文科に入学。能勢浅次先生の指導を受く。馬酔木発行所へつとめ、石田波郷を知る。小石川区坂下町四十番地に住居。三男明雄出生。秋、穂高(註・長男)をつれて、東北旅行。(『新訂俳句シリーズ・人と作品16 加藤楸邨(田川飛旅子著)』所収「年譜」)
昭和十四年(一九三九・三十四歳) 春、波郷、楚秋と木曾に遊んだ。台風下に仙台に弟を訪ね、立石寺に登った。八月、「俳句研究」座談会での発言によって「人間探求派」と名付けられた。(『新訂俳句シリーズ・人と作品16 加藤楸邨(田川飛旅子著)』所収「年譜」)
昭和十六年(一九四一・三十六歳) 三月、隠岐へ下る。斎藤茂吉を訪問す。秋、京都へ潁原退蔵を訪問す。このころから発想契機を中心とした「芭蕉発句評釈」の仕事に没頭す。(『新訂俳句シリーズ・人と作品16 加藤楸邨(田川飛旅子著)』所収「年譜」)
昭和十七年(一九四二・三十七歳) 一月、上諏訪旅行。四月、波郷と共に「馬酔木」 同人を辞す。(以下略) (『新訂俳句シリーズ・人と作品16 加藤楸邨(田川飛旅子著)』所収「年譜」) ]
これらのことは、下記のアドレスで紹介されている、「馬酔木」誌上での、「秋櫻子・楸邨・波郷=※印」のものを併記して置たい。
https://fragie.exblog.jp/32473732/
[大正十一年(一九二二)四月「ホトトギス」系僚誌として「破魔弓」創刊。主宰 佐々木綾華、選者 長谷川かな女。水原秋櫻子、第二号より同人として参加
大正十二年(一九二三)池内たけし、選者となる
大正十三年(一九二四)秋櫻子、選者となる
大正十五年(一九二六)十二月秋櫻子句文集『南風』刊
昭和二年(一九二七)三月選集『破魔弓俳句集』刊
昭和三年(一九二八)七月「馬醉木」と改題
※昭和五年(一九三〇)四月秋櫻子第一句集『葛飾』刊
昭和六年(一九三一)四月十周年記念号
昭和六年(一九三一)七月第一回馬醉木俳句会開催(紀伊國屋書店講堂)
※昭和六年(一九三一)十月秋櫻子、「自然の真と文芸上の真」を誌上に発表、「ホトトギス」と訣別
昭和七年(一九三二)一月馬醉木賞制定
※昭和八年(一九三三)四月軽部烏頭子、百合山羽公、瀧春一、篠田春蝉(悌二郎)、塚原夜潮、佐野まもる、高屋窓秋、石橋竹秋子(辰之助)、五十崎古郷、石田波郷、相生垣瓜人、佐々木綾華の十二名自選欄へ移る。
※昭和九年(一九三四)五月石田波郷、編集に加わる
※昭和九年(一九三四)七月秋櫻子、主宰となる
※昭和十年(一九三五)五月山口誓子加盟
昭和十年(一九三五)十二月最初の『馬醉木年刊句集』刊
※昭和十二年(一九三七)四月加藤楸邨上京、発行所勤務となる
昭和十三年(一九三八)十月秋櫻子第一句碑「水漬きつゝ新樹の楊ましろなり」が五色沼畔に建立される
※昭和十七年(一九四二)五月石田波郷、加藤楸邨、馬醉木を去る ]
ここで、第四句目の、石田波郷の「吹きおこる秋風鶴をあゆましむ」(昭和十二年・『鶴の眼』)周辺については、『新訂俳句シリーズ・人と作品17 石田波郷(楠本憲吉著)』所収「鑑賞篇(楠本憲吉稿)」のものを、下記に、その全文を掲載して置きたい。
[ 昭和十二年九月、「馬」と「樹氷林」が合併されて、波郷主宰の「鶴」が創刊された。その第二号で波郷は「鶴の眼」と題して
僕は「鶴」の発刊に因んで上野動物園に出かけて鶴の句を作ったが不出来で作品欄に発表することができない。「文章の間に挿入」して
児の嘆秋風の鶴あゆまざる
吹きおこる秋風鶴をあゆましむ
と書いている。「鶴」は戦時中、中断したが、戦後復刊されて今日なお「鶴の連衆」を擁して俳壇の一角に君臨している。
この句は波郷の代表句の一つに数えるべき、格調の高い、古典的風貌を持つ名品と断じても異論はあるまい。 ]
(参考二)『惜命(石田波郷第四句集・五百六句)』と「胸形變板画巻(『惜命板画柵』)」(石田波郷句・棟方志功板画・三十七句)との周辺(未完)
※『惜命(石田波郷第四句集・五百六句)』(『現代俳句大系 第八巻』所収「惜命」などに因る。)
※「胸形變板画巻(『惜命板画柵』)・三十七句」(石田波郷句・棟方志功板画)周辺(「俳句研究/昭和六十二・八/特集・石田波郷の文学」所収「『胸形変』板画巻(吉良蘇月稿)」などに因る。)
『惜命(石田波郷第四句集・五百六句)』と「胸形變板画巻(『惜命板画柵』)・三十七句」
「秋臥(五句)」→ (昭和二十二年、三十五歳) →「胸形變板画巻(『惜命板画柵』)無
「冬日射(十三句)→「同上)」無
「横光利一死(八句)」→「同上)」無
「墓の眺め(八句)」 →(昭和二十三年、三十六歳) →「同上)」無
「春へ(八句)」 →(「同上)」無
「後雁(十四句)」 →「同上)」無
「遠母来(五句)」 →「同上)」無
「薄暑(五句)」 →「同上)」無
「療養所(十一句)」 →「同上)」無
「羸痩(るいそう)=「痩せること」(十七句)」→「同上・下記(三句)」
一 栗咲く香血を喀く前もその後も (唐草の図)→「栗咲く(栗の花)」(仲夏)
https://yahan.seesaa.net/article/507842165.html
二 優曇華やきのふの如き熱の中 (絮の図)→「優曇華」(晩夏)
https://yahan.seesaa.net/article/507963081.html
三 蝉かなしベッド縋る子を見れば (角材の図)→「蝉」(晩夏)
https://yahan.seesaa.net/article/508139416.html
「凡に見ず(八句)」→「同上」」無
「肋(あばら)(十一句)」→「同上・下記(一句)」
四 金の芒はるかなる母の禱りをり (野草の図)→「芒(すすき)」(三秋)
https://yahan.seesaa.net/article/508338776.html
「成形(二十四句)」→「同上・下記(四句)」
五 花圃(かほ)に水汲める見てをり手術前 (角材の図)→「花圃(かほ)」(三秋)
https://yahan.seesaa.net/article/508393480.html
六 たばしるや叫喚す胸形変 ※(無紋余白)→「鵙」(三秋)
https://yahan.seesaa.net/article/508677638.html
七 麻薬うてば十三夜月遁走す (唐草丸紋の図) )→「十三夜月」(晩秋)
https://yahan.seesaa.net/article/508941120.html
八 秋の暮溲罎(しびん)泉のこゑをなす (枯葉の図)→「秋の暮」(三秋)
https://yahan.seesaa.net/article/509098148.html
「二次成形告知(五句)」 →「同上」無
「二次成形その後(二十句)」→「同上・下記(二句)」
九 松籟や白息かた みにながし佇つ(大木の図)→「息白し)」(三冬)
https://yahan.seesaa.net/article/509163561.html
一〇 悴み病めど栄光の如く子等育つ(木枝の図)→「悴)む」(晩冬)
https://yahan.seesaa.net/article/509305818.html
「冬鶯(十一句)」→「同上・下記(三句)」
一一 冬日の妻よ吾に肋骨無きのちも ※(無紋余白)→「冬日」(三冬)
https://yahan.seesaa.net/article/509396772.html
一二 冬鶯われは病弟子胸あつし (角材の図)→「冬鶯」(三冬)
https://yahan.seesaa.net/article/509611636.html
一三 寒夜脇に肋の切口開くべし (肋骨の図)→「寒夜(冬の夜)」(三冬)
https://yahan.seesaa.net/article/509671280.html
「送迎(十一句)」→(「胸形變板画巻(『惜命板画柵』)無
「ベトレヘムの鐘」)→「同上・下記(一句)」
一四 病む六人一寒燈を消すとき来(ベッドの図)→「寒燈」(三冬)
https://yahan.seesaa.net/article/510025519.html
「屍の眺め(四十一句)」→(昭和二十四年、三十七歳) →「胸形變板画巻(『惜命板画柵』) →「同上・下記(七句)」
一五 綿虫やそこは屍の出でゆく門 ※(無紋余白)→「綿虫」(初冬)
https://yahan.seesaa.net/article/510098153.html
一六 白き手の病者ばかりの落葉焚(楢の葉の図)→「落葉焚」(三冬)
https://yahan.seesaa.net/article/510134541.html
一七 冬日低し吾と子の間妻急がん※(無紋余白)→「冬日」(三冬)
https://yahan.seesaa.net/article/510216150.html
一八 妻恋へり裸木に星咲き出でて (木立の図)→「裸木」(三冬)
https://yahan.seesaa.net/article/510241589.html
一九 頂は見えぬ赤松冬日沁む (松の図)→「冬日」(三冬)
https://yahan.seesaa.net/article/510336309.html
二〇 牡蠣食へり重たき肩を起しては (波頭の図)→「牡蛎」(三冬)
https://yahan.seesaa.net/article/510365383.html
二一 曇天と古草の間屍(かばね)行く (角材の図)→「古草」(三冬)
https://yahan.seesaa.net/article/510416249.html
「雪(五句)」→→「同上・下記(一句)」
二二 雪はしづかにゆたかにはやし屍室 ※(黒地・白鷺の図)→「雪」(晩冬)」
https://yahan.seesaa.net/article/510475147.html
「雪ふたたび(五句) →「同上・下記(一句)」
二三 雪後来し子の柔(にこ)髪のかなしさよ ※(無紋余白)→「雪後(雪後の天・深雪晴・雪晴)」(晩冬)
https://yahan.seesaa.net/article/510573408.html
「早春(十一句) →「同上・下記(四句)」
二四 梅も一枝死者の仰臥の正しさよ (梅花の図)→「梅」(初春)
https://yahan.seesaa.net/article/510805227.html
二五 三月風胸の火吹かれ打臥すも (並び紋様)→「三月(風)」(仲春)
https://yahan.seesaa.net/article/510894302.html
二六 春雷の熄みし口洞閉づるかな (雪図紋) →「春雷」(三春)
https://yahan.seesaa.net/article/511134741.html
二七 春疾風屍(かばね)敢て出でゆくも (芽木の図) →「春疾風」(三春)
https://yahan.seesaa.net/article/511331313.html
「遺残空洞(十四句)」→「同上・下記(二句)」
二八 屍(し)を運ぶ春丸顔の看護婦達 ※(黒地・観音像の図) →「春」(三春)
https://yahantei14.seesaa.net/article/511556250.html?1741734966
二九 雪柳ふぶくごとくに今や咳く (雪柳の図) →「雪柳」(仲春)
https://yahan.seesaa.net/article/511764892.html
「ブロンぺ(十四句)」→「同上・下記(一句)」
三〇 惜しみなく女患者に蝌蚪頒つ (女性と蝌蚪図) →「蝌蚪」(晩春)
https://yahan.seesaa.net/article/511993735.html
「予量(十七句)」→「同上・下記(一句)」
三一 蟻地獄病者の影をもて蔽ふ ※(無紋余白) →「蟻地獄」(三夏)
https://yahan.seesaa.net/article/512226083.html
「憂患(十一句)」→「胸形變板画巻(『惜命板画柵』)無
「長梅雨(三十二句)」→「同上・下記(二句)」
三二 梅雨仄か命死ぬ歌頬を熱す ※(無紋余白) →「梅雨」(仲夏)
https://yahan.seesaa.net/article/512630625.html
三三 灯るごと梅雨の郭公鳴き出だす (郭公の図) →「郭公」(三夏)
「動悸(八句)」 →「胸形變板画巻(『惜命板画柵』)無
「荘厳(十一句)」→「同上』)下記二句
三四 日盛りのシヤワー痩躯を荘厳す (日輪の図) →
三五 業苦呼起す未明の風鈴は ※(無紋余白) →
「晩夏光(十四句)」(「同上』)下記一句
三七 病者より痩せしかぐろき小鰺売り (昼顔の図) →
「癩園の籬(十一句)」→「同上)無
「颱風過(十四句)」「同上)下記一句
三六 野分あと口のゆるびて睡りをり (野の草の図) →
露の楽(八句) →(昭和二十四年、三十七歳) →「同上』)無
霧雫(八句) →(昭和二十四年、三十七歳)→「同上」
捨菊(十七句) →(昭和二十四年、三十七歳) →「同上」
接吻(八句) →(昭和二十四年、三十七歳) →「同上」
冬日楽園(二十三句) →(昭和二十四年、三十七歳) →「同上」
降誕祭過(五句) →(昭和二十四年、三十七歳) →「同上」
家長七日(十一句) → (昭和二十五年、三十八歳) →「同上」
水仙花(二十句) → (昭和二十五年、三十八歳) →「同上」
その三十四 日盛りのシヤワー痩躯を荘厳す

「棟方志功全集 第5巻 (詩歌の柵 1)」(「国立国会図書館デジタルコレクション」)所収「胸形變板画巻」
https://dl.ndl.go.jp/pid/12748150/1/121
季語は「日盛り」(晩夏)。「入院(入寮)し、再度の手術の後の、夏の日盛りの日を迎えた。その日中、久しぶりに、シャワーを浴びると、手術痕の生々しい、その『痩躯』(痩せ衰えた身体)は、無惨というよりも、何とも、『荘厳』(重々しく、厳かなこと)という、そんな感慨が押し寄せて来る。」
(参考一)「日盛り(ひざかり)(晩夏)周辺
[ 日盛り(ひざかり) 晩夏
【子季語】日の盛
【解説】夏の一日、最も太陽の強く照りつける正午頃から三時頃までをいう。人間も動物も暑さにじっと耐えるひと時である。
【例句】
日ざかりをしづかに麻の匂ひかな 大江丸「俳懺悔」
日ざかりや海人が門辺の大碇 正岡子規「子規句集」
日盛や松脂匂ふ松林 芥川龍之介「餓鬼句抄」 ](「きごさい歳時記」)
https://fudemaka57.exblog.jp/26111728/#goog_rewarded
日盛りのシヤワー痩躯を荘厳す 石田波郷『惜命』
長命寺裏の日盛り梅酒のむ 石田波郷
日盛りに出世有縁の狆の顔 中村草田男『来し方行方』
日盛りや時打つ余韻時計の中 中村草田男『同上』
「明暗」とは尚ほ日盛の物や事 中村草田男
何事もなかりし如き日盛なり 中村草田男
入江日盛母みなもとに復りねむる 中村草田男
城は日盛山市あらはやポプラ越し 中村草田男
日盛の江の対岸の乳房二つ 中村草田男
日盛りの中空が濃し空の胸 中村草田男
日盛りはたらく黒髪護りて黒リボン 中村草田男
日盛道いろいろの児が語しかける 中村草田男
裲襠ひやと子倚せ日盛り御女郎様 中村草田男
遠山で法螺の貝鳴り江は日盛 中村草田男 ]
「中村草田男・加藤楸邨・石田波郷」周辺
日盛りのシヤワー痩躯を荘厳す 石田波郷『惜命』(「胸形變板画巻」34)
日盛りに出世有縁の狆の顔 中村草田男『来し方行方』(「昭和十九年」)
日盛りや時打つ余韻時計の中 中村草田男『同上』
灯るごと梅雨の郭公鳴き出だす 石田波郷『惜命』(「胸形變板画巻」33)
郭公やちゃんちゃんこ手に子探しに 中村草田男『来し方行く』(「昭和十六年」)
郭公や角(かく)い円(まる)など地に描く吾子 (同上)
石田波郷の『惜命』(「胸形變板画巻」33) の「日盛り」の句と、中村草田男の戦時中の「日盛り」の句とは、一見すると、まるで、正反対のような印象を強くする。
続く、波郷の『惜命』(「胸形變板画巻」33)の「郭公」の句に対して、草田男の、 太平洋戦争が勃発した年の「郭公」の句は、これが、「人間探求派(中村草田男・加藤楸邨・石田波郷)」の筆頭格の「中村草田男」と、これまた、波郷の「郭公」と、草田男の「郭公」とでは、別世界のものとの印象を深くする。
ここで、改めて、上記の並列した三句を見て行くと、奇妙に、「脈絡無し」というのが、「脈絡有り」で、それほど違和感もなく、許容できるような雰囲気になって来る。
波郷の、「日盛りのシヤワー痩躯を荘厳す」の、その「痩躯」は、草田男の「日盛りに出世有縁の狆の顔」の「狆(ちん)の顔」をしていて、 そして、この「シャワー」は、草田男の「時打つ余韻時計の中」のような、そういう印象を抱くことは、それほど無理筋ではなかろう。
同様に、波郷の、この「灯るごと梅雨の郭公鳴き出だす」の、この「郭公」は、草田男の句の、「ちゃんちゃんこ手に子探しに」、そして、「角(かく)い円(まる)など地に描く吾子」と結びつけると、これは、当時の、「草田男家・波郷家」の、その「郭公」が、より具象化されて来るような印象すら抱くのである。
こらのことに関して、嘗て、下記のアドレスで、「臨書の名手・石田波郷」として、その周辺のことを記してきた。
https://yahantei.blogspot.com/2006/06/blog-post_04.html
「(再掲)
[臨書の名手・波郷]
○ 朝顔の紺の彼方の夕日かな
『風切』所収の句。波郷の三十歳(昭和十七年)の時の作。この句には「結婚はしたが職は無く、ひたすら俳句に没頭し、鶴に全力を挙げた。韻文俳句を大いに起こそうとした時季であった」という自注がある。楠本憲吉氏の句意は「茫洋たる未来の月日が果てしなく展開していく」とあるが、平畑静塔氏の「過去の月日がもはや帰らぬ過去が、今ひたと望見される」の方の句意をとりたい。静塔氏には「不実物語」という難解な俳論があるが、その最後のところに、波郷のこの句を題材とした「朝顔の臨書」という論稿がある。そのポイントを要約すると次のとおりとなる。
「俳人は歌手(又は作詞家兼歌手)であり、曲譜は十七字型そのものである。この曲譜の不実(言葉も文字も真実を伝えるのには限界がある)が、何故か人間の不朽の心をとらえる。この曲譜をどう工夫して上手に歌いこなすか、これが俳人の仕事である。この出発点は真似ることである。これには、臨書を徹底的にやらなければにらない。波郷の俳句が本歌どりの名手と思われるほど、どこか他人の俳句に似たところがあるのは、彼が臨書の名手だからである。この朝顔の句は、臨書の典型である。そして、波郷は臨書を極めつくしているから、彼の俳句には、人を魅了して止まない」として、そのお手本として次の二句をあげている。
朝顔にわれは飯食う男かな (芭蕉)
あなたなる夜雨の葛のあにたかな (芝不器男)
これらの静塔氏の俳論の展開は大変に難解のところもあるが、こと、「臨書の名手・波郷」との指摘については、大変に示唆を受けるところが大きい。この静塔氏に準じて、この波郷の傑作句に触れると、波郷の切磋琢磨の相手であった、中村草田男氏の次の句が浮かんでくる。波郷は、草田男氏のこの句は念頭に置いていないであろうが、共に、臨書を極めつくしているという思いを深くする。
思い出も金魚の水も蒼を帯びぬ (中村草田男)
[人間探求派の三人]
○ 秋の暮業火となりて秬(きび)は燃ゆ
第一句集『鶴の目』所収。波郷十八歳(昭和六年)の時の作。波郷が始めて「馬酔木」の巻頭を飾った作品である。その翌年(昭和七年)に上京し、「馬酔木」の同人となる。ここに、石橋辰之助(竹秋子)、高屋窓秋の両氏と共に、秋桜子門下の若き「馬酔木三羽烏」の俊秀が揃うこととなる。波郷は、昭和十二年には、主宰誌「鶴」を創刊し、志摩芳次郎氏が同人として加わることとなる。この「鶴」(昭和十四年)誌上において、波郷は「俳句は文学ではない」という、今に語り継がれている言葉を吐く。この「俳句は文学ではない」ということについては、志摩芳次郎氏は、「この言葉には、さまざまなふくみがあって、西欧の文学や思想に骨がらみとなった草田男にむかっていったと、考えられる」という鋭い指摘をしている。この指摘は、「俳句は文学ではない」という波郷の問に対する一つのキィワードのようなものを内包していると思われるのであるが、ここでは、この芳次郎の指摘だけに止めておくこととする。そして、波郷よりも十二歳年上の、中村草田男氏と波郷との関係というのは、相互に、何時も念頭にあって、切磋琢磨の好敵手ともいうべき間柄であったということを、少なくても、波郷においては、そのような関係にあったということは、ここに指摘しておきたい。
降る雪や明治は遠くなりにけり (草田男)
雪降れり時間の束の降るごとく (波郷)
思い出も金魚の水も蒼を帯びぬ (草田男)
朝顔の紺の彼方の月日かな (波郷)
そして、草田男、波郷と並んで「人間探求派」と称せられた加藤楸邨氏は、波郷が亡くなった時、次の句を詠んでいる。佳句が佳句を呼ぶ。彼等は真の同胞であっという思いを深くする。
秋の暮波郷燃ゆる火腹にひびく (楸邨) ]
この[臨書の名手・波郷]のことは、「日曜日, 6月 04, 2006」の頃のもので、ここで改めて、この観点からの、波郷が、草田男俳句を、一つのお手本(「臨書」)をしていたかを下記に掲げて置きたい。
妻二タ夜あらず二タ夜の天の川 (草田男『火の島』・昭和十二年作)
二夜三夜傘さげ会へば梅雨めきぬ (波郷『風切(昭和十四年~十八年))
夏痩せの妻や外國人と祷る (草田男『火の島』・昭和十一年作)
青林檎ひとの夏痩きはまりぬ (波郷『鶴の眼』・(昭和六年~十四年)
石田波郷の、郷土の愛媛の「松山中・旧制松山高」の先達の一人の「中村草田男」への敬慕というのは、終生変わらなかったのである。

『中村草田男と石田波郷 : 松山の生んだ人間探究派』(山市立子規記念博物館 編)
https://dl.ndl.go.jp/pid/12463911/1/1
「人間探求派」(難解派)とネーミングされた、「中村草田男・加藤楸邨・(篠原梵)・石田波郷」周辺については、下記のアドレスで紹介してきた。
https://yahantei14.seesaa.net/article/509168121.html
[ 中村草田男 (1901年(明治34年)7月24日 - 1983年(昭和58年)8月5日)
加藤楸邨 (1905年(明治38年)5月26日 - 1993年(平成5年)7月3日)
篠原梵 (1910年(明治43年)4月15日 - 1975年(昭和50年)10月17日)
石田波郷 (1913年(大正2年)3月18日 - 1969年(昭和44年)11月21日) ](「ウイキペデア」) »

「加藤楸邨と石田波郷」(『中村草田男と石田波郷 : 松山の生んだ人間探究派(山市立子規記念博物館 編)所収)
https://dl.ndl.go.jp/pid/12463911/1/35
上記の画像(右下段の二人:左=波郷、右=楸邨)の「楸邨と波郷」とは、昭和十二年(一九三七)に、石橋辰之助が「馬酔木」を離脱した年、そして、それは、楸邨(当時、三十二歳)が、教師(粕壁中学校)から老学生(東京文理科大学入学・「能勢朝次」下の国文科入学)となり、同時に、「馬酔木」発行所に勤め、石田波郷と同机して、「馬酔木」の編集に携わっていらい、終生の「連衆・同志(義兄弟のような俳友)」として、堅い絆で結ばれることになる。
鵙鳴くや十九で入りし造化の門(中村草田男『来し方行方』・昭和二十年作)
鵙鳴いて大いなる息吐きにけり(加藤楸邨『火の記憶』・昭和十九年作)・前書=「十月二十八日、京都着、知世子迎えに来る。」)
焼跡の鵙ぞと何を恋ふるかな(石田波郷『雨覆』・昭和二十年作)
人間探求派の「草田男・楸邨・波郷」の、「太平洋戦争」終結前後の「鵙」の句である。草田男の句は、終戦の詔勅前の、戦時中の、妻子を疎開させて、自分も戦火を逃れと「東都(東京)」を去ろうとしている頃の作である。その「生死」一線上の彷徨うの句として、この「十九で入りし造化の門(「俳諧・俳句」の門)」というのは、草田男の根っ子にある「ロゴス」(思理・想念)を信条とする、その発露のものと解したい。
同様に、楸邨の、この「鵙鳴いて大いなる息吐きにけり」の、この「大いなる息吐きにけり」とは、これまた、楸邨の根っ子にある「カオス」(混沌・不条理)の、その一端の吐息のようにも思われて来る。
ここで、波郷の「焼跡の鵙ぞと何を恋ふるかな」の句は、昭和二十年八月十五日の、終戦後の、その秋から冬にかけての、その「東都(東京))の、その「焼跡の鵙ぞ」ということになる。
そして、この句の、「鵙ぞと何を恋(こ)ふるかな」の、この「恋(こ)ふる」は、例えば、谷崎潤一郎の「母を恋うる記」、そして、そのベースになっている、「いにしへに恋ふる鳥かもゆづる葉の三井の上よりなき渡り行く」(『万葉集巻二・弓削皇子(ゆげのみこ)』)などが背景になっている一句と解するのが、この作者(波郷)の作意にかなうものなのかも知れない。
そして、それを一歩進めて、上記のように、当時の「人間探求派」とネーミングされた「草田男・楸邨・波郷」の「鵙」の句と解すると、甚だ飛躍した見方になるが、中村草田男の「ロゴス」(「思理・想念」の俳句)と、加藤楸邨の「カオス」(「混沌・不条理)の俳句とを絡ませて鑑賞することも、一つの見方となってくるであろう。
(補記)
https://www.aozora.gr.jp/cards/001383/files/58918_75465.html
「母を恋うる記(谷崎潤一郎)」(青空文庫)
(参考二)『惜命(石田波郷第四句集・五百六句)』と「胸形變板画巻(『惜命板画柵』)」(石田波郷句・棟方志功板画・三十七句)との周辺(未完)
※『惜命(石田波郷第四句集・五百六句)』(『現代俳句大系 第八巻』所収「惜命」などに因る。)
※「胸形變板画巻(『惜命板画柵』)・三十七句」(石田波郷句・棟方志功板画)周辺(「俳句研究/昭和六十二・八/特集・石田波郷の文学」所収「『胸形変』板画巻(吉良蘇月稿)」などに因る。)
『惜命(石田波郷第四句集・五百六句)』と「胸形變板画巻(『惜命板画柵』)・三十七句」
「秋臥(五句)」→ (昭和二十二年、三十五歳) →「胸形變板画巻(『惜命板画柵』)無
「冬日射(十三句)→「同上)」無
「横光利一死(八句)」→「同上)」無
「墓の眺め(八句)」 →(昭和二十三年、三十六歳) →「同上)」無
「春へ(八句)」 →(「同上)」無
「後雁(十四句)」 →「同上)」無
「遠母来(五句)」 →「同上)」無
「薄暑(五句)」 →「同上)」無
「療養所(十一句)」 →「同上)」無
「羸痩(るいそう)=「痩せること」(十七句)」→「同上・下記(三句)」
一 栗咲く香血を喀く前もその後も (唐草の図)→「栗咲く(栗の花)」(仲夏)
https://yahan.seesaa.net/article/507842165.html
二 優曇華やきのふの如き熱の中 (絮の図)→「優曇華」(晩夏)
https://yahan.seesaa.net/article/507963081.html
三 蝉かなしベッド縋る子を見れば (角材の図)→「蝉」(晩夏)
https://yahan.seesaa.net/article/508139416.html
「凡に見ず(八句)」→「同上」」無
「肋(あばら)(十一句)」→「同上・下記(一句)」
四 金の芒はるかなる母の禱りをり (野草の図)→「芒(すすき)」(三秋)
https://yahan.seesaa.net/article/508338776.html
「成形(二十四句)」→「同上・下記(四句)」
五 花圃(かほ)に水汲める見てをり手術前 (角材の図)→「花圃(かほ)」(三秋)
https://yahan.seesaa.net/article/508393480.html
六 たばしるや叫喚す胸形変 ※(無紋余白)→「鵙」(三秋)
https://yahan.seesaa.net/article/508677638.html
七 麻薬うてば十三夜月遁走す (唐草丸紋の図) )→「十三夜月」(晩秋)
https://yahan.seesaa.net/article/508941120.html
八 秋の暮溲罎(しびん)泉のこゑをなす (枯葉の図)→「秋の暮」(三秋)
https://yahan.seesaa.net/article/509098148.html
「二次成形告知(五句)」 →「同上」無
「二次成形その後(二十句)」→「同上・下記(二句)」
九 松籟や白息かた みにながし佇つ(大木の図)→「息白し)」(三冬)
https://yahan.seesaa.net/article/509163561.html
一〇 悴み病めど栄光の如く子等育つ(木枝の図)→「悴)む」(晩冬)
https://yahan.seesaa.net/article/509305818.html
「冬鶯(十一句)」→「同上・下記(三句)」
一一 冬日の妻よ吾に肋骨無きのちも ※(無紋余白)→「冬日」(三冬)
https://yahan.seesaa.net/article/509396772.html
一二 冬鶯われは病弟子胸あつし (角材の図)→「冬鶯」(三冬)
https://yahan.seesaa.net/article/509611636.html
一三 寒夜脇に肋の切口開くべし (肋骨の図)→「寒夜(冬の夜)」(三冬)
https://yahan.seesaa.net/article/509671280.html
「送迎(十一句)」→(「胸形變板画巻(『惜命板画柵』)無
「ベトレヘムの鐘」)→「同上・下記(一句)」
一四 病む六人一寒燈を消すとき来(ベッドの図)→「寒燈」(三冬)
https://yahan.seesaa.net/article/510025519.html
「屍の眺め(四十一句)」→(昭和二十四年、三十七歳) →「胸形變板画巻(『惜命板画柵』) →「同上・下記(七句)」
一五 綿虫やそこは屍の出でゆく門 ※(無紋余白)→「綿虫」(初冬)
https://yahan.seesaa.net/article/510098153.html
一六 白き手の病者ばかりの落葉焚(楢の葉の図)→「落葉焚」(三冬)
https://yahan.seesaa.net/article/510134541.html
一七 冬日低し吾と子の間妻急がん※(無紋余白)→「冬日」(三冬)
https://yahan.seesaa.net/article/510216150.html
一八 妻恋へり裸木に星咲き出でて (木立の図)→「裸木」(三冬)
https://yahan.seesaa.net/article/510241589.html
一九 頂は見えぬ赤松冬日沁む (松の図)→「冬日」(三冬)
https://yahan.seesaa.net/article/510336309.html
二〇 牡蠣食へり重たき肩を起しては (波頭の図)→「牡蛎」(三冬)
https://yahan.seesaa.net/article/510365383.html
二一 曇天と古草の間屍(かばね)行く (角材の図)→「古草」(三冬)
https://yahan.seesaa.net/article/510416249.html
「雪(五句)」→→「同上・下記(一句)」
二二 雪はしづかにゆたかにはやし屍室 ※(黒地・白鷺の図)→「雪」(晩冬)」
https://yahan.seesaa.net/article/510475147.html
「雪ふたたび(五句) →「同上・下記(一句)」
二三 雪後来し子の柔(にこ)髪のかなしさよ ※(無紋余白)→「雪後(雪後の天・深雪晴・雪晴)」(晩冬)
https://yahan.seesaa.net/article/510573408.html
「早春(十一句) →「同上・下記(四句)」
二四 梅も一枝死者の仰臥の正しさよ (梅花の図)→「梅」(初春)
https://yahan.seesaa.net/article/510805227.html
二五 三月風胸の火吹かれ打臥すも (並び紋様)→「三月(風)」(仲春)
https://yahan.seesaa.net/article/510894302.html
二六 春雷の熄みし口洞閉づるかな (雪図紋) →「春雷」(三春)
https://yahan.seesaa.net/article/511134741.html
二七 春疾風屍(かばね)敢て出でゆくも (芽木の図) →「春疾風」(三春)
https://yahan.seesaa.net/article/511331313.html
「遺残空洞(十四句)」→「同上・下記(二句)」
二八 屍(し)を運ぶ春丸顔の看護婦達 ※(黒地・観音像の図) →「春」(三春)
https://yahantei14.seesaa.net/article/511556250.html?1741734966
二九 雪柳ふぶくごとくに今や咳く (雪柳の図) →「雪柳」(仲春)
https://yahan.seesaa.net/article/511764892.html
「ブロンぺ(十四句)」→「同上・下記(一句)」
三〇 惜しみなく女患者に蝌蚪頒つ (女性と蝌蚪図) →「蝌蚪」(晩春)
https://yahan.seesaa.net/article/511993735.html
「予量(十七句)」→「同上・下記(一句)」
三一 蟻地獄病者の影をもて蔽ふ ※(無紋余白) →「蟻地獄」(三夏)
https://yahan.seesaa.net/article/512226083.html
「憂患(十一句)」→「胸形變板画巻(『惜命板画柵』)無
「長梅雨(三十二句)」→「同上・下記(二句)」
三二 梅雨仄か命死ぬ歌頬を熱す ※(無紋余白) →「梅雨」(仲夏)
https://yahan.seesaa.net/article/512630625.html
三三 灯るごと梅雨の郭公鳴き出だす (郭公の図) →「郭公」(三夏)
「動悸(八句)」 →「胸形變板画巻(『惜命板画柵』)無
「荘厳(十一句)」→「同上』)下記二句
三四 日盛りのシヤワー痩躯を荘厳す (日輪の図) →「日盛り」(晩夏)
https://yahan.seesaa.net/article/513402239.html
三五 業苦呼起す未明の風鈴は ※(無紋余白) →
「晩夏光(十四句)」(「同上』)下記一句
三七 病者より痩せしかぐろき小鰺売り (昼顔の図) →
「癩園の籬(十一句)」→「同上)無
「颱風過(十四句)」「同上)下記一句
三六 野分あと口のゆるびて睡りをり (野の草の図) →
露の楽(八句) →(昭和二十四年、三十七歳) →「同上』)無
霧雫(八句) →(昭和二十四年、三十七歳)→「同上」
捨菊(十七句) →(昭和二十四年、三十七歳) →「同上」
接吻(八句) →(昭和二十四年、三十七歳) →「同上」
冬日楽園(二十三句) →(昭和二十四年、三十七歳) →「同上」
降誕祭過(五句) →(昭和二十四年、三十七歳) →「同上」
家長七日(十一句) → (昭和二十五年、三十八歳) →「同上」
水仙花(二十句) → (昭和二十五年、三十八歳) →「同上」
「棟方志功全集 第5巻 (詩歌の柵 1)」(「国立国会図書館デジタルコレクション」)所収「胸形變板画巻」
https://dl.ndl.go.jp/pid/12748150/1/121
季語は「日盛り」(晩夏)。「入院(入寮)し、再度の手術の後の、夏の日盛りの日を迎えた。その日中、久しぶりに、シャワーを浴びると、手術痕の生々しい、その『痩躯』(痩せ衰えた身体)は、無惨というよりも、何とも、『荘厳』(重々しく、厳かなこと)という、そんな感慨が押し寄せて来る。」
(参考一)「日盛り(ひざかり)(晩夏)周辺
[ 日盛り(ひざかり) 晩夏
【子季語】日の盛
【解説】夏の一日、最も太陽の強く照りつける正午頃から三時頃までをいう。人間も動物も暑さにじっと耐えるひと時である。
【例句】
日ざかりをしづかに麻の匂ひかな 大江丸「俳懺悔」
日ざかりや海人が門辺の大碇 正岡子規「子規句集」
日盛や松脂匂ふ松林 芥川龍之介「餓鬼句抄」 ](「きごさい歳時記」)
https://fudemaka57.exblog.jp/26111728/#goog_rewarded
日盛りのシヤワー痩躯を荘厳す 石田波郷『惜命』
長命寺裏の日盛り梅酒のむ 石田波郷
日盛りに出世有縁の狆の顔 中村草田男『来し方行方』
日盛りや時打つ余韻時計の中 中村草田男『同上』
「明暗」とは尚ほ日盛の物や事 中村草田男
何事もなかりし如き日盛なり 中村草田男
入江日盛母みなもとに復りねむる 中村草田男
城は日盛山市あらはやポプラ越し 中村草田男
日盛の江の対岸の乳房二つ 中村草田男
日盛りの中空が濃し空の胸 中村草田男
日盛りはたらく黒髪護りて黒リボン 中村草田男
日盛道いろいろの児が語しかける 中村草田男
裲襠ひやと子倚せ日盛り御女郎様 中村草田男
遠山で法螺の貝鳴り江は日盛 中村草田男 ]
「中村草田男・加藤楸邨・石田波郷」周辺
日盛りのシヤワー痩躯を荘厳す 石田波郷『惜命』(「胸形變板画巻」34)
日盛りに出世有縁の狆の顔 中村草田男『来し方行方』(「昭和十九年」)
日盛りや時打つ余韻時計の中 中村草田男『同上』
灯るごと梅雨の郭公鳴き出だす 石田波郷『惜命』(「胸形變板画巻」33)
郭公やちゃんちゃんこ手に子探しに 中村草田男『来し方行く』(「昭和十六年」)
郭公や角(かく)い円(まる)など地に描く吾子 (同上)
石田波郷の『惜命』(「胸形變板画巻」33) の「日盛り」の句と、中村草田男の戦時中の「日盛り」の句とは、一見すると、まるで、正反対のような印象を強くする。
続く、波郷の『惜命』(「胸形變板画巻」33)の「郭公」の句に対して、草田男の、 太平洋戦争が勃発した年の「郭公」の句は、これが、「人間探求派(中村草田男・加藤楸邨・石田波郷)」の筆頭格の「中村草田男」と、これまた、波郷の「郭公」と、草田男の「郭公」とでは、別世界のものとの印象を深くする。
ここで、改めて、上記の並列した三句を見て行くと、奇妙に、「脈絡無し」というのが、「脈絡有り」で、それほど違和感もなく、許容できるような雰囲気になって来る。
波郷の、「日盛りのシヤワー痩躯を荘厳す」の、その「痩躯」は、草田男の「日盛りに出世有縁の狆の顔」の「狆(ちん)の顔」をしていて、 そして、この「シャワー」は、草田男の「時打つ余韻時計の中」のような、そういう印象を抱くことは、それほど無理筋ではなかろう。
同様に、波郷の、この「灯るごと梅雨の郭公鳴き出だす」の、この「郭公」は、草田男の句の、「ちゃんちゃんこ手に子探しに」、そして、「角(かく)い円(まる)など地に描く吾子」と結びつけると、これは、当時の、「草田男家・波郷家」の、その「郭公」が、より具象化されて来るような印象すら抱くのである。
こらのことに関して、嘗て、下記のアドレスで、「臨書の名手・石田波郷」として、その周辺のことを記してきた。
https://yahantei.blogspot.com/2006/06/blog-post_04.html
「(再掲)
[臨書の名手・波郷]
○ 朝顔の紺の彼方の夕日かな
『風切』所収の句。波郷の三十歳(昭和十七年)の時の作。この句には「結婚はしたが職は無く、ひたすら俳句に没頭し、鶴に全力を挙げた。韻文俳句を大いに起こそうとした時季であった」という自注がある。楠本憲吉氏の句意は「茫洋たる未来の月日が果てしなく展開していく」とあるが、平畑静塔氏の「過去の月日がもはや帰らぬ過去が、今ひたと望見される」の方の句意をとりたい。静塔氏には「不実物語」という難解な俳論があるが、その最後のところに、波郷のこの句を題材とした「朝顔の臨書」という論稿がある。そのポイントを要約すると次のとおりとなる。
「俳人は歌手(又は作詞家兼歌手)であり、曲譜は十七字型そのものである。この曲譜の不実(言葉も文字も真実を伝えるのには限界がある)が、何故か人間の不朽の心をとらえる。この曲譜をどう工夫して上手に歌いこなすか、これが俳人の仕事である。この出発点は真似ることである。これには、臨書を徹底的にやらなければにらない。波郷の俳句が本歌どりの名手と思われるほど、どこか他人の俳句に似たところがあるのは、彼が臨書の名手だからである。この朝顔の句は、臨書の典型である。そして、波郷は臨書を極めつくしているから、彼の俳句には、人を魅了して止まない」として、そのお手本として次の二句をあげている。
朝顔にわれは飯食う男かな (芭蕉)
あなたなる夜雨の葛のあにたかな (芝不器男)
これらの静塔氏の俳論の展開は大変に難解のところもあるが、こと、「臨書の名手・波郷」との指摘については、大変に示唆を受けるところが大きい。この静塔氏に準じて、この波郷の傑作句に触れると、波郷の切磋琢磨の相手であった、中村草田男氏の次の句が浮かんでくる。波郷は、草田男氏のこの句は念頭に置いていないであろうが、共に、臨書を極めつくしているという思いを深くする。
思い出も金魚の水も蒼を帯びぬ (中村草田男)
[人間探求派の三人]
○ 秋の暮業火となりて秬(きび)は燃ゆ
第一句集『鶴の目』所収。波郷十八歳(昭和六年)の時の作。波郷が始めて「馬酔木」の巻頭を飾った作品である。その翌年(昭和七年)に上京し、「馬酔木」の同人となる。ここに、石橋辰之助(竹秋子)、高屋窓秋の両氏と共に、秋桜子門下の若き「馬酔木三羽烏」の俊秀が揃うこととなる。波郷は、昭和十二年には、主宰誌「鶴」を創刊し、志摩芳次郎氏が同人として加わることとなる。この「鶴」(昭和十四年)誌上において、波郷は「俳句は文学ではない」という、今に語り継がれている言葉を吐く。この「俳句は文学ではない」ということについては、志摩芳次郎氏は、「この言葉には、さまざまなふくみがあって、西欧の文学や思想に骨がらみとなった草田男にむかっていったと、考えられる」という鋭い指摘をしている。この指摘は、「俳句は文学ではない」という波郷の問に対する一つのキィワードのようなものを内包していると思われるのであるが、ここでは、この芳次郎の指摘だけに止めておくこととする。そして、波郷よりも十二歳年上の、中村草田男氏と波郷との関係というのは、相互に、何時も念頭にあって、切磋琢磨の好敵手ともいうべき間柄であったということを、少なくても、波郷においては、そのような関係にあったということは、ここに指摘しておきたい。
降る雪や明治は遠くなりにけり (草田男)
雪降れり時間の束の降るごとく (波郷)
思い出も金魚の水も蒼を帯びぬ (草田男)
朝顔の紺の彼方の月日かな (波郷)
そして、草田男、波郷と並んで「人間探求派」と称せられた加藤楸邨氏は、波郷が亡くなった時、次の句を詠んでいる。佳句が佳句を呼ぶ。彼等は真の同胞であっという思いを深くする。
秋の暮波郷燃ゆる火腹にひびく (楸邨) ]
この[臨書の名手・波郷]のことは、「日曜日, 6月 04, 2006」の頃のもので、ここで改めて、この観点からの、波郷が、草田男俳句を、一つのお手本(「臨書」)をしていたかを下記に掲げて置きたい。
妻二タ夜あらず二タ夜の天の川 (草田男『火の島』・昭和十二年作)
二夜三夜傘さげ会へば梅雨めきぬ (波郷『風切(昭和十四年~十八年))
夏痩せの妻や外國人と祷る (草田男『火の島』・昭和十一年作)
青林檎ひとの夏痩きはまりぬ (波郷『鶴の眼』・(昭和六年~十四年)
石田波郷の、郷土の愛媛の「松山中・旧制松山高」の先達の一人の「中村草田男」への敬慕というのは、終生変わらなかったのである。
『中村草田男と石田波郷 : 松山の生んだ人間探究派』(山市立子規記念博物館 編)
https://dl.ndl.go.jp/pid/12463911/1/1
「人間探求派」(難解派)とネーミングされた、「中村草田男・加藤楸邨・(篠原梵)・石田波郷」周辺については、下記のアドレスで紹介してきた。
https://yahantei14.seesaa.net/article/509168121.html
[ 中村草田男 (1901年(明治34年)7月24日 - 1983年(昭和58年)8月5日)
加藤楸邨 (1905年(明治38年)5月26日 - 1993年(平成5年)7月3日)
篠原梵 (1910年(明治43年)4月15日 - 1975年(昭和50年)10月17日)
石田波郷 (1913年(大正2年)3月18日 - 1969年(昭和44年)11月21日) ](「ウイキペデア」) »
「加藤楸邨と石田波郷」(『中村草田男と石田波郷 : 松山の生んだ人間探究派(山市立子規記念博物館 編)所収)
https://dl.ndl.go.jp/pid/12463911/1/35
上記の画像(右下段の二人:左=波郷、右=楸邨)の「楸邨と波郷」とは、昭和十二年(一九三七)に、石橋辰之助が「馬酔木」を離脱した年、そして、それは、楸邨(当時、三十二歳)が、教師(粕壁中学校)から老学生(東京文理科大学入学・「能勢朝次」下の国文科入学)となり、同時に、「馬酔木」発行所に勤め、石田波郷と同机して、「馬酔木」の編集に携わっていらい、終生の「連衆・同志(義兄弟のような俳友)」として、堅い絆で結ばれることになる。
鵙鳴くや十九で入りし造化の門(中村草田男『来し方行方』・昭和二十年作)
鵙鳴いて大いなる息吐きにけり(加藤楸邨『火の記憶』・昭和十九年作)・前書=「十月二十八日、京都着、知世子迎えに来る。」)
焼跡の鵙ぞと何を恋ふるかな(石田波郷『雨覆』・昭和二十年作)
人間探求派の「草田男・楸邨・波郷」の、「太平洋戦争」終結前後の「鵙」の句である。草田男の句は、終戦の詔勅前の、戦時中の、妻子を疎開させて、自分も戦火を逃れと「東都(東京)」を去ろうとしている頃の作である。その「生死」一線上の彷徨うの句として、この「十九で入りし造化の門(「俳諧・俳句」の門)」というのは、草田男の根っ子にある「ロゴス」(思理・想念)を信条とする、その発露のものと解したい。
同様に、楸邨の、この「鵙鳴いて大いなる息吐きにけり」の、この「大いなる息吐きにけり」とは、これまた、楸邨の根っ子にある「カオス」(混沌・不条理)の、その一端の吐息のようにも思われて来る。
ここで、波郷の「焼跡の鵙ぞと何を恋ふるかな」の句は、昭和二十年八月十五日の、終戦後の、その秋から冬にかけての、その「東都(東京))の、その「焼跡の鵙ぞ」ということになる。
そして、この句の、「鵙ぞと何を恋(こ)ふるかな」の、この「恋(こ)ふる」は、例えば、谷崎潤一郎の「母を恋うる記」、そして、そのベースになっている、「いにしへに恋ふる鳥かもゆづる葉の三井の上よりなき渡り行く」(『万葉集巻二・弓削皇子(ゆげのみこ)』)などが背景になっている一句と解するのが、この作者(波郷)の作意にかなうものなのかも知れない。
そして、それを一歩進めて、上記のように、当時の「人間探求派」とネーミングされた「草田男・楸邨・波郷」の「鵙」の句と解すると、甚だ飛躍した見方になるが、中村草田男の「ロゴス」(「思理・想念」の俳句)と、加藤楸邨の「カオス」(「混沌・不条理)の俳句とを絡ませて鑑賞することも、一つの見方となってくるであろう。
(補記)
https://www.aozora.gr.jp/cards/001383/files/58918_75465.html
「母を恋うる記(谷崎潤一郎)」(青空文庫)
(参考二)『惜命(石田波郷第四句集・五百六句)』と「胸形變板画巻(『惜命板画柵』)」(石田波郷句・棟方志功板画・三十七句)との周辺(未完)
※『惜命(石田波郷第四句集・五百六句)』(『現代俳句大系 第八巻』所収「惜命」などに因る。)
※「胸形變板画巻(『惜命板画柵』)・三十七句」(石田波郷句・棟方志功板画)周辺(「俳句研究/昭和六十二・八/特集・石田波郷の文学」所収「『胸形変』板画巻(吉良蘇月稿)」などに因る。)
『惜命(石田波郷第四句集・五百六句)』と「胸形變板画巻(『惜命板画柵』)・三十七句」
「秋臥(五句)」→ (昭和二十二年、三十五歳) →「胸形變板画巻(『惜命板画柵』)無
「冬日射(十三句)→「同上)」無
「横光利一死(八句)」→「同上)」無
「墓の眺め(八句)」 →(昭和二十三年、三十六歳) →「同上)」無
「春へ(八句)」 →(「同上)」無
「後雁(十四句)」 →「同上)」無
「遠母来(五句)」 →「同上)」無
「薄暑(五句)」 →「同上)」無
「療養所(十一句)」 →「同上)」無
「羸痩(るいそう)=「痩せること」(十七句)」→「同上・下記(三句)」
一 栗咲く香血を喀く前もその後も (唐草の図)→「栗咲く(栗の花)」(仲夏)
https://yahan.seesaa.net/article/507842165.html
二 優曇華やきのふの如き熱の中 (絮の図)→「優曇華」(晩夏)
https://yahan.seesaa.net/article/507963081.html
三 蝉かなしベッド縋る子を見れば (角材の図)→「蝉」(晩夏)
https://yahan.seesaa.net/article/508139416.html
「凡に見ず(八句)」→「同上」」無
「肋(あばら)(十一句)」→「同上・下記(一句)」
四 金の芒はるかなる母の禱りをり (野草の図)→「芒(すすき)」(三秋)
https://yahan.seesaa.net/article/508338776.html
「成形(二十四句)」→「同上・下記(四句)」
五 花圃(かほ)に水汲める見てをり手術前 (角材の図)→「花圃(かほ)」(三秋)
https://yahan.seesaa.net/article/508393480.html
六 たばしるや叫喚す胸形変 ※(無紋余白)→「鵙」(三秋)
https://yahan.seesaa.net/article/508677638.html
七 麻薬うてば十三夜月遁走す (唐草丸紋の図) )→「十三夜月」(晩秋)
https://yahan.seesaa.net/article/508941120.html
八 秋の暮溲罎(しびん)泉のこゑをなす (枯葉の図)→「秋の暮」(三秋)
https://yahan.seesaa.net/article/509098148.html
「二次成形告知(五句)」 →「同上」無
「二次成形その後(二十句)」→「同上・下記(二句)」
九 松籟や白息かた みにながし佇つ(大木の図)→「息白し)」(三冬)
https://yahan.seesaa.net/article/509163561.html
一〇 悴み病めど栄光の如く子等育つ(木枝の図)→「悴)む」(晩冬)
https://yahan.seesaa.net/article/509305818.html
「冬鶯(十一句)」→「同上・下記(三句)」
一一 冬日の妻よ吾に肋骨無きのちも ※(無紋余白)→「冬日」(三冬)
https://yahan.seesaa.net/article/509396772.html
一二 冬鶯われは病弟子胸あつし (角材の図)→「冬鶯」(三冬)
https://yahan.seesaa.net/article/509611636.html
一三 寒夜脇に肋の切口開くべし (肋骨の図)→「寒夜(冬の夜)」(三冬)
https://yahan.seesaa.net/article/509671280.html
「送迎(十一句)」→(「胸形變板画巻(『惜命板画柵』)無
「ベトレヘムの鐘」)→「同上・下記(一句)」
一四 病む六人一寒燈を消すとき来(ベッドの図)→「寒燈」(三冬)
https://yahan.seesaa.net/article/510025519.html
「屍の眺め(四十一句)」→(昭和二十四年、三十七歳) →「胸形變板画巻(『惜命板画柵』) →「同上・下記(七句)」
一五 綿虫やそこは屍の出でゆく門 ※(無紋余白)→「綿虫」(初冬)
https://yahan.seesaa.net/article/510098153.html
一六 白き手の病者ばかりの落葉焚(楢の葉の図)→「落葉焚」(三冬)
https://yahan.seesaa.net/article/510134541.html
一七 冬日低し吾と子の間妻急がん※(無紋余白)→「冬日」(三冬)
https://yahan.seesaa.net/article/510216150.html
一八 妻恋へり裸木に星咲き出でて (木立の図)→「裸木」(三冬)
https://yahan.seesaa.net/article/510241589.html
一九 頂は見えぬ赤松冬日沁む (松の図)→「冬日」(三冬)
https://yahan.seesaa.net/article/510336309.html
二〇 牡蠣食へり重たき肩を起しては (波頭の図)→「牡蛎」(三冬)
https://yahan.seesaa.net/article/510365383.html
二一 曇天と古草の間屍(かばね)行く (角材の図)→「古草」(三冬)
https://yahan.seesaa.net/article/510416249.html
「雪(五句)」→→「同上・下記(一句)」
二二 雪はしづかにゆたかにはやし屍室 ※(黒地・白鷺の図)→「雪」(晩冬)」
https://yahan.seesaa.net/article/510475147.html
「雪ふたたび(五句) →「同上・下記(一句)」
二三 雪後来し子の柔(にこ)髪のかなしさよ ※(無紋余白)→「雪後(雪後の天・深雪晴・雪晴)」(晩冬)
https://yahan.seesaa.net/article/510573408.html
「早春(十一句) →「同上・下記(四句)」
二四 梅も一枝死者の仰臥の正しさよ (梅花の図)→「梅」(初春)
https://yahan.seesaa.net/article/510805227.html
二五 三月風胸の火吹かれ打臥すも (並び紋様)→「三月(風)」(仲春)
https://yahan.seesaa.net/article/510894302.html
二六 春雷の熄みし口洞閉づるかな (雪図紋) →「春雷」(三春)
https://yahan.seesaa.net/article/511134741.html
二七 春疾風屍(かばね)敢て出でゆくも (芽木の図) →「春疾風」(三春)
https://yahan.seesaa.net/article/511331313.html
「遺残空洞(十四句)」→「同上・下記(二句)」
二八 屍(し)を運ぶ春丸顔の看護婦達 ※(黒地・観音像の図) →「春」(三春)
https://yahantei14.seesaa.net/article/511556250.html?1741734966
二九 雪柳ふぶくごとくに今や咳く (雪柳の図) →「雪柳」(仲春)
https://yahan.seesaa.net/article/511764892.html
「ブロンぺ(十四句)」→「同上・下記(一句)」
三〇 惜しみなく女患者に蝌蚪頒つ (女性と蝌蚪図) →「蝌蚪」(晩春)
https://yahan.seesaa.net/article/511993735.html
「予量(十七句)」→「同上・下記(一句)」
三一 蟻地獄病者の影をもて蔽ふ ※(無紋余白) →「蟻地獄」(三夏)
https://yahan.seesaa.net/article/512226083.html
「憂患(十一句)」→「胸形變板画巻(『惜命板画柵』)無
「長梅雨(三十二句)」→「同上・下記(二句)」
三二 梅雨仄か命死ぬ歌頬を熱す ※(無紋余白) →「梅雨」(仲夏)
https://yahan.seesaa.net/article/512630625.html
三三 灯るごと梅雨の郭公鳴き出だす (郭公の図) →「郭公」(三夏)
「動悸(八句)」 →「胸形變板画巻(『惜命板画柵』)無
「荘厳(十一句)」→「同上』)下記二句
三四 日盛りのシヤワー痩躯を荘厳す (日輪の図) →「日盛り」(晩夏)
https://yahan.seesaa.net/article/513402239.html
三五 業苦呼起す未明の風鈴は ※(無紋余白) →
「晩夏光(十四句)」(「同上』)下記一句
三七 病者より痩せしかぐろき小鰺売り (昼顔の図) →
「癩園の籬(十一句)」→「同上)無
「颱風過(十四句)」「同上)下記一句
三六 野分あと口のゆるびて睡りをり (野の草の図) →
露の楽(八句) →(昭和二十四年、三十七歳) →「同上』)無
霧雫(八句) →(昭和二十四年、三十七歳)→「同上」
捨菊(十七句) →(昭和二十四年、三十七歳) →「同上」
接吻(八句) →(昭和二十四年、三十七歳) →「同上」
冬日楽園(二十三句) →(昭和二十四年、三十七歳) →「同上」
降誕祭過(五句) →(昭和二十四年、三十七歳) →「同上」
家長七日(十一句) → (昭和二十五年、三十八歳) →「同上」
水仙花(二十句) → (昭和二十五年、三十八歳) →「同上」
0 件のコメント:
コメントを投稿