木曜日, 7月 13, 2006

木下夕爾の俳句




○ 学院の留守さかんなる夏樹かな

 昭和四十年作。『遠雷』所収。この句は、詩人で俳人でも
あった、木下夕爾が、久保田万太郎が主宰する「春燈」の
七月号に発表した五句のうちの一句である。この時の五句
が、夕爾の俳句の作品発表の最後らしい。この年の八月に
夕爾は、その五十年の生涯を閉じた。

  1965年夏
  私はねじれた記憶の階段を降りてゆく
  うしなわれたものを求めて
  心の鍵束を打ち鳴らし

 その前年にオリンピック東京大会が開催された。この掲出
句の「夏樹」には、死の影は毛頭ない。しかし、昭和三十
九年の、この詩の「階段を降りてゆく」に、ふと、死の影
が見え隠れしている。


○ たべのこすパセリの青き祭かな

 昭和三十六年作。「たべのこす/パセリの」までは
平明な調子であるが、「青き/祭かな」と来ると、
詩人・夕爾調となってくる。そして、夕爾には、
「港の祭」という詩がある。

  べんとうの折詰からはみ出している
  パセリのひときれのように
  私は今ひどく孤独で新鮮である。

 夕爾の「青」とは「孤独と新鮮」の「青春の息吹」
のようなものなのであろう。それよりもなによりも、
「べんとうの折詰からはみ出しいる/パセリ」の思い
が、常に、夕爾にはつきまとっていたということなの
であろう。


○ 噴水の涸れし高さを眼にゑがく

 昭和二十八年作。その詩集『笛を吹く人』の中に、
「冬の噴水」という詩がある。

  噴水は
  水の涸れている時が最も美しい
  つめたい空間に
  ぼくはえがくことができる
  今は無いものを

  ぼくはえがく
  高くかがやくその飛場
  激しく僕に突き刺さるその落下

 この夕爾の眼の置き所、江戸時代の画・俳二道を
極めた蕪村の、その視点と同じものを感ずる。

  凧(いかのぼり)昨日の空のあり所


○ あたたかにさみしきことをおもひつぐ

 昭和二十八年作。夕爾の母郷への回想的な句の一つ
であろう。

  故郷よ 竹の筒に入れて失くした二銭銅貨よ
  僕はかへつてくる べつにあてもないのに
  ぼくはかへつてくる そこは僕の故郷だから

  風は樹木の間をぬけて
  怒つた縞蛇のやうに
  僕の首や腕に巻きつく



  故郷よ 竹の筒に入れて失くした二銭銅貨よ
  僕はかへつてくる べつにあてもないのに
  ああ大根の花にむらがる 無数の蝶のなかの
                    一匹

 この詩の「無数の蝶のなかの一匹」という想いが 
夕爾の詩や俳句の原点であったのだろう



○ 山葡萄故山の雲の限りなし

 昭和二十四年作。「故山」とは故郷の山のこと。また、故郷
そのものを指していう。夕爾の詩・俳句のモチーフが「母郷へ
の回想的風景」が多いということは、この句においても、故郷
の山に限定することなく、広く母郷への想いの句と理解すべき
であろう。
 
 山ぶどうをつんでいるうちに
 友だちにはぐれてしまった

 白い雲がいっぱい
 谷間の空をとざしていた
 谷川の音がかすかにきこえていた

 ひとりでたべるにぎりめしに
 お母さんのかみの毛が
 一本まじっていた

 母郷への想いは母の想いへと繋がる。その想いは白い雲の流れ
のように、限りなくなつかしいものの一つなのである。



○ 家々や菜の花いろの灯をともし

 昭和三十三年の作。夕爾の句のなかで最も
よく知られてものである。「菜の花」の句と
いえば、蕪村の「菜の花や月は東に日は西に」
がまず浮かんでくる。画人・蕪村の句は、
「西の空に日輪が、そして、東の空に月が昇
り、そして、地上には、黄色の菜の花に彩ら
れている」という、十七字音の中に、宇宙の
広がりを見事に収めた、画家の眼が躍如とし
ている。
 そして、この夕爾の菜の花の句は、詩人・
夕爾の眼が息づいている。「灯をともし」の、
この下五が絶妙で、薄暮の中に、「菜の花い
ろの灯がともる」というのである。それが、
人間の生活の象徴のように、詩人・夕爾の眼
には映るのであろう。
 この「菜の花いろの灯」は、薄暮前の「菜
の花」が前提となっていって、そして、「家
々に、その菜の花のような灯」が、ともると
いうのである。この句の、あたかも比喩のよ
うな「菜の花」は、十七字音という短い詩形
の俳句の、いわゆる、掛詞のような、季語と
しての「菜の花」が働いているというところ
に、詩人・夕爾の眼があるのであろう。
 この句は。句碑となって、夕爾の住んでい
た家の庭に刻みこまれているという。その夕
爾の家の郊外には、一面の田んぼが広がり、
その田んぼの傍らの水車小屋辺りでの作とい
う。夕爾らしい句である。


○ にせものときまりし壷の夜長かな 

夕爾の昭和三十年の作。夕爾の句としては異色で滑稽味
のする句。夕爾に骨董や陶器の趣味があったのかどうかは
定かではない。この夕爾が骨董や陶器にも造詣の深い井伏
鱒二と郷里を同じくし、終戦後の井伏鱒二が疎開生活をし
ていた頃、交遊があったことはよく知られている。
 この句の面白さは、「壷の夜長かな」と、その壷の擬人
化の醸し出す面白さであろう。と同時に、この句に接する
と、その終戦後の夕爾と鱒二との二人の交遊関係などを彷
彿させるなど、その壷の背後にいる「人物の夜長」を主題
としているからに他ならない。そして、この句のように、
「物」(壷)に則して、「者」(陶器談義をしている人)
の心境(「夜長」の退屈さ)を醸し出すのは、俳句の骨法
中の骨法である。この句は詩人・夕爾の作というよりも俳
人・夕爾の作という趣である。
 こういう理屈よりも、この句の「壷」が鱒二の「山椒魚」
に思えてくるのが、妙に面白いという雰囲気なのである


○ 地の雪と貨車のかづきて来し雪と

昭和二十八年作。新興俳句弾圧事件で二年半の刑期
後、終戦直前に北海道に移住した、細谷源二の雪の
句、「地の涯に倖せありと来しが雪」が髣髴として
来る。有爾の、この「地の雪」も、源二の「地の涯
に倖せありと来しが雪」と同一趣向のものであろう。
そして、有爾の、この雪の句の主題は、その「地の
涯に降ってきた雪」と「貨車のかづきて来し雪」と
の「出会い」に、有爾の眼が注がれている…、そこ
に、この句の生命と有爾の作句する基本的な姿勢を
見ることができるのである。同年の作の、「炎天や
相語りゐる雲と雲」の、「相語りゐる」、その交響
・交流こそ、有爾の詩や句の根底に流れているよう
な、そんな思いがするのである。即ち、有爾は、「
地の雪」と「貨車のかづきて来し雪」とが「遭遇」
し、その「出会い」の中に、「人と自然との営み」
のようなものを感じ取っているに違いない。



○ 遠雷やはづしてひかる耳かざり

昭和三十二年作。有爾の句集『遠雷』は、この
句に由来があるのだろうか。「遠雷」と「耳か
ざり」の「取り合わせ」の句。この句のポイント
は、その異質なフレーズの「取り合わせ」の他
に、「はずして・ひかる」という、この中七の
フレーズにある。「耳かざり・を・はずして」、
それは、作句者・有爾以外の第三者、そして、
この句では、それは「女性」であろうか。そし
て、五・七・五の十七音字の世界に、作句者以
外の第三者を登場させることにおいて、抜きん
出ていた俳人こそ、有爾がその師とした久保田
万太郎であった。ともすると、自己の心象風景
に眼を向ける有爾の、もう一つの有爾の眼であ
る。



○ とぢし眼のうらにも山のねむりけり

昭和三十三年作。「とぢし眼の」の上五の切り出しは、
「目(まな)うらの」とか、決して、有爾の独壇場では
なく、さまざまな俳人が用いているものの一つである
けれども、詩人・有爾の、いかにも好むような雰囲気
を有している。この句は一句一章体の、一気に読み下
すスタイル…、このスタイルも、詩人・有爾の、いか
にも好むような雰囲気を有している。そして、この「
山のねむりけり」の「けり」の切れ字は、「余韻」を
句の生命線のように大事にして、そして、多様する、
有爾の師の久保田万太郎の世界のものであろう。有爾
は、安住敦を知り、そして、万太郎の世界に入ったよ
うであるが、詩の世界と違って、句の世界にあっては、
「寡黙」、そして、「余韻」こそ、その生命線である
ということを、十分に承知し、その関連において、有
爾は万太郎から多くのものを学んだことであろう。

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