火曜日, 1月 31, 2023

第四 椎の木かげ

 4-1  うぐゐすに北野の絵馬(えうま)かゝりけり

 季語=鶯(うぐいす、うぐひす、うぐゐす)=三春

 https://kigosai.sub.jp/001/archives/1969#:~:text=%E9%B6%AF%E3%81%AF%E3%80%81%E6%98%A5%E3%82%92%E5%91%8A%E3%81%92%E3%82%8B,%E9%B3%A5%E3%81%A8%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%A6%E3%81%8D%E3%81%9F%E3%80%82

 【子季語】 黄鶯、匂鳥、歌よみ鳥、経よみ鳥、花見鳥、春告鳥、初音、鶯の谷渡り、流鶯、人来鳥

【関連季語】 笹鳴、老鶯

【解説】

鶯は、春を告げる鳥。古くからその声を愛で、夏の時鳥、秋の雁同様その初音がもてはやされた。梅の花の蜜を吸いにくるので、むかしから「梅に鶯」といわれ、梅につきものの鳥とされてきた。最初はおぼつかない鳴き声も、春が長けるにしたがって美しくなり、夏鶯となるころには、けたたましいほどの鳴き声になる。

【来歴】 『花火草』(寛永13年、1636年)に所出。

【文学での言及】

鶯の谷より出づる声なくは春来ることをたれかしらまし 大江千里『古今集』

【実証的見解】

鶯はスズメ目ウグイス科ウグイス属の留鳥で、日本各地の山地の明るい笹薮などに生息する。体長十五センチくらいで、雀ほど。背がみどりがかった茶褐色で、腹はやや白っぽい。食性は雑食で、春から夏に虫を捕食し、秋や冬には木の実や植物の種子などを食べる。時鳥の托卵の対象となる。

【例句】

鶯や柳のうしろ藪の前  芭蕉「続猿蓑」

鶯や餅に糞する縁のさき 芭蕉「葛の松原」

鶯を魂にねむるか矯柳(たうやなぎ) 芭蕉「虚栗」

鶯の声や竹よりこぼれ出る 才磨「塵の香」

鶯や下駄の歯につく小田の土 凡兆「猿蓑」

鶯の声遠き日も暮にけり 蕪村「蕪村句集」

鶯の啼やちいさき口明て 蕪村「蕪村句集」

どこでやらで鶯なきぬ昼の月 士朗「枇杷園句集」

鶯の静かに啼くや朝の雨 成美「いかにいかに」

 ※「十鳥千句独吟」(前書)=「千句独吟」というのは、「連歌・俳諧(連句)」の「百韻」(発句から挙句 (最後の句) までの1巻が 100句から成る形式)のものを「十巻」(一巻=百句、十巻=千句)、「独吟」(独りで作句する。他の人と付合(つけあい)をしないで、一巻を一人でよむこと)、すなわち、「十百韻」(百韻を「十巻(とまき)」、すなわち千の句を続けて詠む形式のもの)の意であろう。そして、「十鳥」というのは、その「十巻」の巻頭の「発句」に、それぞれ、「鳥」を詠むという意の、その「十鳥」と解する。

 ※「北野の絵馬(えうま・えま)」=この「北野」は全国天満宮の総祀(総本社)の、京都の「北野天満宮」(「連歌・俳諧」のメッカ、嘗て「連歌所」があった)の、その「北野」、そして、「絵馬」は、そこに奉納する「絵馬」の「絵馬所」があり、それらに関連する「絵馬」(奉納絵馬・奉納俳諧など)の意と解したい。

 「句意」(その周辺)

  この句は、『屠龍之技』の「第四 椎の木かげ」の冒頭の一句である。この「椎の木かげ」は、その「第三 みやこどり」の、寛政五年(一九五三)に移住した、隅田川東岸の、本所番場の「酒井家下屋敷(別邸)」周辺(この東岸の北側=下部を下がる付近)の、「隅田川を往来する猪牙舟(ちょきぶね)がランドマークしたという旧平戸藩邸」の、その「椎の木」のようである。(『酒井抱一・玉蟲敏子著・日本史リーフレット54 )

 

「本所番場・酒井家下屋敷(酒井下野守)A図」(隅田川東岸)と「駒形堂」(隅田川東岸)

http://codh.rois.ac.jp/edo-maps/iiif-curation-viewer/?curation=http://codh.rois.ac.jp/edo-maps/owariya/16/1852/ndl.json&mode=annotation&lang=ja

 

「切絵図に見る江戸時代の駒形堂)=B図」(隅田川西岸)

https://tokyo-trip.org/spot/visiting/tk0309/

  上記の「本所番場・酒井家下屋敷(酒井下野守)A図」の、「多田薬師こと東暫寺(とうざんじ)の南隣(この図の「酒井下野守」屋敷)で、「夏は西日が激しく」、対岸の「駒形堂」付近の住居と、この「切絵図に見る江戸時代の駒形堂)=B図」の、「駒形の渡し」付近の、「隅田川の東岸と西岸」を往来するような遷住生活であったようなことが、『軽挙館句藻』に記されているようである。(『酒井抱一(井田太郎著・岩波新書)』)

 この句の句意には、この「うぐゐすに北野の絵馬(えうま)かゝりけり」の「北野」に仕掛けがあるようで、これは、京都の「北野天満宮」の、菅原道真(菅贈太政大臣)の、次の「鶯」の和歌を踏まえているような雰囲気なのである。

 谷ふかみ春のひかりのおそければ雪につつめる鶯の声(『新古金和歌集』1441

ふる雪に色まどはせる梅の花鶯のみやわきてしのばむ(『新古金和歌集』1442

   この道真の二首目の「ふる雪に」の「に」の措辞が、抱一の句の「うぐゐすに」の「に」の措辞と同じ用例のようで、この用例などを踏まえると、「学問の神様・和歌の神様・連歌、俳諧の神様」の、「北野天満宮」の「菅原道真(菅贈太政大臣)」にあやかって、この「十鳥千句独吟」のスタートの発句の「鳥」は「うぐゐすに」というのが、その背景にあるものと解したい。

 そして、さらに、この「絵馬かゝりけり」の「絵馬」も、「えま」ではなく「えうま」または「えこま」の詠みということになろう。「え・こま」というのは、「(第一)こがねのこま(金馬門=大手門)」の、南畝・抱一らの「座」(連句会・俳句会)の暗号的・符丁(合言葉)的な意が、この「こま」(駒=馬)のようなのであるが、ここでは、「絵・馬(うま)」の詠みのように解したい。そして、それは、「北野天満宮」の道真の「一願成就のお牛さま」に連動していて、ここでは、「一願成就のお馬さま」というのが、この句の抱一の趣向ということになろう。

 句意は、「談林俳諧の祖の『西山宗因千句』に因んで、ここに『十鳥千句独吟』に挑むことにした。そのスタートの発句に、『北野天満宮』の『菅原道真(菅贈太政大臣)』の『鶯』の一首にあやかって、『鶯』を据え、その作句の座の掛軸として、『一願成就のお牛さま」』ならず、『一願成就のお馬さま』の絵軸を掲げることにした」というようにして置きたい。」

 


「一願成就のお牛さま」(北野天満宮境内の北西に位置する牛舎にお祀りされている臥牛は、当宮で最も古いものであると伝わっており、少なくとも江戸時代にはすでに、「一願成就のお牛さま」として親しまれていたことがわかっています。)

https://kitanotenmangu.or.jp/story/%E5%8C%97%E9%87%8E%E5%A4%A9%E6%BA%80%E5%AE%AE%E3%81%A8%E7%89%9B/

 

「酒井抱一: 梅に鶯」(部分図) 19世紀 183.5×46.5 cm メトロポリタン美術館

http://blog.livedoor.jp/a_delp/2021-01-02_SakaiHouitsu

 

(参考=未整理)「十鳥千句独吟」周辺

 4-1 うぐゐすに北野の絵馬(えうま)かゝりけり → 「鶯」

4-2 とぶ迄を走()つけたる春雉(きぎす)哉 → 「雉」

※春雉《きぎし》鳴く高円《たかまと》の辺に桜花散りて流らふ見む人もがも~作者未詳 『万葉集』 巻10-1866 雑歌

4-3 乙鳥や汲(くん)ではなせし桔槹(はねつるべ)→「乙鳥」(おつどり・つばくら・つばくろ・つばめ)

4-4 ほとゝぎす()やうす雲濃紫(こむらさき)→「ほとゝぎす」(時鳥・杜鵑)

4-5 魚狗(かわせみ)や笹をこもれて水のうへ→「魚狗」(かわせみ)=翡翠(かわせみ、かはせみ)

4-6  田の畔に居眠る雁や旅つかれ → 「雁」

4-7 山陵(みささぎ)の吸筒さがす夕(ゆうべ)かな →山陵(みささぎ)=鵲(かささぎ)三秋か?

4-8 木兎(みみづく)も末社の神の頭巾かな →木兎(みみづく)=木菟(みみずく/みみづく) 三冬

4-9 おし鳥のふすまの下や大紅蓮(ぐれん)→おし鳥=鴛鴦(おしどり、をしどり)三冬

4-10 蒼鷹の拳はなれて江戸の色 →(青鷹・蒼鷹=あおたか・あをたか・そうよう)=鷹(たか)三冬

4-11 夕立や静()に歩行筏さし → 「鳥」が「ヌケ」になっている。

※「日の春をさすがに鶴の歩みかな(其角)」=(「丙寅初懐紙」)季語=日の春(新年)の「鶴」を「夕立」(夏)の「鶴」の句に反転化しているか?

 

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