火曜日, 1月 03, 2023

屠龍之技(酒井抱一句集)第一こがねのこま(1-6)

 1-6 ゆめに見し梅や障子の影ぼうし

  季語=梅(初春)。「影ぼうし」=影法師=光をさえぎったため、地上や障子、壁などにその人の形が黒く映ったもの。かげぼう。かげぼし。かげんぼし。※七十一番職人歌合(1500頃か)六三番「影法師見苦しければ辻相撲月をうしろになしてねるかな」(『精選版 日本国語大辞典』)

  この句もまた、抱一が金科玉条としている「江戸座俳諧」宗匠の元締ともいうべき、「宝井其角」(「竹下侃憲(たけした ただのり)」、別号=「螺舎(らしゃ)」「狂雷堂(きょうらいだう)」「晋子(しんし)」「宝普斎(ほうしんさい」)の、次のような、世に知られている「其角句」が、その念頭(「季語・俳語・語句」など)にあっての一句ということになろう。

  貞享四年(一六八七)、其角二十七歳、母の死にあっての服忌中の句に、

   たのみなき夢のみ見けるに

うたたねのゆめに見えたる鰹かな 其角「続虚栗」「五元集」

   初七ノ夜いねかねたりしに

夢に来る母をかへすか時鳥  其角「続虚栗」「五元集」

元禄三年(一六九〇)、其角三十歳の六月十六日の句に、

  怖(ヲソロシキ)夢を見て

切られたる夢は誠か蚤の跡   其角「花摘」

  いきげさにずてんど   うちはなされたるがさめて後

切られたる夢は誠か蚤の跡   其角「五元集」

 

雀子やあかり障子の笹の影   其角『五元集』

 むめの木や此一筋を蕗のたう  其角「猿蓑」

 百八のかねて迷ひや闇のむめ  其角「猿蓑」

 


宝井其角(『國文学名家肖像集』)(「ウィキペディア」)

 

※ ゆめに見し梅や障子の影ぼうし(「こがねのこま」1-6

 句意=「ゆめ()」でみた「梅(むめの木)」の「障子の影ぼうし(障子に映る影法師)」は、亡き人の面影を伝えてくる。

  雀子やあかり障子の笹の影  (其角『続虚栗』)

 「影」は、「人やものの姿が光りで、地面や壁に映し出されたもの」、「影法師」は、「影」を擬人化しての用例。「一寸法師、荒法師、起き上がり法師、てつくつく法師(蝉の一種)」などと、この種の用例はしばしば見かける。

  弱法師(よろぼうし)我門(かど)ゆるせ餅の札  (其角『猿蓑』)

 この其角の「弱法師」は、乞食のこと。「餅の札」というのは、「年末に民家に餅を所望する乞食が、餅をくれる家と、呉れない家を区分する札を貼って歩く」、その札のこと。

 抱一(宝暦十一年=一七六一年生まれ)と全く同時代の、小林一茶(宝暦十三年=一七六三年生まれ)にも、「影法師」の佳句が多い。

http://ohh.sisos.co.jp/cgi-bin/openhh/jsearch.cgi?dbi=20140103235455_20140104001012&s_entry=0&orSearch=1&se0=0&sf0=0&sk0=%89e%96@%8et

   影法師とまめ息才でけさの春        俳諧寺抄録 文化14

  影法師に御慶を(申す)わらじ哉    文政句帖  文政7

  行灯やぺんぺん草の影法師      文政句帖 文政8

  梅咲やせうじ(障子)に猫の影法師  七番日記 文政1

  影法師を七尺去(さり)てぼたん哉  七番日記 文政1

  影法師に恥よ夜寒のむだ歩き     おらが春 文政2

  秋風やひよろひょろ山の影法師    七番日記 文化11

  秋風や谷向(むか)ふ行(ゆく)影法師 八番日記 文政4

  我よりは若しかゞし(案山子)の影法師 八番日記 文政4

  日ぐらしや我影法師のあみだ笠     八番日記 文政4

  朝顔や横たふはたが影法師       題葉集  寛政12

  老たりな瓢(ふくべ)と我が影法師   七番日記 文化9

  ひいき目に見てさへ寒し影法師     七番日記 文政1

  影法師も祝へたゞ今とし暮(くれ)る  八番日記 文政2

 

(参考) 「取合せ論の史的考察―その本質と根拠―(堀切実稿)

 https://www.jstage.jst.go.jp/article/haibun1951/2008/115/2008_115_1/_article/-char/ja/

 はじめに―取合せと日本文化

 「取合せ」は俳諧特有の理論ではない。絵画における色彩の配合、茶道における道具の取合せ、その他、香道の組香や狂言の衣裳の取合せなど、日本の諸芸道に相通じた手法である。  

  取合される“もの” とものとの異質性が要求され、しかも、そこに生じる違和感を止揚し、超克されるところに、取合せの美学が成立する。

 取合せは、取合される素材に即した感覚的、もしくは形象的な面での取合せを本質とするものではない。たとえば茶道の取合せといえば、普通、道具の取合せをいうが、個々の茶道具の取合せによって、それぞれの道具が単独にもっている美とは別の、ある微妙な調和美― 変化と調和の世界を表すものであり、これを「数寄」と称する。

 「数寄」とは「心のほかに物なし。心は万理をふくむ。時の宜に叶ふ事、皆わが心のなす事也」(『石州三百ヶ条』)と説かれるように、人の心の数寄に発するものであり、茶道を確立させた利休流の極意がここにある。単に道具の感覚的な調和美をさすのでなく、いわば茶席に臨む人たちの心の調和をめざすものであり、そこに配される道具は、要するに心の具象化として示されるのである。

 (以下略)

一、連歌における取合せ  (略)

二、談林俳諧における雅・俗配合の手法 (略)

 三、蕉風の取合せ論― その問題点

 蕉風の取合せ論について考察しようとする場合、つねに論議の対象となるのは、『去来抄』「修行」篇の次の一条である。

   先師曰く「発句は頭よりすらすらといひ下し来るを上品と

す」。洒堂曰く「先師『発句は汝がごとく二つ三つ取り集

めするものにあらず。こがねを打ちのべたるがごとくなる

べし』となり」。

先師曰く「発句は物を合あはすれば出来しゅったいせり。

その能く取合するを上手といひ、悪しきを下手といふ」。(下略)

 右の一条のうち、「こがねを打のべたるがごとく」― いわゆる「一物仕立て」の句について説かれた前半部は、去来著の『旅寝論』(元禄十二年三月稿)に師説としてみえるものと一致し、「取合せ」の句についての後半部は、許六の「自得発明弁」(元禄十一年三月稿、『俳諧問答』所収)に同じく師説としてみえるものとほぼ合致している。そして一般にこの一条は、芭蕉が門人の資質・個性に応じて、ときには全く正反対の指導をしていること― すなわち対機説法の好例として受けとめられてきたのであった。

 これに対して、「取合せ」論を、最短詩型文芸としての蕉風発句の本質的構造にかかわるものととらえ、表現論として創始された中心命題として位置づけようとする立場から、はじめて「取合せ」論を本格的な検証したのが、拙稿「取合せ論の検討」(『国語と国文学』昭46 2月号(4) ) であったといえる。その結論は次の二点に集約される。

A、芭蕉の説の真意は、ここでいう「能く取合する」こと

― すなわち「取合せ」て、かつ「こがねを打ちのべたる」ようになった句を理想としたものであること― したがって、「取合せ」と「こがねを打ちのべたる」句とは、相互に矛盾せず、対機説法ではなかった。

B、取合せの方法は、本質的に、感覚的な描写論ではなく、作者の心の働き

― その主体的な認知のあり方にかかわる“ 思考論である。したがって、取合せの生命

は二物を緊密に調和させる主体的な感合としての「とりはやし」(統合) の働きにある。

 (以下略)

四、蕉風における取合せの発想法 (略)

▽雅と俗の取合せによる句

▽雅・俗の取合せ以外の句

▽心情にかかわる取合せの句

▽取合せが表面には出ていない句

五、取合せという思考法 (略)

六、取合せの句における“思考” の働き (略)

七、許六の取合せ論の変質 (略)

八、近世から近代へ― 取合せ論の継承(略)

九、誓子の写生構成説 (略)

 おわりに

 今日の俳壇でも、[取合せ」論はしばしば総合俳句誌にもとり上げられているし、俳句入門書の類でも必ず「取合せ」や「配合」の項が立てられている。ただ、近年における”.取合せの名手” と評判の高い奥坂まやの代表句、

  地下街の列柱五月来りけり

万有引力あり馬鈴薯にくぼみあり

 などからうかがうと、物と物との強烈な衝撃をねらった、いわゆる「二物衝撃」の手法が好まれているかに推察される。けれども、この「万有引力あり」「馬鈴薯にくぼみあり」のように判断を投げ出したような措辞には、蕉風の「取合せ」とはやや異質なものが感じられるのである。「取合せ」はあるが、自然な※「とりはやし」がない、作者という主体の強烈な発見と認知はあるものの、自然な「とりはやし」にはなってないという感じが拭えない。これはむしろ、許六晩年の「掛合せ」意識の発展したものという印象が強いのである。

 「取合せ」論は、支考の「姿先情後」説、「虚先実後」説とともに、短詩型文芸としての発句・発句の表現構造を考えるためには、きわめて重要な説である。現代の俳句、さらには俳句の未来を考えるためにも、さらなる解明が必要なのである。

 ※「とりはやし」=俳諧用語。二つのものを効果的に結び合わせる。→ 俳諧・青根が峯(1698)自得発明弁「発句は〈略〉二つ取合(とりあはせ)て、よくとりはやすを上手と云也」(精選版 日本国語大辞典「取囃」)

 注 (略)

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