土曜日, 7月 22, 2023

第六 潮のおと(6-21~6-26)

    是齢文化丙寅春二月二十九日

    晋子の百年忌たるにより、

肖像百幅を畫き、上に一句を

題して人々にまゐらせける。

又追幅の一句をなす。

6-21 囀れや魔佛一如の花むしろ

6-22 田から田に降りゆく雨の蛙かな

6-23 護田鳥の鳴く木屋が置場や宵の月

6-24 剖葦や燈火もるゝ夜の川

6-25 鷲の棲む其木末とは柏餅

6-26 さきのぼる葵の花や段階子

 

    是齢文化丙寅春二月二十九日

    晋子の百年忌たるにより、

肖像百幅を畫き、上に一句を

題して人々にまゐらせける。

又追幅の一句をなす。

6-21 囀れや魔佛一如の花むしろ

 https://yahan.blog.ss-blog.jp/2019-09-30

 (再掲)

 


酒井抱一筆「晋子肖像(夜光る画賛)」一幅 紙本墨画 六五・〇×二六・〇

 ≪「晋子とは其角のこと。抱一が文化三年の其角百回忌に描いた百幅のうちの一幅。新出作品。『夜光るうめのつぼみや貝の玉』(『類柑子』『五元集』)という其角の句に、略画体で其角の肖像を記した。左下には『晋子肖像百幅之弐』という印章が捺されている。書風はこの時期の抱一の書風と比較すると若干異なり、『光』など其角の奔放な書風に似せた気味がある。其角は先行する俳人肖像集で十徳という羽織や如意とともに表現されてきたが、本作はそれに倣いつつ、ユーモアを漂わせる。」(『別冊太陽 酒井抱一 江戸琳派の粋人』所収「抱一の俳諧(井田太郎稿)」)

  この著者(井田太郎)が、『酒井抱一---俳諧と絵画の織りなす抒情』(岩波新書一七九八)を刊行した(以下、『井田・岩波新書』)。

 この『井田・岩波新書』では、この「其角肖像百幅」について、現在知られている四幅について紹介している。

 一 「仏とはさくらの花の月夜かな」が書かれたもの(伊藤松宇旧蔵。所在不明)

二 「お汁粉を還城楽(げんじょうらく)のたもとかな」同上(所在不明)

三 「夜光るうめのつぼみや貝の玉」同上(上記の図)

四 「乙鳥の塵をうごかす柳かな」同上(『井田・岩波新書』執筆中の新出)

  この四について、『井田・岩波新書』では、次のように記述している。

 【 ここで書かれた「乙鳥の塵をうごかす柳かな」には、二つの意味がある。第一に、燕が素早い動きで、「柳」の「塵」、すなわち「柳絮(りゅうじょ)」(綿毛に包まれた柳の種子)を動かすという意味。第二、柳がそのしなやかで長い枝で、「乙鳥の塵」、すなわち燕が巣材に使う羽毛類を動かすという意味。 】『井田・岩波新書』

  この「燕が柳の塵を動かす」のか、「柳が燕の塵を動かす」のか、今回の『井田・岩波新書』では、それを「聞句(きくく)」(『去来抄』)として、その「むかし、聞句といふ物あり。それは句の切様、或はてにはのあやを以て聞ゆる句也」とし、この「聞句」(別称、「謎句」仕立て)を「其角・抱一俳諧(連句・俳句・狂句・川柳)」を読み解く「補助線」(「幾何学」の補助線)とし、その「補助線」を補強するための「唱和と反転」(これも「聞句」以上に古来喧しく論議されている)を引いたところに、この『井田・岩波新書』が、これからの「井田・抱一マニュアル(教科書)」としての一翼を担うことであろう。

 そして、次のように続ける。

 【 これに対応する抱一句が、第一章で触れた「花びらの山を動かす桜哉」(『句藻』「梶の音」)である。早くに詠まれたこの句は『屠龍之技』「こがねのこま」にも採録され、『江戸続八百韻』では百韻の立句にされており、抱一自身もどうやら気に入っていたとおぼしい。句意は、大きな動きとして、桜の花びらが散れば、桜花爛漫たる山が動くようにみえるというのが第一。微細な動きとして、桜がさらに花弁を落とし、すでにうず高く積もった花弁の山を動かすというのが第二。

 燕の速度ある動きと柳の悠然たる動き、桜の大きな動きと微細な動き、両句ともに、こういった極度に相反する二重の意味をもつ「聞句」である。また、有名な和歌「見わたせば柳桜をこきまぜて都ぞ春の錦なりける」(『古今和歌集』巻第一)をはじめとし、柳と桜は対にされてきたから、柳を詠む其角に対し、意図的に抱一が桜を選んだと考えられる。抱一句は全く関係のないモティーフを扱いながら、其角句と見事に趣向を重ねているわけで、これは唱和のなかでも反転にほかならないと確認される。 】『井田・岩波新書』

   乙鳥の塵をうごかす柳かな  其角 (『五元集』)

  花びらの山を動かす桜哉   抱一 (『屠龍之技』)

  この両句は、其角の『句兄弟』(其角著・沾徳跋)をマニュアル(教科書)とすると、「其角句=兄句/抱一句=弟句」の「兄弟句」で、其角句の「乙鳥」が抱一句の「花びら」、その「塵」が「山」、そして「柳」が「桜」に「反転」(置き換えている)というのである。

 そして、其角句は「乙鳥が柳の塵を動かすのか/柳が乙鳥の塵を動かすのか」(句意が曖昧=両義的な解釈を許す)、いわゆる「聞句=謎句仕立て」だとし、同様に、抱一句も「花びらが桜の山を動かすのか/桜が花びらの山を動かすのか」(句意が曖昧=両義的な解釈を許す)、いわゆる「聞句=謎句仕立て」というのである。

 さらに、この両句は、「其角句=前句=問い掛け句」、そして「抱一句=後句=付句=答え句」の「唱和」(二句唱和)の関係にあり、抱一は、これらの「其角体験」(其角百回忌に其角肖像百幅制作=これらの其角体験・唱和をとおして抱一俳諧を構築する)を実践しながら、「抱一俳諧」を築き上げていったとする。

 そして、その「抱一俳諧」(抱一の「文事」)が、江戸琳派を構築していった「抱一絵画」(抱一の「絵事」)との、その絶妙な「協奏曲」(「俳諧と絵画の織りなす抒情」)の世界こそ、「『いき』の構造」(哲学者九鬼周三著)の「いき」(「イエスかノーかははっきりせず、どちらにも解釈が揺らぐ状態)の、「いき(粋)の世界」としている。

 さらに、そこに「太平の『もののあわれ』」=本居宣長の「もののあわれ」)を重奏させて、それこそが、「抱一の世界(「画・俳二道の世界」)」と喝破しているのが、今回の『井田・岩波新書』の最終章(まとめ)のようである。   ≫

  掲出句の前書の「是齢文化丙寅春二月二十九日晋子の百年忌たるにより、肖像百幅を畫き、上に一句を題して人々にまゐらせける。又追幅の一句をなす」の「文化丙寅春二月二十九日」は、「文化三年(一八〇六)二月二十九日」、抱一、四十六歳の時である。

 この句もまた、季語が、上五の「囀れ(囀り)(三春)と、下五の「花むしろ()(晩春)

と二つあるが、主たる季語は、上五「や切り」の「囀れ(囀り)(三春)と解したい。

 この中七の「魔佛一如」は、「魔界の魔王と仏界の仏とは全く同一であって、別のものではない」(『仏教語大辞典』)の意で、「魔仏一如絵詞(詞書5段,絵4)」や、謡曲「善界」の「もとより魔仏一如にて凡聖不二なり」などに由来があるようである。

 其角没後の追善集『類柑子』に収載されている「歌の島幷恋の丸」にも、「風雅の狐狸なれば、弶(わな)をのがれて産業となる事、和光同塵のことはり、魔仏一如の見ゆる成べし」という一節があり、それを踏まえてのものとの解もある(『酒井抱一・井田太郎著・岩波新書』)

 「句意」は、「魔仏一如のごとく、魔の花も仏の花も、皆々咲き誇る一面の花野に、一筋の光明を照らすように、高らかな囀りを聞かせてほしい。(その「囀り」は、「晋子終焉記」

(『類柑子』)所収)の「其角」先師の一声に違いない。)

 

6-22 田から田に降りゆく雨の蛙かな

 此(この)ほたる田ごとの月にくらべみん (芭蕉「元禄元年/1688/みづのかほ」)

元日は田ごとの日こそ恋しけれ      (芭蕉「元禄2/1689/真蹟懐紙」)

帰る雁(かり)田毎の月のくもる夜に          (蕪村「年次未詳/1775/蕪村句集」)

さみだれや田ごとの闇と成にけり     (蕪村「安永4/1775/新花摘」)

さつき雨田毎の闇となりにけり      (蕪村「安永4/1775/蕪村句集」)

落水(おとしみず)田ごとのやみとなりにけり(蕪村「安永4/1775/自筆句帳」)

月に聞(きき)蛙(かわず)ながむる田面(たのも)(蕪村「安永4/1775/自筆句帳」)

  掲出句の「季語」は「変える(買わず)」(見張る)。「宝谷」というイメージは、芭蕉の「田ごとの月・田ごとの日」、そして、蕪村の「田毎の月・田ごとの闇/さみだれと田ごと・さつき梅と田毎/田毎の月と蛙」などの「本句取り」(唱和と反転化)の一句として鑑賞もあろう。

「句意」は、「ここ隅田川近郊の千束の里にも、田に水が張られ、蛙が一斉に鳴き始める季節となった。殊に、降り続く雨の田は、これぞ、田から田へ、田ごとの『蛙』の合唱の趣である。」

 


歌川広重【六十余州名所図会 信濃 更科田毎月 鏡台山】

https://matsutanka.seesaa.net/article/387138900.html

  

6-23 護田鳥(ばん)の鳴く木屋が置場や宵の月

 季語は「護田鳥(うすべ)・鷭(ばん)の古名・溝五位(みぞごい)の異名」(「鷭」=三夏)。「鷭の笑い()」=「鷭の低い鳴き声を笑い声に例えた言い回し」=「鷭(バン)の体長はハトくらいの大きさ。腋と下尾の白斑が目立つ。全国の池、湖沼、水田、湿地等で繁殖する。草の中や水辺を歩いたり水を泳いで餌を漁る。尾を高く上げクルルクルルとよく鳴きながら泳ぎ、水面を足で蹴って助走してから飛び立つ。この草の中でクルルクルルと鳴く声は『鷭の笑い』と言われてきた。(「増殖する俳句歳時記/ May 132016)

 


絵本江戸土産の第二編の『深川木場(ふかがわきば)』」(初代「広重」画)

http://arasan.sakura.ne.jp/wpr/?p=339

≪「この辺、材木屋の園(その)多きにより、名を木場(きば)という。その園中(えんちゅう)おのおの山水(さんすい)のながめありて風流の地と称せり。」≫

 「句意」は、「ここ深川の木屋の置き場には、夏の宵の月が掛かっている。折から、水辺の鷭(ばん)が、『クルルクルル』と、『日がクルルクルル』とも、『クルルクルル・ケケケッ』と『鷭の笑い声』のようにも聞こえて来る。」

  

6-24 剖葦や燈火もるゝ夜の川

  この句の季語は、次句が「柏餅」(初夏)の句で、それからすると、この上五の「剖(割き・さき)葦」は、「青葦簾=青簾」(三夏)と解したい。下五の「夜の川」との「取り合わせ」の句と解すると「納涼船」(晩夏)の「青簾」の


「『東京二十景」より 荒川の月(赤羽)』」(「川瀬巴水 (1883-1957)/東京国立近代美術館蔵)

https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/53038

 「句意」は、「青葦の漉き割りする家の燈火も、納涼船の青簾の燈火も、今、まさに、この夜の、隅田川(旧荒川)の面に、漏れ照らしている。」

 

6-25 鷲の棲む其木末とは柏餅

  季語は「柏餅」(初夏)。「鷲」も「三冬」の季語だが、ここは、「柏餅」(初夏)の、「鷲の棲む其木末()」で、季語の働きはしていない。

 この句の、上五と中七の「鷲の棲む其木末」とは、次の凡兆の句が相応しい。(「きごさい歳時記」)

 鷲の巣の樟の枯枝に日は入ぬ   凡兆「猿蓑」

 

「名所江戸百景 深川洲崎十万坪(「歌川広重」画/東京富士美術館蔵)

https://www.fujibi.or.jp/our-collection/profile-of-works.html?work_id=10184

 「句意」は、「ここ、江戸、深川洲崎十万坪の、それを支配する、鳥の王者・『大鷲の棲む木末』には、『五月冨士』ならず『五月の柏餅』が、時節的に似つかわしい。。」

 

6-26 さきのぼる葵の花や段階子

 季語は「葵の花」(仲夏)。「段梯子(「だんばしご)」は、「幅の広い板をつけたはしご状の階段」のこと(「デジタル大辞泉」)。この句は、「見立て」(「俳諧で、あるものを他になぞらえて句をつくること」)の面白さを狙っての一句と解したい。

「句意」は、「葵の花が、中天に向かって、段梯子のように、上へ上へと、咲き上っている。」

 


酒井抱一筆「立葵紫陽花に蜻蛉図」(「十二か月花鳥図・六月」・宮内庁三の丸尚蔵館蔵)

https://my-art.jp/?mode=f9

 

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