金曜日, 3月 03, 2023

第四 椎の木かげ(4-33~4-42)

4-33  いくたびも清少納言はつがすみ

季語=はつがすみ=初霞(新年)

「丁巳春興」(前書)=「丁巳(ていみ)(丁巳=寛政九年=一七九七)の「春興」(三春の季語の『春興(春ののどかさを楽しむ心)』の他に、新年句会の一門の『春興』と題する刷物の意もある。」

「清少納言」=平安時代中期の女流歌人。『枕草子』の作者。ここは、『枕草子』の、「春はあけぼの」(夜明け)、「夏は夜」、「秋は夕暮れ」そして「冬はつとめて、雪の降りたる」などの、「春はあけぼの」(夜明け)の一句。

 句意(その周辺)=「丁巳春興」の前書がある九句のうちの一番目の句である。抱一、三十九歳の時で、その前年の秋頃から、「第四 椎の木かげ」がスタートとする。

句意=「四十にして惑わず」の、その前年の「新年の夜明け」である。この「新年の夜明け」は、まさに、「いくたびも、清少納言(「春はあけぼの」)」の、その新春の夜明けを、いくたびも経て、そのたびに、感慨を新たにするが、それもそれ、今日の初霞のように、だんだんと、その一つひとつがおぼろになっていく。 

  

4-34  菜の花や簇落たる道の幅

季語=菜の花(晩春)

(例句)

菜の花や月は東に日は西に    蕪村「続明烏」

菜の花やかすみの裾に少しづつ  一茶「七番日記」

「簇落たる」=「簇(むら)(おとし)たる」=この「簇(むら)」を「群・叢(むら)」と解したい。

 句意(その周辺)=「菜の花や月は東に日は西に(蕪村)の、一面の「菜の花」の光景である。その中にあって、人が通る「道の幅」だけ、「菜の花」の「群・叢(むら)」咲くのを落として、「道幅を開けている」いるように見える。(蛇足=嘗ては、「菜の花やかすみの裾に少しづつ(一茶)」で、「道の幅」だけ「群・叢(むら)」咲いている」としたが、今回は「群・叢(むら)」咲くのを落としているように、「道幅を開けている」と、まるで、逆の見方とあいなっている。)

 (参考) 「菜の花や簇(むら)落(おとし)たる道の幅」周辺    

 https://sakai-houitsu.blog.ss-blog.jp/2020-01-22

 

抱一画集『鶯邨画譜』所収「流水に菊」(「早稲田大学図書館」蔵)

http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/chi04/chi04_00954/chi04_00954.html

 抱一句集『屠龍之技』の「菜の花」の句に次のような句がある。

   菜の花や簇(むら)落(おとし)たる道の幅 

  この句の情景は、どのようなものなのであろうか。とにかく、抱一の句は、其角流の「比喩・洒落・見立て・奇抜・奇計・難解」等々、現代俳句(「写生・写実」を基調とする)の物差しでは計れないような句が多い。

 しかし、江戸時代の俳句(発句)であろうが、現代俳句であろうが、「季題(季語)・定形。切字・リズム・存問(挨拶)・比喩・本句(歌・詩・詞)取り」等々の、基本的な定石というのは、程度の差はあるが、その根っ子は、同根であることは、いささかの変わりはない。

  ここで、同時代(江戸時代中期=「蕪村」、江戸時代後期=「抱一」)の、同一系統(其角流「江戸座」俳諧の流れの「蕪村・抱一」)の、蕪村の同一季題(季語)の句などを、一つの物差しにして、この抱一の句の情景などの背景を探ることとする。

   菜の花や和泉河内へ小商ひ (蕪村 明和六年=一七六九 五十四歳)

  この「和泉河内」は、現大阪の南部で、当時の「菜種油」の産地である。一面の菜の花畑が、この句の眼目である。抱一の「菜の花や」の「上五『や』切り」でも、「菜種油=一面の菜の花畑」は背後にあることだろう。

   菜の花や壬生の隠れ家誰だれぞ (蕪村 明和六年=一七六九 五十四歳)

  この句の「壬生」は、現京都市中京句で、「壬生忠岑の旧知」である。抱一の句の「道の幅」の「道」も、抱一旧知の「「誰だれ」が棲んでいたのかも知れない。

   菜の花や油乏しき小家がち  (蕪村 安永二年=一七七三 五十八歳)   

  「一面の菜の花畑」は「満地金のごとし」と形容される。その一面の菜の花畑とその菜の花から菜種を取る農家の家は貧しい小家を対比させている。ここには「諷刺」(皮肉・穿ち)がある。抱一の句の「落(おとし)たる」「道の幅」などに、この「穿ち」の視線が注がれている。

   菜の花や月は東に日は西に   (蕪村 安永三年=一七七四 五十九歳) 

  蕪村の傑作句の一つとされているこの句は、「東の野にかぎろひの立つ見えて顧りみすれば月傾きぬ(柿本人麿『万葉集』)の本歌取りの句とされている。しかし、洒落風俳諧に片足を入れている蕪村は、その背後に、「月は東に昴(すばる)は西にいとし殿御(とのご)は真中に」(「山家鳥虫歌・丹後」)の丹後地方の俗謡を利かせていることも。夙に知られている。この句は、蕪村の後を引き継いで夜半亭三世となる高井几董の『附合(つけあい)てびき蔓(づる)』にも採られており、俳諧撰集『江戸続八百韻』(寛政八年=一七九六、三十六歳時編集・発刊)を擁する抱一も、おそらく、目にしていると解しても、それほど違和感はないであろう。

  ここでは、その『附合(つけあい)てびき蔓(づる)』(几董編著)ではなく、『続明烏』(几董編著)の「菜の花や」(歌仙)の「表(おもて)」の六句を掲げて置きたい。

   菜の花や月は東に日は西に    (蕪村、季語「菜の花」=春)

   山もと遠く鷺かすみ行(ゆく) (樗良、季語「かすみ」=春)

  渉(わた)し舟酒債(さかて)貧しく春暮れて(几董、「季語「春」=春)

   御国(おくに)がへとはあらぬそらごと (蕪村、雑=季語なし)

  脇差をこしらへたればはや倦(うみ)し  (樗良、雑=季語なし)

   蓑着て出(いづ)る雪の明ぼの     (几董、季語「雪」=冬)

  この「俳諧」(「歌仙」=三十六句からなる「連句」)の一番目の句(発句)を、抱一の句(俳句=発句)で置き換えてみたい。

   菜の花や簇(むら)落(おとし)たる道の幅 (抱一、季語「菜の花」=春)

   山もと遠く鷺かすみ行(ゆく)      (樗良、季語「かすみ」=春)

  渉(わた)し舟酒債(さかて)貧しく春暮れて(几董、「季語「春」=春)

   御国(おくに)がへとはあらぬそらごと  (蕪村、雑=季語なし)

  脇差をこしらへたればはや倦(うみ)し   (樗良、雑=季語なし)

   蓑着て出(いづ)る雪の明ぼの      (几董、季語「雪」=冬)

  これは、蕪村の発句が、生まれ故郷の「浪華」(「和泉河内」を含む)や現在住んでいる京都(「島原」)辺りの句とするならば、抱一の句は「武蔵」、そして、『軽挙館句藻』に出てくる「千束村(浅草寺北の千束村)に庵むすびて」の「吉原」辺りの句と解したい。

 その上で、当時の抱一に焦点を当てて、これら六句の解説を施して置きたい。

 (発句)菜の花や簇(むら)落(おとし)たる道の幅  抱一

  「簇(むら)」は、「菜の花の叢(むら・群生)の意に解したい。「道の幅」の「幅」は、「ふち・へり」の方が句意を取りやすい。句意は、「(千束村から吉原に行く)道すがら、その道の両側には、菜の花が、まるで、取り残されたように、群れ咲いている」。(以下「略」)

 

4-35  うぐゐすぞ梅にやどかる鳥は皆

 季語=「うぐゐす」=鶯(三春)。「梅」(初冬)。「梅に鶯(鶯宿梅)(初春)

「鶯宿梅(おうしゅくばい)」=「鶯宿梅(おうしゅくばい)」は、平安時代後期の歴史物語「大鏡(おおかがみ)」に記された日本の古い故事の一つ。「拾遺和歌集」にも見られる。

https://www.worldfolksong.com/calendar/japan/uguisu-ume.html

「やどかる」=「宿借る」(例句)

草臥(くたび)れて宿借るころや藤の花 (芭蕉「笈の小文」)

ほととぎす宿借るころや藤の花 (「三冊子」に出てくる上記の句のオリジナル)

句意(その周辺)=春告鳥の「鶯」が、「春告草」の「梅」の木に宿ると、あたかも、それが合図のように、「小鳥たち」は「皆」、一斉に「梅」の木にやって来る。(蛇足=この句には、「鶯宿梅」の別称をもつ端唄「春雨」が似つかわしい。)

 (参考) 端唄「春雨」周辺

 https://www.worldfolksong.com/songbook/japan/harusame.html

 春雨に しっぽり濡るる鶯の

羽風に匂う 梅が香や

花にたわむれ しおらしや

小鳥でさえも 一筋に

ねぐら定めぬ 気は一つ

わたしゃ鶯 主は梅

やがて身まま気ままになるならば

サァ 鶯宿梅(おうしゅくばい)じゃないかいな

サァサ なんでもよいわいな

  

4—36  のり初(そむ)る五ツ布団やたから船

 季語=たから船=宝船(たからぶね)/新年

 https://kigosai.sub.jp/?s=%E5%AE%9D%E8%88%B9&x=0&y=0

 【解説】よい初夢を見るために、枕の下に敷く、宝を満載した船の絵をいう。七福神の乗ったものもある。元旦もしくは正月二日の夜に敷いて寝るとされる。

【例句】

須磨明石みぬ寝心やたから船  嵐雪「小弓誹諧集」

 句意(その周辺)=初夢に、豪勢な「五つ布団の敷き初め」の夢が見たいと、「宝船」の絵を、「一つ布団」に敷くのでした。(蛇足=これは、下記の歌麿の「夜具舗初(しきぞめ)之図」が似つかわしい。)

「夜具舗初(しきぞめ)之図」(『吉原青楼年中行事. ,下之巻 / 十返舎一九 著 ; 喜多川歌麿 画』) (「早稲田大学図書館」蔵)

https://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/wo06/wo06_01494/wo06_01494_0001/wo06_01494_0001_p0010.jpg

(参考)  「夜具舗初(しきぞめ)之図」周辺

 https://love-style-jp.com/yoshiwara/yujo-seikatu.html

 ≪ 布団は当時、高価なものでした。上級遊女が寝具として使っていたのは、敷布団を3枚重ねる「三つ布団(みつぶとん)」でした。また、下級遊女は「二つ布団(ふたつぶとん)」でした。一般市民は敷布団が一枚だけの「一つ布団(ひとつぶとん)」でした。(中略)

 三つ布団が贈られると、まず布団が妓楼の店先に飾られました。これは「積み夜具(つみやぐ)」と呼ばれました。そしてその後、縁起の良い吉日を選んで遊女の部屋に運び込まれました。初めて三つ布団を敷くことを「敷き初め(しきぞめ)」と呼びました。≫

 

4-37  はる雨のふり出すや梅二輪

 季語=はる雨=春雨(はるさめ)/三春。「梅」(初冬)。この句は「初冬」の句。

「梅」(例句)

梅一輪一輪ほどの暖かさ(嵐雪『遠のく』)

「賽(さい)」=「神にむくいること(賽神)」と「サイコロのこと(賽子)との両義がある(「ウィキペディア」)。さらに、この「賽(サイ)」は「際(サイ)=その時」の意が掛けられている。

 句意(その周辺)=「春雨」の「賽神(サイジン)」が「降りだす」、その「際(サイ)」に、「賽子(サイコロ)」を「振る」と、「梅が二輪」、嵐雪師匠の「梅一輪一輪ほどの暖かさ」の「一輪ほど」ではなく「二輪」ほど、日増しに暖かくなっていきます。

(蛇足)=「春雨の降る」と「賽を振る」、「賽」と「際」などの「言葉遊び」で、さらに、私淑する「其()=其角・嵐(ラン)」の「嵐雪」の名句「梅一輪一輪ほどの暖かさ」を踏まえ、「一輪ほど」でなく、「一輪プラス一輪」で「二輪ほど」と洒落ている。

(蛇足の蛇足)この上五の「はる雨」の「はる」も「花札を張る・賭場を張る」などの「張る(はる)」と、中七の「ふり出す」の「はる」と「ふり」との洒落なども意識されているのかも知れない。と同時に、これは、下五の「梅二輪」との取り合わせで、「花札」の「赤短札」(下記と「参考」など)の「松」(一月)・「梅」(二月)・「桜」(三月)の、「梅」(二月)と、その「梅のカス」二枚の「二輪」、さらに「赤短札」の「あかよろし」を「あめよろし」と洒落て詠んでいる風情も加わってくる。こうなると、句意は、何通りもあって手の施しようが無くなってくる。

 「花札」の「梅(二月)(「ウィキペディア」)


(参考) 「花札」の「赤短札」(周辺)

 http://www.kamanariya.com/ltd/tenjikai/koten/wakayorosi.htm

 


 4-38  火もらひに鉋の壳(から)や梅の晝 

 季語=「梅の晝()」=「梅」(初冬)

「鉋の壳(から)」=「鉋屑(かんなくず)」か?=「鉋で材木を削るときにできる薄い木片の屑。かなくず」 (「精選版 日本国語大辞典」)

 句意(その周辺)=「昼」時に、「火を貰いに」、「鉋の壳(から)」=「鉋屑(かんなくず)」を火種にして、火をおこし、その火を囲みながら、まだ寒い「梅見」の頃の食事時を満喫している。(蛇足=何処かに、抱一の仕掛けが施されている雰囲気なのだが、それが容易には分からない。この中七の「鉋の壳(から?)」は、「削り華」(木を削って作った花)、「削り節」(鰹節など)、「おから」(豆腐殻の「卯の花」)などの意が隠されているのかも知れない。また、抱一と関係の深い「新梅屋敷」などに関連して、下記(参考)の「江戸自慢三十六興 梅屋敷漬梅」に関連しての、句意探訪もあるのかも知れない。)

 (参考)

 

「江戸自慢三十六興 梅屋敷漬梅」歌川広重(二代)、歌川豊国(三代)画 /国立国会図書館所蔵

https://www.kabuki-za.co.jp/syoku/2/no62.html

≪ 絵の題に梅屋敷漬梅とあります。梅の漬物には梅干のほか青梅漬(青梅の塩漬)、糟梅(酒の粕に漬けたもの)などもあり、梅酒も現在とほぼ同じ作り方が『本朝食鑑』(1697)にあります。梅屋敷の漬梅は梅干でした。≫


 (追記) 「鉋の壳(から)」は「鉋の壳(から)=鉋っ屑」と「壳(から)子=殻子・殻粉」の用例か?

 4-37  はる雨のふり出す(さい)や梅二輪

4-38  火もらひに鉋の(から)や梅の晝 

  この前句の「賽(さい)」は、「賽子(サイコロ)」を掛けての用例と解したのだが、次句の「壳(から)」は、「おから」(豆腐殻の「卯の花」)などを掛けての用例のイメージはしたのだが、どうにも意味不明であった。

 これは、「壳(から)()」から、「壳(から)()→殻粉(からこ)→からこ団子・粢(しとぎ)」と理解すると、イメージが鮮明になってくる。

句意は、「梅の昼に、火種を頂こうと、鉋の殻(から)を持って行って、一緒に、殻粉(からこ)団子を頂き、結構な、梅見の昼とあいなった。」となる。


4-39  出代(でがはり)の唇あつき椿かな

 季語=椿=椿(つばき)/三春

https://kigosai.sub.jp/?s=%E6%A4%BF&x=0&y=0

【子季語】山茶、山椿、乙女椿、白椿、紅椿、一重椿、八重椿、玉椿、つらつら椿、落椿、散椿、 藪椿、雪椿

【関連季語】冬椿、椿の実

【解説】椿は、春を代表する花。万葉集のころから歌にも詠まれ日本人に親しまれてきた。つやつやした肉厚の葉の中に真紅の花を咲かせる。花びらが散るのではなく、花ひとつが丸ごと落ちるので落椿という言葉もある。最も一般的な藪椿のほか、八重咲や白椿、雪椿などの種類もある。

【例句】

鶯の笠おとしたる椿かな       芭蕉「猿蓑」

椿落て昨日の雨をこぼしけり   蕪村「蕪村遺稿」

【参考】「出代(でがはり)・出替り」も季語(仲春)だが、ここは、「椿」(三春)に掛かる形容詞的な用例(「出代(でがはり)の唇あつき」)で、季語としての働きではなく、その背後に潜ませている、抱一の趣向ということになる。

(子季語)出代/新参/古参/御目見得/居なり/重年

(解説)年季を終えた奉公人が交代すること。今で言う人事異動のようなもの。江戸では二月と八月、後に三月と九月に行われた。

(例句)

出替りや幼心にものあはれ   嵐雪「猿蓑」

出替りや傘提げて夕ながめ   許六「韻塞」

出代りの畳へ落す涙かな     太祇「平安廿歌仙」

出代や春さめざめと古葛籠   蕪村「蕪村句集」

出代や人の心のうす月夜     召波「春泥発句集」

出がはりの酒しゐられて泣きにけり 白雄「白雄句集」

出替の笑ひにふくむなみだかな     青蘿「青蘿発句集」

出代の市にさらすや五十顔         一茶「八番日記」

句意(その周辺)=「梅」(二月)と「桜」(三月)に替わって、その「出替わり」のような「椿」(四月)は、丁度、「出替わり・奉公人」の下女の「唇」のような、「ぼってりと・厚咲き(地のまま)」の花のような雰囲気を漂わしている。

 

4-40 款冬(かんとう)や氷のけぶりも此ごろは

 季語=「款冬(かんとう)」=石蕗の花(つわのはな、つはのはな)/初冬

https://kigosai.sub.jp/001/archives/3743

【子季語】いしぶき、つはぶきの花

【解説】キク科の常緑多年草。名の由来は「葉に艶のある蕗」による。蕗に似ているが、蕗とは別種である。大きな光沢のある葉をもち、初冬に黄色い花を多数つける。

【例句】

淋しさの目の行く方やつはの花  蓼太「蓼太句集初編」

春秋をぬしなき家や石蕗の花   几董「井華集」

空明の姿二つやつはの花     言水「初心もと柏」

ちまちまとした海もちぬ石蕗の花 一茶「七番日記」

咲くべくもおもはであるを石蕗の花 蕪村「蕪村句集」

 句意(その周辺)=この句は、「石蕗の花」(三冬)の句である。その「(かんとう)=冬を款する(象徴する)花」=「石蕗の花」は、春になって、この頃は、「氷のけぶり(煙り)」とは、全く無縁の風情である。この句、一句だけでは、「冬」の句であるが、「春興」の他の句と一緒になると、「春」(「この頃」)の句となる。


4-41 ちり積(つみ)て山樵(やまがつ)が荷や花一朶()

 季語=「花一朶」の「花」(晩春)

 https://kigosai.sub.jp/001/archives/1994

 【子季語】花房、花の輪、花片、花盛り、花の錦、徒花、花の陰、花影、花の奥、花の雲、花明り、花の姿、花の香、花の名残、花を惜しむ、花朧、花月夜、花の露、花の山、花の庭、花の門、花便り、春の花、春花、花笠、花の粧

【関連季語】桜、初花、花曇、花見、落花、残花、余花

【解説】花といえば桜。しかし、花と桜は同じ言葉ではない。桜といえば植物であることに重きがおかれるが、花といえば心に映るその華やかな姿に重心が移る。いわば肉眼で見たのが桜、心の目に映るのが花である。

【例句】

これはこれはとばかり花の吉野山  貞室「一本草」

なほ見たし花に明け行く神の顔   芭蕉「笈の小文」

花の雲鐘は上野か浅草か      芭蕉「続虚栗」

「一朶」=一枝

「ちり積」=「塵積」(ちりつも)だが、「ちり積()みて」の詠みとする。

「山樵(やまがつ・さんしょう)」=樵(きこり、木樵)・樵夫(しょうふ)・「杣夫(そまふ)」。

「歳木樵(としきこり)」=「仲冬」()の季語。

(例句)

おとろへや小枝も捨てぬとし木樵 蕪村「蕪村句集」

 句意(その周辺)=木こりが、山の荷(伐り出した薪)を沢山背負って、山を下りてくる。その荷の一番上には、花が一枝添えられている。蕪村の「おとろへや小枝も捨てぬとし木樵」の「とし木樵」()を「花一朶」()に反転している雰囲気で無くもない。

 

「職人尽歌合(しょくにんづくしうたあわ)/樵夫と草刈」

https://www.benricho.org/Unchiku/edo-syokunin/07-1769syokuninzukushiutaawase/01.html

 

4-42 はるの田や墨絵の馬の幾かへり

 季語=「はるの田」=「春田」(三春)

「却走馬以糞」(前書)=「老子/ 道経/ 儉欲第四十六」の、「天下有道/却走馬以糞」(天下に道有れば/走馬を却(しりぞ)けて以って糞し=世の中で「道」が行われていると/伝令の早馬は追いやられて畑の耕作に用いられる)が、この前書の出典のようである。

http://sloughad.la.coocan.jp/novel/master/achaina/laozi/laozi46.htm

「幾かへり」=いくたび。なんべん。

幾かへり露けき春を過ぐしきて/花のひもとく折りに会ふらむ(『源氏物語』夕霧・藤裏葉442

https://sakura-paris.org/dict/%E5%AD%A6%E7%A0%94%E5%8F%A4%E8%AA%9E%E8%BE%9E%E5%85%B8/content/129_856

 句意(その周辺)=前書の「却走馬以糞(走る馬をしりぞけ、農耕馬の糞を以ってす)」、この「春田」の「墨絵」のような「馬」が、ひもすがら、「幾かへり」(いくたびも)、「春田」を耕している。(蛇足=この「春田」の、その「糞」も歓迎される「農耕馬」は、嘗ての、戦時には、戦場を駆け巡る「走馬」であったのだ。今、しみじみ、「江戸の太平の世」の、その「もののあはれ」というものを目の当たりにしている。)

 

鏑木清方画「讃春(左隻)/昭和8年(1933/61/絹本着色」(「三の丸尚蔵館」蔵)

https://www.kunaicho.go.jp/event/sannomaru/tenrankai70.html

 https://nekoarena.blog.fc2.com/blog-entry-2780.html

≪左隻は隅田川に小舟を浮かべた水上生活者の情景です。

赤い着物のおかっぱ頭の小さな女の子が船底を覗き、中から母親が

優しく見上げています。

金具も捲れた古い和船ですが、バケツには桜の枝が活けてあります。

遠くの清洲橋の吊橋型の橋がぼんやり浮かんでいます。

近代的な鋼鉄橋を、鏑木清方らしく浮世絵風にあしらっています。

舟には七輪が載っていて、火が起きています。

仁徳天皇の「民のかまどはにぎはひにけり」の故事に依っているのでしょう。≫


鏑木清方画「讃春(左隻)(部分図)/ 「三の丸尚蔵館」蔵

 

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